第7話


「俺はなぁ、こんな世の中でもな。お前一人無事でいてくれさえすれば良いと思うんだよ」

 不意に虫が言った。思考がゆっくりと霧散する。

「テレビに出てきそう。お前私の何なんだよ」

 虫は勢いづいて言った。

「そりゃあ、もう! 一蓮托生、一心同体いや二心同体」

「寄生虫め!」

 お前はいい奴だよ、この前のは、伝わらなかったけど、あのガキもいつかわかるさ……お前は生き残るべきなんだ、と虫が言う。生き残ってどうするというのか。家族は皆安楽死した。私を置いて。

 安楽死といえば、それを取り扱っていた大企業の一人娘である友人は今どうしているのか。ニュースを見たなら、人々が希望を持ってしまった今、商売あがったりだと嘆くかもしれない。想像して楽しくなった。嘆いても喜んでも、彼女の表情は変わらないのだろうが。

 逞しい人なので、すぐに新たな取り組みを始めるのだろうと思う。以前に開発して売れなくてやめた、義手義足を再販しようとするかもしれない。

 いつも忙しない彼女の活力に触れたくなった。電話を取り出して、番号を打とうとするが、どうにも思い出せない。共通の友達が一人、荷台で運ばれていったと教えなくてはならない。番号をどこかにメモしてあったような気がする。メモというより何か便利な記憶媒体に記憶してあったような。それが何だったか思い出せない。闇雲に冷蔵庫を開けては閉める。洗濯機の中に野菜が入っていた。

「何か探してる? お茶でも飲もう! 頭おかしいのは水分不足が原因なんだってナサが発表してたろ? ナサを信じるんだ! ナサを!」

 少し頭が痛かった。戸棚に番号は入っていなくて、ごぼう茶があったのでお湯を沸かしてみる。熱してもお湯が思うような色に染まらない。脳に損傷が蓄積されている。少し休めば番号の置き場所を思い出す筈だ。野菜を乾燥機に移した。


 足があるので徒歩で訪ねた。電話が通じるとも限らないので、これがベストな選択だと思う。道中、もうほとんど肉塊の姿を見ることは無かった。清潔で穏やかな町並みに見える。丸々と変異してほとんど球体の鳥が滑空していた。

 友人の家はオートロックのマンションだ。だけど私の家からは少し遠い。そこまで歩くのは辛い。もう少し近くに、彼女が親から経営を任された会社のビルがある。彼女は家よりも多くの時間を会社で過ごしていて、ほとんど会社に住んでいる。社員が激減した今でも、その会社を訪ねれば彼女はいる。

 受付に立つ人型の機械に、友人の名前を告げて名乗ると、直ぐ様目当ての友人その人が現れた。彼女の声色はこころなしか嬉しそうに聞こえる。表情は受付の機械とよく似ている。

「や、久しぶりだね! 変わりないようで安心した。結構、定期的に会っているな。嬉しいよ」

「そう……。久しぶり。変わりなく見えるんだ? 実は頭が着実に悪くなっているんだ」

「見た目じゃわからない。脳は大事だね、替わりが利かないから。虫は元気?」

 私は驚いた。この友人は今、どんな気持ちでその言葉を言ったのか。ずるずる、頭の中で、音が聞こえる。虫は元気だと彼女に答えた。彼女は興味なさそうにしている。

「そんなことより、いいタイミングで来てくれた。見せたい物があるんだ。お前は驚くかもしれないし、戸惑うだろうけど、画期的な思いつきを形にしたところだったんだ」

 今日の友人は上機嫌らしい。返事も待たずに私の腕を引き、颯爽と彼女は歩き出す。揺れる、と虫が文句を言うと、彼女は歩く速さをゆるめた。話をしながら彼女について行く。進路から、彼女の私有研究所に向かっているらしいと予想する。

「メニュー……あの、あれ見た? メニューみたいなやつ」

 問いかければ、友人は聞き返してくる。

「何のメニュー?」

 その言葉を聞いて、言いたかった単語を思い出した。ニュースだ。単語のみを伝えると、友人は納得したような声をあげた。いくつもの扉を解錠して進む。

「あぁ……怖いね、脳の劣化って。防げないから、私もいずれは、いや、変異治療薬があったな。早く入手すれば良いだけの話だ。まさにそのニュースのことなんだよ、見てくれ、この光景を」

 最後の扉が開かれた。そこには、薄く緑がかって発光する液体が、数十個の大きな容器に満ちている。その一つ一つに、容器とは不釣り合いなほど小さな、人間の胎児が浸かっている。未形成の、腕のような歪な突起に、無数の管が繋がり、時折身じろぎしているのが見て取れる。おぞましい光景だった。白い部屋の壁や床にむき出しの配線が這う。雑然としているようで、潔癖に配置されたその様が異様すぎて、気持ち悪い。友人は高らかに、言う。

「一つの変異治療薬を作り出すのに、複数の肉塊が必要なんだろう? それじゃあ奪い合いになるのは目に見えてる。行き渡らないんだから当然だ。私だってそこに加わるだろうよ。でも、確実に全員がそれを手に入れる方法が一つある。クローンに汚染物質を投与して、最終段階に達した肉塊を多く作ればいい」

 それは、どうなんだろう……。血の気が引くような気がした。虫は狂ったように甲高い声で喜びを表す。それは素晴らしい考えだ、その考えに至り実行するお前も偉大な人間だ、と友人のことを褒めそやした。

「必要な犠牲だ」

 虫はそう言った。人が生まれて死ぬように、家畜が生きて食われるように。あの小さな、自我もない胎児達の犠牲が、人間の未来を作るのだと。全ての命は、真の意味で平等になる時が来たのかもしれない、と彼は。私はまだ、どう受け止めれば良いのか考えている。

「あの子の弟君と、効くかどうかはわからないがあの子にも、変異治療薬を試してみよう。まずは信じる会に連絡しなくては」

 あの子、私達の友達は、連れて行かれたのだとは言い出せなかった。

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