第42話:閑話後編:ターニップの『奮闘』
『スパイさんの晩ごはん。』
第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。
閑話後編:ターニップの『奮闘』
あらすじ:ターニップ負け犬説。
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「きゃ~!!」
絹を引き裂くような悲鳴に続いてチリチリと鈴が暴れる音が聞こえる。レンティルちゃんに教わった鈴の音、女性が助けを呼ぶための鈴の音だ。私はお婆ちゃんの喫茶店のカウンターの壁に掛けられたフライパンに手を伸ばす。
「あ、待つッス!」
「代金は払っておいて!」
「奢りじゃないッスか?!」
チキンの制止は聞こえたけれど、今は構っている暇はない。『婦人相互自衛会』はマートンさんが始めた、女性が助け合って安全に街の中を行き来するための組織。少しだけ通りは安全になって、王都は少しだけ活気に満ちている。
今はひとりの犠牲者も出したくない。
犠牲者が増えたら、この計画は破綻する。鈴の音を鳴らしても助けが来ないと噂になれば、往来する人が減る。自分の時に助けてもらえなかったら、人を助けようと思わなくなる。
逆に、ちゃんと助かると理解してもらえれば、噂が広がってもっと街を行き来する女性が増えるかもしれない。自分が助けてもらったら、他の人も助けてあげたいと思うわよね。お客さんだって増えるわよね。
やっと衛兵さんたちにも『婦人相互自衛会』を認めてもらえたんだもの。小さな悪い噂でも立てたくない。
「暴れんじゃねえ!」
「や、やめて!」
「うるさい!黙れ!!」
鈴の音が聞こえる方へ走ると、男が脅かす声と女性の怯える声が聞こえてきた。次の路地だと見当をつけ、角を滑りながら曲がえると鈴の持ち主が見えた。若い女性。年の頃は私より少し上くらいかな。
追い詰めるのは擦り切れた服を着た兵隊崩れっぽい若い男。知らない顔だ。できれば応援を待って皆で取り囲んだ方が確実だけど、男は武器は持っていないし、今にも女性に手を上げそうだ。
「待ちなさい!」
「邪魔するんじゃねぇ!」
男は私を無視して女性の腕を乱暴に掴む。時間がない。このまま女性を人質に取られたら手も足も出なくなる。悔しいけど、今の私には彼女に怖い思いをさせないでフライパンを男に叩き込むほどの技量はない。
「待ちなさいって言ってるでしょ!!!」
私は地面を蹴ってフライパンの背中、丸い部分を男の顔面目掛けて振り払う。
「あぶねえな!」
渾身の一撃を放ったものの、スカッとフライパンは空を叩く。男が体をよじって避けたんだ。でも、片手に女性を掴んで離せないから、バランスを崩している。
いける。
私は体を浮かせスカートを翻して一回転。回転することで飛び込んだ勢いのままフライパンのスピードを維持できる。そして、男に背を向けている間にフライパンを傾けるの。
フライパンの面を背中から側面に変えることで、よりスピードも乗るし威力も上がるのよ。フライパンがすぐに歪んじゃうけど。でも、今は非常事態。後でお婆ちゃんには新しいのを用意するわ。
次の狙いは、男の足の脛。
体が落ちる力を利用して勢いの乗ったフライパンをさらに加速させる。もともと視界の外にある足は守りにくいし、背中を向けている間に加速するから、男が避けることは難しいの。
小柄な私が男を倒すには、小さな体をできるだけ有効活用するしか無い。
これこそ五本のフライパンを犠牲に、三本の足を破壊して編み出した私の必殺技。ちょっと足の骨が砕けるくらい許されるわよね。相手はか弱い女性を襲ったんだし、治癒の魔法を後でかければ治る。
「トルネード・スマッシュ!!!!!」
私は大声をあげて気合を爆発させると、渾身の力を込めて薙ぎ下ろした。
「しゃらくせえ!」
ガキン!
