苦手だからブロックしたい。針間義彦(後編)
義彦は上司の岡沢をブロックするかどうか迷っていた。
岡沢がいなくても業務上問題ないのだが、不測の事態があった場合はお伺いをたてなければいけない。だが、ストレスの原因でもあるので、できればブロックしたい。
悩んでいる時に、後輩の山田が朗報を知らせる。
「聞きましたか? 岡沢係長、異動するらしいですよ」
「本当か?」
「ええ。大阪支部の人事主任になるらしいです」
本部の営業係長から人事主任ということは、降格といって間違いないだろう。
事実かどうか確かめようと思い、義彦は憂慮するふりをして岡沢の席に近づく。
「係長」
「なんだ」
岡沢は眉をひそめ、部下を見た。
「小耳に挟んだのですが、異動は本当でしょうか?」
「なんだ。もう知っているのか。事実だよ」
「そうですか。残念です」
義彦はブロックボタンを岡沢の肩に置く。
「お疲れ様でした」
ボタンを押した瞬間、義彦の眼前から岡沢は消えた。もうこれでくだらない武勇伝を聞かなくても済む。
ブロックをした後、義彦はストレスなく業務を進めることができた。
「係長が針間さんを探していますが、目の前にいるのに、どうしたんでしょうか」
山田が深刻そうな顔で言った。義彦はにやつき笑う。
「どうしたんだろうね。異動が決まって頭がおかしくなったのかもね。ああ、でも、元からおかしいか」
本人に聞こえないことをいいことに、暴言を吐いた。両者とも見聞きできる山田は狼狽する。
山田が係長のデスクに向かった。義彦には岡沢の姿は見えないし聞こえないが、どうやら何かを伝えているようだ。
「あの、針間さん」
山田が大量の書類を持って義彦の机に来た。
「係長が、この去年の売り上げデータ、分類別にしろって」
義彦は落胆した。SNSと同様、ブロックしても嫌なことはしてくるものだ。
残業をしたせいで、義彦はろくにスマートフォンを確認できていない。SNSアプリの通知が溜まっており、逐一内容をチェックしながら帰路を歩いていた。
「おい。痛いな」
三十代くらいの男性と肩がぶつかった。ここ一週間で何人もの通行人と衝突している。原因はすべて義彦のスマートフォンを見ながら歩きのせいだ。
義彦は無言のままブロックボタンを動作させ、相手の男性を消した。二度と会うことがないだろう人間に配慮する必要はない。
今日も彼のイラストはSNS上で話題になり、閲覧数が伸びていた。このままいけば大きな仕事が舞い込むかもと薄気味悪く笑う。
更に数件の通知がきた。
「おおっ」
義彦は喜びの声をあげた。嬉しいメッセージが舞い込んだ。
『公談社の者です。イラストについてご相談したいことがあるのですが、よろしければ会ってお話しできないでしょうか』
アカウントは公式のもので、詐欺ではなさそうだ。ついにプロの編集者の目に留まったと義彦は小躍りする。
*
翌週末。
義彦は公談社の人間と会うために都内のカフェで待っていた。ダイレクトメッセージの内容によれば、相手はライトノベルを担当している編集者で、挿絵に義彦のイラストを採用したいという。願ったり叶ったりで、好評であればイラストだけではなくコミカライズも担当するかもしれない。
義彦は漫画もながらく描き続けていたので問題ない。これでくだらないサラリーマン生活とおさらばできるかもという期待をもっていた。
待ち合わせの時間から三十分が経過した。
まだ編集者の姿は見えず、SNSアプリに連絡もない。相手には自分の服装や窓際の席だということを伝えているので、間違うはずがない。手には目印となる公談社の週刊誌を持っていた。
おかしいと思い、義彦はカフェの店員を呼び止める。
「すみません。ここはスターボッタクリカフェの駅西店であっていますか?」
「はい。その通りです」
店員は手短く答えると、会釈して去った。
どういうことだろうと義彦は考える。編集者が場所を間違えたのか、それとも時間を間違えたのだろうか。
