初恋を忘れられない男。岩渕俊也(前編)

 羽織纏はおりまといが拠点の外に出ると、小学四年生くらいの女の子が立っていた。

「あら。また来たの?」

 纏は目をパチクリさせた。

「……」

 少女は無言のまま応えず、纏を見つめていた。

「何度来ようと、何年かけようと、あなたの望みを叶えることはできないわ」

 纏が諭すが、少女は見つめたまま何も返答しない。

「いい? 生ある者には生ある者の身の振り方が、死者には死者の身の振り方があるのよ」

 変わらず少女は沈黙を貫き、じっと見つめ合うと、しばらくして去って行く。


 嘆息して、拠点に戻ると、

「また、ですか?」

 ふとしが声をかけてきた。

「ええ。困ったものだわ。どうすれば、納得するのかしら……」

 纏は八の字を寄せた。


 *


 岩渕俊也いわぶちとしなりは初恋の女性を忘れられずに煩悶していた。

 いままで何人もの女性と付き合ってきたが、長続きせずに数ヶ月で別れることが多かった。その理由は、十一年前の彼女のことをいまだに恋い焦がれているからだ。

 彼は現在大学三年生で、想い人は小学生時代のクラスメイトだ。名前は草野夏菜くさのかなといい、夏の太陽のように眩しい笑顔の少女だった。


「付き合ってください」

 俊也が夏菜に告白したのは、小学校三年生の時だった。断られるかと思ったが、予想外のことが起きる。

「私も、俊也くんが好き」

 二人は両想いだった。

 翌週には初デートをして、交際は四年生の夏休みまで続く。仲はぐんぐんと進展し、同級生の冷やかしも気にならないくらいだった。

 しかし、ある出来事をきっかけに二人は離れ離れになる。夏休みが終わり、二学期が始まる頃には、夏奈は突然転校していなくなっていた。連絡先を知らないまま、月日は流れた。


 俊也はソファーで横になり、感傷にふけっていると、玄関の方からガチャガチャと音が聞こえてきた。

真央まおが帰ってきたな)

 俊也は二歳下の妹・真央と一緒に都内の賃貸マンションで暮らしている。兄妹は距離が近い大学に通っているため、母親の「妹が心配でしょう。一緒に暮らしなさい。その分、仕送りするから」という説得に従っていた。

 妹がコートを脱ぎながら帰宅を告げる。

「ただいま」

「おかえり」

 兄が返すと、妹は顔を顰めた。

「なにもう、陰気臭いな」

「ほっとけ」

 俊也は拒絶するように手を振った。

「あ、そうそう」

 キッチンシンクで手洗いを終え、真央が言う。

「駅前でさ、兄ちゃんの小学校時代の友達にあったよ」

 その言葉が耳に入った直後、俊也は俊敏にソファーから立ち上がる。

「そいつは誰だ?」

「ちょっと、急に動いて、急に大きな声をださないでよ」

 兄の反応に真央は吃驚して、手に持っていたスマートフォンを落とした。

「誰なんだ?」

「金谷さん。兄ちゃんとよく公園で遊んでいた男の人」

 期待していた人物の名前ではなかったので、

「なんだよ」

 俊也は落胆した。

「あっちが私のことに気づいて声をかけてきたから、最初はナンパだと勘違いしたけど」

「ふうん」

「話を聞いているうちに兄ちゃんの友達だとわかった。なので、兄ちゃんの連絡先を教えておいたよ。知りたがっていたので」

 あっけらかんと真央は言った。

「おい。勝手に人の連絡先を……」

「そのうち、メッセージか電話あると思うよ」

 真央はスマートフォンでゲームアプリを操作しながら言った。


 *


 週末。

 俊也は金谷から連絡が入り、都内の居酒屋で会うことになった。

「久しぶり」

 俊也が個室席で数分待たされたのちに、金谷は現れた。彼の肌は黒くやけ、額が汗でテカリがあった。学生の俊也に比べ、金谷は都内で働く営業スタッフということもあり、大人びて見える。

