第2話 解決への手がかり

「アイツは絶対やってる。あの目は絶対そうだ」

「だけど、証拠が出ないんでしょ?」

喫煙室で、部下の牧野と煙草を吸いながら、事件について考察する。

「僕はやってないと思うけどなぁ」

 煙草をふかしながら、牧野は呟く。

「いいや、アイツは絶対やってるよ。勘だ」

「はぁ、またそれですか。振り回される身にもなってくださいよ。まあ、こっちとしては退屈しないので、いいんですけどね」

まったくこいつって奴は。心の中でぼやく。

煙草を肺皿に押し付け、喫煙室を出て行く。

「鳴宮さん、もう行くんですか?」

「ああ、屋上で思案してくる」

 ポケットに手を突っ込みながら、屋上へ向かう。

やはり動くと思考が冴える。かの有名なシャーロックホームズも歩きながら考え事をしていたらしい。いや、他の作家だっけか。まあ、どうでもいい。

屋上の扉を開くと冷気が一気に入り込んでくる。ジャケットから、煙草とライターを取り出

して、紫煙を肺に吸い込んだ。

「ふぅ」

 一度、頭を整理する病院で聞き取りをした金元椿。誰かに刺されたといったが防犯カメラの

映像では、自分自身で刺している映像が残っていた。挙動も不振だったので長年の刑事の勘で、此奴は間違いなくヤクをやってる。尿検査をして、現行犯逮捕するつもりだった。だが、奴からは何も出なかった。

どこかで何かを見落としている気がする。

「くそ、何が足りねぇんだ…… 」

 頭を抱えていると、屋上の扉が勢いよく開いた。

「鳴宮さん!! 被疑者が逃走しました!」

「何?! どういうことだ?」

口に咥えていた煙草を地面に落とす。

「そのまんまの意味ですよ!」

「クソッ! 展開が早いな! 現場へ急ぐぞ!」

やはり私の勘は間違えていなかった。必ず捕まえてやる。


2


現場に付くと、数名の捜査員がいた。私は奴がいたベッドを入念に調べるが、特にこれとい

った手掛かりはない。スマートフォンと財布もなかった。

「計画的に逃げたのか、だとしてもどうやって?」

「鳴宮さん、これ以上ここにいてもなんも見つからないですよ」

牧野は私の肩に手を置いて言った。

「いや、まだもう一つ手掛かりがある」

そう、まだ一つだけ残っていた。私は病室を後にする。牧野も付いて来る。

「もう一つ?まさかとは思いますけど、俺の悪い予感当たってる気しかしないんですけど」

「よかったな。的中だ。奴の家に行くぞ。何か見つかるかもしれん」

「鳴宮さん!令状がなきゃ、駄目ですって!」

「決定的な証拠があれば大丈夫だろ、ほら行くぞ」

牧野は、大きなため息をついて頭をボリボリと掻く。

「はーー、分かった!分かりましたよ!付いて行きますよ!その代わり、絶対に確たる証拠を見つけてくださいね!」

「当たり前だ。何年刑事やっていると思ってるんだ」

病院で奴と会った時、何か違った。普通の人間とは違う何か、があった。

一人で、あんなに計画的に逃げられるわけがない。協力者がいたはずだ。

私の予想では、バックに強力な大物がいる。そいつを吊り上げる。

「ホント、鳴宮さんといると退屈しませんよ」

「だろ?」

「でも、まずは被疑者の住所を知らないと」

「これのことか?」

牧野に向かって、住所の書かれた紙を見せる。

「これ、どこで?」

受付で聞いても教えてくれないから、くすねてきた。

「犯罪ですよ」

「全てが終われば、元に戻す」

「いや、そういうことじゃなくてですね…… いや、もういいや。とりあえず、そこに行きまし

ょう。話はそれからです」

私達は覆面パトカーに乗り込み、ナビで住所を入力する。

運転は牧野に任せて、私は助手席で、目を閉じ思案する。

奴が逃げた理由、尿検査しても薬物反応が出なかった理由も行けば、何か出るはずだ。

「刑事の勘ってやつを信じますよ」

牧野はハンドルを切りながら、願うような声で絞り出す。

「ああ、そう願ってるよ。じゃなきゃ、私達はこれだ」

親指で首を切るジェスチャーをする。

「ああ、カミさんにどやされるなぁ…… 」

「大丈夫、私を信じろ」

「信じているから、ここまで付いて来たんです。さっきのは半分冗談ですよ」

半分は本気なんだな。私は無鉄砲な性格だが、それでも、ここまで付いてきてくれた牧野に

は感謝している。

「俺は…… 心配なんですよ。貴方が、薬物系の事件を追う度、死に急いでいるようで」

牧野はハンドルを強く握った。

「私は、まだ死ねないよ。薬物に手を染め、妻と子を奪った奴を捕まえるまでは」

それまでは何がなんでも生きる。

どんな些細な事件でも手掛かりになるのなら、全力で挑む、それが私だ。

「だから、それが心配なんですって…… と、ナビではあと数分で着くみたいです」

「意外と早かったな」

深淵まで思案することはできなかったが、十分だ。尻尾を見せろ、金元椿。

奴の住んでいる所はアパートで、駐車場がなかったため、近くの駐車場に止めて歩いてきた。

「なんだかボロいアパートですね」

「貧乏苦学生なんだろ」

事前の情報では、奴は奨学金制度を利用して、美大に通っている。美大生というのは自身の夢を生贄にして、生活水準や何もかも犠牲にする奴らだ。そんな奴らが、金を持っているとは到底思えない。アパートには蔦が這いまわっていて、掃除が行き届いていない。

