第二章:味噌ほど美味いものは無い。

第15話:今そこにある『残業』

『スパイさんの晩ごはん。』

第二章:味噌ほど美味いものは無い。

第一話:今そこにある『残業』


あらすじ:計画通りにいかなかった。

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蓋を開ければ大変だった。


私は公爵閣下の執務室の天井で無慈悲に白く光る魔道具の棒を見上げて睨む。この明かりさえなければと思わずにはいられない。


フォージ王国では夜に灯す明かりと言えばランプや行燈で悪くすれば暖炉の火、どの灯りも読み物や書き物をするには少々厳しかった。


だが、この白く光る棒の下では不自由をしない。勇者アマネが作り出したというこの棒は、太陽のように眩しくはなく手元を優しく照らしてくれるので、読み物や書き物をするのにこれほど適したものは無い。


便利なのだが、夜間でも使えるために残業が常態にしていた。


作れる者の少ない魔道具は高価なはずだが公爵閣下からすれば端金なのだろう。部屋は昼のように煌々と明るい。ランプや行燈の灯りなら多少の仕事を抱えていても帰るしかないのだが、この棒のおかげで不自由なく仕事ができてしまう。


戦争のせいで人手が少く応援が期待できない中、期限に間に合わないよりはマシなので、恨むにも恨み切れないのだが。


今もカリカリとペンを動かす音が13も聞こえる。普段は私と公爵閣下を含めて15人がこの部屋で詰めており、それぞれが仕事を割り振られている。新人の私は彼らのために資料を集めてまとめたり清書をしたりと簡単なのだが、13人もの同僚がいるおかげで途切れる事はなかった。


簡単に言えば、一人でも同僚が残る限り、私はアパートに帰れないのである。圧迫面接をしてまで無理やり私を引き抜いたのにも頷ける状況ではあるのだが、肝心の閣下は部屋にいなかった。


「調子はどうだね?諸君。」


部屋の主たる公爵閣下がメイドたちの使うワゴンを押して戻ってきたのは、夜も更けて人の気配も無くなった頃だった。こんな時間に来客があると部屋を出た閣下だったのだが、それならなぜワゴンを押しているのか。まあ、いつもの事なので予想は付くが。


「かっか~。またサボってたんですか~?」


隣の席に座っていたヤーコンが砕けた口調で閣下を責めるのもいつも通りだ。彼も貴族ではなく、この部屋では若い部類に入る。本来なら雲の上の貴族である閣下にこのような口を利けば、翌日には青空の下で吊るされているか、首が体から離れている。


だが、公爵閣下も人の子。同じ部屋で仕事をする仲間同士で不要な緊張するのは面倒だと、この執務室の中でだけは私達にも砕けた口調を使う事を許してくださっている。


訛りを隠すだけで精いっぱいの私としては、外でもうっかり本来の口調を出てしまうかと思うと気が気では無いのだが、隣人は砕けた口調どころか時には貴族の肩でも平気で叩く。


「君たちの英気を養おうと、夜食を貰って来たのだ。感謝したまえ。」


「え~、いつもの口実でしょ?」


こんな夜更けでも王宮にはメイドたちがいるので、公爵閣下がわざわざ自分でワゴンを押さなくても彼女たちに頼めば運んでくれる。


メイドたちは遠方より王宮を訪れた貴人たちの世話をするだけではなく、夜警の兵士の夜食を作ったり、明日の食事の仕込みをしたりと夜でも仕事がある。なので、彼女たちにしてみれば仕事の一環であるし、執務室に女性の声が聞こえるだけで同僚達は喜ぶ。


だが、公爵閣下は自ら運んできた。


注文だけして後からできあがった品を取りに行った可能性もあるのだが、それならメイドに運ばせれば良かった。メイドたちが閣下に2度も足を運ばせるとは思えない。自ら率先して運ぶだろう。


なので、閣下はメイドたちの部屋に行き注文し、待ち時間は彼女たちと無駄話をしていたと思われる。サボっていたと言われても仕方ない。


「これを見てもまだ私のことを疑うのかね?」


公爵閣下が鼻を鳴らして料理を埃から守る銀色のクローシュを開くと、ほわりと白い湯気が立ち昇り、バターと小麦の豊かな香りが部屋いっぱいに広がった。満を持して現れた白い大皿には、こんがり艶々に焼けたパイが山となっていた。


