アラフォーで独り身の何が悪いの。黒羽美緒(前編)
何故、独身女性への風当たりは強いのだ。アラフォーの未婚女というだけで嘲笑され、性格に問題があるからだとか理想が高すぎるからだとか陰口を叩かれる。
黒羽はこの生き方を好きで選んでいるのだという自負があった。職場での出世を捨てて結婚に逃げ、世の中の男たちと戦うことなく専業主婦で安寧としている人たちと同じにしてほしくはない。
自宅マンションのベランダの窓を開け、夜風に当たる。今夜も街の明かりが綺麗に灯っており、それはさながら蛍のように感じられた。
煙草に火をつけ、紫煙を吐き出した。久しぶりの喫煙だ。
「私も、ここまでかな」
黒羽は進めていたプロジェクトに失敗した。共同で動いていた企業にも損害を与え、彼女は責任を追及されている。
こういう時は無性にいつもと違うことをしたくなる。酔っているわけでもないのに、ベランダの手すりに腰をかける。危ない行為だとわかっていたが、降りようとせず、街並みを眺めていた。
「はあ。私の人生って、なんなんだろうな」
後悔はしていないが、何も功績を残せていないことが歯痒い。自分を見下していた奴らに一泡吹かせたかったが、それもできそうにない。
黒羽が感傷に浸っていると、突風が吹いた。都会特有のビル風だ。
「あっ」
彼女はバランスを崩し、真っ逆さまに地面へと落ちていく。
*
どれだけの時間が経っただろうか。黒羽は不思議なことにまだ意識があった。
「大丈夫ですか?」
何者かの声が聞こえる。誰だろうと思い、黒羽は目を開けた。
(ここは……?)
白一色の部屋にいた。黒羽はベッドで横になっており、傍らには見たこともない黒髪の美少女が屹立としていた。
「あなたは、マンションから落ちました。ここは、救済の場です」
理解不能なことを言われ、黒羽は動揺した。マンションから落ちたのであれば、死亡したのではないか。この部屋は天国なのだろうかと訝る。
「天国ではありませんが、一旦の避難所のような場所です」
美少女の言葉の意味がわからないうえ、何か返事をしようにも口は何かを詰められているのか、もごもごと動かすことしかできない。
(ああ。これは、死ぬ直前の夢なのかも)
黒羽は諦観した。自分は何も成せないまま、死んだのか。
「違います。あなたはまだ亡くなっていません。一旦ここで待避しているだけです」
やはり意味が理解できなかった。
「あなたの望むものは何ですか?」
美少女は真剣な眼差しで聞いた。
(私の望むもの……)
*
目が覚めると、黒羽は自宅マンションのベッドの上にいた。
(私は、たしかに落ちたはずなのに)
地面に叩きつけられる瞬間を思い出し、彼女はぶるりと身震いする。
「あれ?」
右手を見ると、妙なものを握っていた。鳥の羽の形をした木彫りのペンだ。
「なんだこれ……」
購入した記憶もなければ、さきほどまで右手には煙草が握られていたはずだ。これは一体なんなのだろうかと観察していると、ベッドの下に落ちている紙片に気づいた。
紙片には、以下のようなことが書いてある。
(1)このペンはあなたの願望を実現させるものです。実現したい『出来事』を適当なノートに書いてください。
(2)このペンで実現する『出来事』は三つまでです。
(3)『出来事』は具体的にお願いします。漠然とした内容は無効になります。
(4)『出来事』は取り消すことはできません。
(5)空間や時間を歪める行為はできません。
(6)全てを実現すると、この紙とペンは消えます。
文章の下に『羽織纏』という署名がある。
「さっき夢に出てきた美少女の名前かな?」
黒羽は首を捻った。あまりにも不思議な体験の後に、珍妙なアイテムが登場した。偶然の産物とは思えないので、人間ならざるものの仕業だろう。
紙片の裏を見ると、三と書いてある。何かを表す数字だろう。
黒羽はベッド脇にある机の引き出しから、ノートを取り出す。自分の目標や生き方を明文化したことないので、ちょうどよい機会だと思った。
羽のペンは一旦置き、通常のボールペンで書き出していく。
*
一時間ほどかけて、様々なことをノートに書き殴った。今まではぼんやりとしていたものが明確になった気がする。
「私がやりたいこと、それは独り身女性の社会的地位の向上だ。けれど、これでは漠然としているので……」
黒羽は羽ペンでノートに書く。
「まずは、私自身がそのモデルとならないとね。それならば、『黒羽美緒が会社で取締役になり、社会に影響を与えるほどの女性経営者になること』かな」
刹那、文章がぴかりと光った。それは一瞬のことで、すぐさま文章は茶色に変わっていた。
「あれ、光った? それに、黒色だったのに文字が茶色になっている……」
黒羽はノートと説明書の紙片と共に、机の引き出しに仕舞う。途端に睡魔が襲い、彼女はベッドの中で泥のように眠った。
*
会社の空気が自分を責めているようで嫌だった。普段よりも三十分遅く、黒羽は渋々と出社する。責任を追及されているとはいえ、正式に解雇されたわけではないので、通常勤務をこなしていかなければならない。
「昨日は変な夢を見ただけで、現実はうまくいかないよなぁ」
嘆息しながら会社に着くと、なにやら社内が慌ただしかった。一緒にプロジェクトを進めていたD社が乗り込んできたかと思ったのだが、そうではないようだ。
「どうしたんですか?」
比較的仲のよい一個上の同僚である鈴木淳子に、黒羽は聞いた。
「黒羽さん! 大変ですよ!」
責められると身構えたが違っていた。
「D社が倒産するらしいです!」
「ああ、私のせいだ……」
「違いますよ! D社は多数の借入金や支払いが滞っていたうえ、うちと進めていたプロジェクト、特許権者から無許可だったらしいですよ!」
「ええっ」
黒羽は驚愕した。安定した会社だと思っていたが、このような展開は予期していない。
「黒羽さん」
黒羽の上司である商品開発部長が声をかけてきた。
「役員たちがお呼びだ。来てくれ」
部長がドアをノックし、
「失礼します」
部長、黒羽の順に入室する。五名の役員たちが鎮座していた。
「君は、知っていたのかね?」
取締役Aが聞いてきた。
「ええ、まあ」
なんのことかわからないが、黒羽は適当に返事をした。
「やはり」
「そうだったのか」
取締役四名が代表取締役を囲んで何やら話し込んでいる。
「君は素晴らしい。あのままプロジェクトを進めていたら、うちも被害にあうところだったよ」
取締役Bが言った。こいつはプロジェクトの失敗を社員たちの前で責め立てた張本人だ。黒羽は取締役Bのわざとらしい口調に鼻白んでいた。
「はあ……」
これは一体なんなのだろうかと黒羽が訝っていると、
「実はね。代表が引退して、私が次の代表取締役になるのだが……」
取締役Cが近づき、もったいぶった様子で黒羽に言う。
「空いたポジション、取締役を君にやってほしいんだ」
「えっ?」
「女性の社会進出が叫ばれる昨今、うちもそろそろ女性の役員を株主や周りから求められていてね……。どうかね?」
「――なぜ、私が?」
「君は先を見通して、今回のように危険を回避してくれた。あと、君が適任だと、何名かの社員が推してくれたんだよ。そこにいる部長も例外ではない」
黒羽がちらりと部長を見ると、彼は満足そうに微笑んでいた。
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