 テーブルに設置されていたオーダー用タブレットを操作しながら、

「何年振りだ?」

 金谷が聞いた。

「中学二年生以来だから、七年ぶりくらいかな」

 俊也は『オススメの品』と書かれた唐揚げを指差す。注文しろということだ。

「そうか。つい最近のようで、結構たっているな」

 金谷はタブレットでの注文を完了し、元の充電スタンドに戻した。

「あれから、会っているのか? 彼女とは」

 金谷が真剣な面持ちで言った。中学生時代も夏菜を想っていたことを彼は知っている。

「いや、結局、一度も連絡がないし、連絡先も知らない」

 俊也はかぶりを振った。

「他の女性とは、やはり、長く続かないのか?」

 これには首肯した。

「そうか……。すまんな。はじめから辛い話題をして。今日は、飲んでスカッといこうぜ」

 店員が生ビールジョッキを運んできた。二人は乾杯した。


 俊也と金谷は一時間ほど近況報告と、共通の友人の笑い話で盛り上がった。

「ところで」

 金谷は唐突に切り出す。

「悩みを解決してくれる美少女の話って、知っているか?」

「なんだそれ?」

「まあ、俺が営業先で聞いた都市伝説なんだけどよ……。悩みをもった人間の前に、突然妙な建物があらわれて、そこに入ると」

 金谷はハイボールを一口飲んだ。

「――美少女がいて、不思議な道具を授けてくれんだとさ。それを使えば、悩みが解決するんだよ」

 俊也は何も言わず、肩を竦めた。

「面白そうじゃないか? 探してみようぜ。その美少女とやらを」

 金谷は俊也の肩を叩く。


 *


 俊也は金谷に肩を組まれ、ふらふらとよろめきながら歩いている。彼らは街中を彷徨っているうちに帰路がわからなくなっていた。

「おい。どうするんだよ。お前が、都市伝説のグラマー美女を探すっていうから、こんなことになったじゃないか」

 俊也が赤ら顔で言った。酔いがかなり回っているようだ。

「違う違う。そうじゃ、そうじゃなーい。グラマー美女じゃなくてペッタン美少女な」

 金谷は顔に表れていないが、下ネタを大声で言えるほど酔っていた。

「失礼ですね」

 若い女性の声がした。彼らが振り返ると、そこには中学生くらいの黒髪少女が立っていた。

 こんな深夜の時間に何故女の子がひとりで、と男たちは訝っていると、

「私をお探しですか? よろしければ、こちらへどうぞ」

 骨董屋風建築物に案内された。


 建物の中は、高校生らしき人物以外に人はおらず、外観と同様に骨董屋風の内装だった。

 お互いの自己紹介を終え、俊也と金谷は預けられた猫のようにおとなしくテーブル席に座る。

「ここは、どういう場所でしょうか?」

 金谷は恐怖で引きつった顔で尋ねた。都市伝説を目の当たりにして怯えていた。

「あら、お二人が望んでいた、なんでもお悩みを解決する場所ですわ」

 羽織纏と名乗った少女は優雅に笑った。

(美少女という表現は間違っていないな。いや、それ以上か)

 外見だけではない、その存在感に俊也は畏怖の念を抱く。

「お悩み、聞きますよ」

 纏の提案に、二人はしばし黙していたが、金谷が言う。

「実は、俊也には、ずっと想っている女性がいて……」


 小学生時代から俊也に好きな子がいることを金谷は説明する。纏はティーカップをたびたび口に運びながら耳を傾けていた。

「それで、その夏休みに何があったのかしら?」

 纏は別れることになった内容にメスを入れた。

「……」

 俊也は答えないので、金谷は

「子供同士のありがちな喧嘩ですよ。詳細は知らないけど、心の傷に触れることなので勘弁してくれませんか」

 と助け船を出す。

「いえ、重要なことです」

 纏は毅然として言う。

「俊也さんと夏菜さんの間で、同級生たちには言えない二人だけの秘密があり、それが別れる原因だったのでしょう?」

 俊也は驚愕した。この少女はどこまで真実を知っているのだろうかと恐怖を感じた。

「もし、その内容を正直に話していただけるのでしたら、私はとっておきの道具をお貸ししますわ。夏菜さんに会うための道具を」

 纏は蠱惑的に笑った。

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