アラフォーで独り身の何が悪いの。黒羽美緒(後編)

 トントン拍子に話は進み、黒羽は取締役になった。今まで知らなかった男社会の競争や苦しみをもがきながら、彼女は必死に戦い、地位を確固たるものにしていく。

 五年後、黒羽は代表取締役になり、盛大な祝賀パーティーが開かれた。女性経営者ということもあり、様々な取材も受けていた。

「はあ、疲れた。政界や経済界のじじい共の相手をするのは、楽じゃないね」

 彼女はベッドに倒れ込んだ。多忙なせいもあったが、願掛けのつもりで住居は変えていない。

 ベッド横の机の引き出しを開ける。

「ここに、書いたこと、本当に実現しちゃった」

 ノートをぺらぺらとめくる。文章を見て、異変に気づく。

「えっ……。色が変わっている」

 文章の色は青くなっていた。以前は茶色だったはずだ。

「どういうこと? 達成すると、茶色から青になるということ?」

 紙片も確認する。説明書きの内容は変わっていないが、裏を見て驚く。

「裏の数字が、二になっている……。叶えたから、残りは二個だぞという意味か……」

 黒羽はしばし考える。次の願望を書いてしまおうか。羽ペンを手に取った。

「えっと、『アラフォーの独身女性が増え、ひとり身でも社会的に権利や生き方が認められること』というのはどうかな。漠然としているかな?」

 黒文字は茶色に変わった。願いは認められたようだ。

 

 *

 

 **

 

 ***

 

 一年後、アナウンサーが伝える。

「さきほど、法案の独身女性案が可決されました。これは四十代以上の独身女性を守るもので、一人毎月一万円の手当が出ます」

 黒羽はしたり顔でテレビを観ていた。一年であっという間に独身女性の権利が認められるようになり、その最たるものがこの法案だ。黒羽が某大物政治家に進言した内容で、子持ち世代ばかりに金がいくのが気に入らず、それならば独身女性に手当があってもいいではないかと訴えたのだ。

「愉快愉快」

 ご機嫌な気分で自宅マンションを出る時、ゲート近くにもぞもぞもと動く影を見て、黒羽は驚いた。

「ひっ」

 そこにはボロボロの布きれをまとって悪臭を放つ男がいた。年齢は五十代くらいだろうか。

「あ、あんた。黒羽さんかい?」

 男が近づいてきた。変質者の類いだと思い、黒羽はスマートフォンでマンションの管理会社に通報する。

「ま、待ってくれ。聞いてくれ」

「あんたの話を聞くつもりはない。そんな身なりの、ましてや男の話なんて」

「お、俺は氷河期世代で、ろくに就職ができず――」

 男が何かを言おうとしたが、警備員が現れ、彼を羽交い締めにした。

「ご苦労様。あとはよろしく」

 黒羽はタクシーに乗り込み、職場に向かう。

 会社に到着すると、次は別の闖入者がいた。

「あ、あの、黒羽さんでしょうか?」

 十歳くらいの少年だ。また芸能人と勘違いして声をかけてきた少年かと思い、黒羽は相手にしない。

「……」

「僕のお母さんが黒羽さんに憧れていて、黒羽さんを目指して家を出てしまって――」

 黒羽は聞き耳をもたない。

 

 *

 

 黒羽は一人の男性社員を呼び出した。

「あんたなんかクビ」

 黒羽は宣告した。彼は『育児休暇』を申請しただけなのだが、それが彼女の癇に障ったようだ。

「家には専業主婦の奥さんがいるんでしょ? それなら、休暇とる必要ないよね」

「しかし、妻は産後の状態がよくなくて」

「知らないわよ。妊娠出産は病気じゃないでしょ? 自己責任よ。自己責任」

「そ、そんな」

「ただ休みたいだけでしょ。いい加減にしてくれない。そんなことしている暇あるなら、少しでも手を動かしなさいよ」

 黒羽は冷笑し、申請書を破り捨てた。

「パ、パワハラだ」

 男性社員はわなわなと肩を震わせ睨みつけるが、黒羽は凄んだ。

「訴えたいなら、どうぞ。証拠はどこにもないし、むしろ、私の方から訴えてあげるわ。女性軽視と過度な接触行為をしたってね」

 

 *

 

 **

 

 さらに一ヶ月後。黒羽は長く住んだマンションを出て、都内一等地のタワーマンションに引っ越すことにした。

「さすが、素晴らしいビューだわ」

 黒羽は恍惚としてタワーマンションからの景色を眺めている。この光景は、すべて自分の実力によるものだと思い込んでいた。

「すみません。以上で問題ないでしょうか」

 荷物を運び終えた引っ越し業者の男が聞いた。黒羽は家具をすべて新調し、以前のものは廃棄するように頼んである。

「ええ。ありがとう」

 黒羽は蠱惑的に笑った。お気に入りの洋服以外はここにはない。新しい黒羽美緖のスタートだ。

 

 *

 

「いやー、美人だったな。黒羽美緖」

「うんうん」

 ユニフォームを着た若い男と中年男が会話をしている。さきほどの引っ越し業者だ。

「へへっ。実は」

 若い男は懐から羽ペンを取り出した。

「それはなんだ?」

 中年男が聞いた。

「黒羽美緖の持っていたペンだよ。変わったペンだから、高く売れると思って」

「駄目じゃないか」

 中年男は顔を顰め、注意する。

「いくら廃棄していいとは言っていたが、それを売るのは駄目だ」 

「えー。なんで? どうせなら売って金にしましょうよ。半額を渡しますから」

「駄目なものは駄目だ」

 中年男は羽ペンを奪い取り、付近のゴミ置き場に捨てた。

 

 二人が去ると、少年はゴミ置き場に近寄り、羽ペンを手に取った。会社の前で黒羽美緖に声をかけた少年だ。

(なんだろうこれ?)

 不思議な形と素材で、少年は引きつけられた。自分のバッグに入っているノートに波線を書いてみる。黒インクはでるようだ。

(うん。なにかわからないけど、かっこいいな)

 少年は家に持ち帰ることにした。

 

 *

 

 夜。

「素晴らしい景色だわ」

 黒羽はベランダに出て、うっとりと外を眺めていた。この時間が永遠に続けばいいのにとさえ思う。眼下の灯りは、まるで働きアリが必死に女王様のために照らしているようにもみえる。

 手には例の紙片を持っていた。羽ペンはどこにいったかわからない。

「あれ?」

 紙片の二の数字が徐々に消え、数字が変わろうとしていた。

「どういうこと? 私は、あれ以来、願い事はしていないのに」

 刹那、突風が吹いた。黒羽の体はふわりと浮かび、空中に投げ出される。

 真っ逆さまにタワーマンションから落ちていく。

「綺麗ね」

 黒羽は笑った。

 

 *

 

 少年は願い事をノートに書いた。

『黒羽美緖がいなくなり、お母さんが戻ってきますように』

 

 

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