第18話:打ち上げの『生贄』

『スパイさんの晩ごはん。』

第二章:味噌ほど美味いものは無い。

第四話:打ち上げの『生贄』


あらすじ:最後の味噌。

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王宮でも少し豪華な部屋。いくつも並べられたランプ明かりが揺れる中、14人の男が一列に並んでなみなみと酒が注がれたグラスを掲げたまま待っていた。


悪夢のように白く光る魔道具からの解放。


暖かく揺れるランプはその象徴のようでホッとする。


ようやく残業地獄が終わった。いや、これからも通常業務は続くし、今日まで処理した案件について、問い合わせや補足などの残務処理もあり、仕事はまだまだ山となって残っている。なので、残業が無くなるわけではないし、これからも忙しいのだが、大きな山場を越えたのは間違い無い。


深夜まで残業をしなくても帰れる日々が戻る。


早く帰って休みたい気持ちも有ったのだが、この開放感を皆で共有したいと、仕事終わりに閣下が簡単な慰労会を開いてくれた。


王宮の広い応接室の片隅に14人分の料理と良さそうな酒。王宮の中で行う打ち上げだから無様に酔いつぶれるわけにはいかないが、閣下の心遣いに皆が感謝して参加している。ひとりひとりを回って言葉を下さる閣下を、皆は晴れ晴れとした顔で待っていた。


「ヤーコン。君のおかげでうちの執務室がいつも明るいよ。これからも楽しみにしてるよ。」


「閣下がそう言うなら、もう少し羽目を外そうかな。」


「止めろ!いつ見てもハラハラして胃が痛いんだ。」


一言とはいえ14人分だ。事あるごとに同僚からヤジが飛んで腕が少し疲れてきが、グラスを降ろすわけにもいかない。一番最後に入った一番新人の私には、当然一番最後に閣下が回ってくる。私がグラスを下げてしまうと、閣下を待っていなかったと思われてしまいかねない。


狭量な人ではないが、回って来た時に慌ててグラスをあげるわけにもいくまい。我慢をしながら私が加わる前の苦労話に聞き耳を立てていると、やっと自分の前に閣下がいらっしゃった。


「大変な所に連れてきて悪かったね。」


「そうだよ。これまでは終わる前に次の案件が入ってきたんだ。陽のあるうちに帰れる日が来るなんて夢のようだぜ。」


よくある話だが、前の仕事が押しているうちに次の仕事が舞い込んで、だんだんと仕事が溜まる。仕事が溜まりすぎると疲れや焦りからミスが目立つようになり、余計に仕事が押して増えるという悪循環が生まれる。


それに加えて公爵閣下のお人好しも炸裂したようだ。戦場へと行った貴族たちの仕事をあれやこれやと引き受けて、仕事の量を増やしてしまったらしい。人がいなくなれば仕事が回らなくなるので、国を支えるためには誰かがしなくてはならないのだが。


都合の良いことなのか悪いことなのか、閣下の執務室には白く光る魔道具の棒があった。


こうして増えてしまった仕事だが、同僚たちは強く反発はしなかった。他の貴族の残した仕事とはいえ、実務をこなしていたのは彼らに使える者達。同じ王宮で働いているので顔見知りも多い。死地へと向かった者のために同僚たちは無理を押した。


「ほんとうに助かったよ。」


私への言葉が終わると、閣下は軽くグラスを合わせる。チンっと鳴る余韻は透明で、そこいらの安物では到底出せない響きを聞かせてくれた。


「もう、仕事を増やさないでくださいよ。かっか!」


「…待たせたね。さあ、乾杯だ!」


「かっか~!」


ヤーコンの悲鳴はむなしく響いたが、閣下の音頭と共に私達はグラスに口を付けた。柔らかい果物のような香に混じる仄かな酒の匂い。酒精は弱く、まろやかな口当たりで飲みやすく、まるで洗練された果物のジュースのようだ。


故郷では味の濃い料理が多かったので、はっきりとした辛く強い酒が好まれていた。香辛料をガンガンに効かせた料理で麻痺した舌を、キリッとした辛い酒で洗い流す。強い酒は腹に響き、酒を飲んでいると実感させてくれる。そう言う酒が好まれていた。


私もその味に慣れていて、青唐辛子を漬けた味噌をアテに強い酒を飲んでいた。なので、もうちょっと腹に響く感じの酒が好きなのだが、まあ、良い酒である事には変わりない。飲みやすさも相まって私は普通にグラスを空けてしまった。


「いや~、良い飲みっぷりだね。」


「マートンは酒に強いんだね。」


隣に立っていたヤーコンの軽口に周りを見回すと、皆のグラスは申し訳程度にしか減っていない。そこでやっと私はこの国のマナーを思い出して胆を冷やした。この国へ来ることが決まった時に、ひと通りの文化やマナーの違いを教わったのだ。


フォージ王国では乾杯のグラスは必ず空けなければならない。『振舞ってくれた酒に毒が入っていようと、私は貴方を信じて最後の一滴まで飲み干します』といった意思表示で、グラスを空けないと反意があると取られかねない。


