第19話『黄な粉豆』と引き換えに。

『スパイさんの晩ごはん。』

第二章:味噌ほど美味いものは無い。

第五話:『黄な粉豆』と引き換えに。


あらすじ:マートン大人気。

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からりと晴れた休日に、私は人通りの多い通りを行く。


そう、休日だ。


公爵閣下の下で働き始めてそれなりの日数が経っていたが、やっとゆっくりと休日が取れた。今までも休みを貰えなかったわけではないが、慣れない仕事で疲れた体を癒すのに精一杯で、細々とした忙しさに付きまとわれなければ外出なんてしたくもなかった。


オックスへの報告が面倒なのだ。


こうして遠い王都の端の通りまで足を延ばし羽を伸ばせるのも、あの長く苦しい残業の日々が終わったからである。特に予定の無い日が再び来るとは思いもしていなかった私の足取りは軽い。ともすればステップを踏みそうになる足を押さえながら、私は流れる人の波に身を任せていた。


「ね~ね~おじちゃん。私の美味しい黄な粉豆を買わない?」


何気なしに歩いていた人込みで、カゴを持った幼なさの残る少女に袖を引かれた。カゴには2種類の包が入っていて、大きい方は竹の皮を何枚か織り合わせた四角い包み。小さい方は1枚を三角のカップ型に折っていて蓋は無い。


カップからは黄色い粉で彩られた丸い菓子が10粒ほど入っているのが見て取れる。


袖を引かれるのは珍しいが、少女が菓子を売り歩くことは珍しくはない。家計の足しにしたり小遣いにしたりと理由はあるが、戦争に父や兄を取られてしまえばさらに大変だろう。


恐らくだが、この菓子をつくるのはもちろん、包みも少女が春に竹の皮を集めて嘗めし織った物だと思うので、大きい方が手の込んでいる分だけ実入りは大きいはずである。私も同じような事をした覚えがある。砂糖が豊富ではないフォージ王国なので、近くで採ってきた栗や味噌玉だったが。


少女も小銭を稼ぎたいのだろうが、私は目的もなくぶらぶら歩いているだけなので、今は家に帰る時間も決めていない。もうしばらく自由を謳歌したいので、手荷物を持つ気はない。


「小さい方でいいか?」


「もちろん!」


私は竹皮のカップをひとつ貰い硬貨を渡す。少女はとびきりの笑顔で礼を言うと、次の客を求めて元気に歩き出した。


ほのぼのとした気持ちで少女を見送りながら、私はひとつつまんで口に運ぶ。うっすらと塩味の効いた香ばしい黄な粉が唾液を奪う。噛むと中心は炒った大豆が入っていて、カリッと音を立てた。


炒った大豆に少しの砂糖と塩を混ぜた黄な粉を絡めているのだが、中心になる炒り大豆も黄な粉も大豆という不思議な食べ物。だが素朴な味がどこか懐かしく美味い。


私は口中の奪われた水分を水の魔法で補充すると、次の一粒を口に入れた。これくらい気軽に味噌玉を食べられると嬉しいのだがと考えながら。


しかし、気分は良いが目的のものが見つかっていない。


適当に歩いているように見えて実は味噌を探していたのだ。オックス達からは無いと言われた味噌。だが、諦めきれずにどこかの店で細々と売っているかもしれないと、アパートから遠いこの通りまで朝から探し歩いてきた。しかし、この通りにも無かった。


そろそろ次の通りに移る頃合いかもしれない。


私は太陽の方向で見当をつけ小路を選ぶ。今まで歩いていた表通りとは打って変わった生活臭に子供の駆けて行く元気な声。小さな公園を通り過ぎて、洗濯物の棚引く様を仰ぎ見る。


この生活臭の遥か向こうに王宮があり、その前には貴族街がある。


金を持っている貴族の家に近い方が、珍しい品物を扱っている可能性が高い。長い年月をかけて熟成された味噌は高級品だし、年数が浅いものでも輸入品になれば簡単には手に入らない。


貴族街を目指して気の向くままに小路を歩いていると、要塞のような高い壁にぶつかった。そろそろ貴族街と平民街の境界なのだろう。貴族の屋敷なら高い壁があってもおかしくはない。


仕方ないので壁に沿って歩いていると、金属の格子扉になった門がある。そばには門番が詰める小屋もあるので、前を通り過ぎるだけにしようとしていた私だが、門の前に差し掛かった時に足を止めてしまった。


