ルッキズムから脱却したい。本松アリス(前編)

 本松もとまつアリスはドラマや映画が嫌いだ。

 物語に登場する人物は殆どが美男美女で、生まれ持ったステータスで圧倒しているだけで、外見的努力をさほどしなくても済む。主人公たちは環境にも恵まれており、チート状態のキャラクターたちをアリスは受け入れることができなかった。

(私のように周囲から『ブス』と罵られる女には、縁のない話)

 アリスは鏡で自分の姿を見て、自尊心が傷つく。過去のトラウマや公共の場でのルッキズムが彼女を苦しめていた。

 街を歩くたびに、アリスは嘆息していた。街中や電車内で見かける化粧品などの女性商品のポスターは、美人モデルが広告塔を務めている。どれだけ彼女たちと同じ商品を使っていても、同じ容姿になれはしない。

(世の中は、私のような外見弱者の女性を外見強者が搾取している)

 デパートに寄れば、普段から男性に言い寄られていそうな美人販売員が接客してくる。どれだけ勧めてこようと、もともと容姿の良い人間が紹介するものに説得力を感じていない。


 朝の通勤ラッシュ。

 会社の最寄り駅で電車を降りる。駅構内を歩いていると中年男がぶつかり、

「気をつけろ! ブス!」

 彼は険しい顔で暴言を吐いた。避ける余地は相手の方にあったが、彼はまったくアリスを避けようとしなかった。

「すみません」

 目立つことを嫌い、アリスは小声で謝罪した。中年男は肩を怒らせて去って行く。

「酷いね。ありゃ」

 アリスの後方から若い男の声がした。振り返ると、会社の同僚の浪江昇平なみえしょうへいが苦笑を浮かべて立っていた。

「あっ」

 恥ずかしくなり、アリスは赤面し、うつむく。

「気にすることないよ。一部始終みていたけど、悪いのはあの男だから」

 泣き出しそうだと勘違いし、昇平は慮った。

「会社まで一緒に歩かない? 同じようなおっさんがいるかもしれないし」

 彼の提案に、アリスは首を縦に振った。


「ねえねえ。朝、一緒に浪江さんと出勤していたでしょ?」

 昼食時、アリスの同僚の小林こばやしエリナが聞いてきた。普段、同僚たちは業務上の連絡事項がなければ話しかけてこないので、突然のことでアリスはまごつく。

「あ、えっと、たまたま同じタイミングになっただけで……」

「なーんだ。そりゃそうか」

 エリナに他意はないのだろうが、アリスはそのセリフに棘を感じる。

「浪江さんと本松さんが、そんな関係なわけないよね。噂を耳にしたから、もしかしてと思っちゃった」

 遠回しに外見について批判をされているようだ。アリスは消沈した。

 昼休憩が終わり仕事を再開するが、わだかまりがモヤモヤと残り、その後の業務はスムーズに進めることができなかった。何度も言葉がリフレインし、ぐさぐさと心の傷を抉っている。


 すべての業務が終わり、陰鬱とした気分でアリスは帰りの電車に乗っていた。本日は週末だが、飲みに誘ってくれる友人はおらず、呪詛の言葉を飲み込んで過ごすしかない。

 物思いにふけっていたため、アリスは最寄り駅で降車するタイミングを逃してしまう。慌てて降りようと試みるが、他の乗客の動きに遮られてしまった。

 電車は急行なので、次の駅までは遠い。

(やってしまった)

 アリスは自分に嫌気がさした。考え事や思い煩いがあると、うっかりミスが多くなる。

(折角だから、終点まで行って、ネカフェにでも泊まろうかな)

 鬱憤を溜めたくないと思い、アリスは気分転換の冒険を選択した。


 *


(また、やってしまった)

 アリスは再び自分に嫌気がさした。

 終点に着き、インターネットカフェを探すが、それらしい店舗は駅近辺に見つからなかった。あてもなく探しているうちに迷ってしまい、駅に続く道がわからない。

(適当に歩いて、ビジネスホテルでも探すか……)

