第3話 過去を化かす



第三章過去を化かす



ブーケンビリアから、その内容を聞かされた時は、そんなことできないと思っていたが、今さらあり得ない、できないなんて言っていられない。

ブーケンビリアが言った言葉を心の中で反芻する。

『君と加奈は表と裏だ。つまり、加奈が物質X で過去に戻れたのなら、君にもできる。なに簡単なことさ。物質X を使って、過去に戻って、加奈が過去改変するのを止める。ただ、これだけさ』

簡単に言ってくれたが、そうそう簡単にできるものではない。だが、やるしかない。

過去に戻って、加奈と話せば、何か変わるかもしれない。

俺の、してしまった後悔を思い出せるかもしれない。

もしかしたら、この絶望的な世界を変えられるかもしれない。アイスキャンディーを売っていた岡直人の顔を思い出す。

「やってやるさ」

 立ち上がり、自身を鼓舞する。

夕映えの空が、俺の背中を押しているように見えた。

「どうやら、やってくれるみたいだね」

 ブーケンビリアが、背後から声を掛けてきた。

「だから、後ろから声を掛けるのやめてくれよ」

「ごめん、ごめんって。今度からは気を付けるからさ」

「もういいよ…… で、過去に戻る方法は?俺は何をしたらいい?」

「覚悟はもう決めたって顔をしてるね。よし!じゃあ、説明しよう」

 ブーケンビリアは、俺の横に腰を下ろす。

「まず、今君が付けている時計の中に物質X が入っているから、それを取り出してみて。長針

と短針を三回ずつ回すと時計の蓋が開くはずだよ」

言われた通り、三回ずつ回す。すると、中から小さくて黒い石が出て来た。

「これが、物質X ?これで本当に過去にいけるのか?」

 掌で石をコロコロ転がす。

「うん、その石を両手で握りしめて、戻りたい場所を思い浮かべれば戻れる…… はず」

「はずってなんなんだよ。加奈に会えなくちゃ意味がないんだよ」

 ブーケンビリアの不確定情報に苛立つ。

「僕だって、加奈から聞いただけで、それが本当かどうか分からないんだよ」

 ブーケンビリアは珍しく自信なさげに呟き、肩を落とす。

それを見て怒る気力が失せた。今、俺の中に加奈はいない。だけど過去に戻ればまた加奈に会える。鼻っから選択肢なんて一つしかなかったんだ。悩む必要はない。

「はぁ…… もう分かった。どんな不安要素があっても俺はそれをするって決まっていたんだ。だから、やるよ」

「ありがとう。加奈を止めて、この世界を変えてくれ」

 ブーケンビリアは、祈るような声を絞り出す。

「分かった。アンタのことも加奈に言っておくよ」

 コイツ自身は自分のことを言わないが、加奈なら何か知っているかもしれない。

「俺が過去に戻って、未来改変をしたら、この世界はなくなるのか?」

 素朴な疑問をブーケンビリアにぶつけてみる。

「そういうことになるね。君とはここでお別れだ」

「まだ聞けてないこともあるのに、勝ち逃げだな」

「大丈夫、全部の疑問はいずれ解決するはずだよ」

 皮肉をぶつけたはずだが、笑顔で返してきた。

俺の心の全て見透かされているようで、いけ好かない。

目を瞑り、石を両手で握る。行きたい場所…… ユートピアのビル。刑事が入ってくる少し前。そのくらいなら大丈夫だろう。頭で思い浮かべて、戻れと強く念じる。

「いってらっしゃい。加奈を頼む」

 ブーケンビリアの優しい声音が聞こえたと同時に、俺の身体は無重力状態になり、ふわふわ浮いている感覚になる、数秒後すぐに収まった。

閉じていた目をゆっくりと開ける。自分の手、足を見る。何ともなっていない。

掌には石を強く握りしめた跡がある。長針と短針を回し、時計の中に入れる。

辺りを見渡す。

「ここは、ユートピアじゃない。俺の部屋だ。どうなっている?」

 まさか、失敗したのか?部屋にスマートフォンがないか調べる。

乱雑に置かれていた原稿用紙の下にそれはあった。指紋認証でロックを開けて、自分の名前を調べる。金元椿事件と検索をかける。

「確か、ネットニュースになっていたはずだ」

 だが、一件もヒットしなかった。

「なら、自分の名前だけにしてみるか」

そうすると何件もヒットした。タップして記事を読んでみる。

「金元椿先生待望の新作発表インタビュー記事……… え…… ?」

 そこには、笑顔の自分が身振り手振りを使って、話している画像が添付されていた。

見たことも、聞いたこともない小説のタイトルを俺が意気揚々と語っている。

「どういう…… ことだ…… ? 俺が小説家…… ?こんな過去、俺は知らないぞ…… !」

 自分の姿をしたもう一人の自分が、俺のフリをしている。気持ちが悪くて吐きそうだ。

ピンポーン! とチャイム音が鳴る。思考が中断され、意識がそちらに向く。

スマートフォンを持ち、部屋から出る。

インターフォンカメラで、チャイムを鳴らした者の姿を見る。小太りで、黒髪長髪、右手で汗を拭い、左手で大きめの茶封筒を持っている。

「椿先生~! 頼まれていたやつ持ってきましたよ~! 開けてくださ~い!」

 間延びした声で俺の名前を呼ぶ。誰だコイツ、俺のことを知っているのか…… ?

待たせるのは悪いが、今の俺は状況を把握できていない。帰ってもらおう。

「あの~どちら様で?」

「やだなぁ先生。小牧ですよ~! 編集者の顔を忘れたとは言わせませんよ~! ほら開け

てくださいよ~!」

編集者ってことは俺のことについてもなにか知っているかもしれない。

だが、小牧ってやつは知らないし、コイツが噓を言っている可能性もある。

「どうするか」

「先生~! 早く~!」

アイスキャンディーを売っていた岡直人と同じ手法、記憶喪失ってことにして情報を聞き

出すか。

「あ、分かりました。今行きますね」

 俺は玄関に向かい、チェーンロックと鍵を開錠した。

汗だくになった小牧が外で待っていた。

「待ちくたびれましたよ~!先生~!今日、最高気温らしくて暑くて溶けちゃいそうで

したよ~」

 小牧はシャツを団扇のように扇ぎながら、笑う。暑苦しい奴だな。

「まあ、とりあえず入ってもらって」

「はい~お邪魔しますよっと。場所は、いつものリビングでいいですよね?」

「ああ、はい」

ずけずけと家の中に入ってくる小牧に圧倒されながらも、答える。

「僕、喉乾いちゃって~麦茶もらってもいいですか?」

「ああ、はい」

 図々しい奴だな、と内心思いながら、コップを探す。

「えっと、コップは…… 」

「台所の一番下の引き出しです!」

「ああ、ありがとう」

 知っているなら、自分でやれよ!