「これはまた何とも。」


高い壁に囲まれた広い敷地の中ほどにぽつんと屋敷が建っていて、草木は生えず剥き出しの地面が広がっていた。


「何か用か?」


不用意に立ち止まった私を小屋の中に座っていた門番の男が問い質す。貴族の家の前で足を止めて不自然な声を漏らしてじろじろ見ているのだから当然だろう。


「いや、貴族の屋敷なのに庭を整えていない事が不思議だっただけだ。工事中なのか?」


大きな敷地を持っている貴族は草木や池などで庭を整えることが多い。私は黄な粉豆を一粒口に入れながら、カップを門番に差し出した。砂糖がふんだんに使われた立派な菓子ではないが、門番の口が軽くなるかもしれないと考えて。


「黄な粉豆なんて久しぶりだぜ。」


門番の男は遠慮なしにカップから3粒ほど鷲掴みにしてガリガリと噛み砕いた。通りがかりの平民が立ち止まっただけで警戒して声をかけてきたのだから優秀かと思ったが、ただの暇つぶしだったらしい。もしも私が黄な粉豆に毒や呪いを盛っていたら、彼は仕事ができなくなるのに。


「ここはかの英雄、ブラッソウ・スプライト元将軍の邸宅なんだがな。」


意外なところで老将軍の名前が出てきたので、私は思わず顔を引き攣らせていた。何気なく通りかかった屋敷が自分の標的の屋敷だったら当然だろう。不用意にも程がある。だが、私の表情の変化に気付かなかったのか、自慢気な門番の男は追加で黄な粉豆を攫って話を続けた。


「旦那が若いころ自宅で兵士の訓練ができるように庭を潰したそうだ。退役後もそのままにして、貴族街が火事になっても平民街に火が飛ばないようにと、防火園の役割をさせるためにそのままにしているって話だぜ。」


別に草木を生やして庭を整えることが悪いとは限らない。


落ち葉や朽木に引火する可能性もあるが、丁寧に手入れをしていれば生木は燃えにくいし、食料や薪になる果樹や薬草を育てる事ができる。それに、贅沢に見える池も非常時の防火用水や生活水に使える。今では無駄に豪華にして競う貴族もいるのだが。


「それは素晴らしい考えだが、一人で番をするのは寂しいだろう?」


彼が出てきた小屋は小さくて他の人間が隠れる場所は無い。門番をやらせるなら2人以上が望ましい。2人であれば、来客に対応する者と屋敷へ連絡を通す者と別れられるし、不審者がいれば門を守る者と応援を呼びに行くものとに別れられる。


何も無くても人間なら用を足さなければならぬ以上、独りでは必ず穴ができる。何より、この男のように囀りすぎる人物を止められる。


「いや、独りの方が気楽さ。どうせオレの役割はそこのボタンを押すだけだ。」


門番が座って休める広さがあるだけの小屋の壁に丸いボタンがかかっていた。そのボタンを押すと広い庭を通らずに屋敷の中の人間に来客を知らせる事ができるらしい。たぶん、魔道具の類なのだろうが初めて見る。


「ぼんやりと詰将棋でも楽しみながら、ひと月にボタンを数回押すだけで金がもらえるんだぜ。これほど楽な仕事はねえぜ。」


私は門番を変えた方が良いと考えながら話を聞いていた。門番の人数も来客の回数も他所へ漏らしてはいけない情報だ。つまり、月のほとんどは屋敷に数人の関係者しかおらず、中に入ってしまえば来客によるアクシデントが起こりにくい。


この頼りにならない門番の不意さえ突けば、私でも侵入できるかもしれない。


こんなに穴だらけの門番で、オックスたちが老将軍の情報を得られないというのが不思議で仕方ない。それほど無力に思えなかったのだが、手が足りなかっただけだろうか?それとも重要視していないのだろうか?上層部は大事だと考えていても現場では無駄と判断することはくある話だ。


「なるほど、便利だな。」


「ああ、賊が数をそろえて押し寄せてきてもオレはボタンを押して逃げるだけで良いんだ。将軍は強いからな。」


つまり、門番はただの見張りで何も守る必要は無く、見通しの良いこの庭の異常があれば知らせるだけなのだ。名前をすんなりと教えたのも相手を怯えさせるためで、無断で門の中に入れば老将軍自らが賊を叩き潰すのだろう。


老将軍が挑発のために、ここにこの門番を置いているとすれば、この整えられていない庭はさながら血に飢えた闘技場か、あるいは眠れる戦場か。


門を守るだけなら安い人間を雇えば済む話で、高価な魔道具を配す必要は無い。


ならば他にも仕掛けがあるかもしれない。例えば、敷地に不審者が侵入したり門番が倒れたら何か大きな音が鳴るような仕掛けが。警備が甘く入り易いように見せかけていて、実のところ賊を捕える壮大な罠が待ち構えているかもしれない。


私は空になった竹皮のカップをくしゃりと潰した。



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次回:『彼の名』は。



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