サレ妻のタイムリープで夫は変わるか。水瀬織江(後編)

 タイムリープができるようになり、計一ヶ月ほどになるが、何度も時間を戻しているのでカレンダー上の日にちは一週間しか変わっていない。

 織江は株と仮想通貨の取り引きを始めた。一時間前に戻れるので、上がる銘柄を覚えておけば難なく儲けることができた。離婚をすると財産分与で稼ぎを取られてしまうが、彼女は離婚をする気が毛頭ないので問題ない。

「ただいま」

 悠真は以前より帰宅時間が早く、織江は上機嫌である。

「おかえり」

 タイムリープで回避したことによって夫婦喧嘩はなくなったが、肝心の性交渉のほうは改善されていなかった。相変わらずセックスレスだ。

(このまま悠真と斉藤玲奈が会わなければ、あそこが滾って、私を求めてくれるかと期待しているのに……)

 大人の店や動画で解消する可能性がある。何かアクションを起こさなければと織江は考える。

「休日に温泉に行かない?」

 心身共にリラックスし、開放感のもとで触れ合えば改善するのではないかという期待があった。

「ああ」

 背広を脱ぎ、ネクタイを緩めながら悠真は曖昧な返事をした。たいして興味が湧いていないようだ。それならばと織江は違うアプローチをする。

「悠真、スマフォでゲームしないの?」

 予想外の言葉だったようで、彼は驚いた顔で私を見た。

「いや、今からしようと思っていたけど、それがどうした」

「ここにね、ふふ」

 織江はジーンズのポケットからカードを取り出した。スマートフォンのアプリで使えるデジタルギフトカードだ。一万円分が入っている。

「欲しくない?」

 見せた刹那、悠真は奪い取ろうとしたが、織江はカードを背中に隠す。

「ダメ。やってほしいことがあるから、それができたらプレゼント」

「なんだよそれ。俺は家事やらないぞ」

 悠真は不服そうだ。

「私にキスしてくれたらあげる。もちろん、中学生のようなキスではなくて大人のキスね」

「なんだ、そんな簡単なこと」

 悠真は織江を抱き寄せ、キスをした。


 悠真は織江の胸や尻に愛撫をした。これでセックスレスは解消されると思ったが、事は簡単に運ばなかった。

 夫は肝心の本番になると尻込みし、ベッドに座り、

「やっぱ止める」

 と言い出したのだ。

「なんで!」

 妻はヒステリックに叫んだ。

「お前とは、無理なんだ」

「だから、なんで……」

 織江はよよと泣き崩れる。

「教えて、ねえ、どうして」

 織江が悠馬の体を揺すると、彼はいきり立つ。

「うるせえ! 黙れ!」

 鬼の形相で織江を睨みつけた。

(しまった!)

 織江は寝室を飛び出し、すぐさまタイムリープをした。


 *


 再度、織江はデジタルギフトカードから寝室までの流れを実行した。

「お前とは、無理なんだ」

 戻る前と同じセリフを悠真が言った。表情は悩んでいるようにみえる。

「ごめん。私がなにかやってしまっていたんだね」

 織江に思い当たる節はないが、彼の心の扉を開くには最適なステップだと考えた。

「そうだよ。お前が……」

「気づかなくて、ごめん。何かしていたら教えて」

「あれは、去年のことだけど――」

 悠真は語り始める。

 織江が発した性交渉中での言葉が引っかかり、男としてのプライドが傷ついてしまったらしい。それからというもの、彼女と対面していると言葉がフラッシュバックし、萎えるようになったようだ。

「ごめん。本当に気づいていなかった」

 織江は謝罪した。不倫されている彼女が謝る必要はないのだが、セックスレスを解消するのが最優先だ。

「俺も、本当は――」

 織江との性交渉が怖くなり、若い女性に手を出してしまったと悠真は告白した。最初は一晩だけのつもりだったが、そのままズルズルと一年が経ったようだ。

「じゃあ、その言葉がなかったら、不倫もしなかったし、私とも良好な関係だったのね?」

 織江が問いかけると、悠真は力なく頷いた。

「そう。わかった。なんとかするから」

 織江は自信満々に言った。

(私はタイムリープができるから、原因を潰していけばいい)