二階に上がり、奴の表札が付けられている部屋を見つける。

「ここ、ですね」

牧野がノートを見ながら呟く。

「入るぞ」

「ちょ、大家さんに言わないと!」

「そんな時間はない」

ドアノブを回すと、扉が開く。

「鍵が掛かっていない?」

「用心しろ」

ホルスターから拳銃を取り出し、中に入る。カーテンは閉め切っていて缶やペットボトルが散乱していた。

「汚いなぁ」

「まだ足場がある分マシだ。私は寝室を見る。何か分かったら教えろ」

「了解」

寝室、というのはなくロフトがあり、布団も置いてあったため、ここで寝ていたようだ。

手袋をはめて、布団を触るが冷たい。熱は籠っていない。

「病室から抜け出して、ここに来たってことはないか」

顎に手を当てて考えていると、奥から声が聞こえた。

「鳴宮さん! 何か見つけました!」

「今そっちに行く!」

足早に牧野のいる方へ向かう。

テーブルの上には乱雑に置かれた紙が何枚もあり、その中の一枚を牧野は渡してきた。

「これ、ソウルコンバーターって書いてあるんですけど」

A4 の紙には薄くソウルコンバーターと株式会社ユートピアと印字されていた。

「レポート用紙か。今時珍しくないだろう」

「でも、こんなにも事細かく印刷するのって不自然じゃないですか? 日本に限らず、海外の記事もあります。こんなにも大量に」

確かに妙だ。何かに取り憑かれたようにここまでソウルコンバーターについて調べているのは尋常だ。

「確かに、もし奴が何かと繋がっているとなれば、これ以上ない証拠だな。だがしかし」

根拠がない。奴がたまたま調べていた可能性だってある。にしてもこの量は異常だ。

何か、もう一つ何かあれば。

「……… 牧野。一つ頼まれてくれないか?」

「先輩のためなら例え水の中、火の中でも。で、何をするんです?」

「獲物をおびき出すんだ」



「全く、無茶言うね。あの人は」

屋上で缶コーヒーを片手に煙草を吸う。

ターゲットをおびき出すために偽の記事を出して、ターゲットがユートピアに来たらそれが証拠になる。だなんてなんて無茶苦茶な。頭の中でさっきの会話をリフレインする。

── もし、ターゲットがユートピアに行かなくて間違いだったらどうするんですか?

── そんなもん記事を削除すればいい。適当に謝罪をして、な。今時珍しくもないだろう。

── でも、ピンポイントにスマートフォンの記事とか見ますかね?

── 奴は今、ニュースになってないか不安になって調べているはずだ。だから、どんなサイトでもいい。あとは、ターゲットが餌に食いつくまで待つだけだ。

── 分かりました。で、いつまでにやればいいんです?

── 今日だ。

「今日中って中々難しいこと言ってくれちゃって」

その当の本人は、他に用事があるとかで、どこかに消えた。

「ホント、退屈しないな」

口角が上がる。無茶苦茶だけど、それが面白い。

「さて、そろそろやるか」

煙草を灰皿に押し潰し、デスクに戻る。凝った肩を回しながら、誰もいない部屋を一瞥する。

人がいなくて助かった。首をぽきぽきと鳴らす。これ、バレたらクビ以上にやばいよな。

「まあ、そん時はそん時考えればいいか」

悲観しても仕方がない。楽観的になろう。そうでなきゃ、俺はあの人を支えられない。

「鳴宮さんに失望されたくはないから、死ぬ気でやるか」

数時間、俺は休憩を一切取らずに、パソコンと向かい合っていた。

気が付けば、五時間経っていた。左手首に付いているカシオの腕時計を見る。

「もう、こんな時間か…… あと、もう一息か」

息抜きの為に、財布を持って自販機に向かう。

「はぁ、目が痛い」

銭湯にでも行って、ゆっくりしたいな。そんなことを思いながら廊下を歩いていく。

「お疲れ様~! 目真っ赤だぞ大丈夫か?」

「お疲れ~いやぁ、大丈夫じゃないな」

同僚の佐波と廊下でばったり会った。

「まだ、あの人の所で働いてんのか。お前も物好きだねぇ」

「ああ…… 」

疲れていてまともに返事ができない。

「なんだか疲れているようだから、先行くわ。じゃあな!」

佐波は、持っていた書類を掲げて言った。俺も自販機でコーヒーを買ってもう一踏ん張りしようと思ったが、一瞬見えた文字で睡魔が吹き飛んだ。

「ちょ! ちょっと待って! 株式会社ユートピアって書いてないか! それ!」

「ん? ああ、これね…… うーん、あんま言っちゃいけないんだよなぁ」

佐波は情報を出すのを渋っている。ならば!

