四十九話 藤原の過ち②

「……場に煙草のポイ捨てして、挙げ句注意されたら癇癪起こして、縄の巻かれた積み石を蹴るって……新人どころの話じゃないね、不適格もいいところな人材だ。――阿呆共が」


 話し終えた藤原は、祭に侮蔑を込めて吐き捨てられて「やったのは筧だ!」と言い返した。だが、冷ややかな視線に射すくめられると、びくりと身を固くし目をそらす。

 祭の視線から逃れるように、藤原は月乃を見た。まるで助けを求めるようなその顔に――自分は被害者だと信じきっているその顔に、腹が立った。


「……和くんを、見捨てたんですか?」

「それは、違う! 間に合わなかったんだ……! そもそも、彼が下に降りなければ――筧なんか放っておけば、今だってここに……!」


 パチン!


 乾いた音が鳴った。

 なにが起こったか分からない様子の藤原は、ぎくしゃくと自分の頬に手を当てて、肩を怒らせている月乃を見る。

 そして、ようやく状況を把握したのかカッと顔を赤くした。それは羞恥心ではなく、年下の月乃に平手打ちされたことへの怒りからだったが――。


「なにをするんだ……!」

「助けてもらったくせに……!」

「――えっ?」

「和くんに、助けてもらったくせに! よくもそんな風に……!」


 明らかに自分を責めている月乃の視線と、軽蔑しきった様子の祭の視線。

 ふたりから好意とは真逆の感情を向けられ、藤原は首を振る。


「ち、がう……僕は……!」

「筧を見捨てていればって言ったけど……筧を見捨ててお前を餌にして、うちの日根が残れば……別に本部の応援なんか待たなくても、事態をおさめられただろうさ」

「だ、だったら……! だったらそうすれば、よかったじゃないか……! 彼が勝手に行動したんだ! 筧も、日根も、僕の言うことなんて聞きはしない! ふたりとも自分勝手に行動した結果、自滅したんだろう! 自業自得だ!」


 そうだと祭は頷いた。

 馬鹿にしきった笑みを浮かべて、藤原を見下ろす。


「アイツは、阿呆ふたりを見捨てるべきだった。切り捨てるべきだった。そうすれば、全部うまくいったのに――たしかに自業自得だろうさ。……けど、忘れるなよ。お前は、アイツの自業自得の勝手な行動のおかげで今まで生きていたってこと」

「――っ」


 藤原とて、本心では分かっている。

 小袋を握っている間は、なにかに守られているような気持ちになれたのだ。自分は日根に守られたのだと、理解しているのだ。

 けれど認めれば、現実を認めて受け入れてしまえば、藤原は我が身可愛さに同僚たちを見捨てた臆病者になってしまう。

 日根がそこにいるのに構わず石を投げた。そうまでして我が身だけを守ろうとしたクズになってしまう。


 仕事ができる男だと自負していた。筧のこともいいように利用してやるつもりでいた。楽な仕事でご機嫌とりができて、上からの評価も上がって……こんなくだらない部署からはさっさと抜けてやろうと思っていた。


 けれど、ここで直面した現実はそれまでの藤原を徹底的に破壊するほどの威力があった。知らなかった現実に、藤原は立ち向かえない。逃げるしかできない。

 それに……。


「日根は、もう、死んでる……水の中に引きずり込まれてから、どれだけ経ったと思ってる? ――ほら、全部話した! 無駄だって分かっただろう! だからさっさとここを出るべきだ! アイツらの二の舞はごめんだ!」


 引っぱたかれようと侮蔑されようと、藤原の精神は限界だった。もうここにはいたくないと精神が悲鳴を上げている。

 むしろ、こんなところにいてあんなものを見て、それでも他人の心配をしている月乃や祭の神経が信じられない。

 そこに見え隠れする、自分が知らなかった現実――化け物が存在するという事実を受け入れているふたりに劣等感を覚える、 


「藤原さん」

「なんだよ! そんな目で見るな! 僕はっ、僕はただ、写真を撮って終わりの簡単な仕事としか聞いてなかったんだ! 化け物が出るなんて、そんな非現実的なことが起きるなんて」

「藤原さん」

「だから、なんなんだよ! ――……ぁっ……」


 月乃の声に名を呼ばれ、藤原は言い訳をまくしたてる。自分でも、なにを言っているのか分からない。だがもう一度、抑揚なく名前を呼ばれ、いやに冷静な態度にさらに苛立って声を荒らげ彼女をにらみつけたところで、藤原の言葉は途切れた。


 月乃は呆然とした顔で藤原を見ていた。その口は、祭の手で塞がれている。


「藤原さぁん?」


 それなら、この声は?

 顔を強ばらせ、藤原は門を見た。

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