コップを取り、冷蔵庫からポッドに入ったお茶を出して、コップに入れる。

「あ、氷もお願いします~。氷は冷蔵庫の二番目のところにあります~」

 言われた通り、氷も入れて、小牧の元に出す。

「お~! ありがとうございます!」

 小牧は麦茶を一気に飲み干した。

「あ~、ごちそうさまでした! さて、あなたは誰ですか?」

 人懐っこい笑顔から一転、氷のように冷たい表情に変わった。

「え…… 」

「え、じゃなくて明らかに先生様子がおかしいですよね?いつもならコップの細かい位置ま

で覚えているのに。一体全体どうしたんですか?」

さすが編集者だ。よく人を見ている。

「ああ、いや…… その記憶喪失で…… 」

「記憶喪失!?」

 小牧は驚き、オウム返しをした。

「初めてみた…… 凄い…… これはいいネタになりそうだ」

 小牧は何故か分からないが、興奮している。変人だ。

「え?」

「ああ、いやなんでもない。とりあえず僕が先生の身の回りのことをお世話するためにも明日から毎日来ますから」

「はぁ?! 毎日?!」

 さすがに毎日は来過ぎだろ。せめて、週に二日くらいにしてくれ。

「ええ、なにか不満で?」

「いや、さすがに多すぎだって。せめて週二で」

「……… 分かりました。ではそれで」

 最初の間は何なんだよ。

「とりあえず、先生が覚えているところまで教えてもらえますか?」

「それが、何も覚えていないんです」

「何もって自分が何者かも?」

 ふむ、なんて説明しようか。未来から来たことは伏せて話すか。

「いや、自分のことは分かるんですよ。ただ、さっき調べて自分は小説家らしいことが分かって、そのことだけ記憶から抜け落ちているんです」

 俺が喋り終えると、小牧は鞄からメモ帳を出して殴り書きをした。

「とりあえず、僕が知っている精神科医の番号と場所ここに書いておくからそこに行ってください。僕の方でも色々調べておくから」

「あ、ありがとうございます」

 対応が速い。この人、変人だけど敏腕編集者なんだな。

「で、何から説明しようか。自分が小説家って記憶だけないんだよね?不思議だなぁ」

「いやあ、そんなことってあるものなんですね、はは…… 」

 バレないように、愛想笑いをする。

「ああ、そういえば俺のペンネームって本名なんですね」

「そうだよ、君が新人で大賞取った時、受かると思ってなくて本名したって聞いた。変えるか? って前編集者は言っていたみたいだけど、そのままのペンネームにしたみたい」

「らしいってことは、貴方が俺の担当じゃなかったってことですか?」

「最初はね。君が一作目の『神への叛逆』を出版して、僕がそれを読んで、ぜひとも君の担当になりたいと手を挙げたんだ。自慢じゃないけど、僕が担当した作家は大ヒットしてる」