 *


 織江は何ヶ月もかけて、自身の血を集めた。

 毎日注射器を使って血を抜き、パウチパックで冷凍保存した。悠真は料理をしないので冷凍庫を確認することもなく、怪しまれることもない。

 最初は問題なかったのだが、しばらくして織江は貧血症状になり、食事改善をして鉄分を多く摂るようにした。特にきついのは生理の時で、いつも以上に腹痛と頭痛が酷くなり、何度か仕事を休む。

 大量のパウチパックの中身を解凍し、タイムアンドエラーに降りかけ、織江はタイムリープした。


 *


 去年の二月にタイムリープした。セックスレスの原因となってしまった月だ。

 ある日、織江は仕事が終わり、疲労困憊で自宅に戻る。いつも以上に業務トラブルが多く、苛立っていた。

「ただいま」

「おかえり」

 悠真はにこやかに声をかけてきた。彼は定時に帰れたようだ。珍しく、夕食も用意してくれていた。

 悠真はカルボナーラパスタを作っていた。タイムリープ後、何度か料理を教えてはいたが、自主性がでてきたようだ。

「あのさ、今日、しない?」

 食事後の誘いに、織江は驚いた。求められたのが久しぶりだったこともあるが、これが最後の性交渉の日だったことを思い出す。

「いいよ」

 彼女は首肯した。

 織江、悠真の順にシャワーを浴びた。ベッドの中で胸の鼓動が高鳴り、失敗してセックスレスの原因を作らないようにと彼女は願っていた。

「お待たせ」

 悠真が寝室に現れ、気持ちがはやったのか、すぐにむしゃぶりつく。織江は大げさなくらい感じたフリをして、彼のプライドを傷つけないように細心の注意を払う。

 しかし、肉体のせめぎ合いはすぐに終わり、悠真は果ててしまった。織江は拍子抜けした。ものの十分も経っていない。

「これ――」

 織江は頭に浮かんだ言葉を飲みこんだ。前の世界で「これで終わり? たったこれだけ」と言っていたのだ。この言葉がプライドを傷つけたに違いない。

「よかったよ。ありがとう」

 悠真の頬にキスをすると、彼は安堵していた。

 翌日も、夫は妻を求めた。


 *


 **


 ***


 時は十一ヶ月たった。織江の誕生月である。

「おはよう」

 織江がキッチンから声をかけると、悠真は大きな伸びと欠伸をした。あれ以来、悠真は定期的に織江を求めるようになっていた。

「誕生日おめでとう」

 彼はリビングのソファーに座りかけたが、思い直し、すぐに彼女のもとに寄る。

「お皿、運ぶ?」

「お願い」

 織江は目玉焼きの皿とご飯茶碗を渡す。

 こっそりと斉藤玲奈との出会いを回避するように仕向けたため、悠真の不貞行為は発生していない。夫婦関係は良好だった。仕事から帰宅後、背広や靴下も放り投げたりしなくなった。