「今後、俺が飲み、セッティングするから。それでどうだ?」

佐波は目を閉じ、考えている。天秤に掛けているのだろう。

「………… 前に来た美見ちゃん来る?」

「来させるようにする」

「よし、来まりだ! なら教える。いいか?極秘だからまだ言うなよ? 株式会社ユートピアは裏で高月組と繋がっているらしい」

暴力団高月組…… ! 薬物を売ってデカくなった組織で、昔から追いかけているが中々尻尾

を見せなかった奴らだ。それがユートピアと?やはり、鳴宮さんの勘は間違っていなかった! 金元椿は何かと繋がっている。

「ありがとう!助かった!」

俺はデスクへと走る。眠気なんてもう、消えた。パズルのピースがもう少しで埋められる。


4


深夜二時半。草木も眠る時間。

ユートピアの近くにある二十四時間営業のファミレスで、俺達は作戦会議をしていた。

お腹が減っていたので、チキンソテーを注文した。加奈は何も頼んでいない。

「本当に忍び込むのか?」

「うん、これがチャンスなんだよ!椿は無実を証明したくないの?」

「そりぁ、したいけど…… 」

そこに行って、手掛かりが見つかる保証はない。

「なら、行こうよ!」

それでも、加奈は俺の手を取って優しく語りかける。

全く、加奈には敵わないな。

「ああ、分かった。じゃあ、行こう」

ファミレスを出て、俺達はユートピアへ向かう。正面玄関から行こうとするとシャツの裾を引っ張られる。

「今の時間、裏口からなら行けるから、そっちから行くよ」

「そういうのはファミレスで言って欲しかったなぁ」

「全部話しても椿すぐ忘れるでしょ?」

ぐうの音も出ない。俺はRPG のパーテイのように、加奈の後ろを付いていく。

裏口に到着したが、屈強なガードマンらしき男が道を塞いでいた。制服を着た中年男性がカードを見せると、無言で一歩下がり、男性は扉の中に入って行った。

今の俺達は、私服でカードも持っていない。

「駄目だ。やっぱり帰ろう」

「大丈夫、私に付いて来て」

加奈は屈強な男に向かっていく。

「あ、すいません。タイマーで来ました」

一言そういうと、男は扉から下がった。俺達は無事に裏口から入ることに成功した。

中は、電気が少しだけ点いているだけで、後は真っ暗闇だった。

「いや、今さっきの魔法の言葉なに?」

「タイマーっていう隙間時間にアルバイトできるアプリがあってね。そこで、今日の二時半から清掃のアルバイトが募集されていたんだ」

タイマー、動画の広告で流れているのを目にしたことはあったが、内容までは知らなかった。

「へぇー詳しいんだな。やったことあるの?」

「うん!これが結構便利で、働いた後にすぐにお金が振り込まれるから便利なんだ」

加奈は嬉しそうに語る。すぐに振り込まれるのはいいな、今度、使ってみよう。

「ガードマンは、加奈が来るって知っていたから、譲ってくれたのか?」

「ううん、ガードマンはタイマーの人が来るってことしか知らない。だから、タイマーの人ですって言えば通してくれるの」

「なんだそれ、セキュリティー甘々だ」

「じゃあ、あとは九階に行って、証拠があるかどうか見つけるだけか。案外簡単だな」

「警備の人がいること忘れないでね」

忘れていた。でも、エレベーターはすぐ目の前だし大丈夫だろう。ボタンを押して待つ。数秒後、到着音が鳴り、扉が開く。目の前には制服を着た初老の男性がいた。

瞼を細めて眠そうにしていた警備員は、俺達を見るとゆっくり目を開いた。

「君! こんなところで何してる!」

懐中電灯で俺達を照らす。マズイ状況だ。

「やばっ!」

「階段で行くよ!」

「うん!」

加奈の掛け声とともに、一気に階段まで駆け上がる。後ろからは警備員の怒号が聞こえた。

「こら!!待ちなさい!!」

捕まったらここまで来た意味がパーだ。捕まってたまるか。警備員は懐中電灯で俺達を照ら

しながら追いかけてくる。あの光から逃れないと、九階に辿り着いてもすぐに捕まってしまう。

「加奈、このままじゃ捕まっちゃうよ!」

「三階! 三階まで上ったら階段のすぐ隣にある会議室まで行って!」

全力で走りながら、加奈の言葉を耳に入れる。なんで会議室があるって知っているんだろう

と思ったが、酸素が脳に行き渡らない。今は、加奈を信じて走るしかない。

肩で息をしながら全速力で走る。階段の踊り場で三階の文字が見える。俺は急カーブして、会議室に滑り込んだ。

加奈の言った通り、会議室があった。シャツは汗でびしょ濡れだ。地べたに座り、ゆっくりと息を整える。

「本当に会議室が、あるなんてな」

「しっ、警備員が来る」

加奈は俺の口を塞ぐ、息ができないじゃないか。加奈の手を離して深く、息を吸う。

まだ、心臓がバクバクしている。

コツコツ、と革靴の音が反響する。

「おーい! どこに行った?」

ライトの灯りが扉を照らす。俺と加奈は口を抑えて、物音を立てないように息をひそめる。

「うーん、何処かに行ったかぁ?」

コツコツ、足音が遠ざかっていく。抑えていた手を離して、空気を肺まで吸い込む。

「ふー、危なかった」

「よし、じゃあ九階に行きましょう」

「ちょっと休ませてくれよ」

「でも、早くしないと椿が…… 」

加奈は焦っているようだった。俺の為にここまで必死になってくれてるんだ、俺も我儘言ってられないな。

「うん、分かった。先を急ごう」

「うん! 今後は違う所のエレベーターを使おう」

さっきとは違う方角にある、南エレベーターに乗り込み九階へ向かう俺達。

到着音が鳴り、九階に到着する。

「着いたね」

「本当に、ここに証拠があるの?」

辺りを見渡して、慎重に歩く。

「必ず、ここにあるはず」

加奈は、左右に首を振り、早歩きで進んで行く。

廊下の突き当りまで進むと、その右手側に扉があった。

加奈はその扉に手を掛けて、中に入っていく。中はパソコンが幾つも置いてあり。オフィスワークといった感じだ。

「ここが、その場所なの?」

加奈に問うが、デスク周りにある書類を探していて、耳に入っていないようだった。

「加奈? 加奈!」

「ん? ああ、ごめん。ちょっと調べていたんだけど、ここにはないみたい。だけど、研究室にはあるかもしれない」

加奈はそういいながらカード状のものを手に取る。

「それは?」

「カードキキーだよ、これがあれば研究室の中に入れるんだよ」

加奈は嬉しそうに言う。でも、カードキーで中に入れることを何で知っているんだろう?

「ねぇ、加奈なんでカードキーのことを知っているんだ?」

「元から、それが目的でここに来たの。言ってなかったけど」

「そろそろ、全部教えてくれてもいいんじゃない?」

加奈に主導権を握られっぱなしだ。俺の方でも、手綱を握りたい。

「研究室まで行ったら教えてあげるよ」

加奈はまたも先に進んでいく。釈然としないが、このまま付いて行こう。

研究室に付いたら、説明してもらうんだからな。

俺と加奈は部屋から出て、さらに廊下の奥まで進んでいく。

その奥には、電球が薄暗く、不気味に光る鋼鉄の扉が俺達を待ち構えていた。

「ここが、研究室?」

「うん、ここにアレがある…… !」

加奈は目を輝かせて、カードキーをスキャンする。ピピッという解除音が鳴り、扉が開く。

中には、ホルマリン漬けにされた脳、骸骨の標本、動物のはく製、他にも何かの臓器が幾つもホルマリン漬けされていた。

「なんだ、ここ気味が悪いな」

悪の秘密結社が使ってそうな雰囲気があった。

加奈はそれらを見ることなく、さらに奥にある頑丈に施錠された金庫に向かって走っていく。

金庫は昔ながらの、ダイヤル式だった。カードキーしか持っていない俺達じゃ何もできない。

ここまで来て…… そう諦めかけた時、加奈は瓶のコーラを開けるみたいに、簡単に開けた。

「え、加奈番号知っていたの?」

「そりゃ、ここまで来たんだから、色々と調べてきたんだよ」

中にある通常よりも大きめの腕時計を手に付ける加奈。

「それは何?」

「これこそが、私達を自由にさせてくれるものだよ」

どういうことなんだ?それにさっきから加奈は何から何まで、知っているのはどういうこ

となんだ?俺達ただの一般人がそこまで知れるわけない。

心の中で加奈への不信感が徐々に降り積もっていく。

ブッー!ブッー!警報音が鳴り響く。

「あっちゃー、これを取ったから警報システムが作動したみたいだね」

加奈は慌てることなく、のんびりとした口調で話す。

「いや、逃げないと!」

「うん、そうだね」

加奈は頷いた。ともに部屋から出ようとする。

ここまで来たっていうのに、とんだ無駄足だったな。

「ううん、無駄足じゃないよ。これが手に入ったんだから、私達は何でもできるよ!」

加奈はさっき手に付けた、腕時計を俺に見せてくる。

「それが、証拠?ただの腕時計にしか見えないけど」

「ふっふっふ~! そう思うでしょ! でも違うんだ!あとで見せてあげるよ!」

加奈の豊満な笑顔で、全ての出来事が杞憂に思えた。

「あとで全部話してもらうから!」

扉の取っ手に伸ばして外に出る。

瞬間、俺達は地面に組み伏せられていた。青い制服を着た奴らに。

「金元椿だな? 住居不法侵入並びに窃盗罪により現行犯逮捕する!」

手首に手錠をさせられ、立たされる。もう一人の男は無線で誰かと連絡を取っていた。

「どうやってここに?」

「お前の部屋からユートピアのレポート用紙があるのを見つけて、お前の後ろに大きいものが

いる刑事の勘で分かった」

無精ひげを生やした四〇過ぎの男性が俺の首を掴みながら言う。

「だが、大きな確信はなかった。だから、餌を捲いたんだ。ネットニュースの噓記事でお前が重要参考人っていうことを」

なるほど…… 俺はまんまと餌に引っ掛かったってことか。せめて加奈だけでも。

「加奈、お前だけでも逃げるんだ!」

俺の言葉に刑事は怪訝な顔をした。

「あ? お前、何一人で喋ってるんだ?」

一人? こいつ何を言っているんだ?

