四十八話 藤原の過ち①

 ――オレ、ユーレイとかそーゆーの、信じてないんですよね。


 これが、藤原の同僚である筧がよく声高に口する台詞だった。

 筧は無駄に自信に溢れており、勝手気ままでだらしのない男だったが、上司にはやけに気に入られていた。それもそのはずで、奴は所謂コネ入局だったのだ。


 あちこちの地方から寄せられる記録をパソコンに入力するだけの仕事を地味と言い、記録に目を通すたびに田舎者の思い込みだの迷信だのと嘲笑う――筧はそういう男で、この仕事を馬鹿にしていた。

 

 性格的にはまったく合わないものの、藤原も筧の考えの一部には賛同していた。

 幽霊だの祟りだの、その手の話は人間の思い込みと偶然が重なっただけだと考えていたからだ。こ


 だから、筧が取ってきた仕事も楽な仕事と受け止め、彼の尻馬に乗った。誰でもできるようなくだらない仕事を押しつけられてきたという鬱憤もあり、藤原はふたつ返事で乗ったのだ。


 今回の仕事は、本来ならば藤原たちには回ってこない類のものだった。別の者があたるはずだったものを、主任経由で都合してもらったのだ。主任は筧がいいところの坊ちゃんだと知っていて、ごまをするつもりだったのだろう。

 藤原が同行を命じられたのは、おそらくなにかあったと時の尻尾切り――責任を押しつけられる係だった。

 それが分かっていても、退屈な毎日に飽き飽きしていた藤原は乗ったのだ。

 

 そして、あんなことが起きた。


 田舎のマイナースポットに行って帰るだけのくだらない仕事だ。せめて退屈しのぎに連れて歩こうと思っていた支部の女性職員への声かけは失敗し、かわりに無愛想なアルバイトらしい少年がついてきた。

 支部長も筧をぞんざいに扱ったので、普段からチヤホヤされ持てなされることに慣れている筧は、車内でずっとブスくれていた。

 その上、遠慮なく煙草をふかしていて、藤原は運転の傍ら助手席に座る少年の様子が気になったが彼はまったく気にしていなかったので少し安心した。

 藤原は、決して少年を心配したわけではない。後々、嫌がらせだなんだと人事に告げ口されても困るからだ。筧のとばっちりはごめん被る――ただ、それだけの理由だった。


 だが、自分の心配は杞憂だった。それならば、筧には煙草くらい好きに吸わせておけばいい。それで機嫌がよくなるのなら楽だとすら思った藤原は、そのまま例の場所へ向かったのだが――整備されているとは言えない足場とひたすら続く石の門で、筧は再び苛々していた。


 ようやくついた龍洞は薄暗い洞窟で、奥の段差をのぞき込めば下は水がたまっていた。周りが、所々くりぬかれたように穴が開いているので満潮になった時に中に入ってきた海水かあもしれない。


 いちおう藤原は写真を撮った。筧はつまらなそうに洞窟の中にもある石の門に寄りかかり煙草を吹かしている。

 支部からついてきた少年――日根は、そんな筧に眉を寄せていた。


「……煙草はやめろ」


 これまでなにも言わなかった日根が注意したことに藤原は驚いた。

 勝手に大人しい少年だと思っていたが――支部でもあの女性職員を庇っていたのだ、言うべきことはハッキリ口にする性格だったのだろう。

 そうすると、なりの大きな子どもである筧とは、些か相性が悪い。

 案の定、筧は日根少年に食ってかかり、仕事だとたしなめられると癇癪を起こした子どものように物に当たった。

 石の門の真ん中あった、縄でくくられ詰まれていた数個の石。それを、蹴り飛ばしたのだ。


 すると日根少年が血相を変えた。それが面白かったのか、筧は意地の悪い顔になり、底にたまっている大きな水たまりに煙草の吸い殻を投げ入れて笑った。

 藤原は関わりたくなくて放っておいた。写真は筧が石を蹴る前に取っておいたからそれでいいと思っていたのだ。


 だから、後はさっさと帰ろうと思ったのだが――突如、地面が揺れた。


 段差の淵に立っていた筧はその揺れに驚いて下に転がり落ちてしまう。派手な水しぶきが上がったあと、筧の八つ当たりめいた怒鳴り声がして……それが、すぐ悲鳴に変わった。


 慌てて下をのぞき込んだ藤原は、そこで見てしまった。


 化け物がいた。


 魚と人間を混ぜたような、奇怪な姿の生き物――化け物としか形容できないナニカが、筧の足に噛みついていた。


 転がっていた石を掴んで筧が化け物を殴れば黒い液体が飛び散る。その間に日根が下に駆け下りて、筧を助けようとしていたのだが――化け物の注意がそれた瞬間、筧は伸ばされた日根の手を掴むと思い切り引っ張り、自分と場所を入れ替えるように彼を転がした。


 そのまま、壁の吹き抜けから外へ飛び出す。


「冗談じゃない! こんなの、冗談じゃない!」


 日根など目に入っていないかのように一方的に叫ぶと筧はそのまま逃げ出した。

 藤原は動けなかった。


「おい!」


 日根に怒鳴りつけるような声で呼ばれ、体が固まる。

 助けろと言われても動ける気がしなくて、情けなく首を振るしかできなかった。


 だが、日根は助けてくれとは言わなかった。

 なにかを藤原に投げつけると、自分は化け物に噛みつかれ水中へと引きずり込まれながら叫んだ。


「それ持って、上にいろ! 誰の声がしても姿が見えるまで返事はするな! いいか、洞窟からは出るな、門はくぐるな!」


 まるで自分を心配するかのような様子に、藤原は困惑する。

 ここは普通、助けてくれと言う場面だろうに――なんで他人の心配をしているのだと。


 おかしい、と思った。

 異常な状況にさらされて、藤原の精神はギリギリだった――だから、化け物も、それに襲われている状況で他人を案じる日根も、等しく不気味で異常に思えて……。


 筧が蹴って崩した石。そのうち、まだ上に残っていた物をひとつ掴むと――日根と化け物に向かって投げた。


 消えろ消えろと泣きながら叫んで、投げつけた。

 気がつけば化け物は溜まった水の中へ消えた――日根ごとそっくりと。


 水の上澄みに黒と赤の液が混じり、しばらくぐるぐると渦を巻いていた。

 ひとりになって、藤原はようやく自分がなにをしたか気がついて、けれどももうひとりではなにもできる気がしなくて、言われたとおりに洞窟にこもり、震えるしかなかった。


 自分は怪異だなんてそんなもの、信じていなかった。

 筧もまた、幽霊だ祟りだなんだとありえないと笑っていた。


 そういうものは、信じていなかった。

 ありえないと思っていた。


 だから、その手の話も平気だった。馬鹿にしてすらいた。

 けれど今、目の当たりにて藤原は自分たちの思い違いに気がついたのだ。


 自分たちは平気だったのではない。

 ただ、そんなものが存在するという現実を知らなかっただけ。


 知らなかったから、それがどれほど恐ろしいものか理解出来ていなかった。


 だからこそ、ありえないと思っていたものを目の当たりにした瞬間、藤原も筧も恐怖に負けて、理性を手放してしまったのだ――と。

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