そうこうしている間に、カフェの席が埋まっていく。客層は女性が多く、男性編集者らしき人物は三名いる。一人目は、窓際で新聞紙を広げながらコーヒーを啜る中年男性だ。スーツを着て眼鏡をかけている。二人目は、ノートパソコンのキーボードを熱心に打ち込んでいる男性だ。ラフな恰好で若そうだが、三十路くらいに見えなくもない。三人目は初老男性。のんびりと外を眺めているので近所の老人の可能性が高い。
義彦は可能性が高そうなスーツ男性に声をかける。
「あの、すみません。公談社の鈴木さんですか?」
「えっ。なんですか。私は佐藤ですが……」
ブラックコーヒーを啜りながら男は応えた。佐藤のくせにブラックを飲むなよと内心毒づきながら離れる。砂糖ではなくミルクを入れるかどうかがブラックの基準なのだが、浅はかな彼は知らない。
次に若い男性に声をかける。
「あの、すみません。公談社の鈴木さんですか?」
「都築? 鈴木?」
男は訝しげな顔で義彦を見た。作業の邪魔をするなと言いたげだ。
「あっ。鈴木さん?」
「いえ、僕は都築です。学生です」
義彦は再び毒づく。最初から学生だと言えよ紛らわしい。
最後に初老の男に声をかける。
「あの、すみません。公談社の鈴木さんですか?」
「校内放送しすぎ?」
初老男はとぼけた顔で言った。義彦の声は苛立ちで大きくなる。
「いえ、公談社の鈴木さんですか?」
「権田修一の木?」
声のボリュームは更に上がる。
「いえ、公談社の鈴木さんですか?」
「こうだ嬢のみそぎ?」
埒があかない。義彦は初老から離れ、自分の席に戻った。
今のやりとりを聞いていれば、カフェに鈴木氏がいれば名乗り出たことだろう。立ち上がる者がいないということは、まだ到着していないのだなと解釈した。
念のため、義彦は店員に言伝をする。
「すみません。もし、公談社の鈴木さんという方が『針間義彦』という人間を探していましたら私のことですので、ご案内よろしくお願いします」
この時、義彦は、不自然に一席だけ埋まっていないことに気づけなかった。
*
以下、鈴木と義彦のダイレクトメッセージの交信内容。
『公談社の鈴木です。どういうことでしょうか。二時間待ちました』
『すみません。私も二時間前からいます。目印となる週刊誌を持って、窓際の席にいます』『ふざけないでください。窓際は女性客ばかりで、席に座っている男性は強面の中年男性とカップルですよ。一か八かその両者に話しかけましたが、違いますと言われ、恥をかきました』
『すみません。もしかして、その中年男性は経済新聞を呼んでいるでしょうか』
『その通りですが、どこかで見ていて笑っているんですか? 待ちぼうけにして』
『ち、違います。あ、あっあっ。どうしよう』
『ふざけないでください。こんな人だとは思いませんでした。上層部だけでなく、業界全体を通じて、あなたのことは広めさせてもらいます。もちろん、悪い意味で』
*
細川太がスマートフォンを操作しながら言う。
「折角のチャンスも、自らの安易なブロックによって決別するとは、哀れですね」
「将来繋がるはずの人間をブロックしていたなんて、笑えるわ」
羽織纏は流麗に笑った。
「やはり、ブロック機能は使わないほうがよいのでしょうか?」
太はスマートフォンのSNSアプリを開く。通知欄には『眼鏡デブ』という誹謗中傷が書かれていた。
「さあ、どうかしら。何事も適切に、バランスよくが一番だと思うわ。体を作る栄養素と同じよ」
「さすが、カウンセラーですね」
太が恵比須顔で笑った。
「なによそれ。褒めているの? それとも皮肉っているの?」
「えっ。ええ~。纏さんも適切にバランスよく言葉を受け取ってくださいよ~」
医者の不養生という文字が太の脳裏をかすめた。
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