サレ妻のタイムリープで夫は変わるか。水瀬織江(中編)
翌日の土曜日。
織江はタイムリープの検証を午前中から始める。夫の悠真は出かけていたので、家で実験を行っていた。
タイムアンドエラーは、時計箇所でもバンド箇所でも血液によって発動し、時間を戻すことができた。血液の量によって、三十分、一時間、二時間と戻る時間が変わった。
(まだ検証が足りない)
織江はスマートフォンを操作した。SNSアプリを開き、ある人物にダイレクトメッセージを送信する。
『初めまして。あなたがお付き合いしている水瀬悠真の妻です。お話がありますので、来ていただけないでしょうか』
相手は突然で驚いたことだろう。織江は悠馬の隙をついてスマートフォンをチェックし、情報収集し、不倫相手のSNSアカウントを突き止めていた。
無視またはブロックされる可能性が高いと思ったが、
『どのような内容でしょうか』
返信はすぐに来た。
『二人きりで話し合いをしたいです。来ていただけない場合は、裁判沙汰に発展することをお忘れなく。住所は東京都M区六丁目のTタウンというマンションです』
相手に逃げの選択をさせないため、織江は脅し文句を入れた。
10分ほどして返信があった。この不倫女は悠真に相談していたのかもしれない。
『わかりました。今から向かいます。一時間ほどで到着します』
*
午前11時13分にインターホンが鳴った。
「さきほどDMをもらった斉藤玲奈です」
モニタには二十代女性が映っていた。SNSでは加工画像をあげていて若干雰囲気が違って見えるが、悠真の不倫相手で間違いはない。
「いま、開けます」
織江はマンションのエントランスを開錠した。数分後、玄関のチャイムが鳴り、彼女は扉を開ける。
ロングウェーブの髪型で、ダッフルコートを着た女が立っていた。顔は今風の若者メイクで、睫毛はエクステしたかのように長い。街を歩けばナンパされるレベルの女性といえるだろう。
「どうぞ。入って」
織江が中に招くと、玲奈は
「お邪魔します」
と不安げな顔で入室した。
織江は手で指示し、彼女をリビングテーブルの椅子に座らせる。
「あの。どのような用件でしょうか」
いじらしい態度で玲奈は言った。そのような態度をとっていても、内心はほくそ笑んでいるに違いないと織江は思う。
「私の夫と遊ぶのは楽しい?」
電子ケトルでティーカップにお湯を注ぎながら聞いた。中にはアップルティーのパックがある。
「その、えっと」
玲奈は返答に困り、しどろもどろだ。
「まず、落ち着いて、これを飲んで」
織江はティーカップを差し出した。
「いただきます」
玲奈は震える手でカップを持ち、ゆっくりと口をつけた。
「毒は入ってないから、そんなにも怖がらなくても」
織江は玲奈をねめつけた。これからネズミを丸飲みする蛇のように威圧感がある。
「悠真ばかりズルいから、今日は私と楽しくお話しましょう」
「……」
玲奈は沈黙してしまい、気まずそうにアップルティーを何度も口に運んだ。
*
「薬が効いたみたいね」
十分後、玲奈はテーブルに突っ伏して寝ていた。織江が紅茶に混入していた睡眠薬が効いたようだ。
「さて」
織江はテーブルに置いてあった円筒形の箱からタイムアンドエラーを取り出す。
「本当は触れたくもないけれど」
玲奈の左手首に腕時計を装着すると、織江はキッチンから果物ナイフを持ってきた。
そのナイフで玲奈の左手親指を浅く切り、時計に擦りつけ、横のつまみを回した。
「次は、私ね」
織江は既に腕時計をしていた。同じく果物ナイフで指を切り、血液をこすりつけ、つまみを回す。
気持ちの悪い眩暈がした後、世界は暗転した。
*
斉藤玲奈が目を覚ますと、電車の中にいた。
(悪夢を見ていた……?)
スマートフォンを確認すると、時刻は午前10時06分だった。悠真の妻と名乗る人物から連絡がきて、玲奈は指定場所に向かっている。
(しかし、リアリティが半端なかった。実際に起きているかのような内容だった)
思い出し、ぞくりと怖じ気立つ。
(眠らされて、あの後に何をされたのだろうか……)
電車がガタンと揺れた時、左手首に違和感があった。
(あれ、私、こんな時計を持っていたっけ?)
