19. 天国への階段

 翌朝、先生は珍しく遅くまで寝ていた。朝食の時間になっても起きてこないので、隣室のドアをそっとノックしてみた。なんの返事もない。


 心配になって中を除くと、先生はベッドで熟睡していた。ベッドサイド・テーブルには、ポートワインのボトルが空になって転がっていた。


 昨夜あの後、飲んだのかな。まさか二日酔い? 


 私をあちこち観光に連れていって、しかも指南という責務もある。これは先生にとっては出張業務。気が抜けなくて疲れているのかもしれない。このまま、もう少し寝かせてあげたい。


 メイドには部屋には入らないよう指示して、私は一人で朝食をとった。先生がいないので、執事と思われる男性が、給仕の監督のために控えてくれていた。


 お父様の侍従長セバスチャンくらいの年齢? 真っ白な髪が印象的だ。


「今日は一人で出かけたいの。お土産を探しながらのんびり歩きたいんだけど、いい場所はあるかしら?」


「それでしたら、古い書店とその周辺の雑貨屋さんがいいでしょうね。近くには有名なカフェもありますよ」


「そうなの? よく知らなくてごめんなさい」


「いえいえ、ご存知なくて当然なんですよ。有名といっても、カフェ自体じゃなくて、そこで書かれた児童書なんです」


「どんなお話なのかしら、知っているかもしれないわ」


 児童書か。絵本だったら分からないけれど、物語なら知っているかもしれない。カフェで書かれた本。聞いたことあるような気もする。


「世界中で大人気の本なんですよ。両親を悪い魔法使いに殺された少年が、魔法魔術学校に入学して冒険をする話です。筆者は島国の人間で、昔ここで語学教師をしていたんです」


「あの有名な! まあ、じゃあ、あの物語はここで書かれたの?」


「ここのカフェのナプキンに構想を書き付けたとか。近くにある書店のイメージが、そのまま物語の世界にかぶると、ファンには人気です」


「知らなかったわ。でも、ここは本当に素敵な街ですものね。ああ、そう言えば、昨日は大学でたくさんの黒いマント姿の学生を見たわ。あれも、あの物語の制服のローブに似てる」


「そうでしょう、そうでしょう。残念ながら、この国には魔法を使えるものは、ほとんどいないんですがね」


「私の国もよ。私の父は使えるけど、私はさっぱりなの。魔法の世界って、あの物語みたいに隠されているのかもしれないわ」


「そうですか。奥様のお父上が……」


 執事さんはちょっと考え込んだあと、隣りに控えていたメイドに誰かを呼びに行かせた。メイドと一緒に戻ってきたのは、精悍な見た目の若者だった。歳は二十歳くらい?


「私の孫です。学生ですが今日は休日なので、奥様の観光案内をさせましょう」


「そんな、悪いわ。私なら一人でも大丈夫よ」


 昨日も一昨日も、身なりの悪くない女性が一人で買い物をしていた。都市に比べて治安はよいようだし、観光地なら警備もしっかりしているだろう。


「いいえ。奥様に何かありましたら、旦那様にもお父上様にも申し開きができません。私のためと思って、この者をお連れください。こう見えて、剣の心得もあります。いいボディーガードになります」


「マルセラと申します。是非ご一緒させてください」

「ごめんなさい。我儘を言って申し訳ないわ」


 先生が起きたら伝言をしてもらうことにして、私たちは馬車で市街地へ向かった。


 まずは書店。白亜の外観には花や植物のカラフルなデザインが取り入れられていて可愛い。中に入ると凝った細工がされた螺旋階段があり、赤い絨毯がとても上品だ。


「これは『天国への階段』と呼ばれています。複雑な曲線を描いていて面白いでしょう」


「とても美しいわ! 小さな宮殿の中にいるようね」

「宮殿に入ったことがあるんですか? それはすごいな」

「えっ。いえ、もちろん例えよ。天井の木の細工もステンドグラスも綺麗だわ。とても幻想的。本屋さんなのを忘れてしまうくらい」


 まずいまずい。身分を隠したお忍び旅行なのだから、うっかり発言には気をつけないと! 先生以外には、こういうことを言っちゃダメ。


「奥様は、どんな本をお好みですか?」

「そうねえ、私はあまり本は読まないわ。そうだ! 最新の医学書とかないかしら? 彼に買ってあげたいの」

「ジルベルト様はお医者様だそうですね。それならこちらですよ」


 マルセラが医学専門書コーナーに連れていってくれた。ざっと見てみたけれど、何がなんだかさっぱり分からない。そういえば、先生の専門が何かも知らなかった。


「ダメね。難しずぎて全く分からないわ。考えてみたら、私、医学のことなんて何も知らないの」


「それなら、これはどうですか。医学の入門書ですよ。医者というよりも看護師を目指す者が最初に手に取る本です」


「看護師。そういう職業があるのね。知らなかったわ」


「女性が多い仕事ですね。医師の助手をするんですよ」


 マルセラはにっこりと微笑みながら、一冊の本を差し出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る