「いや、そこにいる加奈に話しかけてるんだよ」

「あ~、はいはい。薬物ね。了解、了解。じゃ、詳しい話は署で聞くからね」

刑事二人が両肩を抱えて歩いていく。加奈は、倒れて動かない。

薬物をやってるのはこいつらの方じゃないのか?

「おい! お前ら! 警察がこんなことしていいと思ってるのかよ!」

「うるさい、黙れ!」

無精ひげの刑事に殴られる。急激に眠気が襲ってきた。

「くそっ、またこれか…… 」

この前の眠気より耐えられない。瞳が重い…… ごめん、加奈。


5


瞳の裏に水滴が落ちてくる。その感触で目が覚める。頭痛がひどい。

「ここは、どこだ…… ?」

頭を押さえながら、辺りを一瞥する。ボロボロに剝離したタイルが床に広がっていた。

シャワーヘッドと鏡があり、今自分が浴槽の中にいることが理解できた。

蛇口をひねるが、何も出ない。電球も点かない。

「電気とガスが通っていないのか」

 浴室から出て。探索をする。

「誰かいませんか~!」

 応える者はおらず、自分の声だけが残響する。辺りは苔だらけで、割れたガラス、破れて綿の出ているソファーが置いてあった。

「見た感じ、廃墟みたいだな」

 問題はなんで、俺がそんなところにいるのかってことだ。

思い出そうとしたが、頭痛が邪魔をして何も思い出せなかった。

「なんだってこんなところに……… 」

 お腹がぐーっとなった。そういえば、何も食べていなかった。

何か食べ物がないか調べる。部屋を出ると、廊下が続いており、扉も間隔的にあった。試しに、

一つ扉を見てみると、俺がさっきまでいていた部屋と同じ構造だった。

廊下の奥に進むと、階段があり、五階と書かれていた。

薄くなって見えないが、フロアマップが階段の横に張ってあった。

最上階は六階まであるようだ。二階から五階までは客室で、一階はロビー、六階は屋上になっ

ていると印字されていた。

「ホテルか…… とりあえず、一階まで行けばなにかあるだろう」

 階段で一階まで降りる。ステンドグラスは割れ、太陽の光が燦燦と照らしている。

カウンターは苔だらけで、原型を留めていなかった。椅子の脚は取れて倒れていた。

入口の大きな扉にだけは苔は生えてなかったが、その代わり蔦が生い茂っていて、外に出る者を拒んでいるかのようだった。

「俺はどうやってここまで来たんだ」

 ステンドグラスは割れていて、そこから入れそうだが、それは天井だ。

窓側のガラスも割れてはいるが、所々割れているだけで、人一人入れるスペースはない。

「ん…… ?」

 地面に血が付着していた。天井を見上げると、割れたステンドグラスに血が付いて、そこから地面に落ちていた。

「俺はここから、落ちたのか?」

 だが、記憶がない。急に眠くなってそしたら。

「加奈、加奈は?!」

 俺をここまで支えてくれていた、彼女がいないことを思い出す。なんで、こんな大事なことを忘れていたんだ。

「一体、俺が寝ている間に何があったんだ」

「それは僕から話そう」

  声をする方を向くと、そこには白衣を着た三〇代くらいの男性が立っていた。

頭はボサボサで、眼鏡には指紋がべたべたと付いていた。

不潔、それが第一印象だった。いや、そもそも此奴どうやってここに入った?さっきまで、

そこには誰もいなかったはずなのに。

「あの、あなた誰ですか?」

 腰を低く、警戒しながら問う。

「おいおい、そんな警戒するなって、僕は加奈から託されたんだよ。君が起きたら、起こった

 出来事を話すようにね」

「加奈に?アンタ、加奈とどういう関係なんだ?」

「あらら、余計警戒させちゃったか。心配しないでいいよ、僕は加奈の…… そうだな主治医みたいなものかな」

「主治医?どういうことだ?」

「疑問ばっかりだね、君。もっと自分で考えろって、加奈に言われなかった?」

その神経を逆なでする言い方が無償に腹が立った。

「まあいいや。さっき言ったように僕は加奈の主治医で、加奈に君が起きたら全部話して欲しいと言われたんだ」

「言われたって、その肝心の加奈はどこにいるんだよ。それにお前は、どこからこの廃墟に入ったんだ?」

 白衣の男は深い溜息を吐いた。

「はぁ~、君のそういうところなんだよなぁ。君、扉を触ってみな」

「は?でも、蔦が邪魔で外に出られないぞ?」

「いいから、早く触りなよ」

 白衣の男は急かすように言う。コイツの言いなりになるのは癪だが、仕方がない。

俺は言われた通りに扉に触ると、扉は透けて、全体にラグが走った。

「えっ…… これ、映像なのか?」

「うん、現実のようにリアルだろ?最新鋭の拡張現実ホログラム照射装置さ。見たものだけの惑わされるな。自分で動いて真実を掴み取れってことだよ」

 いちいちキザっぽい言い方が鼻につく。コイツはこれを知っていたから、平然と外から来れたのか。

「凄いけど、なんでそんな物をここに設置したんだ?」

「君がここから逃げないように、逃げられたら話もできないしね」

 白衣の男は、掌サイズの装置をポケットに入れると、ホログラムで照射されていた扉は消え

て、木々が生い茂っている光景に変わった。廃墟自体は消えなかった。

「ジャングルか…… 廃墟もホログラムかと一瞬そうかと思ったが、違うんだな」

「そりゃそうだよ。今の技術だとこれが限界だよ」

 白衣の男は前に進んでいく。

「ちょっと!どこに行くだ!」

「安全な場所で、ゆっくり話す。加奈が何故、大罪人と呼ばれるようになったのか」

白衣の男は、さっまでヘラヘラとした表現ではなく真剣な眼差しで俺を見つめていた。

それに応えるように、その男からの視線から逃げることなく、互いに見つめ合う。

加奈に何があったのか、俺が眠っている間に起きた出来事をコイツは知っている。俺はそれを知る義務がある。唇をギュッと噛みしめる。

「いい覚悟だ。付いて来い」

「分かった。そういえばアンタの名前を聞いてなかったな」

「…… 名前はない。だが、コードネームはある。ブーケンビリアって名前だ」

 名前がない。複雑な事情があるのだろう。問い質すことはしなかった。

「いい名前だな」

「そんなこと、初めて言われたよ」

 ブーケンビリアは嬉しそうにはにかんだ。

「じゃあ、行こうか」

ブーケンビリアとともに歩き始めた。


6


俺達が着いたそこは、大きな桜の木が祀られている大きな神社だった。

