第8話


 ゴミが落ちている。おそらく粗大ゴミだ。遠目に見た感じでは、椅子だろうか? こんな所に珍しい。道の端の、整備不良で大穴が空いたままの側溝に、布のような生地の物が落ちていた。私は、少しでも興味が湧いた物には、積極的に近付くことにしているのだ。

 布には部分的に毛が生えていたようだが、毛は汚れた水分に浸って嫌な光沢を持っている。斬新なデザインだった。服のような布が、人間の子供くらいのサイズ分あって、その端にはまりもや頭部のように毛が生えており、もう片方の端には足が生えている。足? いや、これは人間の足だ。かかともくるぶしもある、毛のない皮膚に五本の指。つまりこれは人間だ! 肉塊には見えなかった。

 抱え上げて顔を見たら、あれから行方知れずになっていた、友達の弟だった。顔に付着した泥を落とすと、土のような色をした肌が覗く。酷く衰弱しているようだった。呼吸はか細い。当然ながらちぎれたままの腕の断面に、何か動く物が見えた気がした。血が滴っているのかと思い、止血しようと腕を掴むと、不自然に柔らかく沈み、ぞっと鳥肌が立った。ぐずぐずになった肉が動いている。断面から、うぞうぞと、丸く太った大きな蛆達が這い出してきていた。

「姉ちゃん……?」

 弟が目を開けた。弟が私を認識した時、その顔にどんな表情が浮かぶのか、その変化を私は危惧して身構えたが、彼の表情が変わることはない。焦点の合わない目で、私を姉と呼び続ける。

「頑張ったよ俺……良かった、元気になって……ねぇ俺、よくやったと思うでしょ。サッカーだって上手いしさ……いてくれればいいよ……」

 意識が朦朧としているようだった。もう長くはないような気がする。今にも消えそうなか細い声が、頼るように姉を呼ぶ。私は無言で間違えさせていた。しばらくそうしていると、突然、耳障りな声が私の頭の位置から聞こえる。

「おい、バカタレ、そいつは俺のだぞ」

 弟は人でなしが来るよ、とうめく。焦る私を不思議そうに見て、徐々に表情が引きつっていく。息が止まる瞬間を見た。鬼の形相をしていた。

 控えめに彼の名を呼ぶ。揺さぶっても、もう動かない。力の抜けた体が人形のように動くだけだった。

「なんてことを」

 なぜ、こんな惨いことをしたのか? 怒りを込めて虫に問う。心が無いのか?

「あの研究所を見て何も言わなかったくせに、今更心の有無を問うのか」

 いてもたってもいられず、遠くへ行こうと走り出すが、虫は頭の中にいる。

「ごめんっって、おい、どこまで行くんだよ? そろそろ帰ろうぜ、なあ、何考えてんの? もう許した?」

 走っていたら誰かにぶつかった。相手は派手に転び、上手く立ち上がれないようだったので、手を貸した。


 あの姉弟のことを伝えなくてはと思って、友人の職場を訪ねた。受付のロボットが彼女に連絡を入れたが、応答がない。社内にいるというので、探すために奥へと進む。以前案内された道を辿ると、いくつもの扉がロックを解除されたままになっている。あの友人が、長時間大事な自分の施設を開けておくだろうか。違和感を覚えながらも、ほぼ一本道の通路を進んでいくと、クローンの培養所に着く。開いた扉のちょうど正面に、倒れている友人の姿があった。美しい髪が床にばらけている。

 私は驚いて、大丈夫かと呼びかけながら、彼女に駆け寄った。人形のような顔はいつもと変わらず、眠っているかのように見える。ただ、胸から血が流れていた。心臓の位置に小さな穴が空いている。出血量は少ないが、耳を押し当てると、既に心音は絶えていた。どれだけ強く耳を押しつけても、本物の人形のように動かない。作り物の体の柔らかさが悲しかった。

 とうとう知人も家族も、全ていなくなってしまった。


 私以外の家族はある日、突然家に帰らなくなった。どこに行ったのか、明確にはわからない。ただ、推測はできる。いなくなる数日前から、隠し事をされているような空気が漂っていて、帰らなくなった日に家から金が消えていた。その人数分の、安楽死の代金と一致する。置いていかれたのだろう。