絶対の自信があったのに、脛を砕く予定だったフライパンは空しく男の足に踏みつけられた。私の『トルネード・スマッシュ』が破られたのよ。
「へっ、正義の味方ごっこか?だが、戦場じゃあ盾に守られてない足を狙われることなんて日常茶飯事でな。おかげで足元はしっかり注意してんだ。」
衝撃で私の指先からフライパンからが滑り落ち、地面すれすれを滑っていた体はゴロゴロと転がった。結んでいた髪がほどけて、口の中に血の味が広がっる。女性を助けようとしたのに。でも、ダメだった。
「そッスかぁ。」
私が絶望に暮れている間に、チキンが男の背後に回り込んでいた。彼は男の左手を捻り上げ、右手の爪で眼球を狙った。眼球は鍛えようのない部位のひとつ。指の力でも簡単に壊すことができるとチキンから教わった。加減が難しいから絶対にマネするなって言われているけど。
「くっ、いつの間に!」
小柄な優男にしか見えないチキンだけど、本業は配達屋だから見た目よりも力がある。荒っぽい仕事がら絡まれることが多いのよね。だから、『婦人相互自衛会』の人たちと、自衛の仕方の教えてもらったこともあるの。
「隙だらけッス。戦場で敵が一人なんてことはないッス。ダメダメッス。」
チキンは軽口をたたいているように聞こえるけど、中指は男は目を狙っている。人間は見えない喉元にナイフを突きつけられるより、目前に前に迫った爪の方が恐怖を感じるそうだ。
「オレが悪いんじゃねえ!この女がオレの財布を掏ったから捕まえようとしただけだ!」
女性は腰を抜かしたのか男に腕を掴まれたまま、地面にへたり込んでいた。震える体に結ばれた鈴がちりんと揺れる。その鈴は『婦人相互自衛会』の鈴。女性が王都を少し安全に歩けるようにするための組織の鈴だけど、男の話が本当なら犯罪者が悪用したことになる。
つまり、私は犯罪者を助けたかもしれないんだ。
「本当なの?」
男の言うことが本当なら鈴の信用がなくなる。
せっかく、マートンさんがアイディアを出して、みんなで寄り合って色々なことを決めたのに、彼女一人のせいで今までの苦労が水の泡になってしまう。そう考えると私は彼女を許すことはできなかった。
「仕方ないじゃない!私の村はこのバスケット王国の兵士たちに荒らされたのよ!」
私の怒りに震える声に女性は金切り声で答える。後は取り乱していて支離滅裂だったけど、要約するとこんな感じだ。
女性はバスケット王国とフォージ王国の国境から少し離れた、かろうじて戦火の及ばない場所に住んでいた。だけどある日、どこからか流れてきたフォージ王国の鎧を着た兵士が好き勝手に暴れはじめた。
ほとんどの男たちは戦争のために出て行って、村には老人と女子供ばかり。わずかに残っていた男は先に殺された。
村人を殺した兵士たちは興奮し人質を取り酒と料理と女を要求した。彼女は兵士たちの機嫌を損ねないようにお酌をしていたのだけど、彼らがうっかり漏らした言葉を聞き逃さなかった。
『スプラウト将軍さえいてくれたら、こんなに苦労しなかったのによ。』
女性も英雄と名高い将軍の名前は知っていた。英雄がいれば苦労しないということは、彼らはバスケット王国の兵士かもしれない。そう思った彼女は酔った兵士たちをおだてながら少しずつ彼らの素性を調べた。命をかけて。
結果、兵士たちは戦場から逃げ出したバスケット王国の脱走兵だった。
着ているフォージ王国の鎧着は死体から剝ぎ取ったもので、彼らは自分たちの着ていたバスケット王国の紋章の入った盾を隠し持っていた。
それを突き止めた女性は脱走兵たちに捕まったが、村の仲間を手を借りてこっそりと村から抜け出した。助けを呼ぶために。
だけど、どこに行っても今は村に人を派遣できないと突き放された。証拠がない上にただでさえ戦争で人手が不足している。目の前にもっと殺意を持った敵がいるのだ。しかも、今は収穫期。人手が足りなくて困っているとまで言われたそうだ。
「村にも戻れないし、生きていくのにだってお金が必要だったのよ!」
彼女は男たちの目を盗んで逃げだしたから、ほとんどお金を持っていなかった。村人から預かったなけなしのお金ではわずかばかりの食料しか買えず、野草を食べて木の陰で雨露をしのいだ。
王都に来た頃には一文無しでその上、彼女の村は戦場から離れていたから、被災者として認められなかった。まあ、認められたとしても人気のない仕事の斡旋と、わずかに炊き出しが増えるだけだけど。
「すこし仕返ししてもいいじゃない!!アイツらを逃がしたのはアンタ達でしょ!」
女性は言い終えると、糸が途切れたかのように泣き出した。
「お、オレは関係ねえ。オレは頑張ったんだ。これはオレの金だ。」
男も彼女の涙を見て動揺したようだ。うわごとのように呟く言葉から推測すると、国を守るためにたくさんの人を殺して、戦果を認められて表彰されるために王都へ一時的に戻っていたらしい。
報奨金をもらった男は浮かれて少しばかり羽目を外していたようだ。景気良くお金を使ってたから、女性に狙われたのかもしれない。
「命をかけてもらった褒章金を盗られたら怒るだろ。それに、もらったばかりの金を簡単に掏られたとしたら、せっかく築き上げた俺の立場が無くなってしまう。」
「そういうのは衛兵に言うッス。無駄ッス。自分の管轄外ッス。」
いつの間にか集まってきた野次馬をかき分けて来た衛兵さんに、チキンは何かを囁いて二人を預けた。後で聞いた話によると二人に温情がもらえるように、マートンさんから教えてもらっている貴族の名前を伝えたらしい。
「あとは衛兵の仕事だし、何かあってもマートンが適当にやるッス。」
「マートンさんばかりに押し付けたら悪いわ。」
「大丈夫ッス。今回の件なら喜んでやると思うッスよ。それより、ターニップも暴力で解決しようとしちゃダメッス。」
「だって、人が襲われそうだったのよ。」
「あの男にはもとから彼女を傷つける気が無かったッス。脅しッス。それに人が集まって取り囲んでしまえば、彼も暴力にでれなかったッス。」
そんなの判るわけないじゃないと文句を言ったけど、チキンは小言ばかりで取り合ってくれなかった。彼は私を自宅の雑貨屋へと送ると手をひらひらさせて去っていく。
ひとりになった私は珈琲を入れると最近の定位置になった椅子に座った。熱い珈琲はやっぱり苦い。私には砂糖とミルクが必要みたいだ。湯気の上がる黒い液面に自分を映して落ち込んでいると、落ち着いた色のメイド服を着た少女に声を掛けられた。
「ターニップ様でございますか?」
この日、彼女に会ったことで、私の日常は壊れた。
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次回:第四章:戦争と晩餐。 / 平和な『尋問』
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