サクサクと音が鳴りそうなパイは、15人で取り分けやすいように1つ1つを別けて作っていて、切らずに口に運べるようになっている。この部屋はもちろん食堂ではなしメイドも居ないので、平等に切り分ける面倒も、大きさの違いで起こる争いもしなくて済むのは助かる。


「私の考えが間違っていました!閣下!」


いつもの寸劇でヤーコンが素早く手の平を返すと、添えてあった布巾でパイをひとつ取ってかぶりつき、閣下も同じく手に取った。


確かに私がメイドに頼みに行ったなら、公爵閣下の指示だとしてもこんなに手の込んだ料理は出てこないだろう。良ければ夜勤の兵士のために用意したシチューを温め直してくれるかもしれないが、悪くすれば冷たくなったパンと保存食の山になっていたかもしれない。


メイドだって仕事とはいえ、ただの新人の使い走りのために面倒なパイ包みを15個も作ることは無い。生地の層を増やすために大量のバターを重ねて広げて折りたたむことを繰り返すだけでも手間なのに、15個を別に分けているのだ。


公爵閣下だからこそ彼女たちは手を動かした。


そう考えれば閣下の手柄ではあるのだが、しかしメイドたちが手間暇かけた時間だけ閣下も待たなければならず、仕事は進まなくなるのである。閣下は楽しめたかもしれないが、決済を待つ私達は家に帰る時間が遅くなる。


とは言え、雲上の貴族に文句を言っても始まらない。


表向きの私は彼に雇われているのだ。


ワゴンには取り分ける皿もナイフとフォークも添えられているが、この部屋では礼儀をうるさく言う者はいない。なにしろ公爵閣下が率先してパイを鷲づかみにしているのだ。気を取り直して私も閣下に倣って白い布巾でパイを手掴みにした。


パリパリのパイ生地が白い布巾の中で割れる。サクッとした歯応えに続いて口腔が小麦とバターの香りで満たされた。メイドたちは運ぶ時間も考えて何層にもなるパイで包んだのだろう。中の具材はまだ熱く、チキンとポテト、ほうれん草のソテーが重なっていて彩も良い。


考え込まれたパイが上等なものだと解るのだが、ターニップの手料理よりも味付けは薄い。


私はひとくち目を咀嚼して紅茶を飲むフリをしながら、こっそりと魔法を使うために集中した。瞳に浮かび出る魔法陣を見られないように俯いて、机の下に隠した手の平に魔法陣を映す。塩は手の平に現れるので、パイに手を添えるフリをしてこっそりと振りかけるのだ。


「あれ?新人君には味が薄かった?」


しかし、いち早く食べ終わっていたヤーコンに見つかってしまった。最近は慣れてきたのか彼に絡まれることが多くなっていたし、この部屋でも私は何度も塩の魔法を使っていた。そろそろ限界がきてもおかしくは無い。私は何食わぬ顔で答えた。


「ああ、美味いが田舎者の私には少し物足りない。」


「解るよ!ボクも最初は慣れなくてね。でも、味の濃い物を食べると体に良くないっていう人がいてね、今ではこんな味付けばかりになってしまったんだよ。」


ヤーコンの指が上を差したので、私は彼に従って天井を見上げた。そこには白く光る棒状の魔道具しかない。だが、それだけで彼があえて言わなかった人物が特定できた。


遠くの国に降り立った彼女は魔道具の女神に愛されて、我々の世界に役に立つ物を多く広めてくれた。その影響力はすさましく、バスケット王国がフォージ王国との戦争の前に争っていた国、ピートスワンプ王国は彼女の開発した魔道具の力を頼りに戦を始めたくらいだ。


勇者アマネ。


『勇者の雲』や『カツサンド』を始めとした色々な料理や様々な文化を持ち込んだ彼女は、『塩を多く摂ると早く死ぬ』とも伝えたそうだ。俄かには信じられないが、実際に彼女の元の世界では100歳を超える長老がゴロゴロと生きているらしい。


便利な魔道具で苦労をすることもあるが感謝をすることも多いし、彼女のお陰で増えた料理は私の舌を楽しませている。それに、戦争を始めたのは彼女と縁の無い国だ。


だが、薄い味付けを広げた彼女はいただけない。


私は人伝に聞くだけだった勇者アマネを強く恨んだ。



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次回:暗い闇夜の『曲がり角』


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