鳥居をくぐると、焚火をしている人達がいた。皆顔の覇気がなく、服はボロボロで穴が開いていた。

「この世の終わりって感じがする」

ボソッと呟く。

「もっとひどいかもな」

「それってどういう?」

「中で話そう、着いてきて」

そう言い、ブーケンビリアは桜の木の裏にあるお寺の中に入る。

「神社仏閣か、あまり見ないな」

「珍しいだろう? ここは奈良時代からある神社と寺が統合されたんだ。神仏習合の思想だな」

神と仏を一緒にしようとする考えだ。だが、明治になって神仏分離令により神社と寺は分離された

「まだ、残っていたんだな。こういう物も」

異物は排除され、淘汰されていくのが昔からの定石だ。

だが、それでも残っていくものはある。俺は寺の中を眺めながら、そんなことを思った。

「そら、靴脱いで入った、入った」

靴箱に靴を入れて、中に入る。フローリングの床で靴下が滑る。扉はふすま式で昔ながらのわびさびを感じさせる。

ブーケンビリアに着いていくと、畳のある居間に案内された。

ストーブと、こたつが置いてあった。こたつの上には、小さなかごがあり、その中に蜜柑が入っていた。

「ザ・昭和って感じだな」

「あ、今の昭和生まれ馬鹿にしてる発言だな?」

「いやいや、リスペクトの意味で言ったんだよ」

「そう? ならいいけど。とりあえずくつろいでいて。お茶入れてくる」

内心、思っていたが。苦し紛れの言い訳で何とかなった。

ブーケンビリアがお茶を入れる間、手持ち無沙汰なのでこたつの中に入り、辺りを一瞥する。

上には誰だか分からない人の肖像画が並んでいた。よく下を見ると、第五代目寺主と書かれていた。

「ほーん、結構歴史があるんだなぁ」

こたつの上にある蜜柑に手を伸ばし、頬張る。酸と甘さが口の中に広がる。

ふすまが空き、おぼんにお茶を入れたブーケンビリアが居間に現れた。

「熱いうちにどうぞ」

「おお、ありがとう」

湯吞みに入ったお茶を受け取る。茶柱が立っていた。何でもないことだけど、少し幸せな気

分になる。

こたつの中に足を入れ、リラックスするブーケンビリア。

「やっぱり、蜜柑とお茶は合うなぁ」

「そうか?俺は煎餅とお茶だな……… じゃなくて!話してくれるんだろ?」

「ああ、そうだったな」

ブーケンビリアは腕を組み、瞑目する。

「ますは、どこから話そうか」

「俺がなんで、廃墟で倒れていたか、加奈はどこなのか教えてくれ」

俺は、ブーケンビリアが話し出すまで待った。そもそも、目の前のコイツは何なんだ。

「君は、自分の意志で、あの廃墟まで行って、ステンドグラスから落ちたことは覚えているかい?」

俺が自分の意志で、だって? 目が覚めたら、倒れていたんだぞ。そんなはずがない。

「…… は? 俺は目が覚めたら、あそこに倒れていたんだ。それは有り得ない」

「なるほど、加奈の言う通りだな」

ブーケンビリアは顎に手をやり、一人ごちる。

「それってどういうことだ?!」

加奈、という言葉で前のめりになる。

「まあ、待て。君はここに来る前の前後の記憶はあるかい?」

ブーケンビリアは俺を静止させる。前後の記憶…… 思い出そうとすると頭が痛む。

「思い出そうとすると、頭が痛むんだ」

「そうか、ちょっと待ってろ」

ブーケンビリアは居間から出て行った。

「何なんだ…… 一体」

質問したいのはこっち側なんだが。心の中で悪態をつく。

まだ暖かいお茶を飲む。乾いた喉に染みる。

ドタドタと、廊下から音が聞こえ、ブーケンビリアは勢いよく、ふすまを開ける。

「あった! これを打てば記憶が元に戻る」

ブーケンビリアは得体の知れない注射器を持っていて、俺に打とうとする。

「待て待て待て! そんなもので俺をどうするつもりだ?」

俺は後退るが、タンスが俺を待ち構えていた。

「ユートピア製だ。加奈に、前後の記憶が思い出せないようなら、これを打てと言われたんだ」

「加奈に? いや、そもそもさ、さっきからずっと気になっていたんだけど、アンタと加奈の

本当の関係性は何なんだよ」

ずっと気になっていたことを問い詰める。

「そうだな、まずはそれから話そうか」

ブーケンビリアは注射器をこたつの上に置いて、ゆっくりと語り始める。

「僕と、加奈は共に信頼していた。いや、加奈の方は僕を利用していたのかもしれなかったがそれでも、構わなかった。彼女が僕を計画に誘った時から僕の運命は決まっていたんだ」

「計画?」

思わず、オウム返しをしてしまう。

「うん、加奈と最初に出会った時言われたんだ。アンタ、私の計画を手伝いなさいって、そん

なの普通は断るだろう?でも僕は不思議とその誘いに乗った。今となってはそれが全ての始まりだったな」

ブーケンビリアは、一つ、一つの言葉を嚙みしめるように語る。

加奈が、こいつ相手だとそんな風に喋るんだな。加奈の素は俺だけしかみたことのないものだと思っていたから少し、ほんの少し、気分が下がった。

「僕は加奈のことを、聞かなかったし聞こうともしなかった。だからビジネスライクな関係だ。そこは大丈夫だ」

「だ、大丈夫って何も心配なんてしてないって!」

慌てて否定する。俺と加奈はそんなんじゃ。

「だけど、君よりも加奈のことを僕は知っている」

声音と表情筋が一気に硬くなる。

「………… それはどういうこと?」

「椿、最近急な眠気に耐え切れなくなって寝てしまって、気付いたら、知らない所、時間が経

っていたっていうのはあるだろう?」

「確かに、最近多いけど、何か関係あるのか」

確かに、最近眠気に耐え切れずに眠ってしまうことが多い。ひどいようなら、病院にでも行こうと思っていた。

「ああ、大いにある。椿、君と加奈は同じ人格なんだ」

「……… え?」

理解できない。ブーケンビリアの言葉が飲み込めない。俺と加奈同じ人格?わけがわから

ない。

「どういう、こと?俺と加奈は一緒に歩いて話していたんだ。共にユートピアまで乗り込ん

で…… あれ…… ?」

「どうやら記憶が戻ったみたいだな。そう、君が眠っている間に刑事と戦い、命からがら逃げて来たんだよ。加奈が」

必死に点と点を繋げようとするも、ブーケンビリアは構わず続ける。

「君が、急に眠くなるそれは、加奈が身体に憑依する時だからだ。本来は君の頭の中で喋るイマジナリーフレンドでしかなかった。だが、一時的ではあるが、君の身体を拝借できるようになったと聞いていた」