「本当に、誕生日プレゼントはいらないのか?」

 悠真が聞いた。彼はアクセサリーや指輪を購入しようと提案してきたが、彼女は断っている。

「いいの。もっと大切なもの貰うから」

「えっ。なんだよ。それ」

 彼は苦笑した。

「変なことじゃないよ。二人がもっと仲良くなるおまじないみたいようなもの」

 織江は意味ありげな笑顔で誤魔化し、お味噌汁をリビングのテーブルに運んだ。

「そうか。わかったよ。――ところで、今日は営業先から直帰する予定」

「わかった。私は色々あるから、少し遅くなるかな」

「了解」

 今日は特別な日だからねと織江は内心つぶやく。


 退社後、織江はひそかに借りていたアパートに寄り、そこにあった荷物を回収してキャリーバッグに詰め込んだ。

「ただいま」

 織江が帰宅を告げた。

「おかえり。あれ、なに、その荷物?」

 織江が引いているキャリーバッグを見て、悠真は聞いた。

「これは私の大切なもの」

 織江は満面の笑みで答えた。

「俺よりも?」

 悠真は冗談めかす。

「あなたのほうが大事に決まっているでしょ」

 織江はバシバシと彼の肩を叩いた。

「さあ、夕食の用意しよう」

 荷物を寝室に置き、織江と悠真は部屋着に着替えると、共にキッチンに立った。惣菜を買ってきているので、お皿に盛りつけるだけで済む。

「なあ、そろそろ、いいんじゃなか?」

 食器を並べ、テーブルに座ると、夫が切り出した。

「そろそろって?」

 妻はとぼけた。

「子供だよ。ずっと避妊しているけど、そろそろ欲しいなって」

 悠真は目を伏せた。あまり無理強いはしたくないようだ。

「私の誕生日にその話? お義母さんに何か言われたの?」

 織江が非難めいて言うと、ばつが悪そうに悠真はサラダを食べた。

「このチキン、美味しいね」

 織江は場の空気が悪くなるのを避けるように、タンドリーチキンを咀嚼した。

「うん」

 悠真は力なく頷いた。

「ひじきもどうぞ」

 織江が勧める。

(鉄分は大切だ。これは昨夜の作り置きで、しっかりと鉄鍋で調理してある)

 食事を楽しみ、惣菜が少なくなってきたので、

「そうだ。ワインも呑もう」

 織江はケーキと赤ワインを出し、悠真がキッチンの食器棚からグラスを運ぶ。夫はそれほどアルコールが強くないのだが、妻の誕生日ということで飲酒に付き合ってくれるようだ。

 織江は二人分のグラスに半分ほど赤ワインを注ぐ。

「乾杯」

 グラスを高く掲げた。織江が口内で転がしてから飲むと、悠真もそれに倣った。

「美味しい」

 ワインを互いに注ぎあい飲む。織江が頻繁にワインボトルを傾けるので、悠真はあっという間に酔いが回ったようで、目がとろんとしていた。

(そろそろ頃合いだ)

 織江は彼のネクタイを手に取った。

「ねえ。お願いがあるの」

 彼女は悠真の後ろに立った。彼は眠そうにリビングテーブルの椅子に座っている。

「な、なに?」

 呂律の回らない声で悠真は聞いた。

「プレゼントなんだけど、私、欲しいものがある」

「うん」

 いまにも寝てしまいそうな感じで彼は目をシパシパしていた。

「私たちが結婚する前の、付き合って一年くらい、つまり四年前くらいに戻って、イチャイチャラブラブしたいな」

 織江はふくふくしい笑顔だ。

「うん。それはいいかもね」

「約束ね。私だけ、これからも愛してね」

 織江はネクタイを悠真の首に巻き付け、最大限の力で締め上げた。

 悠真は「どうして」というふうに目を剥き、彼女を凝視する。手を緩めず、バタバタする足が停止するまで織江は絞め続けた。動きが止まってからも念のため一分ほど待つ。

 呼吸も脈も止まっているのを確認すると、織江は次の作業にとりかかる。彼を風呂場に移動し、タイムアンドエラーを左手首に装着した。

 悠真は身長175センチメートルで体重は74キログラムある。単純計算すると、血液は6リットルほどあるはずだ。

(四年前に戻るには充分の量よね)

 裸にした悠真の一物を切り落とし、処理を始めた。


 一時間後。

 悠真のタイムリープ処理が終わり、織江は体液が抜けた彼のむくろをリビングのソファーに置いた。

(次は私の番だ)

 寝室にあるキャリーバッグをリビングに移動し、大量の血液が入ったパウチパックを取り出した。

 織江は、ソファーで横たわる青白い彼を見ながら言う。

「今から行くからね。四年前に戻って、たっぷり、愛し合おうね。私が、あなたをちゃんと調教してあげるから――」


 *


 一部始終をディスプレイで観測していた細川太が慄く。

「なにこれ、怖いんですけど」

「ふふっ。不倫されたら、人は変わるものよ」

 羽織纏が不敵に笑った。

「え、じゃあ、僕が浮気したら、纏さんも鬼のようになって僕を追い詰めるんですか?」

 太はあわあわと慌てる演技をする。

「そもそも、あなたの妻になった覚えはないですけど」

 纏は強烈なパンチを太のみぞおちに食らわせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る