玲奈は首を捻った。身に覚えがない腕時計が巻かれていた。普段はスマートフォンで時間を確認するので、腕時計を使用する習慣はない。
不審げに腕時計をつぶさに見ていると、電車が駅に到着した。
「あっ。ここで降りないと」
玲奈は降車し、各駅止まりの普通列車から急行列車に乗り換えた。
*
元のシーンと同じ午前11時13分にインターホンが鳴り、織江は応対する。
「さきほどDMをもらった斉藤玲奈です」
「いま、開けます」
全く同じやり取りをしたのち、家に上げた。玲奈は狐に包まれたような顔でリビングを見回していた。
彼女が座ると同時に、織江は電子ケトルでティーカップにお湯を注ぎながら言う。
「私の夫と遊ぶのは楽しい?」
「あっ」
玲奈は大きな目を最大限に見開き、愕然とした。直後、ガタガタと彼女は震えだす。
「聞こえなかったの? 私の夫と遊ぶのは楽しい?」
織江は微笑んだ。玲奈は狼狽し、席を立つ。
「あう、え、その」
反応を見る限り、彼女はタイムリープしたと思って間違いないと織江は確信を持つ。
(二人同時にタイムリープ、実験は成功ね)
織江は笑いを堪えきれず、にやけた。玲奈はそれがおぞましい悪魔の笑みに見え、更に落ち着きをなくす。
「私、帰ります」
「待って。話があるって言ったでしょ」
織江が引き留めるが、玲奈は帰ろうと玄関に向かった。
「待ちなさい」
織江が右手に持った道具を背中に当てると、玲奈はビクンビクンと痙攣し、倒れた。スタンガンを食らわせたのだ。
「その時計、返してくれないと困るのよ」
玲奈の左手を確認する。タイムアンドエラーは壊れることなく動作していた。予想以上に頑丈なようだ。
*
午後三時に悠真は自宅マンションに戻ってきた。
「ただいま」
彼は疲れた様子でソファーに座ると、いつものようにスマートフォンを操作し始めた。
「おかえりなさい。早かったわね」
「ああ」
「待ち人がこなかったのかな?」
織江が聞くと、悠真は眉をひそめ、
「どういう意味だ」
と返した。
「いとしの玲奈ちゃんが来なかったのでしょ?」
織江の発言に悠真は焦る。
「お前、まさか」
嫌な予感と冷や汗が背中を伝った。
「いとしの玲奈ちゃんなら、お風呂場で待っているわ」
悠真は急いでバスルームに向かう。
「ぎゃああ」
彼の悲鳴が響く。
浴槽には、織江によって八つ裂きにされた玲奈が横たわっていた。脈をとって確認するが手遅れだ。
「よかったわね。会えて」
「な、なんてことを」
悠真は恐怖と憎悪がない交ぜになった表情で妻を見ていた。
「大丈夫だから」
織江はスタンガンを悠真に当てていた。
*
織江は土曜日の朝を繰り返していた。
「これで、殺人はなかったことになるわね」
目玉焼きを作りながら、織江はつぶやいた。
夫は呑気にソファーで寝転がっている。
「なんか言ったか?」
「なんでもない」
妻はかぶりを振る。
(タイムリープを繰り返せば、私の悪事もなかったことにできるし、二人の喧嘩やその原因もなくすことができる)
織江は得も言われぬ幸福の感情が広がっていた。
今日だけで何度もタイムリープを実行し、何度も斉藤玲奈を殺していた。腕時計を回収する手間はあるが、彼女のバッグにGPSを仕込んで行動が把握できるようになったのは大きい。
ただ殺人を繰り返すだけではなく、織江は実験も兼ねている。腕時計のバンドの一部分を切り取り、つまみを回したところ、実験体の玲奈はタイムリープしていた。切れ端でも可能なことが判明した。
実験を重ねるうちに、
(1) タイムリープは死体でも発動する。
(2) タイムリープは腕以外の場所でも発動する。
(3) 血液はタイムリープする本人のものである必要がある。
(4) 血液量によって時間が異なる。多ければ多く戻れる。
(5) 腕時計の切れ端を体に貼っておけば発動するが、そこに血液をかける必要がある。
(6) 血液は本人のものであれば古くても作用する。
以上のことがわかった。
「なあ」
悠真が不審そうに織江を見ていた。
「どうしたの?」
「いや、だって、さっきからブツブツ言いながら、気味悪く笑っていたから……」
鈍感な悠真だが、彼なりに何か感じるものがあったようだ。
「料理のレシピを考えていただけよ」
誤魔化すが、朝食は食パンに目玉焼きとサラダというシンプルなメニューだ。言い訳としては苦しい。
(本当は、あなたをどうやって更生させるか。そのレシピを考えていたんだけどね)
織江はスマートフォンの位置情報アプリを開く。玲奈のGPSは自宅になっていた。何度もタイムリープして殺されたことにより、恐怖で外出すらもできないようだ。
タイムリープを繰り返すうちにSNSでのダイレクトメッセージは無視されるようになったが、GPSで行動を把握していたので、行く先々で待ち伏せをしていた。
(怖いよね。これで当分、悪さはしなさそうね)
織江は鼻歌まじりでテーブルに食器を並べた。
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