第5話



 ギュッと閉じた目を開けると、視界は淡い煙に覆われ、かすみがかっていた。魔法が発動したさいに生じる煙だと思った。


 俺はスウェット姿でジュリと向かい合ったまま、何処かの建物内に移動していた。周りの景色が一変したことに戸惑い、あちこちへ首を振る。


 天井が高い。写真やテレビなどのメディアでしか見たことは無いが、外国にある城の廊下を彷彿とさせた。


 ここが、ジュリの通う学園?


「先生のいる部屋に向かいます、ついてきて下さい」

「あ、うん」


 ジュリに手を引かれて、広い廊下を進み、角を曲がる。壁の所々にランタンが付いていて、薄暗い空間をオレンジ色に照らしている。


 窓や壁のデザインも日本とは全く違い、異国の雰囲気を漂わせている。


 ジュリに手を引かれながら思った。


 そういえば、課題をクリアしたらジュリは出て行くんだよな、と。なんだかそれも寂しい。


 たったひと月とは言え、完全に情が移っている。


 道端で拾った子犬を飼い主の元に帰すような、そんな侘しさと似ている。


 そう考えたところで、でもという逆接が頭に浮かんだ。


 ジュリが掛けた魔法を先生が解いてくれるのなら、俺は元の状態に戻るはずだ。そうしたら寂しいなんて気持ちともおさらばだ。


 大丈夫だ、と自身に強く言い聞かせて、歩みを進めた。


 程なくして、レリーフ調の扉の前で立ち止まる。ジュリが握り拳でコンコンとノックし、中の人物に声をかける。


「ヤン先生、ダレス二年の三神 ジュリです」


 扉の奥で椅子を引くような音がし、「入りなさい」と声が返ってくる。


「失礼します」


 ジュリに手を引かれたまま、俺も入室する。


「ごきげんよう、三神さん。進級課題を提出しに来たのね?」

「はい。課題対象を連れてきました、評価をお願いします」


 ジュリが一礼し、そこでパッと手を離された。偉い人に、どうぞお納め下さいと献上されるみたいな、妙な緊張感に包まれる。


 目の前に、銀縁メガネを掛けた四十代半ばと思われる女教師が立っていた。


 黒い身なりは魔女特有のものなのだろうか。そう勘違いする程に教師の服装は黒一色に統一されていた。それゆえに、唇に引かれた赤い口紅が印象的で、ついその迫力に怯んだ。


 教師はどこか冷たい瞳を細め、俺の内部を吟味するように見たあと、短い呪文を発した。


 ……え? なんだ??


 一瞬、胸の内が熱くなり、訳も分からず心臓を押さえた。


 教師はハァ、と大仰なため息をついた。


「残念だけど、三神さん。この青年に魔法はかかっていないわ」


 え。


「そんな」とジュリが力なく呟く。教師はカツカツとヒールを鳴らし、俺を通り越した。


「その代わり……」


 振り返って見ると、教師がジュリの肩に手を置き、耳元で何かしらを囁いた。


「え」とジュリが目を見張り、驚いて肩を揺らした。


「先生、それ本当ですか?」

「ええ。課題対象が続けられないわ。よってこの課題は終了。新たな課題を与えるから、それまで待機するように」

「……あの、それじゃあ、進級は?」

「ひとまずは保留という形を取らせてもらうわね? 次の課題次第で決定するから心するように」

「あ、はい。分かりました!」


 教師がジュリに何を言ったのかは分からなかったが、彼女は進級できないわけでも留年になるわけでもなさそうだ。


「そういえば三神さん」


 ふいに教師が思い出したように言った。


「杖は新調した?」

「え?」

「あなたの杖、もう使い物にならなくなってるって……だいぶん前に花沢さんに伝言を託したんだけど。聞いてない?」


 教師が困ったような笑みを浮かべる。ジュリの表情が堅くなり、ピクピクと口元が引きつった。


、ですか。いいえ、全く聞いてません」


 キリエ、と聞いて、確かジュリのライバルだったなと思い出す。


「そう。それじゃあ今回の課題はどれもこれも効果が得られなかったでしょう? 次の課題も杖が必要になるから新調しておいてね?」

「はい」


 戸口で失礼しました、と一礼してから元きた廊下を進む。


 さっき聞いた教師との会話から察するに、ジュリの魔法がことごとく失敗したのは、どうやら杖が原因ということらしい。


 そう思うと、もう笑うしかない。ジュリは俺に魔法を掛けるさい、いつもあの杖を振っていたのだから。


「けど良かったじゃん?」


 俺は彼女を励ます気持ちで頭にポンと手を置いた。


「杖がどうであれ、進級できないわけじゃなさそうだし。またチャンスをもらえたんだろ?」

「…っはい」


 ジュリは俯いた顔を上げ、涙で若干潤んだ瞳を細めた。


「キラさんのおかげです」

「……は? え、なんで俺?」

「いいから。キラさんのおかげなんです」


 どこか腑に落ちない気持ちはあったけれど、ジュリが嬉しそうに笑うので、まぁいいかと思うことにした。


 俺の部屋うちには魔女がいる。見習いの魔女が勝手に住み着きやがった。


「次の課題も、キラさんのおうちでやっていいですか?」


 けれど、今となっては無理に追い出さなくてもいいかなと思う。


「……別にいいけど。また箒に乗せてもらうからな?」

「了解です」


 見上げてくる可愛らしい笑顔に、胸の内がくすぐられるような、そんな充足感に満たされた。


 〈了〉


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突然現れた魔女っ子が帰ってくれません。 真ケ部 まのん @haruhi516

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