第二十八話 呪縛

「――リアムー、起きてる?」


 扉を叩く音と共に聞こえる、青天を思わせる様な弾ける声。

 視界に映る、見慣れた天井。


 そうか……確かリングランデ此処に戻って領主と話をする前に、倒れたんだったな……。

 サイディルやクルダーたちはどうなった?物々しい雰囲気こそ感じなかったが……話がもつれていなければ良いな。


「リアム?入るよ?」


 再び声が聞こえると同時に、勢いよく部屋の扉が開かれる。

 廊下の窓から燦々さんさんと射しこむ陽光と、未だ重く開き切らない瞼でかすむ視界に映る少女の姿。


 ギシギシと床を踏み鳴らし、此方へゆっくりと歩み寄って来る。


「大丈夫?」


 寝床に横たわる俺の顔を、不安気な表情で覗き込む。

 そのまま、俺の額やら首元へ細い腕を伸ばし、続けて自身の額へ掌を当てる。


「うん。熱は下がってるみたいだね」


 安堵の表情を浮かべ、少々頬を緩ませる。


「起き上がれる?」


「あ、あぁ」


 まだ、満足に声も出せない。

 返事はしたものの、重く怠い体が中々、言う事を聞かない。


 不安定な寝床に肘を着き、何とか体を起こそうと試みていると、それに見兼ねたミーナが俺の身体を支えゆっくりと起こす。

 数日間か眠っていたのだろうか?起こした体は酷く凝り固まっている。


 とても気持ちが悪い。

 少しでも身体が解れればと、天井へ腕を伸ばすと全身の関節がパキパキと音を立てる。


 そもそも、身体の何処に怪我を負っていたのかすら分からないが、此処へ戻って来る迄、ずっと感じていた痛みは消えている。

 少しばかり身体を動かした為だろう、全身へ血液が巡る感覚……段々と視界も明瞭になっていく。


「ゲホッ、オホンッ」


 咳払いと同時に、再びミーナが心配そうな表情を此方へ向ける。


「だっ……丈夫だ」


 掠れた声ながらも声を掛けると、その表情は再び、にこやかなものへと立ち戻る。


「ゴホン……迷惑、掛けたな」


 俺の放つ言葉にミーナは、ムッと不満を露わにする。


掛けた、でしょ?」


 心配……そうだな、そんな風に思ってくれる奴だったな……。


「あぁ、すまない。心配かけたな」


 訂正した言葉に微笑み小さく頷く。


「大丈夫!リアムは何時もそうだから気にしてないよ!」


 笑みを浮かべながら明るい声で返されるも、その言葉は少々、胸に刺さる。

 何時もそう、か……確かに、何も言い返せないな。


「じゃあ、お水持って来るから少し待っててね!」


 そう残すと、ミーナは喜々とした足取りでバタバタと階段を駆け下りてゆく。

 ミーナには悪いが、山頂の天候の如く変わる、あの喜怒哀楽は何時見ても可笑しくなってしまう。


 嵐が過ぎ去った様な静けさに包まれた部屋に少し寂しさを感じ、ふと目を遣った窓の外。

 僅かに開いた隙間から入る、冷たくも心地の良い風に窓際の鉢植えが揺れる。


 澄み渡る視界には、穏やかな都市の生活風景と、真っ青な空が永遠と続いている。

 きっと以前なら、こんなにも穏やかで、平穏で平和なら……こんなにもゆっくりと流れる時間を感じていたら、いっそこのままでも良いのでは無いかと思っていただろう。


 自分の行いが間違っているんじゃないかと、思っていただろう。

 だが、多くの事を知った今、唯流れる時間を過ごす事は……何かを知った上で、知らぬ振りをする事は出来ない。


 ――いや、赦されない。


 悪の定義は未だ知り得ないが何かを知った以上、何も出来ないのでは無く……何もしないのであれば、其れは決して善い行いとは言えない。

 正しい事かどうかは分からない。


 ……混乱や動乱を望む者は居ないだろう。

 それでも、俺達は今まさに其れを成そうとしている。


 結果が何れになるか分からない……それでも、この先の未来で、あの時の判断は正しかったと思える選択をしたい。



 ――そう、全てを伝えたとして俺は……ミーナは未来で今の自分を肯定できるのだろうか。

 遅々とした時間……俺は少し苦手かも知れないな。


 つい、色々な事を考えてしまう。


「お待たせっ」


 響く声は、かかった靄を一気に晴らす。

 ゆっくりと開かれた扉の先にはコップを手に持つミーナの姿と、大きな水瓶を抱える男の姿。


「熱も下がったみたいで何よりだ」


 嬉しそうに口にしたサイディルは重々しく、寝床の傍らに設置されている棚へと歩み寄り、何とか水瓶を持ち上げる。

 肩を上下に揺らしながらコップを受け取り中身を注ぐと、自慢気な表情で此方へ差し出す。


「ふぅ。私が運び、私が注いだ水だ。堪能してくれたまえ」


「……」


 どう、あしらってやろうかと考えている内に、ふと目に入る窓際の鉢植え。

 少しばかり、しおれているな……。


