第4話

 自分らしくない――。つくづくそう思う。

 わたしはあまり物事を深く考えないで生きてきた。それは思想ゆえに、というわけではなかった。ただ単に物事を深く考えるという機能を、脳みそが搭載していなかったのだ。


「……うわマジで不安なんだけど。ガチで泣きそうでヤバいんだけど。浮気じゃないよね? 浮気じゃないよね?」


 わたしは自室に引っ込むと、壁に頭を打ち付けた。ごん、と小さな音が鳴る。

 こういう対人関係の問題にぶち当たるのは、初めてのことだった。

 いずれ人は、わたしの前から消えてしまう。それは仕方のないこと。止めようがないこと。

 そう開き直って生きてきたから、目の前の問題にどう向き合えばいいか、まったく見当がつかなかった。サヨリとは離れたくなかった。


「あれって単なる友達だよね……?」


 本人にそう訊けば、ひょっとしたらこの問題は一瞬で解決するかもしれない。

 しかし、解決しないかもしれない。

 解決したとしても、「嫉妬深い奴だな。そういうの嫌いなんだよ、別れよう」と別の問題が発生するかもしれない。


「やば、泣きそうなんだけど……」


 わたしはどうやら自分で思っているほど、メンタルは強くなかったらしい。


「……考えても無意味か。考えるの苦手だし」


 自分に言い聞かせ、スマホを取り出す。こういう時は、ネットを頼ろう。わたしより頭のいい人たちが、対処法を教えてくれるはずだ。


 残念ながら友達に相談するという選択肢はなかった。なぜなら、わたし達の関係は秘密にしてあるからだ。事情を説明できなかった。


 活字が苦手なのでユーチューブを中心に解決策を検索していく。

 すぐに気になる動画を見つけた。

 浮気を疑っている女子は見てください、とある。

 サムネでは、二十代後半くらいの綺麗めな女性が映っていた。チャンネル紹介を見る。

 恋愛のプロらしい。そんなプロがいるのか、と驚く。

 最初に見つけた、『浮気を疑っている女子は見てください』の動画を再生する。


 鈴原ミココと名乗る女性が登場した。可愛らしい笑顔を浮かべて浮気の心理について語り始める。それから、実際に浮気されているかどうかを探るには、スマホを見ることが重要であると話した。


「恋人のスマホを見るのは決して悪いことではありません。だって恋人に隠し事なんて、本来するべきではありませんからね」


 ミココは満面の笑みを浮かべた。


「今の話を訊いて、『見せて、と頼んで見せてもらうか』と考えたそこのあなた! あなたですよ!」


 びしりと指差され、どきりとする。


「それでは駄目です! なぜなら重要な証拠は消されてしまう可能性が高いからです。こっそり見るのがいいんです。あとから怒られても実際に証拠さえ手に入れば、こちらが正義となるのですから。こちらの間違いだったとしたらそれはそれ。不安だったの、と甘えましょう。それで怒るような男性は器が小さいです」


 なるほどなぁ、と納得しかける。話術に呑まれそうだった。

 動画を観終わったところで、ふいに高校時代のことが思い出された。


 放課後、サヨリと教室で話していた時のことだ。不機嫌そうにストローを噛んでいたので、「どうしたの?」と訊いたら、腕を組み、むすっとした表情で口を開いた。

「うちの家族が、あたしの部屋を勝手に家宅捜索したらしい」

「え? 令状抜きで?」

 

 黙って頷く。イチゴオレに口をつけ、ちゅるちゅると吸い上げてから言った。


「あたしがタバコを吸っていると疑って中を調べたんだ」


 サヨリの友達には喫煙者が何人かいる。タバコの臭いがサヨリの衣服につき、家族が疑いの目を向けたのだろう。


「娘を信じられないのかよ、って喧嘩した。ほんと、うちの家族には失望したぜ……」


 災難だったね、と同情を示す。それから、軽い調子で言った。


「でも、心配してくれるだけ良くない?」


 サヨリはむすっとした。何かを言おうと口を開いたが、わたしの顔を見つめ、ふっと息を吐き出した。怒りの感情を抜いているように見えた。


「ま、確かにそうだな。でも、信用されないのは悲しいことだぜ」


 ▼


 信用されないのは悲しい、か。

 自室の椅子に腰掛け、溜息をつく。

 わたしがサヨリのスマホを見て、見たことがバレたら、「信用してなかったのか」と言われるだろう。そうなった時のことを想像して、海の中に沈んでいくような息苦しさを覚えた。


 部屋を出てリビングに戻ると、サヨリの姿がなかった。テーブルにスマホが投げ出されている。

 別に覚えようとしたわけではないが、何度も真横で操作しているのを見ていたから、パスワードは把握している。

 テーブルに近づいてスマホを見下ろした。


「……流石にまずいよなぁ……」


 一人呟く。

 次の瞬間、スマホが鳴った。なんというタイミング。画面を見ると、「佐藤」とあった。

 スマホを無言で見つめていたら、コール音が切れた。胸を撫で下ろす。


「どうしたんだ?」

「ひゃっ!」


 猫のように飛び上がる。心臓が激しく脈打った。振り返ると、サヨリが下着姿で立っていた。上下黒だ。どうやらシャワーを浴びていたらしい。毛先から水が滴り落ちている。


「ちょっと、そういう格好で出歩くのは禁止だって言ったじゃん! 目に毒!」

「眼福の間違いだろ。で、何してたんだ?」


 わたしは視線を逸らして胸に手を置いた。


「スマホが鳴ってたの」

「ふうん。ひょっとして電話か?」

「うん」

「そうか……」


 サヨリは舌打ちした。


「誰からか、見たか?」

「見てないよ」


 咄嗟に嘘を答える。

 サヨリは、ほっとした表情を浮かべた。スマホを取り上げ、自分の部屋に戻っていく。

 わたしはその場に立ち尽くした。時計の針の、カチカチという音だけが、耳に入ってきた。


「……佐藤ねぇ」


 神経が尖っていくのを感じる。

 わたしはソファにダイブして、「うがー!」と叫んだ。

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