初恋を忘れられない男。岩渕俊也(中編)
俊也は意を決し、語り始めようとした時、
「すみません。纏さん」
太が纏に耳打ちして、何かを伝えていた。
「もう一人、来客がいるのですが、室内で待たせてもよろしいかしら? お邪魔にはならないかと思います」
纏が俊也と金谷の顔を交互に見ながら尋ねた。
「ええ、俺は構わないけど」
金谷が言うと、俊也も同意して頷く。
「では、入ってもらって」
纏が指示すると、太は入り口のドアを開ける。小学生らしき女の子が建物の中に入ってきた。か細く青白い顔なので、金谷は不気味さにぎょっと驚く。
対して俊哉は、見知らぬ女の子のはずだが、何故か心に引っかかるものを感じていた。
「彼女は、お話の邪魔にはならないと思いますわ。隅に座って待ってもらいますわ」
太がパイプ椅子を持ってくると、女の子はそれに座った。
「それで、お話を聞かせていただけるでしょうか?」
纏は真剣な面持ちで俊也を見た。逃げ口上は許されない雰囲気だ。
「はい。わかりました」
俊也は語り始める。金谷は好奇と不安が入り混じった表情で友人を見ている。
「あれは、僕と夏菜が小学四年生の時です」
*
小学四年生の俊也と夏菜は、日曜日に俊也の部屋でお家デートをしていた。
「ねえ。俊也」
夏菜が聞く。
「昨日のドラマ観た? 素敵だったよね」
二人は土曜日二十一時に放映される恋愛ドラマを共通の趣味としていた。大人っぽい洒落た恋愛に憧れがある。
「みたみた。大人って、みんな、あんな恋愛しているのかな」
俊也が言った。
「どうだろう。隣家の高校生のおねえちゃんは違うって言っていたけど、まだ高校生だからわからないだけなのかも」
夏菜は首を傾げた。
「はは。僕たちに比べれば高校生は大人だけど、大人からしたら高校生も子供だもんね」
俊也は笑った。夏奈も釣られて笑う。
「うん。それに、キスもしばらくしていないみたい。隣のおねえちゃん」
「へえ。僕たちはしょっちゅうしているのにね」
そう言うと、俊也は夏菜に口づけした。
「えへへ。『最近、おねえちゃんしていないの? 私は昨日したよ』と言ったら、悔しそうにしていた」
「あはは」
「でもね」
「うん」
「おねえちゃんが言ったの。あんたらは子供だからエッチしていないだろうって」
「エッチ?」
俊也は目を丸くした。鉛筆の芯の硬さだろうか、と首を捻る。
「あ、そうか。この前の保健体育、女子だけだったもんね」
夏菜はベッドに転がり、
「昨日のドラマでの物語後半で、男女がベッドの上で裸で抱き合っているシーンあったでしょ? ああいうことをすることだよ」
と説明した。
「じゃあ、やってみる?」
俊也は夏菜に抱きついた。
*
「ちょっと、待て」
話の途中で、金谷がくちばしを挟む。
「小学四年生で、そういうことをしたってことか!?」
「そうなんだ」
俊也は頬を染め、頷いた。
「じゃあ、別れた原因は肉体関係をもったから?」
「いや、違う」
金谷の問いを俊也は否定した。
「僕たちが別れた理由は、そういうことじゃないんだ。夏菜は、僕の子供を妊娠していたんだ」
*
夏休みに入り、夏菜の体は変調をきたす。七月下旬に予定していたデートはキャンセルされ、その日の夕方に事件は起きた。
ピンポーン。ドンドンドン。
俊也の家の玄関チャイムが鳴ったかと思うと、すぐに激しいノック音が続いた。
「やだ。誰かしら」
俊也の母・
玄関が騒がしくなり、罵声が聞こえてきた。なんだろうと俊也が顔を覗かせると、夏菜と怒り心頭になっている夏菜の父・
「こいつだ!」
総一郎が俊也を指差し、家の中にズカズカと侵入する。突然のことでわけがわからず、俊也は困惑した。
彼は物凄い形相で少年を睨みつける。
「お前が、夏菜を孕ましたんだな!」
「えっ?」
俊也は理解が追いついておらず、腰が抜けそうなくらい驚愕していた。
「小学生同士の赤ん坊なんて、絶対許さないからな!」
夏菜の父親が宣言すると、夏菜は玄関にへたり込み、しくしくと泣き始めた。
「すみません。いったいぜんたい、どういうことでしょうか」
郁恵は真顔で尋ねた。彼女だけが冷静だ。
「あなたの息子さんが、うちの娘とふしだらなことをして、妊娠させたんですよ」
総一郎はトーンダウンした。怒っていい案件とはいえ無作法すぎた、と反省する。
「うちの夏菜に初潮はきていたし、あなたの息子さんも精通しているんですよ」
総一郎の発言に、俊也は顔を赤らめた。
「とにかく、リビングで座って話をしましょう」
郁恵の提案に従い、ソファーに草野家三人が着座し、郁恵と俊也は床に正座した。
長い沈黙の後、郁恵が聞く。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
「私としては、小学生が出産なんて、母体が危険だし世間体もありますので、やめさせるつもりです」
総一郎の代わりに美代子が答えた。夏菜の父親は憮然とした表情を作っている。
「つまり、中絶させるということですか?」
「はい」
美代子は首肯し、総一郎は「当然だ」とつぶやく。
「ふたりの気持ちは確認したのですか?」
この郁恵の質問が逆鱗に触れたようで、総一郎は再びいきり立つ。
「ふたりの気持ちだと? 馬鹿を言うな! 子供だ。小学生だ。まだ親の監視下でしか生きられないし判断もできないんだぞ」
総一郎は足を踏み鳴らし、夏菜の手をとってリビングを出て行く。美代子は慌てて跡を追う。
「二度と、この家の人間は娘に近づくんじゃないぞ!」
玄関が激しく閉められた。ビリビリと家が揺れた。
俊也の母親は何も言わず、彼の手を強く握っていた。
*
「それ以来、僕と夏菜は会うことなく、夏菜は転校していった」
俊也が話を終え、金谷はいたたまれない気持ちになっていた。
「で、でもさ」
金谷は慎重に言葉を選びながら言う。
「その若さで、小学生で子持ちにならなくてよかったじゃないか。どう考えても無謀だろ」
「そんなことはない!」
言下に俊也は声を荒らげる。
「小学生とはいえ、僕と夏菜は結婚を前提に交際し、真剣に愛し合っていたんだ。子供の疑似恋愛だと笑われてもいい。それでも、僕たちは本気で、赤ちゃんも産み育てたかったんだ」
俊也の頬を涙が伝った。
「そうですね」
纏は冷めた表情で言う。
「俊也さんが本気なら、もう一度、夏菜さんと出会い、やり直すことは必要かもしれませんね」
纏は顎で太に指示し、奥の部屋から丸い物体を運ばせた。
「どうぞ。お使いになって」
太がテーブル上に置いた球体は、朱色のリングが幾重も重なり絡み、まるで知恵の輪のようだ。
「運命の人を見つける道具です。貸し出しは無料で期限はないので、お手すきの際にお返しください」
纏はとびきりの営業スマイルを見せた。
「ありがとうございます」
俊也の表情は少し明るさが戻った。
「あれ、そういえば、さっきの少女は?」
金谷は少女がいなくなっていることに気づき、建物の中を見渡す。少女はどこにもいない。
「さあ? 帰ったのではないかしら」
我関せずの体で、纏はティーカップの紅茶を啜った。
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