ブーケンビリアは、ぬるくなったお茶を啜る。俺も喉が渇いていたのを思い出した。湯吞みに残っていたお茶を飲み干す。

「全部飲んじゃったか…… 暖かいのを持ってくる」

「待って、俺の中に加奈がいるっていうのは分かった。まだ理解はできないけど…… でもさ、その二重人格なら、加奈ができたキッカケみたいなものは聞いてないの?」

加奈が本当はいない。俺のもう一つの人格だというのも認めたくない。だけど、このまま自

分の頭で考えていたら、頭がおかしくなる。少しでも新しい情報を得て、整理をしたい。

ブーケンビリアは、座り直して腕を組む。

「加奈は、君の後悔によって生まれたんだ」

「俺の後悔?」

これまでの生きてきた人生を振り返ってみるが、そこまで後悔をしたことはない。

「ああ、君の後悔だ。今はまだ思い出せないが、いずれそれは思い出せる。今日は疲れただろう。ゆっくり休め。明日になったら、この世界のことも話す」

ブーケンビリアは、台所に消えていった。

「おい、待て! 話は」

ブーケンビリアを追いかけようとするが、またあの急激な眠気が襲ってきた。

「くそっ、またこれか…… 」

瞳が閉じていき、身体中の力が抜けていく。起きたら全部、とっちめてやるからな。


 7


 シンバルを鳴らす音で、目が覚めた。少し肌寒い、こたつの中で眠っていたようだ。

「シンバル?ああ、もう頭に響く」

「配給の時間だよー! 配給の時間だよー!」

 外から、子供の声が聞こえる。頭を抑えながら、声のする方へ向かう。

外は眩しくて、目が眩むほどの太陽が照っていた。手を帽子代わりにして、歩いていると神社

の境内で、小学生くらいの少女がシンバルを持って円を描くように歩いている。

「君、なにしてるんだ?」

 しゃがんで、子供と同じ目線で話す。

「もうすぐ配給の時間だから、皆を呼んでいるの!」

「配給?」

「うん!配給!ご飯!お兄さんも食べていってね!お金はかからないよ!」

「へぇ、それじゃあ、頂こうかな。そのご飯はどこで食べられるんだい?」

「こっち!」

 少女はシンバルを持ったまま、とてとてと歩いていく。重くないのか?

そう思いながらも、俺は少女に付いていく。

境内を抜け、俺が眠っていた寺を過ぎていく。途中、少女にシンバルを持とうか?と聞いても「これは、私の役目!」と言って聞かなかったので、そのままにしているが、後ろから見ても腕がプルプルしているのが分かる。

「なあ、まだ距離あるんならシンバル持つぞー」

「あ!着いた!」

 少女がそういうと、川があり、それに面している形でレストランがあった。

見た感じ木造で、テラス席もありかなり洒落た建物だ。

 少女は、それを見てキャッキャッとはしゃぎ、走っていった。

「元気だなぁ」

 おっさんじみたことを呟きながら、お洒落な建物に向かう。

「だいぶ、頭の痛みもなくなったな」

 昨日の眠気は、加奈が俺の身体を借りたってことなのだろうか?

「そういえば、昨日話を聞くので頭いっぱいだったけど、加奈が今どうなってるか言ってなかったなアイツ」

 意図的に言わないようにしたのか、加奈に何かあったのか。

ブーケンビリア、アイツはまだ隠していることが沢山ある。信用していい人物なのか、まだ分からない、警戒しておかないと。

「お兄さん! 遅いよ! みんな待っているよ!」

 レストランの扉を開けると、少女が仁王立ちしていた。

「待っていてくれたのか、先に行っていても良かったのに」

「ダメ!ご飯は皆で食べるの!みんなで食べると幸せになるの」

「……… 確かに、じゃあ案内してくれお嬢ちゃん」

 加奈のことが頭によぎる。一人よりも、誰かと食べた方が美味しいよな加奈。

「私はお嬢ちゃんじゃない!スターフラワーだよ!」

ここの人達はキラキラネームを付ける風習でもあるのか?

