第5話

 三日後、わたしは髪型をポニーテイルに変え、伊達メガネをつけた状態で、炎天下の中を歩いていた。


 サヨリの背中を見つめる。ラフな格好だ。

 駅前に用事があるらしい。一緒に行きたい、と主張したら、露骨に嫌そうな顔をされたので、「いってらっしゃい」と手を振った。サヨリが出るのを見送ってから、変装を手早く済ませて外に出た。

 人の後をつけるのは初めてだった。ぎこちない足取りで、サヨリから六メートル程度の距離を開けながら尾行をする。


 ――信用されないのは悲しいことだぜ。


 サヨリの言葉が蘇った。

 罪悪感がないと言えば嘘になる。しかし、このまま不安を溜めていくと、わたしは変なことをしかねない。容易に想像がついた。受験のストレスで突然、山登りを始めて遭難しかけたこと、隣人トラブルで神経が参り路上で数年前の流行り曲をアカペラで熱唱し続け、警察を呼ばれたことなどが思い返される。今回はいつも以上に、とんでもないやらかしをしてしまう気がした。


「浮気の心配をさせる恋人が悪いんです。あなたは何も悪くありません」


 二日前に観た、鈴原ミココの動画が思い出される。彼女のチャンネルを登録して以来、毎日のように動画を観ている。観れば観るほど、恋愛強者の気分を味わえた。ついこの間、彼女の配信に投げ銭をした。オンラインサロンにも入った。だが、後悔はない。恋愛の悩みや想いを吐き出せる唯一の場を提供してくれたのが彼女だからだ。感謝しかなかった。


「恋人を不安にさせるサヨリも悪いんだからね?」


 そう自分に言い聞かせ、足を動かす。

 信号に捕まり、サヨリが動きを止める。

 わたしも立ち止まった。照りつける太陽を睨みつけ、額の汗を拭う。


 夏に生まれたからといって、暑さに耐性があると思ったら大間違いだ。


 家に帰ったら冷凍庫に入っているアイスを食べよう。

 サヨリの親戚から送られてきたものだ。アイスの専門店を経営していたという。今年の春に店を閉めたので、もう二度とあのアイスを食べられないのか、とサヨリは落ち込んでいた。相当美味しかったらしい。その話を訊いて、わたしもガッカリした。しかし一週間前、店で販売していたアイスを送ってくれた。まだ残っていたらしい。


 早く食べたいな、と呟く。


 横断歩道を渡り、公園の入り口に佇む。郵便局の壁に隠れ、監視していると、黒髪ロングの美少女が現れた。今日もロングのスカートを履いている。

 二人は笑顔で挨拶を交わすと、駅の方に向かった。

 今すぐサヨリのもとに駆け出して問いただしたいが、ぐっと我慢する。まだ単なる友達の可能性の方が高いからだ。


 二人はイタリアンの店に入った。少し遅れて中に入ると、小さなシャンデリアとレンガの壁、笑顔の店員さんが迎えてくれた。二人の座るテーブル席の後ろに案内される。二人はメニュー表に集中していて、こちらには気づいていないようだった。

 注文を済ませ、二人の会話に耳を傾ける。

 アイドルの話をしていた。わたしの知らない話題で盛り上がっている。その話がひと段落ついたところで、美少女が言った。


「璃子さんには話したんですか?」


 突然、自分の名前が出てきて驚く。思わずコップを倒しそうになった。


「……努力はしてるよ」

「私が言うしかないみたいですね」

「こっちのタイミングで、って話だったろ」

「三週間、言っていただけてないじゃないですか。サヨリさん、不誠実な態度を取っていると嫌われますよ?」

「……もう少し待ってくれないか。覚悟が必要だ」

「わかりました、任せます。その代わり、また、サヨリさんの部屋に行かせていただけませんか?」

「璃子がいない時だったらいいぞ」


 店員さんがやってくる。料理をテーブルの上に置き、「注文は以上でよろしいでしょうか?」と訊いてくる。わたしは頷いた。また会話に耳を傾ける。すでに二人は、違う話題を選んでいた。

 店員さんが去っていくのを見届けてから、一気にスパゲティを平らげた。味わっている余裕はなかった。口元を拭い伝票を掴むと、レジに足を運び、お金を払って外に出る。


 炎天下の中、わたしは歩幅を大きくした。一刻も早く自宅のアイスが食べたかった。アイスのことだけを考え、歩き続ける。余計なことを考えたら、その場に倒れ、意味不明な言葉を叫んでしまいそうだった。


 アパートの敷地内に入ったところで、住民の男性に声を掛けられた。わたしと同じ大学に通っている先輩だ。服の袖で汗を拭いながら挨拶してくる。一刻も早く帰りたかったが、雑談に付き合った。五分ほどが経過したところで、「そういえば……」と話を切り出された。


「三週間前、璃子ちゃんの部屋から黒髪の美少女が出てきたんだ」


 彼はポケットを漁り、ハンカチを取り出した。


「これ、たぶんその子が落としたっぽいから、返してくれないかな。友達でしょ?」

「……はい、返しておきます」


 ハンカチを受け取る。手に力が入らず、落としそうになり、「大丈夫?」と心配された。大丈夫ですよ、と答え、今度こそ部屋に帰る。


 リビングに足を運んでクーラーのリモコンを手に取る。ボタンを押しても反応がなかった。電池を交換する。それでも動かなかった。苛々してリモコンを放り投げ、今度はテレビのリモコンを操作しようとしたが、こちらも作動しなかった。


「まさか……」


 冷蔵庫の前に移動する。扉を開け、冷気が出ていないことを確認した。

 アイスの入った箱を取り出して蓋を開ける。

 透明な容器に入れられたアイスは、どろどろに溶け、液体になっていた。元の舌触り、味を復元することはできないだろう。冷やしてもシャーベットにしかならない。


 アイスの販売は終わっている。もう二度と、手に入らない。


 声にならない呻きを漏らす。

 尾行せず、家にいればこんなことにはならなかった。何か、対処ができたはずだ。


「なんで……、なんでこうなるかなぁ……」


 その場にへたり込み、仰向けになる。腕を伸ばして大の字になった。後頭部がひりひりする。天井のシミを見つめながら、わたしは南極の光景を思い浮かべた。ペンギンたちに混ざり、氷の世界で何も考えず暮らしたい。本気でそう思った。

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