自慢じゃないか。苦笑しながらも、小牧の話を聞く。

「その『神への叛逆』って本は評判良かったんです?」

そんな凄腕の編集者が目を付けるんだ、さぞかし人気なのだろう。

「いや、全然」

「え?」

 予想外の言葉に口が半開きになる。

「いや、だから全然人気なかったんだ。設定もイマイチよく分からなかったし」

「ええ…… なら、なんで担当したんです?」

「君の文章に惹かれたからだよ」

「へ~、ふ~ん」

 やばい、唇が上がり、にやけてしまう。

「ただ、設定を細かくし過ぎて、変になっちゃうのは止めないとね」

 褒めた後に鞭は酷すぎるだろ。

「でも最近は良くなってきていて、ランキング上位に食い込んできている。いつも向日葵ゆうまって人に抜かされているけど」

 向日葵ゆうま? 聞いたことないペンネームだ。またあとで調べてみよう。

「問題は、記憶のなくした君がどこまで書けるかってこと」

「まあ、そうなりますよね」

 受賞した記憶もなければ『神への叛逆』なんて本書いた覚えがない。小説は書いているけど。

「とりあえず、今は脳を休ませることが先決だ。僕は今日のところは帰るけど、また明日来ます。あと、僕の携帯電話これだから何かあったら連絡して」

 小牧は電話番号を書いたメモ帳をテーブルの上に置く。

「あ、ありがとうございます」

「今は無理かもしれないけど、試しに原稿の続きを書いて欲しい。急かしたくはないけど〆切っていう作家には抗えない運命が迫っているからね」

 小牧は玄関へ向かい靴を履く。

「じゃあ、僕はこれで。何かあったら電話ください」

次の仕事もあるのだろう。スタスタと帰っていった。

自室に戻り、パソコン内のデータをクリックする。

「これかぁ」

 原稿データと書かれたPDF データあった。椅子の背もたれに寄りかかりながら思案する。

このまま見なかったことにして、今日は眠ってまた小牧に聞くこともできる。だが、それをし

たら、駄目な気がした。

「書くかぁ」

 何文字でもいい、書くことが大事なんだ。

前後の文章を読んで、次に繋がる文章を考える。どうやらSF 作品みたいだ。

夢を追いかけている青年が未来から来た少女と出会い、別れ、葛藤し夢を叶えるといった話のようだ。

「我ながら面白い設定だな…… いや、俺が書いたって記憶はないんだけどな」

 だけど、自分の文章の癖、よく書く表現など所々らしさが垣間見えるので俺が書いた小説で間違いないのだろう。青年の台詞で原稿は止まっている。

「こういう時は小説の登場人物の気持ちになりきれば、自ずと台詞が出てくるんだよな」

青年が何故苦しみ、悩んでいるのか、何故少女にその台詞を投げたのかを考える。

線香花火のバチバチと光る光が、頭の中で駆け巡る。自分でも驚くくらい、手が勝手に動く。

やっぱり、文章書くのは楽しいなぁ! 気が付けば、八百文字書いていた。

青年の台詞と少女の台詞回しは、現実世界で話しているかのようにスムーズに書けた。

だが、地の文を書くのには少々時間がかかった。

「そういえば、加奈との事件があってから全然書いてなかったなぁ」

 リハビリの一環だな。

「はっ! 加奈!」

 俺は椅子から立ち上がり叫んだ。

一度夢中になると、視野が狭くなってそこしか見れない癖なんとかしなきゃ。

ここに来た本来の目的は加奈を探すことだ。自分のことに夢中になってどうする。

早く加奈を見つけないと。

「いや、待てよ? 加奈は俺のもう一人の人格…… この時代に今もいるのなら?」

 俺は息を吸い込んで、加奈の名前を叫んだ。

「加奈! いるんだろ! 加奈! 返事してくれ!」

