ルッキズムから脱却したい。本松アリス(後編)
デパートを出ると、街並みも人々も変哲なく、元いた世界と同じに見える。
ドラッグストアに貼られている化粧品ポスターを見て、アリスは訝しく思った。採用されている広告塔がアリスの知識にはない人物だった。
しばし考え、
(そうか。元の世界にいたモデルは心が汚れていたから、こちらでは芸能活動できる容姿ではなかったんだ)
整合性のある結論に至る。
(もしかしたら、会社の同僚たちも、まったく知らない別人がいるかも)
どのように対処しようかと憂慮したが、その心配は無用だったと翌月曜日に判明する。
*
「おはようございます」
出社時、清々しい気持ちでアリスは挨拶をしていた。
理不尽な扱いや罵詈雑言がなくなり、優越感と自己肯定感が増していた。外見が綺麗なだけで周囲の反応が変わるのが愉快だ。
今朝立ち寄ったコンビニ店員も、もといた世界ではレジ袋をぞんざいに渡していたのに、この世界では丁寧だった。気がかりなのは、彼は元いた世界と容姿が変わらない点である。どんよりとしたヒキガエルのような顔は、同類として覚えていた。
「おはよう。今日も綺麗だね」
部長の山岡が声をかけてきた。元の世界よりも容姿が悪くなっているので、アリスの予想以上に汚れた心の持ち主だったようだ。
綺麗だねという言葉自体、ルッキズムでありセクハラでもあるのだが、アリスは黙っていた。
「おはよう」
次は同僚の浪江昇平が挨拶した。
彼を見て、アリスは愕然とした。相貌が全く変わっておらず、むしろ、以前より輝いて見える。
(身も心もイケメンってこと!?)
信じられない思いで見つめていると、
「ど、どうした? 顔になんかついている?」
照れたように昇平が言った。
「あ、えっと……。今日、仕事が終わった後、時間ありますか?」
アリスは伏し目がちに聞いた。唐突すぎたかなと不安になる。
「いいよ。時間空けておくよ」
昇平は即答した。
「それじゃあ、隣駅のスターボッタクリカフェで待っています」
アルコールが一滴も飲めないアリスにとっては、カフェがちょうどよい交流の場所だ。
「オーケー」
昇平は爽やかに了承した。
(やった!)
彼女は心の中で快哉を叫んだ。
*
退勤後、一駅離れたカフェで二人は落ち合った。
「お疲れ様」
にこやかな笑顔で昇平は席に座った。アリスは先に到着し、コーヒーを注文していた。
「すみません。突然誘って」
「別に大丈夫だよ。僕も本松さんと喋ってみたいと思っていたから」
これは好感触ではと思い、アリスの鼓動は速くなる。
「私、色々と知りたくて」
普段男性とコミュニケーションを取らないので、会話の糸口が掴めず、アリスはもどかしくなっていた。
昇平は真摯な目で応える。
「たとえば?」
「浪江さんの好きな女性のタイプとか」
直球すぎる質問を口にしてしまったとアリスは焦る。
「あ、その、なんとなく知りたいなーというか。あはは」
笑って誤魔化した。
「うーん。そうだね。何事も真面目に取り組む女性が好きかな。あと、自立心があるとか」
昇平の言葉がアリスに突き刺さった。人が見ていないところでは手を抜き、誰かの愚痴ばかり漏らす自分とは逆のタイプだと。
(でも、私には、この容姿がある)
アリスは昇平を艶っぽく見つめる。
「外見はどうですか? 綺麗な子がいいとか、可愛い子がいいとか」
右手で頬杖をつき、彼の答えを待つ。
「僕は、あまり容姿は気にしないかな。むしろ、普通っぽい女性がいい……。たとえば、小林エリナさんとか」
アリスは衝撃を受けた。こちらの世界のエリナは以前の世界よりも地味な女性になっていた。
