苦手だからブロックしたい。針間義彦(前編)
ひとつめはピーマンだ。あの苦々しさ、毒々しい色は好きになれない。どれだけ「健康にいいから」と勧められても口にしたくはない。
ふたつめは武勇伝を語る男だ。あの手の男は、自分語りの誇張表現が多く、しばしば場の空気を壊している。別人との他愛のない会話でも、無理やり自分の話を差し込んで会話に参加してくるので、神経が鋼鉄で出来ているのではないかと疑ってしまう。
「だから、俺が若い時はー」
義彦の目の前にいる上司の
「いいか? 怯むんじゃなくて、立ち向かうんだよ。俺はそれで営業成績が常にトップだった」
今日は会社の新年会で、不運にも座席は岡沢の隣だ。飲み会で説教をするのはやめてほしいと義彦は願った。交流を深めようという会の名目はなんなのだと叫びたい衝動にかられる。
義彦の思いは虚しく、彼の口上は止まらない。
「最近の若いのは根性が足りないんだよ。学生時代に悪さしてないから。俺なんて、高校生の時、他校の不良と――」
またかと義彦は辟易した。毎度、精神論に話が飛び、自分の武勇伝を語り始める。
「へえ。凄いですね」
義彦は適度に相槌を打つ。上司なので、機嫌を損ねることはできない。
スーツの内ポケットに入れているスマートフォンが振動した。なにやら通知が来たようだ。
「失礼します」
トイレに行くふりをして、義彦は立ち上がった。社員たちの席から少し離れ、スマートフォンを確認する。
『複数名がフォローしました』
SNSアプリの通知だ。彼は趣味のイラスト活動にSNSを使っている。昨日公開したイラストが話題になったようで、閲覧登録をしてくるユーザーが増加していた。
「ふふっ」
イラストで発生した閲覧数字を見て、義彦は満面の笑みを浮かべる。
「ん?」
直後に、彼の表情は凍りついた。
『下手くそな絵だな。小学生レベル』
いわゆるアンチと呼ばれる人間の書き込みがあった。義彦は反論することなく、アプリの『ブロックする』のボタンをタップする。
このような不躾で非生産的な人間はまともに相手しないのが吉だと義彦は思っている。だが、上司の場合は冷たくあしらうことはできない。また、あいつと会話をしなくてはいけないのかとゲンナリした。
宴会の席に戻ると、上司の岡沢は女子社員に対して、武勇伝を語っていた。
「俺はさ、結構モテたのよ」
「へー。そうなんですか」
女子社員数名は、彼を拒絶することなく、話を合わせていた。内心嫌なのだろう。たまに女子同士で「早く終わらないかな」と言いたげに目配せをしている。
義彦は岡沢に気づかれぬよう、そっと空いている別の席に座った。
「大変でしたね」
義彦の二個下の後輩である
「うん。あれはね……」
義彦は少し離れた岡沢を見つめた。ああいうみっともない大人にはなりたくない。
*
22時にお開きとなり、新年会の一向は二次会組と帰宅組に分かれた。
義彦は後者で、しつこく二次会を誘う岡沢をいなして、駅に向かって歩く。それほど飲んだつもりはなかったが、上司の戯言の影響で酔いが回っていた。
「おっ。猫だ」
白い猫が道路を横切った。義彦はふらふらとその姿についていく。猫を愛でて、さきほど受けた毒気を抜きたい。
猫は裏路地に入って行く。導かれるように義彦は歩いた。
「ん、ここは……」
古めかしい佇まいの建物を見つけ、足を止める。骨董屋に似ており、妖気のようなものを放っていた。看板には『お悩み相談所』とある。
「なにか、ご入り用ですか?」
若い女性の声が聞こえ、義彦の鼓動はドクンとなった。悪さが見つかった少年のように驚く。
「そこではなんですし、中へどうぞ」
長い黒髪の美少女が言った。見た目は中学生くらいにみえる。日本人離れした不思議な魅力をもった子だ。
「じゃあ、お邪魔します」
さきほどの猫が人間に化けたのではないのだろうかと義彦は想像した。