しかし、ここバスケット王国では違っていた。飲み干してしまうと後の歓談の席で乱れる者も出るので、乾杯では口を付けるだけに止めることがマナーになっている。


『乾杯』という音頭を変えれば良いのにと思ったので印象強く残っていたのだが、白い光の悪魔からの解放感に酔って失念していた。何より酒がジュースのように飲みやすいのが悪い。


「良い酒だったので、夢中になってしまった。」


「閣下のおごりなんだから、ジャンジャン飲みなよ。潰れたらまた仮眠室で寝れば良いんだから。」


ヤーコンは私が持て余しているグラスに、高そうなラベルの酒を遠慮なく注ぐ。私達のような下の者に振舞うような酒とは言え、貴族が出すものが安いわけが無い。それは、洗練された酒の味からも瞭然なのだが、ヤーコンはなみなみと注ぎ、唖然とする私のグラスと合わせた。


チンっ。


グラスの響きは心地よいが、ヤーコンの目は愉しそうに細められる。これは、もういちどグラスを空けろという催促なのだろう。いやしかし、ここでヤーコンからの酒も空けてしまっては、私が倒れるまで酒を注がれかねない。


ここにいる皆は同じ部屋で長く仕事をしている、いわば身内みたいな集まりだ。公爵閣下がいても無礼講のような物であるし、新入りに対して多少の悪ふざけは大目に見られそうである。そもそも、閣下自身がこの状況を楽しんでいる。


いや、悪ふざけで済めばいいのだが、私が乾杯のマナーを知らなかった事で、出身を暗に勘ぐっているという可能性もある。私がこの国のマナーを知っていたように、相手も私の国のマナーを知っていてもおかしくない。私は覚悟を決めてグラスを再び空けた。


「ほんとうに美味い酒だ。」


私は目を閉じてグラスの残り香を楽しむ。『毒が入っていても飲む』のが私の国の流儀なのだから、『罠』が入っていても飲めばいいのである。私は閣下を信じた。


「おいおい、そんなにカパカパ空けられたらオレが破産しちゃうじゃないか。」


「え~ケチだなぁ、閣下ならこの程度はダークウィット川の水を振舞うのと変わりないんじゃないですか。」


「今日はポケットマネーから出しているんだ。オレの小遣いなんて微々たるものだぞ。」


割り込んだ閣下はヤーコンに文句を付けながらも、私のグラスに再び酒を注いだ。閣下もグラスを片手にしているものの、合わせようとしないことに私は心の中で安堵する。閣下が間に入る事で主導権を握り、グラスを合わせない事で合図をなくし、飲まないで済むように仕向けてくれたのだ。


「次はゆっくり味わってくれよ。」


「恐縮する。」


軽くグラスを掲げ片目を瞑る閣下には意地で2杯目を空けてしまったので返す言葉も無い。本来なら私が先に注いで回るべきだろうが閣下のグラスも同僚のグラスもまだ一度も空いていないのに、返杯もできずに3杯目である。


「優秀な君に倒れられたら大変からね。これからも期待に応えてもらわなくちゃ。」


私は今の仕事で優秀だと評価されるような事は何ひとつできていない。


フォージ王国でも自分を優秀だと思っていなかったし、尊敬できる先輩も後輩もたくさんいた。誰かが私を優秀だと思っているのなら、命の危険の敵地に送り込まず、手元に置いてくれていただろう。つまり、替えがいるからこそ、私は今ここにいる。


それは閣下の下に来てからも同じで、幾つものミスをしたし私という新人を教える手間も増えただろう。こうしてスマートに仲裁できる閣下の方がよっぽど優秀だと思う。


「オレもオマエのおかげで十日ぶりに家に帰る事ができたんだ。酒ばかりではなんだろう。これはオレのおごりだ。」


「いやいやいや、それはオレが作って貰ったヤツだよね?」


ひとりの同僚から酒の代わりにと夜食で何度も世話になったパイの乗った皿を押し付けられた。公爵閣下が何度も差し入れてくれたパイなので、メイドたちが気を利かせて今日も用意してくれたのだろう。


「んじゃあ、オレからはこの唐揚げを進呈しよう。助かったぜ。」


「だから、金を出したのはオレだよね?」


他の同僚がパイの更に唐揚げを乗せる。唐揚げは鳥肉に小麦をまぶして揚げた料理で、こちらも夜食で何度も世話になった。いつもは食べやすくパイやパンなどに挟んで提供されるのだが、今日は酒に合わせるために、そのまま摘まみとして皿に山盛りになっている。


ちなみに、レモンはかかってない。


「それなら、オレからは…」


同僚たちの手により皿には山のように料理が積まれ、私は途方に暮れた。しかし、次も閣下の手を煩わせるわけにはいかない。私はどうしたら、これ以上山を高くしないようにできるか悩まなければならなかった。



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『黄な粉豆』と引き換えに



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