返ってくるのは、時計の針の音だけ。加奈の声どころか、存在も感じ取れない。

「いない、のか?」

 ここまで来たのに…… 手足の力が抜け、その場に座り込む。

いや、眠っているだけかもしれない。悲観するのはまだ早い。

小牧からもらった携帯電話番号に掛ける。繋がった。こんなに電話に出るのが早い人は初めてだ。

「もしもし、何かありましたか?」

「あ、えっとその明日、長時間録画できるビデオカメラ持って来てもらってもいいですか?」

「それはいいけど、どうしてまたそんなものを?」

「ネタ探しのために自分のことを俯瞰してみたいな、と」

 作家っぽくそれらしいことを言ってみる。

「なるほど。それじゃ明日持っていきますね」

 電話が切れた。もっと深く聞いてくるかと思ったが、そんなことはなかった。

「これで、明日寝ている間に自分を撮って勝手に動いたら加奈が俺の中にいるって証明になる」

今はまだ動けない。

ベッドに沈み込み、疲れ切った脳を休める。思考を放棄してシャットダウンした。


 2


「先生、起きてください! もう夕方ですよ!」

 小牧に肩を揺らされて、微睡みから覚める。

「んん、もう朝か」

「もう十六時ですってば。何回もインターフォンを押したのに反応ないから心配しましたよ」

 小牧は、溜息を吐いて愚痴る。もう夕方か、ということは、半日寝てたのか。

「ちょっと、疲れていて。すいません」

「まあ、無事で良かったです。言われた通り、長時間録画できるビデオカメラ持ってきました」

 小牧はバックパックからビデオカメラを出して、俺に渡してきた。

「おお、ありがとうございます」

「本当なら、心療内科に行って欲しかったんですが、今日はもうやってないからまた明日の朝に来ます。ちゃんと起きててくださいね」

 小牧はスマホを見ながら、せわしなくしていた。そのまま玄関まで行って出て行こうとするのを呼び止めた。

「待って、結果は何か分かったの?」

「ああ、色々調べたけど、まだ分からない…… まあ、一過性の記憶障害だと思うから大丈夫だと思う。そゆことで、じゃあ」

 俺の言葉も待たずに、小牧は早々と去っていく。編集者は色々忙しいんだろうな。

「てゆうか、あの人仕事モードだと敬語でプライベートだとタメなんだな」

もらったビデオカメラを起動して、撮影モードに移行する。

「これでよし、っと」

 これで、眠っていて加奈が出てきても確認できる。

「でも、全然眠たくないんだよなぁ」

 寝すぎて、目が冴えている。

「原稿の続きでもするかぁ」

 パソコンを起動し、コキコキッと首を鳴らす。

「台詞を書くのは楽しいけど、やっぱり地の文だと詰まるなぁ」

 一度、原稿データを最小化して、何かネタがないか調べてみる。

「そういえば、向日葵ゆうまだっけ。俺がいつも抜かされている作家の名前」

 小牧が言っていた名前を検索エンジンで検索する。

年齢、顔、非公開。性別は女性らしい。書くジャンルは甘酸っぱい青春系で最近、若い女性に

人気な作家らしい。

デビュー作品を期間限定で公開されているようだ。

「読んでみるか」

 デビュー作品なので、文章の拙さが見えるが、作品の完成度は高い。

未来からタイムリープした青年が少女の死ぬ運命を変えるというものだ。

「最新作と設定は似ているけど、でも面白いな」

 数頁読んで、サイトを閉じた。

「っと、いけない。原稿のネタを探すんだった」

 パソコン内のドキュメントから個人フォルダを開く。

『原稿困った時、ネタ』と書かれたメモ帳がテキストデータとして入っていた。

その日見た青空の様子、今日見たテレビなどか書かれていた。