建物の中では、エプロンをつけた小太りの男性が掃除をしていた。彼は高校生くらいに見える。
「どうぞ。お座りになって」
少女に促され、義彦は椅子に座る。
「私は
纏は太を指差す。
「太! 紅茶とコーヒー」
命令がくだされ、太は「はい!」と部屋の奥に消えた。
「カウンセラーですか」
「はい。お客様の悩みを聞いて、事態解決に最適な道具を無料提供させていただいております」
纏は微笑した。妖しい表情だ。
「悩み……」
「些細なものでもいいので、困り事はないですか? たとえば、会社の人間関係とか」
纏の発言に、義彦はすぐさま岡沢大輔の顔が浮かんだ。
「あります」
「お聞かせください」
「うちの上司なんですが、何かあれば説教して、挙げ句の果てに自分の武勇伝を語るので、苦手なタイプの人物です」
「なるほど」
「できれば避けたい人間ですね。SNSみたいに実生活でもブロック機能があればいいのに」
義彦は冗談めかして言った。
「ありますよ」
「えっ」
纏の断言に、義彦は愕然とした。大人をからかって馬鹿にしているのだろうかと訝る。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味です。これを使えば」
纏は後方から直径10センチの赤い丸形の押しボタンスイッチを出した。表面には『ブロック』と書かれている。
「これは……?」
「ブロックボタンですわ。これを対象者につけて、ボタンを押すと、その人物をブロックできます」
「は?」
義彦はあんぐりと口を開けた。やはりからかわれているのだろうかと思う。
「信じてもらえないようですね。わかりました」
纏は太を手招きした。彼は纏にティーカップ、義彦にコーヒーカップを渡す。纏が言う。
「この男にブロックボタンを接着して、ボタンを押してみてください。すぐに効果がでますよ」
疑念を抱きつつも、義彦は指示された通りに実行した。
「ええっ!」
ボタンを押した刹那、細川太は目の前から消えた。奇妙な光景に、義彦は慌てふためく。
「ど、どういうこと!」
纏は泰然自若としてティーカップの紅茶を飲んでいる。
「見ての通りです。ブロックしたので、あなたの目の前から太は消えました。消えただけではありません。彼からもあなたは見えていないし、お互いに触ることもできません。他の人は見えるしコミュニケーションがとれるので、存在があるのは遠回しにはわかります」
纏の説明に義彦はまだ半信半疑だったが、眼前で起きた現象は否定できない。
「こちら、お渡しします。ただし、気をつけてください。一度ブロックしてしまうと、二度と解除できません」
纏のティーカップがいつの間にかなくなっていた。太が片づけたのだろう。
*
建物を出て数メートル歩いたのちに振り返ると、『お悩み相談所』はなくなっていた。狐か妖怪に化かされたのかと仰天する。
酔いはすっかり醒めていた。不思議な感覚だ。
腕時計を確認すると、時刻は23時だった。あの店に何時間もいたような気がしたが、実際は一時間も経っていない。
「このボタン、どうするかな」
手には渡されたブロックボタンがあった。これを使えば、不要な人間を視界から排除できる。
「その前に、終電に間に合うように帰らないと」
寄り道をしたせいで、すっかり駅の方向がわからなくなっていた。義彦はスマートフォンの地図アプリを開きながら歩く。
「えーと、この辺で曲がって」
雑居ビルの角を曲がった時、二十歳くらいの男と肩がぶつかった。
「おい。おっさん。待てよ」
呼び止められ、義彦は若者に胸倉を捕まれる。今こそ、このボタンを使う時ではないか。義彦は彼の体にボタンを密着させ、押した。
直後、若者は消える。
「これ、便利だな。精神衛生上悪い奴はブロックするに限る」
義彦は高笑いした。
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