第3話

 あなたたちはまだ負けてなんかいない。

 生まれや育ち、環境や社会――さまざまなシステムに取り込まれ、いろいろな外圧に型に嵌められることを強いられ、理不尽な権力に不本意を強制されているのかもしれないけれど、「こんなのは嫌だ」「このままでいたくない」って思える自分がいるのなら、あなたはきっと“なりたい自分”になれるし、“ありたい自分”を勝ち取れると、私は信じている。

 少なくとも、あなたたちの世界は“箱庭”よりもずっとずっと広いし、我々よりは比べようもないくらいに自由なのだから。

 少なくとも、あなたたちはとあるたった一つの目的の為だけに交配に交配を重ねられた種でもなければ、生まれ落ちたその日から、たった一つのことだけに二十四時間三百六十五日生きることを宿命づけられているわけでもない。

 尤も、遺伝子レベルで「こう生きるしかない」って刷り込まれているから、端から「こんなふうに生きたい」などという自由意志は我が種には…………。

 だから、そんな私たちがただ一つだけ望んでいることっていうのは…………。

 だから、私だってまだ…………。


 私は長じても小柄で見るからに貧弱で見栄えがしなかったのは変わらなかったのだが、幸か不幸か丈夫であった。怪我とは概ね無縁であったことから、走った。年に十五回程度しか出走することが叶わなかったのならば、口を糊することなど能わないのであるが、私は二十レース前後を走っていた為、十分に自分の食い扶持を稼ぐことは出来た。食えなければ勿論、ターフを去らなければならない。ただ私の場合は「一勝もしていないのにいつまでの現役でいさせるのか?」という点に於いて関係者間で話し合いがなされたというが、「あれは臆病者だから見も知らぬ人たちと穏やかに過ごすことは難しかろう」「あれはいつも一生懸命走るから走れる限りは走らせてやりたい」とのことで決着を見た。こうして、幸か不幸か現役を続行することが決まったのであるが、でなければ今頃はとうに引退していたはずである。

 引退後の我々は人々ともに穏やかな老後を過ごすことになってはいるが、生憎と私は知っている。それはあくまでも建前であることを。それならば何故「臆病だから云々」などと言い出したりしたのかは知らないが。中央と地方で年にどの位の同胞が引退しているのかは知らないが、のほほんとした老後が待っているのはほんの一部である。残りの殆どは仲介業者を経て殺処分の後、加工品の材料や家畜用の飼料等になる。我が同胞は走りにのみに特化させられた種族であるが為、そのなれの果てが美味なのかどうかわかりはしないのだが。ビールを飲まされさしを入れられる種や、肥大化した脂肪肝をつくらせる為の食事を強要される種といった屠殺された後の屍肉の味わいを追求された者どもとは異なり。尤も、人の思惑で生まれた、それまでには自然に存在しなかった著しい偏りのあるつくられた種としては彼等も我々も同類なのであるが。まかり間違っても、知能の高さや感性の豊かさや他者に対する優しさ等が問われることはない。ターフを去った後の現実というものを知ってはいるのだが、実は私は引退というものを恐れてはいない。何故なら恐らくは現役を退いた我々を待っているのは速やかなる安楽死であろうから。故意に苦しみを与えられることはないだろうから。多分、夜眠りに落ちるのと同じでいつ意識を失ったかなどわかりはしないのだから。いづれにしても極々あっさりとしたものであろうことは想像に難くはない。

 現役でい続けるけることと速やかに引退すること。

 果たして私にとって幸せなのはどちらだろうのだろうか?


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