 小さな商店街や雑居ビルはあるが、宿らしきものも見当たらない。これは時間がかかりそうだ、とアリスが覚悟を決めた時だった。

 深夜零時を過ぎているにも関わらず、煌々と明かりがついている建物があった。

『お悩み相談所』

 と書かれており、アリスは導かれているかのように建物のドアを開けていた。

「いらっしゃいませ」

 中学生くらいの年齢の美少女が出迎えた。その顔貌の美しさに、アリスは思わず「はあ」と感嘆の声を漏らす。

「ようこそ。そちら、お座りになって」

 美少女が促したので、アリスは引き込まれるように着席した。

「私、羽織纏と申します。後ろにいる男は細川太です」

 建物の奥には小太りの高校生らしき男性がいて、「どうも」と会釈する。

「えっと、この建物は、一体……」

 アリスがまごついていると、纏は微笑む。

「こちらはお悩み相談所です。あなたのお悩みを解決しますわ」

「悩みなんて、そんな……」

 アリスは顔を伏せた。自分のような顔面で纏のような綺麗な顔を見続けてはいけない。

「ないです……」

「おありでしょ」

 纏は見透かしたように否定する。

「自分に自信がないようですね」

 纏はアリスの手を取ると、立ち上がらせ、手を繋いで奥の部屋に導いた。アリスは戸惑いながらもついていく。

「これは」

 部屋の中は鏡張りで、アリスは自分の顔をもろ手で覆った。自分の姿を見たくないからだ。

「いま、あなたに魔法をかけます」

 部屋の中はチカチカと明滅し、アリスは眩暈に似たものを感じた。気持ち悪さで一瞬吐きそうになる。

「終わりました。鏡を見てください」

 瞼を開け、アリスは驚いた。纏の隣には、自分の姿ではなく美女が映っている。

「新しい本松アリスさんです」

 纏は不敵に笑った。気味悪さを感じ、アリスはぞくりと背中を悪寒が走った。

「この部屋を出ると元に戻れますが、こちらの鏡のドアを抜ければ、そのままの姿で生活することができます」

 入ってきたドアとは逆側の鏡にドアノブがついていた。

「ただし、気をつけてください。あちらの世界は鏡で映したようにそっくりな世界ですが、人々の外見がこちらの世界のものと異なります」

 纏の説明に、どういう意味だろうかとアリスは首を捻った。続けて、纏は言う。

「こちらの心の状態があちらの世界では外見となって反映されています。つまり、こちらで心が綺麗な女性は、あちらでは外見が綺麗な女性として登場します」

 たちの悪い冗談に付き合わされているのだろうかと、アリスは部屋を出ようとしたが、鏡に映る別人のような自分を見て思い直す。

(どうせなら、大冒険してやろう)

 アリスは逆世界のドアノブを握った。

「お気をつけて」

 纏が手を振る。

「戻りたい時は、また、あちらの世界にいる私を探してください」

「ありがとう」

 アリスは鏡の中の通路を進んで行った。


 通路を出ると、さきほどと同じような街並みが現れる。夜ではなく昼になっており、人々が楽しげに歩いていた。

 アリスは腕時計を見た。時刻は午前十時を指している。後ろを振り返ると、さきほど歩いてきた鏡の通路口はなくなっていた。

 唖然として立っていると、

「ねえ。おねえさん。ひとり? お茶でもしない」

 二十代前半らしき茶髪男が話しかけてきた。

「え? 私のこと?」

「そうだよ。美人なおねえさん以外、誰がいるのよ」

 茶髪男の言葉に反応し、アリスは顔を触る。手の感触でもいつもと目鼻立ちが異なるのがわかった。

「ナンパは受け付けていません。ごめんなさい」

 アリスは男から離れ、近くのデパートに駆け込んだ。開店したてなので入り口で「いらっしゃいませ」と挨拶をする店員が立っており、彼女を不思議そうに見ていた。

 化粧室に入り、鏡を見る。

「これが……。私……」

 肩まで伸びた黒髪は以前のままだが、腫れぼったい一重瞼はくっきりとした二重になっており、扁平な団子鼻ではなくハーフタレントかのように鼻筋が通っている。

(見た目で損することはなさそうだ)

 アリスはまじまじと新しい自分の姿を眺めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る