「どっちかって言うと、日記帳だな」

 マウスで、下にスクロールしていく。その中で、たった数文字が目に留まり、そこから離れ

ることができなくなった。

「夢を追う羊と変わらない町…… どういうことだ?」

 これは俺が次作に書こうとしていたタイトルだ。

「過去の俺が既に、これを書いていた?」

『あーあ、見ちゃったかー』

「加奈?加奈なのか!やっぱり、俺の中にいたんだな!」

 声は聞こえるが、姿は見えない。だけど、加奈を感じられる。

『ううん、私はもう椿の中にはいないよ。今の私は、椿の後悔の残留思念なの』

「残留思念? それってどういうことなんだ?」

『…… いいよ、ここまで来たんだから全部話すよ。私が椿の中で生まれた理由を』

 加奈は優しい声音で語り掛ける。

「うん、俺も色々あったから、話したい」

『私が、椿の後悔を消したことで未来改変が起こってしまったことでしょ?本当にごめんな

さい。でも、前に言ったみたいに、私の行動は全て、椿を想っての行動なの』

 知って、いたのか…… 加奈の声はひどく辛そうで。それでも、いつもの元気いっぱい

の声を出そうと無理をしていた。

「知っていたのか、未来改変のこと」

『うん、私は残留思念だけど椿の中にいた私とも繋がっている。私が全てやりとげて消滅した

のも知っているし、残留思念として、ずっとここにとどまっているから未来が起きたことも自ずと分かったんだ』

「えっと、頭が混乱してきた。今、話している加奈は俺の中にいた加奈とは別物ってこと?」

『別物と言えば、別物だけど感覚とかも共有しているから限りなく本物に近いとは言えるね。でも分かりにくかったら私のことは加奈B で椿の中にいた加奈を加奈A として話をしようか?』

「それで、頼む…… そもそも残留思念ってなんなんだ?」

文学以外は、からっきしなので加奈B の心遣いが有り難い。

『あはは!文学以外駄目なのは相変わらずだね』

「……… いいだろ別に」

 こういう感覚、なんだか懐かしい。加奈と話したのも久しぶりな気がする。

『えっと、じゃあ話すね残留思念、つまり椿の後悔について』

 加奈の声が真剣なものになる。ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。

『椿は、私…… 加奈A と大学などで話す二年前、賞を取って小説家になったの。現役高校生小説家と、一時期かなり有名なったわ』

 やっぱり、俺小説家だったのか。二年前いうことは過去に戻りすぎたのか。

『ペンネームが本名と同じっていうのは聞いた?』

「ああ、うん。担当の小牧から」

 さんを付け忘れたけど、まあいいか。

『その珍しさもあって、学校でもサインを書いて欲しいと何度も言われたわ。その時はそれで良かったけど、それが悪手になってみたい』

本名でも活動は、私生活にも入り込んでくる。当時、高校生だった俺はそんな重要に思わなかったのだろう。

「それで、俺はどうなったんだ?」

『そんなに慌てないで、今話すから』

 加奈は、すうっと息を吸い込んだ。

『椿のことを嫉妬したネット民が貴方の悪口を書き込んだの。貴方は、とても傷ついたけど、めげずに書き続けた。だけど、決定的な言葉で貴方の心は折れたの…… それは、貴方が幼稚園の頃から仲良くしていた幼馴染の女の子に「小説なんてつまらないもの書いていても仕方ないじゃない」って言われて、貴方は小説を書いたことを後悔した。こんな言葉を、想いをするぐらいなら死んだ方がいいって強い後悔を念じたことによって、貴方が小説家であった記憶を自ら封印して、私が生まれたの』

