第16話:暗い闇夜の『曲がり角』

『スパイさんの晩ごはん。』

第二章:味噌ほど美味いものは無い。

第二話:暗い闇夜の『曲がり角』


あらすじ:残業ツライ。

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曇天の黒い夜空に星は無く、誰もが寝ている時間の街は火が消えて静かだ。アパートへの近道となる住宅街を抜けて商店街に出るが、ほとんどの店が扉を固く閉ざしていた。闇の中をふらふらと歩く私の足取りは重い。まるで今の自分の気持ちを現わしているようだ。


王宮からアパートまで距離はあるが、辻馬車の巡回時間はとっくに過ぎているので歩くしかなかった。家に帰るのも億劫になって王宮の仮眠室で眠る事もしばしばだが、誰だって独りになりたい夜がある。


白く光る棒の魔道具が広まるまで残業は長くなかったそうで、仮眠室もその後に作られたらしい。いかに公爵閣下でも限界のある王宮の敷地に14人分の部屋を用意する事は難しかったようだ。


私達の使う仮眠室は2段ベッドが6列用意されていて、適当に開いた場所で眠るのだが、新人の私は床に簡易ベッドを置くこともある。ベッドで休めたとしてもカーテンを閉めればひとりにはなれるが、独りでは無い。


私が帰る先は借りたばかりのアパートであるが、独りにはなれる。ラディッシュやターニップは私に良くしてくれるし、彼らとの他愛ない挨拶ですら今は少ない娯楽だ。


今の私は王宮を離れて独りになりたかった。


新人の私の仕事は公爵閣下の直属とは言え、ただの下働きだ。当初の予定とは違う部署であるし、フォージ王国でしていた仕事ほどのやり甲斐もあるはずもなく、次から次へと雪崩れ込んでくる仕事を水車のように機械的に熟しているので達成感も無い。


時間があるならそれでよかったのだが、私の本来の目的が進まない。


私は『千鳥足の牡牛亭』のオックスに公爵閣下の引き抜きで目的の部署へと入れなかったと報告はした。だが、目的と違ったとは言え王宮に入り込めたのである。私の他に適任者がおらず、可能性もゼロではない。オックスは引き続き老将軍との接触を試みるように求めた。


しかし、私は自身の体を休める時間を作るだけでも苦労して、老将軍への足掛かりを探す暇もない。はるばる遥か遠くの敵国まで来て何をしているのか。


ふと顔を上げると知らない路地だと気付く。


今日は公爵閣下の勧めもあって少し早く家路についていた。しかし、漆黒の闇の中でぼんやりとし過ぎて、何度も通った道であるのに目印を見落としたらしい。


すぐに引き返そうと立ち止まると、ふわりと温かい匂いが私の鼻をくすぐる。


灯りの無い夜の街は人の通りがほとんど無いが、多少の食事処や屋台やくらいはやっている。夜遅くまで飲み明かしている酔っ払い。人目を忍ぶあれこれの人間。そして、クエイルのように夜の商売に従事している者。それらの者を客にしている。


かくいう私も今夜は屋台で済まそうかと思っていた所だ。同じ面子で食べる食事も飽きているし、今は彼らと会わす顔が無い。かといって、今の時間から調理をする気も起こらない。どの道、家には食材どころか調理器具も無いし、それらを買える店は閉まっている。


そこに漂ってきたこの匂い。この近所に住んでいる人たちは、この匂いで腹が鳴って眠れないのではないかと思うくらいだ。鼻を鳴らして匂いを辿っていくと、暗い場所に忘れられたように置かれたスタンド看板にモツ料理と書かれている。


モツと言えば臓物で、あまり表だって食べられる部位ではない。臭いの強い臓物は印象も悪い上に柔らかいので傷みやすいし、古くなるとすぐに虫が湧く。


浄化の魔法のおかげで食中毒の危険は少なく、治癒の魔法があるので苦痛を感じる時間は短いが、万が一にも痛い思いをするのはイヤなものだ。国によっては禁止していると聞くのは、浄化や治癒の魔法の無い遠い昔では食中毒で死人さえ出ていたので、その時代の名残だろう。


私は怖いもの見たさで数度だけ食べたことがあるが、フォージ王国では食糧が乏しくなるまでは賤しい部位とみなされていて、表立って食べる者も稀だった。


現在は勇者アマネが作ったダンジョン内を転移できる魔道具が設置され、箱の中身を冷やす魔道具が作られたので緩和したのだが、山ばかりで牧草も少ないフォージ王国では新鮮な臓物どころか、生の肉も安定して流通していなかったので仕方ない。


