②逃避と才能

 肩で息をしている蕾華が、心配そうにわたしを見つめていた。

「蕾華、どうしてここに?」

「お父さんたちとごはん、に来た帰り、で。泣いてる美蓮が見えたから」

 蕾華は息を切らしながら、端向かいの中華屋を指さした。

 そう言えば前に、隔週で日曜日の夜は家族で飲食店に行くと言っていた気がする。今日がその日で、たまたまこの近くだったなんてすごい偶然だ。

「そんなことより、こんなところで泣いてどうしたの? 誰かに酷いことされた?」

「なんでも、ない」

「そんなわけないよ!」

 蕾華はがばっとわたしの両肩を左右から掴み、

「こんなところで一人で泣いているのが、なんでもない訳ないことくらい、あたしでも分かるよ!」

「なんでもないよ。目にゴミが入って痛かっただけで」

「嘘! 全然そんな感じじゃなかったし、痛いってより、すごく辛そうだった」

「それは……。ていうか放してよ」

「やだ。なにがあったか言ってくれるまで放さない!」

「なにそれっ!」

「美蓮は時々、辛そうな顔するけどいつもなにも言わずに一人で抱えてるし、何も訊くなって空気出してるから尋ね辛いけど、美蓮が辛そうなのに気づかないふりしてるの、あたしたって辛いんだよ?」

「っ……」

 わたしの辛さは、蕾華に気付かれている。

 だとしたら、もしかしたらお兄ちゃんにも気づかれているかもしれない。

 わたしはそんな現実から逃げたくて蕾華の手を全力で振りほどき、後ろを向いて逃げ出した。今まで通ったことのない道を全力で走り、追いかけてくる蕾華を振り払うべく全力で駆けた。

 だけど。

「はー、はぁー。はぁ、は」

 数分も経たずに息が切れて、足が重くなってしまい、蕾華に腕を掴まれた。

「美蓮の体力で、逃げられるわけ、ない、でしょう!」

「うぅ、ぐぅ」

 本当は、現実からは逃げられないということは痛いほど分かっていた。

 いや、分からせられてきていた。

 なにせわたしは、家に帰らない訳にもいかず、学校に行かない訳にもいかないからだ。

 わたしに現実逃避の才はなく、精々が目を背けるくらいの抵抗力しか持ち合わせていないのだ。

 そんなわたしを、蕾華は優しく抱きしめてくれた。

 蕾華は本当に、優しさという劇薬の容量が分かっていない。こんなに摂取させられたなら、もう辛さを隠してなんていられないじゃないか。

「お兄ちゃんのことは好きだけど、広務のことは、七搦広務のこと、好きになれないよぉ」

 本音を吐露すると蕾華は優しく背中を撫でてくれた。

 わたしはお兄ちゃんと支え合わないといけないのに、それがわたしにとってはとても辛いことなのだ。

 それでもわたしはお兄ちゃんを、お父さんの最期の言葉を捨てられない。

 だから、好きだというふりを続けて、傷つきながらも広務の傍に立ち続けるしかないのだろう。苦しいけれど、苦いけれど、それが唯一、わたしがお兄ちゃんと支え合える道なのだろう。

 だけどそんなの辛すぎる。

 蕾華の胸に泣きつくと、蕾華はわたしが泣き止むまで強く、そして優しく抱きしめ続けてくれた。

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