 そんなことがあったのか…… 幼馴染の名前も顔すらも思い出せない。

『私の残留思念が貴方の中に入れば、全ての記憶を取り戻して、元いた場所に戻るわ』

 俺は了承しようとしたが、加奈の声は震えていた。

「加奈はそれでいいのか、俺の中に入ったら加奈自身は消えてしまうんじゃないのか」

『さすが椿、鋭いね。うん、私は消えちゃう。少し怖いけど…… でも、私は加奈からこぼれ出たカケラだから、いいの』

「いや、よくないね。俺は加奈が生まれたワケと俺自身の後悔については知れることができた。だけど、加奈自身のことは知らない。だから、それを話してからでも遅くはないだろう」

かなり、ぶっきらぼうな言い方になってしまったがこれでいい。このまま元いた場所に戻ったとしてもモヤモヤが残るし、加奈自身が救われない。

例え、加奈が俺の理想の姿を反映されたものだったとしても、今度は俺が加奈の背中を押すん押すんだ。

『私のこと、か。うん、いいよ。少し話そう』

「そうでなくちゃ、そういえば加奈は俺が創り出した虚像で、現実にはいないって認識でいいんだっけ?」

『虚像って、ひどいなぁ。確かに椿が創り出したものだけど、虚像じゃないよ。私はいるよ』

「それって現実に加奈は存在しているってこと?」

 俺は眉を潜め、ひどく困惑した。ブーケンビリアが言ったことは噓だったのか?

『うん、でも偶然なんだ。元々私、身体が弱くて入院を繰り返していたんだけど、桜が咲く季節、とうとう死んじゃって…… 自分の身体がスッーと透けて、父さんが泣いているのが見えた。

死ぬのに後悔はなかったけど、それを見て生きたいって思ったの、そうしたら貴方の強く後悔する魂と結びついたってこと』

 加奈はゆっくりと軽い口調で語るが、内容はかなり重い。

何か言わなければ、と思っていても言葉が出てこない。

『ちょっと~なにか言ってよ。元々私は死んでいるんだから心配しなくていいんだよ』

「言葉が出てこなくて…… ごめん…… でも、良かった。俺は独りじゃなかったんだな」

 ずっと加奈に支えられていたんだ。俺がそう言うと、今度は加奈の方が黙った。

「ああ、そうだ。その父親とは会えたのか?父親がきっかけなんだろう?」

『うん、会えたよ。今でも私達を支えてくれてる…… 』

 加奈は大切なモノを語る優しい声で呟く。

「達…… ? 俺も知っているってことか?」

 今まで出会った人達を頭の中で思い浮かべたが、それらしき人物は思い当たらない。

『うん、ブーケンビリアって自称している人だよ』

「えっ! あいつが!? でも…… 」

 若過ぎて、とてもじゃないが、父親という風貌ではなかった。

だが、父親だとすると、あそこまで加奈と俺のことを知っていたのは納得できる。 ── 僕の行動原理は全て加奈のためを思って動いている── あの言葉はそういうことだったのか。

『びっくりした? 若かったでしょ? 父さん。実は父さんも私と同じで、青年の魂に入り込んだみたい』

「えっ、じゃあ、加奈の父さんも死んだってこと? でも聞いた話加奈の父さんは生きているはずじゃあ」

 俺の嫌な予感があっていないことを祈りつつ、加奈の言葉を待った。

『…… 私が死んだあと、絶望して死んだんだって。でも、たまたま自殺して死にかけていた青年の身体に引っ掛かって、この世に留まることができたらしくって。その青年の魂は消えてしまってこの青年の身体を奪ってしまって、凄く申し訳ないって言ってた』

 加奈は、感情を殺したように淡々と語るが、父が死んで平然としていられるわけがない。

感情が溢れないよう自分の心のポケットに入れているんだ。俺が、加奈のそのポケットの中に触れることができれば。

『父さんは、何とかして私を見つけた。私の目的のために動いてくれた。でも、父さんは全て終わったら死んじゃうつもりなの』

 加奈は耐え切れなくなって、加奈の声から嗚咽が漏れる。

「死なせない…… 加奈も、加奈の親父さんも死なせない」

 加奈は数秒沈黙して口を開いた。

『ありがとう椿。もしかしたら、未来改変者の椿なら変えられるかもしれないね』

「未来改変者? それってどういうこと?」

『私が起こした改変によって過去、未来が変わったことで世界は書き換えられて、普通の人なら、覚えてない。だけど未来改変者は改変前の記憶を覚えているの。それだけじゃなく、強く念じることで、過去に行けたりするの』