このモツ料理屋が夜に営業をしているのは、バスケット王国でも賤しい食べ物と思われているからかもしれない。現に今日までモツを扱う店を見かけたことが無い。


だがしかし、モツ料理なら期待できるのではないか。


モツは丁寧に処理しても匂いが残りやすく痛めば更に悪くなる。その臭いを和らげるために香りの強い香辛料を使用することが多く、それに合わせて味付けも濃くなりやすい。さらに、この時間に営業をしているのなら相手は酔客。酒を飲むと塩味の濃いものが食べたくなるものだ。


久しぶりに味の濃い料理を食べられるかもしれない。


看板の指示に従い吸い寄せられるように角を曲がると、一軒の店に明かりが灯っていた。


この時間までやっている屋台はあるが、店を構えている所は少ない。昼よりも場所代が安いという理由もあるかもしれないが、ただでさえ夜は人気が無い。屋台なら客がいなければ場所を変えて営業する事ができるが、店を構えて客が来なければ潰れてしまう。


この辺りは客となりそうな者が集まる酒場通りや色町から遠い。酔っ払いがこの店に来るのは大変だろう。だが、それでも経営できているのだから、それだけ美味い料理が出るのではないか。


カランコロンとチャイムの鳴るドアを開けて中に入ると、なかなか繁盛しているようで狭い店内は多くの人でごった返している。


酒臭い店内は相席を頼まなければ座れなかった。だが、屋台だと申し訳程度の椅子があれば良い方で、立ち食いになるか地べたに座ることも多い。クタクタに疲れていたのでこんな夜更けに座れるだけでも良い店だと思ってしまう。


「見ない顔のニイちゃんだな。」


「ああ、最近越してきたばかりだ。」


相席を願ったのは私だし、相手の気分を害して雰囲気が悪くなれば味も悪くなる。疲れを隠す気力が無くて返事は不愛想になってしまったが、酔っ払いは構うことなく話を続けた。


「そりゃ遠い田舎からご苦労なことで。何か嫌なことでもあったか?」


「ちょっとな。」


「来たばかりのヤツは慣れるまで大変だよな。」


「ああ。」


適当に相槌を打っていると「ここで食えば、疲れなんてすぐ吹き飛ぶさ。」と背中を叩かれる。励まされていると解ってはいるものの、何もかもを知っているかのように話されると返事に困る。私が顔をしかめると、酔っ払いは愉しそうに酒を呷った。


私は酔っ払いを放っておいて、彼の席に配膳されていた料理を観察した。ブツ切りのモツと色鮮やかな緑の香草を炒めたものに、乱切りの野菜に違う部位のモツが入った小さなスープ。酔っ払いは薄いパンを割って野菜炒めを中に挟んで食べている。


他にメニューは無いらしいので、私も同じものを頼む。


やがて運ばれて来た料理は良い匂いだがやはり見た目が悪い。フォージ王国では味噌漬けにしたものが多かったが、この店では色味が薄く、濁った白茶色なのだ。


いや、味噌の無い街なので味噌漬けを期待してこの店に入ったわけではない。いい匂いはしたが、明らかに味噌の香りでは無かったのだから解っていたのだ。もしかしたらあるいは別のメニューがあるのではと多少の期待はしてしまったが。


私は出てきたモツをフォークに刺して口に運ぶ。


驚いたことにまったく臭みがない。よほど丁寧に処理されているのだろう。ぐにぐにしたモツにあっさりと塩味が付いているのだが、こってりとした脂のコクが深くて、ピリッと舌を刺激する唐辛子が味を引き締めている。酔っ払いが更に酒を飲むのも頷ける。


「なあ、美味いだろ?」


「ああ。」


私が顔色を変えずに返事をすると、酔っ払いは面白くなさそうに自分の薄いパンをちぎって皿のモツを挟む作業に戻った。美味いには美味いが、私には物足りない。やはり味噌が恋しくなる


私が酒を注文すると薄いパンにモツを挟む作業に集中していた酔っ払いがニヤリと笑う。おそらく、私がこのモツ炒めが気にいったから酒を追加したと思ったのだろうが、私は味噌が無いことを嘆いて酒を頼んだのだ。


出てきた濁り酒もモツの脂を流すように酸味が効いてさっぱりしている。


だが、この街では何もかもが薄い。


私はいつものようにこっそり塩を足して食事を済ませ、腹が膨れて眠くなる前に店を出た。自分のアパートに戻ると、ラディッシュの自宅になっている2階の窓が開いていて、体を冷やさないように上着を肩に掛けたターニップが曇天の夜空を見上げていた。


「何か見えるのか?」


「おかえりなさい。なんにも見えないわ。」


何気なく言われた『おかえりなさい』の一言が妙に嬉しくて顔が緩んだ。だが、太陽の無い夜は冷える。「何も見えないのなら早く寝た方が良い」とターニップの体を心配すると、彼女の目尻が吊り上がった。



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次回:真夜中の『哀哀』



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