 今になって、姉に固執していた弟の気持ちが理解できた。

 目の前に絶望がある。

 不意に虫が声をあげた。

「これは酷い。……いや待て! まだ誰かがいる」

 倒れる友人の胸から流れる血は乾いていない。物影から人が現れた。背の低い男だった。男はつぶやく。

「この前ぶつかってきた子」

 銃を持っていた。

 なぜここにいるのか、と彼は言った。友達に会いに来たと私が言うと、力ない目がつり上がる。強い語調で、友人を人でなしだと罵倒し始めた。お前もこいつと同じ考えか、と決めつけるように言われる。空洞のようになった私の胸を、彼の言葉が通り抜けていった。彼は苦しそうに言葉を吐き出す。

「俺が信じた人間はこんなんじゃない。これが人のすることか? 人はもっと……希望を……多少の犠牲のつもりで切り捨てた化け物達のために、人そのものが化け物の心を持った。……俺の思っていた人間は、高潔で、前向きで、いじらしくて……」

 喋っている内に、段々とトーンダウンして、彼は頭を抱えた。そして唐突に、変異治療薬の弊害を告発する。極端に死ににくくなるのだそうだ。第一人者として、使わざるを得なかった、と彼は言った。

「化け物だらけになるな、世の中」

 虫が同情するように言った。

 そして、彼の素性に察しがついた。友人が呼んだのだろう。あの、人間を信じる会の、リーダーなんだろうか。

「それに、変異は治っても、切り離された肉体は戻らない。俺の足もこのままで、痛覚だけが戻ってくる」

 彼はズボンの裾をまくり上げて見せた。潰れた赤黒い肉が、空洞の中に見える。ぼんやりとした思考が、記憶の沼をさらい、あの手記か、と思い至った。希望でいっぱいだったなぁと思う。

「こんな世界望んだんじゃない」

 もうどうすればいいかわからない、彼はそう言って沈んでいた。

 なぜ私はこの人の話を聞いているのだろう。突然語り出したけど、私はカウンセラーではないのだ。そういうタイミングで対面してしまったからなのだろうが。不憫である。適切な言葉は言えない。でも私も、思うことはある。

「持って辛いだけの希望は、持たない方がいいんだよ」

 彼は嘆くように聞き返した。

「そんな! 希望のない人生なんて、何のために生きていくんだ」

 そんな言葉が飛び出るような人だから、酷く眩しく見える。

「たぶんね、生きていくのに、意味なんて無いよ」

 彼は笑うように顔を歪めた。その頬を伝う涙が、透き通って光るのが綺麗だった。


 あれから、世界は賑わいを取り戻した。テレビも見られる。だけどワクチンを入れない人もいる。身近なところでは、近所のおばさんは入れないらしい。家族が皆肉塊になったので、自分もそこに行く、と行っていた。死は場所か? 知らないけど。

 ワクチンは、思ったよりもずっと安定して供給されるらしい。人口も減っているし。

 テレビでは、ニュース番組が一つだけできた。美人のアナウンサーの肌の色が、日を追うごとに人の色に戻っていく。私はソファーで寝転んで、世界の移り変わりをずっと見ている。

 腕を始めとして手足に生えた細い爪を、引き抜くと痛い。抜いた周辺がじんじんと脈打つように痛んで、腫れてしまう。最近では、腫れた皮膚が元に戻らなくなってきたので、抜くのを止めた。動く時に邪魔だったのだが、体が動かなくなってきてからは、気にすることもなくなった。

 虫は昔話をずっと一人でしている。

「あれが無いって言ってた奴、可哀想だったぜ。あとあの綺麗な顔したお友達な、花に囲まれても人間味ねえんだな。まあでも、人望あるみたいで良かったよ。こんな時代に葬式してもらえるなんてさ」

 テレビ画面に人間を信じる会のリーダーが映る。足は無くなったらしい。会長と呼ばれている。どこか憔悴したような顔で、人捜しをしていると言っていた。特徴は、腹話術みたいに時々叫び出す女の子、らしい。

「足ミンチ! 足ミンチじゃねえか!」

 あまりにも直接的すぎる表現に、久々に声をあげて笑った。


 細胞の異常増殖が始まった。皮膚がのびて、その下の肉が盛り上がる。目や耳が塞がった。電源を付けておいたテレビが観られない。だけど意識はある。何もかもがぼやけて、微睡んでいるようだ。少し退屈。

 虫がぼそぼそと何か言っている。耳が無くてよく聞き取れないが、頭蓋骨から振動して伝わってくる。少しは幸せだったか、と言っているのがわかった。それに答える喉は既にない。息をしている感覚が、遠い日のことのようで、酸素の届かなくなった脳が静かに停滞していく。

 しかし私は一人ではなかったようだ 。

 穏やかな気持ちだ。例えるなら胎内に戻るような。意識と思考が霧散していく。静かな時間が訪れた。

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崩落 日暮マルタ @higurecosmos

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