 加奈のその言葉でハッとして時計を見やる。

『父さんから、石をもらったでしょ?それは単なる拠り所で、過去に戻る力は椿、貴方の力なの』

 石の力ではなく、俺自身の力だったのか。

『だけど安心して私が椿の中に入れば椿は元通りになるよ』

「一つ、聞いていい?加奈はどうしてそこまでしてくれるんだ?」

 加奈と会ってからずっと、疑問だったことをぶつけてみた。今しか聞く機会がないと直感が告げている。

『…… そういえば、どうして廃墟で眠っていたか言ってなかったから話すね』

 加奈は露骨に話を逸らした。

そこまでして話したくないのか。加奈が紡ぎ出す言葉の続きを待つ。

『私は未来改変者じゃないから、物質X の力が必要だった。それで過去に戻って、椿の後悔を消そうとしたの。でも事はそう簡単じゃなかった。過去に戻る寸前、あの刑事が私の脚を掴んで離さなかった。それであの刑事も私と一緒に過去に来たの』

 無精ひげを生やし、大きな体躯をした刑事を思い出した。

後頭部を触る。できればもう二度と会いたくない相手だ。

「その刑事が加奈を追いかけ、廃ホテルまで来たの?」

『うん、そんな感じ。あの男、どれだけ逃げても執拗に追ってきたわ』

「凄い執念だ。何が彼をそこまで駆り立てたんだろう」

『さあ…… 薬物をやっているお前は絶対に許さないって言ってた。その刑事に追いかけられて絶体絶命だったんだけど、廃墟ホテルを見つけて、飛び込んだの。そしたらそこが天井だったみたいで、落っこちたの』

 割れたステンドグラスに付いていた血は、加奈のだったのか。いや、待て。ずっと逃げていたのなら、いつ加奈は後悔を消して改変したんだ?

「ちょっと待ってくれ、それだと後悔を消して改変を起こしたのは、いつなんだ?」

『うんとね、後悔を消すこと自体は私の魂が椿の中にあるから、それ自体は成功しているの。過去に戻って本当にしたかったのは、私自身を消すこと。そうしたら、私の罪も全て消えて、こんな酷い現実を消し去ってくれると思ったから…… 』

 加奈は悲しげな声で語る。その真実に俺は、胸が締め付けられそうになった。

加奈は自分のことを価値のない人間だと思い込んでいる。そんな彼女に何か言葉をかけなければ…… 頭の中で言葉を探っていると、加奈が先に言葉を紡いだ。

『あ、話を戻すね! 身体を休めるために休んでいたんだけど、徐々に意識が薄れていて、ああ、私の旅もここまでかって覚悟した。そこに父さんが現れた。凄く悲しそうな顔をしていたけど、この後のことを話すと快く引き受けてくれたわ』

「この後のこと?」

『椿を元の時代に戻すこと。まあ、結果としては椿の想いが強くて、ここに来たから失敗なんだけどね』

 加奈は自嘲気味に笑う。加奈は俺と最期まで出会うことなく消える。それが、加奈と加奈の親父さんの考えた計画なのだろう。俺とここで出会って、計画のことを話していることはそれを失敗と考えているのだろう。

「いや、失敗じゃない。また加奈と会えたからこれは成功だ。最初は加奈がなんでこんなことをするのか、分からなくて加奈を疑った。だけどブーケンビリアや子供、アイスキャンディー売りの岡直人の言葉を聞いたら、やっぱり、加奈を信じてみようって思った」

