四十七話 仕方ない?

 しばし誰もが言葉を発さず、注意深く様子をうかがう。それから、ようやく月乃の口元から祭の手が離された。

 大きく息を吐いた月乃は、へなへなとその場に座り込む。


「……い、今の……」

「変だよねぇ、あんなのが出てくるなんて。ここはあくまで観察対象の区域だったのに」


 震えた声で呟く月乃とあくまで冷静な祭。ふたりから視線を向けられた藤原は強ばった表情のままうつむく。


「あのさぁ。黙ってちゃ、分かんないんだよねぇ」

「……し、仕方ないだろう……! あんな……あんなもの、対処できるわけがない! 本部の応援に任せるしか……」

「なんで、本部から来た調査員が対処できないモノが、外に出てきちゃってるわけ」


 祭が問うと、藤原の勢いがとたんに弱まる。


「そ、れは……」

「そもそも、本部から調査にきたんなら、それなりの経験者のはずだろ? なのに、どういうこと? この体たらくは。……これは新人研修用の仕事じゃないんだけど」


 馬鹿にされたと分かった藤原が悔しげに顔を歪めて祭をにらみ、言い返す言葉を探していた。しかし、祭はご丁寧に相手の言葉が出てくるまで待つような性格ではない。藤原が言い淀んでいる間に、彼の右手を掴んだ。


 きつく握りしめられていた手が不意打ちで開かれ、中に握り込んでいたものがポロリと落ちる。


「……袋?」


 月乃が呟いた通り、それは小さな巾着袋だった。多少汚れとよれがあるのは藤原が今までぎっちりと握っていたからだろう。


「お守り、ですか?」

「か、返せ……返してくれ――」


 月乃が拾い上げれば、藤原は祭に手を掴まれたまま取り乱す。今の今まで大事に握りしめていたのだ。きっと藤原の心の支えだったに違いないと手渡そうとした月乃だったが――。


「渡す必要はないよ、月乃ちゃん」


 ぴしゃりと祭が制した。


「え……? でも……」

「なんでお前だけ平気なのかと思ったんだよ。……ここだけは、やけに綺麗な結界があるのはどうしてかって――そのお守りを使ったわけだ」


 なおかつ、洞窟の一部……今、月乃たちがいるこの場所は所謂清められた場所で安全地帯に相当するらしい。だから、下から這い上がってきた存在は、ヒレをのせる程度で上がっては来られなかった。


 あそこで誰かが招けば――返事をしていたら、奴は自分たちのところまで来ただろうがこの男はそれでもお守りのおかげで無事だっただろう。

 祭は月乃の手から巾着袋を受け取ると、吐き捨てるように言って藤原を見た。


「で? これは俺が昔、アイツにあげた物なんだけど? ……なんでお前が持ってるの?」

「――っ」


 アイツというのは、この場にいない者。おそらく、和のことだ。

 和の物を藤原が持っているとはどういうことかと、月乃もまた不審の目を向けてしまう。


「これは……彼が、持っていろと……」

「持っていろ、ね」

「……もういいだろう。今のうちに、早くここから出て応援を待とう。もう我々の手には負えない。あぁ、そうだ。筧の奴に説明させないといけないな」


 自己防衛からか、藤原はこれからの予定を矢継ぎ早に語り始める。和の話題に触れることを恐れているのが傍目にもよく分かり、月乃の中でも嫌な想像がいよいよ無視できないほど大きくなっていく。


「そもそも、あの男が悪いんだ。そうだ、筧が処分を受けるべきだ。あいつを捕まえよう、そうしよう――」

「筧なら死んだよ」

「――っ」


 冷水を浴びせるような祭の一言で、藤原はひっと引きつった息をもらし黙った。

 パチパチと忙しなく瞬きを繰り返し、言葉を探すように口を開けては閉じ手を繰り返す。

 そして、ようやく吐き出されたのは――。


「しん、だ?」


 短い問いかけだった。


「そう。今、お前が言っただろう。あの男が悪いんだって。つまり、なにかやらかしたのは筧だった――そして、真っ先にここから逃げたのも筧だった。違う?」

「……っ……」

「説明しろよ」


 祭に言われて、藤原はぶるぶる震えて首を横に振った。


「こ、ここでは無理だ。また、いつアレが出てくるか――もっと安全な場所で……、そうだ本部の応援と合流してからにしよう……!」

「一度ここに入っちゃって、お前はアレに認識されてる可能性が高いわけでしょ。だったら、ここにいるのが一番安全だろ。見て分かっただろ? アレはこの洞窟内に限ってなら門よりこっちには入ってこられない」

「そんなの分からないだろ……!」


 現に今までお前は無事だっただろうと祭に指摘された藤原だったが、この先は分からないだろうと言い募り、早くこの区域から出たいと訴えてきた。


「……気持ちは、分かります」


 両手両足がヒレと化し、音で聞いただけでも無残と思える死にかたをした筧。洞窟の奥から姿を見せた異形――このまま、この区域に留まればおかしくなりそうだ。だから早くここから遠ざかりたい……。月乃にだってその気持ちはある。

 だが、それにはたったひとつの情報が足りないのだ。

 月乃も祭も、彼のためにここに来たのだから。


「それなら早く、出よう! ここはおかしい、まともな人間が来るところじゃない! こんなのは、普通じゃない! だから、早く――」

「だからこそ! 今ここではっきりしろって言ってるの!」


 同意を得られて意気込んだのか、再び早口でまくしたてる藤原の頬を張り、月乃は怒鳴った。


「……なっ……ぇ?」

「藤原さん。あなたたち本部の調査員は、和くんをどうしたんですか」


 月乃に頬を張られて冷静になったのか、それともこのままではいつまでも出られないと観念したのか、ガクリと項垂れその場に座り込んだ藤原は、口を開いた。


「――ただの……本当に、ただ田舎に行って古い洞窟の状況を写真に撮ってか終わる、そんな簡単な仕事だと思っていたんだ……」

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