 じわじわと乾いた土が水を吸い込んでいく。


「……コイツも喉が渇いていたみたいでな……ミーナもう一杯注いでくれるか?」


 水面に顔を出す魚の様に口を開閉するサイディルを横目に、ミーナは笑いながら再び注がれたコップを差し出す。


「リアム、何だか明るくなったね!」


「そうか?」


 俺は何故か熱くなった頬を冷ますべく、渡された水を一息に飲み干した。


「――まぁ、俺に大事が無かったのは良いが、あんた達は大丈夫だったのか?……領主やらと話していただろう?」


 俺が尋ねるとサイディルは間抜けな表情を何とか整える。


「この通りさ。十数時間かけて説明をしてね、不問どころか手を貸してくれるそうだ!」


 杞憂に終わるどころか、かなり良い方向に転がってくれたみたいだな。


「本当か!……あの領主が手を貸してくれるなら心強いな」


「あれ?君も知り合いだったのかい?」


 当然の疑問だな。

 知っていたのは名前程度だ……唯、あの一瞬で分かった。


「知り合いでは無いがな。今回起こっていた混乱を俺達が戻る迄に鎮めていた、あの統制力……今後、あの様な人物が居れば政府の転覆も現実味を帯びて来るな」


「ちょっと待って!……政府の転覆?どう言う事?」


 ミーナの問い掛けに、サイディルは目を丸くする。


「いや……これは、その」


「サイディル……良いんだ。ミーナが望むのならば俺が全てを話す」


 俺が、しどろもどろにミーナへ弁解するサイディルへ放つと、何かを悟った様な表情を見せる。


「分かった……では、私はお暇させて貰うよ」


 扉へ手を掛け、部屋を後にする一歩手前でサイディルは立ち止まる。


「良いかい?お嬢さん。今から彼がする話は……君の未来を、君の人生を縛り付けてしまうかも知れない……何も知らないと言う事は決して悪い事ではないよ」


 そう残し、静かに扉を閉め去って行く。

 サイディルの言う通りだ……呪縛を与えてしまうかも知れない。


「アイツが言った様に、お前の未来にどんな影響を与えてしまうか分からない。それでも……聞いて良いのか?」


 俺が問い掛けに暫く沈黙したミーナは、俺の瞳を真っすぐに見つめる。


「今のリアムを見れば分かる。その目、その身体の傷……きっと辛い事、大変な事が沢山有ったんだよね」


 服の裾を握りしめる手の甲に幾つかの雫が滴る。


「私が辛い時、リアムは一緒に居てくれた。寄り添ってくれた……リアムが一人で苦しんでいるなら私はそれを分かち合いたい……あなたに寄り添いたい」


 潤み、赤く染まった瞳を何度か拭う。

 分かち合いたい……か。


 ――だが。


「分かった。でも、恩返しだなんて事は言わないでくれ……俺は見返りが欲しくてお前を助けた訳じゃ無い。俺が助けたいと思ったから助けたんだ」


 流れる雫は頬を、拭った袖を濡らす。


「だから、例えこれを聞いたとしても、お前は自分の好きな様に……未来のお前が後悔しない様に生きて欲しい」


 ミーナの小さな頷きに、俺も決心が着いた。

 俺はミーナへ知り得た全ての事を話した。


 自身の父が国王で在った事、国を愛したが故に異形を作り上げた事、光を失った左目の真実。

 全てを語り終える頃には、窓の外に黄昏が落ち始めていた。


 夕日に照らされる、涙でグシャグシャの顔……ミーナは自身の左目に優しく手をあてがう。


「そっか……私のお父さん、王様だったんだ」


 きっと絶望してもおかしくない程の真実を告げた……それでも、ミーナの放つ言葉に、その表情に一切の後悔は感じられない。

 泣き腫らした瞼の奥の瞳は、確かに輝き澄み切っている。


「この目は普通に暮らせる様に……やっぱり私は誰かに助けられてばっかりだな……」


 呟く声に篭る悔しさ。

 なんと声を掛ければ良いのか。


「――俺も……同じだ。サイディルにクルダーに、お前に……色んな奴に助けられてばかりだ」


「……私、どうしたら良いかな?」


 涙で色が変わった裾をギュッと握り締める。


「ミーナはどうしたいんだ?」


「私は……誰かを助けたい。恩返しなんかじゃなくて、助けて貰った命を誰かを助ける為に使いたい」


 か細くも力強いその声に、俺は無意識のうちにミーナの頭へ手が伸びる。


「そうか」


 小さく何度も頷く。

 頭へ伸びた手を次第に頬へ……滴る涙を指先で拭う。


「俺もこのザマだ。怪我が治るまで……いやお前の気が済む迄一緒に考えよう。一時なんかじゃない、一緒に過ごそう」


 洒落た言葉など必要無い。

 純粋な気持ちを伝えた俺の言葉に、ミーナは満面の笑みを浮かべる。


「うん!ありがとう!」 

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