「綺麗すぎる人は逆に警戒しちゃうね。あ、本松さんは気さくだからそんなこと感じないよ。なんていうか、あまり目立たない女性や空気を読んでいる女性だと、惹きつけられてしまうんだ――」
他にも昇平は好みの女性について語っていたが、アリスの耳には入っていない。
(この男はブス専なんだ)
という思いが胸中をぐるぐると渦巻き、上の空だった。
*
昇平と解散した後、アリスは街中を彷徨っていた。
(はやく、はやく、あの建物を探さないと)
彼女は羽織纏を探す。何度か雑居ビルの前で立ち止まるが、目的の『お悩み相談所』の建物ではない。
「おねーさん。一緒に遊ばない」
男二人組が声をかけてきた。アリスは無視し、歩き続ける。
「おねーさんってば」
なおも無視し続ける。
「ちっ。お高く止まりやがって」
男たちの舌打ちが聞こえた。どうやら諦めたようだ。アリスは必死に建物を探す。
(どこ? どこにあるの)
歩道にへこみがあり、そこにアリスの履いていたパンプスが突き刺さる。つんのめり、盛大に転んだ。
「痛い」
膝からじんわりと血が出ていた。
(美人になって、何事もうまくいくと思ったのに……)
情けなくて、アリスは泣きそうになった。
「大丈夫ですか?」
声がして、アリスは見上げる。美しい少女が彼女を見ていた。羽織纏だ。
アリスは骨董屋風の建物に招かれ、膝に絆創膏を貼ってもらう。
「これで大丈夫」と纏。
「ありがとうございます」
礼を言い、建物の奥を見つめた。そこには痩せぎすな高校生くらいの男子が立っていた。
「ああ。彼ですか。彼は細川太と言います」
「えっ」
アリスは驚いた。元の世界で彼は小太りだったからだ。
「でも……」
纏の肢体を眺めた。こちらは何もかも元の世界にいた羽織纏と寸分たがわない。
「なるほど。別の世界の私に会ったことがあるのですね。私はどの世界でも変わりません。変化のない妖精みたいな存在ですから」
纏は太を睨みつけ、
「あの男は、半分妖精で半分人間のようなものですから、ああいう中途半端な変形なのですよ」
と説明した。
「なるほど」
妙な説得力があり、アリスは納得して頷く。
「ところで、私を探していたのでしょう? どのようなご用件でしょうか」
纏が聞いた。
「私、元いた世界に戻りたいんです」
アリスは纏の手を握る。少しひんやりとしていた。
「あら、お気に召さなかったということですか?」
纏の問いに、アリスは首を振る。
「素晴らしい世界だと思います。ただ、一点、好きな男性が……」
「そうですか」
纏はゆるりと動く。
「では、こちらにいらして。鏡の部屋がありますわ」
鏡張りの部屋は元の世界のものと同じ作りだった。
「元の世界に戻ると、容姿も戻ってしまいますが、よろしいですか?」
纏が確認をとる。
「これが最後で、二度とここは使えませんわ」
アリスは首肯した。問題ない、私なら元の世界でもやっていけるという妙な自信がある。
「では、そちらの鏡についているドアノブを開き、元の世界に戻ってください」
纏の促しに応じ、アリスはドアノブを握る。
「ありがとうございました」
アリスは鏡の中の通路を進んで行った。
*
「滑稽ですね」
痩せぎすの太は、テーブルに纏の飲む紅茶を置き、つぶやいた。
「そうね。こちらの世界に来た時は、特別に魔法をかけて美人にしただけで、彼女の心は穢れきっていたのにね」
纏は肩を竦め、顔をこわばらせる。
「あの調子であれば、また失敗するわ。また、誰かのせいにして」
「たしかに」
太が首肯した瞬間、彼の体はパンッと膨れ、小太りになった。
「あら、戻ったのね」
纏はくすりと笑う。太のズボンが破け、臀部箇所に穴が空いていた。
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