『椿、ありがとう…… こんな私を信じてくれて。でも、やっぱり、私は私が許せない…… 私のせいで戦争になっちゃったんだから』

 戦争、ブーケンビリアとともに過ごしたあの数日間を振り返る。確かに悲惨だったが、どれだけ歴史が変わってもあの出来事は変わらないものだろう。

加奈は自分の言葉を棘のようにして、自分自身に刺している。俺はその棘を抜いて、加奈にはもう苦しんで欲しくない。

「いや、加奈のせいじゃない。なるようにしてなったんだ」

『ううん、それは違う。言ったでしょ?私は過去、未来全てが見えるって。それで見えたの。後悔を消していなかったら、起こらなかったの。全部私のせいなの!』

加奈が声を荒げ、パソコンの電源が落ちた。

『ごめん…… でもあれは私のせいなの。正史なら、米国の大統領が椿の本を読んで人を信じてみようって思えてミサイル発射を止めるんだけど、私が椿の後悔を消したせいで、戦争状態になったんだ…… 私のせいで、ごめん』

 加奈は消え入りそうな声で呟いた。

「え、俺の本を大統領が読んだのか? 噓みたいだ…… 」

 誰かの心に寄り添うことのできる本を俺は書くことができたのか…… 目頭が熱くなる。

夢を願ったのは間違いじゃなかった。

『噓なんかじゃないよ、大統領自体日本の本や漫画が好きでよく仕入れていたんだって、椿は届いたんだよ。私はその事実を消してしまった。ごめん、本当にごめんなさい』

「ううん、謝らなくていいよ。元を辿れば、俺の後悔で加奈と、加奈の親父さんを巻き込んでしまったんだ。悪いのは俺の方だ」

 俺が後悔せず、その言葉も大多数の声の一つだと割り切れれば良かった話だ。

俺が弱かったせいで、ややこしくなってしまった。拳をギュッと握る。

爪が掌に食い込む。

「俺の心が強ければ!」

『ううん、それは違うよ。強い弱い関係なく、信頼していた人から裏切られるのは誰しも辛い

ことだから、椿は気にしなくていいの。私さえいなくなれば…… 』

 加奈はまた、自身の言葉で己を痛めつけようとする。

俺もめんどくさい性格をしているが、加奈も大概だな。

「あー! もう話が平行線だな! 誰が良い悪いはこの際置いておこう。俺は加奈とこうして

会えただけでも嬉しいんだから」

『ありがとう椿、私貴方といられて良かった。貴方を選んで良かった』

「これが今生の別れみたいな…… 」

 言い終わらないうちに、身体が急激に重くなり立っていられなくなる。

『ごめんね椿。もっと早くこうすれば良かった』

「おい! 加奈! なにしてる!」

『今、椿の中に入ってるの。そうすれば、全部元に戻る。元々これは夢だったんだ。神様が見

せてくれた都合のいい夢だったんだ』

 瞼も重くなる。だが、ここで気を失ったら駄目だ。膝を付き、立ち上がろうとする。

「そんなことしたら、加奈はどうなる!」

「加奈B は消えてなくなる。大丈夫私は加奈から零れ落ちたモノだから」

「違う! 加奈A とか加奈B とか、加奈は加奈だ! 加奈なんだ!」

 支離滅裂で、自分でも何を言っているのか分からない。感情よりも先に言葉が溢れ出る。ああ、もう小説家の癖してなんてザマだ。恰好悪いったらありゃしない。

「だけど、ここで伝えなきゃ」

 加奈が救われないままだ。

『大丈夫、目が覚めたら椿は私のことを忘れて、小説を書くためにデスクに向かっている。だから、大丈夫』

 身体が言うことを聞かない。右目は完全に閉じ切り左目と左足だけが今唯一、動かせる部位だ。耐えろ、耐えるんだ…… 。

「忘れない…… ! 絶対忘れてやるもんか!」

『ふふ、じゃあ最後に一つだけ教えてあげる。私のペンネーム、朱夏シオン。もし覚えていたら探してみて。奇跡が起こればまた会えるかもしれないね。じゃあね。さようなら』

「やめろ! 加奈! 加奈!」

 必死に叫ぶが、加奈の声はもう聞こえない。左目もゆっくりと閉じられる。

「絶対に忘れるもんか!絶対に………… 」

意識が遠くなっていく。これで終わりじゃない。必ず迎えに行くからな加奈!

加奈、加奈、と忘れないように何度も繰り返して心の中で念じる。

身体の感覚もなくなり、俺はそこでブラックアウトした。

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