「スターフラワー、変わった名前だね」

「うん! お父さんもお母さんもいないから自分で付けたの!」

 少女は笑顔でいうが、その裏ではたくさんの苦労があったのだろう。それ以上深く追求するのは止めた。

「あ~、お腹空いたな。案内してくれスターフラワー」

「うん! 分かった!」

 少女に店内を案内されるが、店員はいない。シャンデリア、小説が並べられた本棚が置かれ

ていた。洋楽っぽい音楽がBGMで流れていて、内装もかなりこだわっているということが見て取れた。

「皆はどこに?」

「二階だよ~」

 レジの後ろに、木製でできた螺旋階段があった。少女に続いて上がっていく。

二階に上がると、中央にグランドピアノがあり、外からテラス席に行けるみたいだ。今は少し寒いせいか、テラス席には誰もいない。

奥の家族用の席に昨日焚火の周りにいた人達、グランドピアノの真向かいの席に若い男女数名、

ブーケンビリアは奥の席に座っていたが、俺達を立ち上がった。

「おはよう、これで全員揃ったね。じゃあ、朝食食べよう。椿もほら、座って」

「いや、でも…… 」

 俺はブーケンビリアにまだまだ聞きたいことがあった。

ここで朝食を食べている暇なんて。

「ほら、早くしろよー、お腹ペコペコだよー」

 若い男女が野次を飛ばしてくる。

ブーケンビリアが近づいて耳打ちしてくる。

「今は耐えてくれ。あとで、話すから加奈が今なにをしてるのか」

 コイツ、俺が今一番知りたい情報を餌にしやがって。

「分かったよ。ここは従う」

「よし、そうでなくちゃ」

 ブーケンビリアは「皆の前で手を合わせてください!いただきます!」といい、手と手を合わせた。俺も皆もそれに倣った。

俺が座った席に置かれていたのは、ご飯とソーセージ、目玉焼きポテトサラダだった。

「豚汁持ってくるから、皆待っていてね」

 汁物がなかったのは暖かいのを提供するためか。

「私も手伝う!」

 少女は立ち上がり、手を上げる。

老人、若い男女は一瞥もくれることなく黙々とご飯を食べている。

「大丈夫、椿をここにくるまで疲れたろう?休んでいていいよ」

 ブーケンビリアは下に降りていった。

アイツ、鼻っから俺を連れてくるのが目的で、あの少女をよこしたな。なんで、自分から来

なかったんだ? ブーケンビリア、やはり用心するべき相手だな。

老人、若い男女はそそくさと食べ終わると、黙って一階に降りていく。

俺とは一度も目を合わせなかった。皆、俯き何かに絶望している様子だった。

「何なんだ、一体」

 ブーケンビリアは、食べ終えた食器を片付けている。

「ブーケ!私も手伝う!」

「ありがとう、でも大丈夫だよ。神社に戻っていて」

「……… うん、分かった」

 少女は不服そうな顔をしながら、しぶしぶといった感じで下に降りていく。

「なんであんなこと言ったんだよ。可哀想だろ!」

「今から話すことは、あの子には聞かれたくなかったからね」

「だとしても、女の子一人で行かせることなかっただろう!」

 ブーケンビリアの襟元を掴みかかる。

「殴りたければ、殴ればいい。冷徹だと思われてもいい。僕は加奈のためなら何だってやる」

 加奈、その言葉を聞いてブーケンビリアに殴りかかるのを止めた。

「加奈のため……… だと」

「ああ、そうだ。僕の行動原理は全て加奈のためを思って動いている」

ブーケンビリアは食器を洗い場に運ぶ。俺も適当な食器を運び、持っていく。

「ああ、すまない。そこに適当に置いといてくれ」

「いや、俺も手伝うよ」

 スポンジを持ち、洗剤を付ける。そういえばお皿を洗うのは久しぶりだな。

「ありがとう…… じゃあ何から話そうかな」

「まず加奈が今どこにいるか、だ」

大皿を洗いながらも、間髪入れずに答える。米粒がまばらに散らばっていた。

もっと丁寧に食べろよな。

「ああ、そうだった。加奈は、もういない」

「え?それってここにはいないってことか?」

 持っていたスポンジが配管工の中に落ちる。俺の悪い予感が外れていることを祈りながらブーケンビリアに聞く。

「いや、この世界からいなくなったってことだ」

 ブーケンビリアから突き付けられたその事実に、俺は立っていられなくなった。

「噓…… だよな?」

「噓じゃない。本当だ」

「でも、昨日俺が眠くなったってことは加奈が起きたってことなんじゃ」

「いや、それは君の元々持っていた持病ナルコレプシーだ」

「持病? ナルコレプシー? そんなの初耳だぞ」

 第一俺は健康診断でも引っ掛かったことがないくらいの健康体だ。それなのに何故、もしか

して、こいつ噓を? ブーケンビリアを睨みつける。

「そう睨むな。噓じゃない。本当のことだ」

「なら、証拠を見せろよ!」

 ブーケンビリアは何か考えるようにして目を瞑る。

「……… 分かった。全てを話そう。その前に食器を全部洗おう」

「そうだな」

 配管工に手を突っ込んで、スポンジを手に取る。真っ黒になっていた。

「はぁ、他のを使うか」

「ほら」

 ブーケンビリアが新しいスポンジを俺に渡してきた。癪だが、貰うことにした。

「ああ、ありがとう」

 残った食器を洗い終えると、俺とブーケンビリアはさっきまで座っていた席に座る。

ブーケンビリアは、足を組みながら珈琲を飲む。

「なに、ゆっくりしてるんだよ」

「長くなりそうだから、こうしているんだよ。君も焦った心だと見るものも見えないよ」

「うるさいな…… カフェオレ、ミルク多めで」

 ブーケンビリアの言い草にイラっとしたが、飲み物は欲しかった。

「そうでなくちゃ!」

 ブーケンビリアは、立ち上がりマグカップにお湯と袋から取り出したインスタントを入れる。

「なんでインスタントなんだよ…… カフェじゃないのかココは」

「だって、本格的なのってめんどくさいじゃん」

 ブーケンビリアは口を尖らせながら答える。

「まあ、いいけど…… 」

 マグカップを持ち、ゆっくりと口の中に入れる。

「で、何から話すかな」

「あの夜のことについて、教えてくれ」

俺は眠ってからの記憶がない。コイツがそれを知っているのなら、それが鍵になるはずだ。

「君が眠っている間に、加奈が目覚めて、物質X を起動したんだ。それで過去に行った」

物質X ? 過去に行った? 話がまとまらない。非現実的過ぎる。

「ま、待ってくれ物質X とはなんだ?それに過去に行ったっていうのはどういうことだ?」

「金庫に腕時計があっただろう? それに物質X が入っていたんだ。加奈はそれを手に入れるのが本来の目的だったんだ」

「じゃあ、加奈は俺のためじゃなく、自分のために動いていたってこと?」

「ああ、そうだ」

 ブーケンビリアは、ゆっくりと頷いた。俺は加奈を信じていたのに裏切られた。

信頼が崩れるのは一瞬だと知ってはいたが、自分自身に降りかかってくると心をズタボロに荒らされたみたいで苦しい。

「物質X はつまるところ過去に行ける装置だ。それを使って、加奈は過去に戻った」

 頭が纏まらないまま、ブーケンビリアは話を続ける。優雅にコーヒーを飲みながら。

「加奈は過去に行きたいから、俺をずっと、ずっと騙していたのか!」

  声が上ずった。愛情から憎悪変わった瞬間だった。俺にかけた言葉も全部噓だったのか。いや、そもそも加奈は俺が生み出した人格なんだ。理想を描いていて当然じゃないか。

「はは…… 」

 乾いた笑いが零れる。感情が何回転もする。自分が何なのか、なぜ加奈を生み出したのか分

からない。俺は一体何がしたかったんだ。冷めたカフェオレを啜り、甘ったるい砂糖とともの感情を飲み込んだ。

