第五章


 (もはや忘れてしまっているだろうが)世界の滅亡とは、それはそれは億劫なモノだった。


 なにか混乱とか破壊とか、そういう指向性のある活力と反抗に満ちた人間は地球にはついに現れず、終幕クライマックスという表現には余りに尻切れトンボな幕切れである。内燃機関の燃料が切れ、燃え残った滓が無くなった後もピストンは運動の慣性で漸減的に回り続けているという感じで、身の回りの役に立ってきた全てが徐々に目減りしていった。

 ぼくの親愛なる友人たちは既に、死の忘却の中へ温かく迎え入れられているに違いない。もしそうでないならご愁傷さま。けれど、誰も逃れられない。


 ――と綴りながら思い返せば、確かにぼくは悲しみはしたけれど、連中をまたみんな生き返らせたいか、と聞かれても『はい、時間切れ』。けっして即答は出来ない。

 ぼくは薄情なクソッタレなのか?オーライ、否定はできない、けれどそれ以上に実現を困難にさせたのはもっと切実な問題だった。


 もう一度物語を始めるには、区切りが悪く余白が少なすぎる、という誰かの都合である。


 だが誰かの都合はぼくの不都合で、神の都合は地球人類の不都合なのだ。だから諦める他ない。ひどく自罰的な話に聞こえるだろ?そんな風に誰も居なくなった後でも馬鹿げた自省を繰り返していたのだけど、家に備えられたすべての通信機から応答や断末魔じみたモノ、とにかく他者の存在を意識できる全てが消えた頃になって、ぼくはいい加減閉じこもっているのを止めて外に出るべきでないか、という懸念を実行に移した。


 沿線沿いに歩いていく。自転車を持っていないのはぼくの矜持ですらあった、あの二輪車で通学する奴らは脳の髄まで支配されたように、何処へ行くにも自転車を使い出す。クソ寒いのに風切って坂を漕いで登るなんてのは勘弁したかった。だけれど電車も車も、足以外に使える物が近くに無い今となっては、憎きソイツが手元に無いのが歯痒いモノである。

 見慣れた坂まで辿り着くと拍子抜けなほどすぐ学園の門構えが見えてきて、ぼくはポケットから手をようやく出して閉まっている門を飛び越え敷地に入った。正面口に掛かった鍵を確認するとアスファルトの舗装道を遠回りして武道館から特別教室の棟へ向かう。


 特別教室棟、正式には多目的講義棟Bにもやはり人の気配はなく、ぼくは地上階の窓を総当たりで試していってアタリを引くとそこから慎重に中へ入り込んだ。各教室の扉は不用心にも開けっ放しで目的の部屋に辿り着くのは訳も無い。

 そこは生物準備室の奥、当学園演劇部に与えられた空間である。


 中に入ると窓が締め切ってある所為か、廊下よりは幾分暖かった。小道具の山に挟まれながら部屋の奥へと進み扉に手を掛けると、もなくソレは開かれる。部屋は意外にも片付いており大きな白い机が一つと円卓の如く大きな長机が一つ、それに椅子。それだけ。

 ぼくは部長の机に近づき、無造作に置かれている程良い厚みに気が付いた。それは格子罫線が組まれた印刷用紙であり、表の一枚目にはでかでかとこう書かれてある。



  『アンナ王配事件』



 ◆


 ぼくは少し息をついて上着を置いて席に座ると、ソレをぱらぱらと捲り斜め読みしてみる。するとその歪さに気が付いた。


 まずこれは演劇の台本として成立していない、部員として気にするのはまずその点だろう?目次から始まる章はどれも誰かが演じられることを想定した構成と書き方にはなっておらず、あまりにモノローグが多すぎる。ナレーター在りきにしても設定に登場人物の関係に投げっぱなしになったモノが随分そのままで、結末は幾分感傷に浸れるところがあったけれど、その部分は脚本としての完成にさして寄与しないようだった。


 だがその短編が終わった後にもまだ厚みが下には残っているようで、端を揃えられた何枚もの無地紙は台詞入り台本や別の結末や代替案についての説明/注釈として付随している。

 またそのメモ書きは数枚ごとに内容どころか書き手まで変わっているようで、几帳面な字で書かれた補足があれば何人もが書き込んだような箇条書きの段もあり、終いにはワープロで校正された原稿まで付いてきている。その傾向は短編の方にも見られ(不思議なことに今まで気づけなかった)、各章ごと、酷い時には五行と経たず筆致が変わっているようだ。


 ただ一つ奇妙なことは、最初の題名以外にの筆跡、つまり演劇部部長の書いただろう箇所が見当たらないコトである。だがその原因は単純な話でぼくの見落としによる勘違いであり、お目当ての原稿はきちんと存在していた。

 ソレは二枚あり、一つ目は『定例会』――29人委員会での駆け引きによる主人公らの結末が書かれた数枚の束に紛れており、もう片方は登場もしていない学園の軽音楽部(説明によると吹奏楽部は別にあるそうだが)、その部員構成について随分と詳細に纏められた一枚の裏に書かれてある。

 一枚目は『序文』と題され、たった数行の意思表明が述べられているだけ。そして、二枚目は短い詩になっていた。



  世界が終わるとき

  筆を止めた句点

  ペン先から落ちたインクの染み

  たった一人だけ ああそれは

  あんまりに淋しすぎる


  ですから 皆さんご一緒に!



 ぼくは少し苛ついて、そして逆に納得した。きっと紅海に人々を導いたモーセだかなんだかも、こんな風にいい加減で楽観的に羊たちの先頭に立ったはずであり、もし海が割れなければ無垢な連中は彼をどうしただろうか?

 きっと追っ手の目の前で磔にして、ファラオに許しを請うた筈である。


 やるべき事も無いので、彼女の導きに従ってぼくも棚から白紙を数枚取り出し、世界の果てからの、とでもいうナニカに決着を付けるべきだと思った。机に向かって体も凝っていたからやわらに立ち上がり、背伸びをして、ガス式のストーブの中の燃料が残っていたことに感謝しながら火を点ける。そして載せられていた薬缶ヤカンに手を掛けて、ぼくは驚いた。

 なにせベコベコに凹んで薄くなった側面からまだ残る熱を感じたから。


 ぼくは無意味に部屋を見渡し、そして当然、誰も居はしなかった。

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アンナ王配事件 三月 @sanngatu

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