「加奈は君のこと、騙していないよ」

「そんな慰めはいい!」

「いや、慰めなんかじゃない。言っただろう?加奈は君の為に行動しているって」

 ブーケンビリアはコーヒーをテーブルの上に置き、真剣なまなざしで俺を見つめる。

「…… 前にもそんなこと言っていたな。どういうことなんだ?」

「ああ、前に君の後悔から生まれたって言っただろう?加奈は過去に戻って、その後悔を消しにいったんだ。だが」

ブーケンビリアは、一呼吸置く。

「何か、あったのか」

 見えなかった真実に近づいている気がする。恐る恐る俺は、その霧を払う。

「ああ、加奈が過去をいじったせいで未来改変が起こり、今世界は戦争状態にあるんだ」

「戦争?!」

 そんな言葉、俺が死ぬまで聞くことはないと思っていた。加奈は一体なにをしたんだ。

「加奈は一体なにを…… 」

「君の後悔を消しただけさ。だけど、小さなその波がいつしか大きな波になっていった。いわゆるバタフライエフェクトってやつだね」

「聞いたことがある。でも、俺の後悔って一体」

「未来改変されたから、今はまだ思い出せないだろう。だけど必ず思い出すさ」

 まるで映画の中の世界だ。何もかも現実感のない。頬をつねってみるが痛みはある。現実だ。

「古典的だね」

「うっさい」

 ブーケンビリアを軽くあしらいながら、考える。加奈が本当に俺のこと思って行動している

のか真意は定かではない。一番疑うべきなのは、今、目の前にいるコイツだ。

「そもそも、なんで俺が覚えていないことを全部お前は知っているんだ?一体お前は何者なんだ?」

「僕は僕だよ。色々話疲れた。寺に戻ろう」

自分自身のことは固くなに語らないようだ。

「真実を、化けの皮を剥いでやるからな」

 ブーケンビリアの後ろ姿に向けて吐き捨てる。

「ご自由に」

 ブーケンビリアは、一瞬立ち止まったが振り返ることなく階段を降りていく。

「くそ、何が何なのか分かんねぇ…… 」

 誰もいない店内で呟くが、陽気な音楽によってかき消される。

ノイズが消される。夢追い人というはみ出しものは世間から排除されるように。

「この世界でも俺は拒絶されるのか…… 」

 神社までの道のりをトボトボ歩いていると、自転車に乗った青年に声をかけられた。

「アイスキャンディーはいかかですか?」

 青年は自転車の荷台には、クーラーボックスが置かれており、中はドライアイスが敷き詰められ、包装されたアイスは宝石のように輝いている。

「すげぇ昭和だな」

「ん?」

「ああ、いや。じゃあ一つ」

「毎度!味は何にします?」

 青年は歯を見せ、笑顔で聞いてくる。

「んっと、どんな味があるんだ?」

 メニュー表などは見つからない。

「ソーダ味、コーラ味、グレープフルーツ味、レモン味、ピーチ味、抹茶味があるよ」

 青年はつらつらと答える。意外と種類がある。迷ったが、定番の味にしよう。

「じゃあ、ソーダ味で」

「はいよ、六〇円だよ」

 そういえば、財布持っていたっけ?ポケットの中を弄る。

後ろのポケットに折り畳み財布が入っていた。お札が三枚、小銭が五六〇円ほどあった。

「じゃあ六〇円で」

「ちょうどね。はい」

 包装されたアイスキャンディーを渡される。包装紙を外し、齧りつく。中にラムネが入って

いて口の中でしゅわしゅわとはじけ飛んだ。

「あっはっはっは! いいリアクションだね!」

「ラムネが入っているなら言ってくれても」

「それじゃあ、反応が楽しめないだろう?まあ、こんな時代だから皆、無反応なんだけどね。

 お客さんだけだよ、そんなに良い反応したのは」

青年は、包装されていたアイスキャンディーを外して口の中にいれる。

「それ、商品じゃないの?」

「いいの、いいの。どうせ誰も買わないし。そういえば、お客さんどこの人?あまり見ない

顔だけど」

「あ~、実は記憶喪失で全然分からなくて…… 」

 加奈のことを言うと、話がこじれてしまいそうだったので、噓をついた。

「記憶喪失か、じゃあ、この世界のことも知らないわけだね?」

「戦争状態っていうのは聞いたけど」

「戦争か…… もっと一方的な殺戮だよ」

 青年は青空をじっと眺める。


「あの日は、今日みたいによく晴れた夏の日だった。僕は、ぼっーと縁側でアイスを片手に青空を眺めていた。そしたらテレビから緊急事態速報で、米国から核ミサイルが発射されたって出た。僕のいた神氷市は大丈夫だったけど、それ以外のところはミサイルによって死滅したんだ。今もシェルターで生き残っている人はいるけど、放射能で外に出られない。シェルターに入れなかった人は、放射能でやられて、日本は今絶滅しかけなんだ。唯一の希望が放射能も、ミサイルも撃ち込まれていないココ神氷市なんだ。だから、みんなここにきてる」

青年から語られた内容は、戦争ではなく一方的な殺戮だった。だが、アメリカがどうしてそ

んなことを…… 今の日本は、絶望そのものだが、青年の目は希望で満ちていた。


「君は、どうして、こんな時代にそんな笑顔でいられるんだ?」

「こんな時代だからこそ、だよ。僕がアイスキャンディーを売っているのも誰かに笑顔になっ

て欲しいから始めたんだ。誰も買ってくれないけどね。それでも、僕の行動はいつか未来に繋

がっていると信じている」

 青年は絶望的な状況でも、未来を信じている瞳をしていた。その真っ直ぐな思いが俺の心に

刺さった。俺も加奈を疑っていたけど、信じてみようという気になった。

「そういえば、米国はなんで日本にミサイルを撃ち込んだんだ?」

「それは…… 分からない。今まで友好的関係だったのに突如として撃ってきたってテレビでは言ってた」

「そうなのか」

 この世界について少しだけ分かった気がするが、まだまだ分からないこともある。

俺はこれから何を、どうすればいいんだろうか。

「僕は、ここら辺によくいるから暇だったらまた来てよ」

 青年は自転車に跨り、アイスの棒を自転車の籠の中に入れた。

「うん、あ、名前聞いてなかった」

「岡直人。よろしく! さ、今日もアイス売るぞ売るぞ~!」

 直人は俺の名前を聞かずに、自転車を漕いで走っていく。

「なんか嵐みたいな人だったなぁ」

 あんな風に笑顔で楽観的でいられたらな…… 。

寺に戻る時には暗雲立ち込めていた気持ちが、希望的な思いに変わっていた。

俺はこの世界で、やるべきことがあるはずだ。それは、まだ分からないが、ブーケンビリアが鍵を握っている。

奴から情報全て、引き出すんだ。引き戸を開け、家の中に入る。

居間、台所、家の中を探しても奴の姿は見えない。

「どこに行ったんだ?」

「さあ、どこに行ったでしょう?」

 背後からブーケンビリアの声がして、振り返ると奴がいた。

「うわぁ!!いきなりでてくるなぁ!」

「ごめん、ごめん。ちょっと出ててさ。で、僕に何か用?」

 ブーケンビリアは、ケラケラと笑う。掴みところのない男だ。

「ああ、俺はこの世界でやらなくちゃいけないことがあるはずなんだ。それを教えてほしい」

「確かに、加奈の言う通り馬鹿ではないみたいだ」

 ブーケンビリアは腕を組んで、呟く。

「なんか言ったか?」

「いや、なんでもない。正確に言えば、この世界ではないけどね」

 ブーケンビリアは、含みのある言い方をする。

「なに…… どういうことだ…… ?」

「それを今から説明してやる」

 ブーケンビリアは口角を上げて、ニヒルに笑う。

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