②
夕方まで駅前のモールを散策して、帰宅した。コンビニで買ってきたお弁当を冷蔵庫に放り込んで、自室のベッドへ直行する。
マットレスの上に転がると、別れ際に聞いた言葉が、耳の奥で残響した。
『桜さんが言うとおり、一人よりも二人のほうが楽しかったの。でも私の立場上、美浜の子に、あまり情けない姿は見せられないし。それに、』
夕焼けを浴びて赤らんだ顔で、先輩は言った。
『学園祭が終わって、桜さんとの縁が切れてしまうのは、寂しいから』
じん、と心臓の上のほうが痛んだ。思わず、足をパタパタとしてしまう。
嬉しい。嬉しくないわけがない。
でも、問題もある。具体的には、お金だ。当然、料理教室には月謝がかかる。
学生からすれば安くないお金だ。現状でも払えないわけではないけれど、もし続けるのなら、アルバイトをするか、仕送りを増やしてもらう必要がある。
私の父は、経営していた会社の脱税問題で係争中だ。母にも、できればこれ以上は頼りたくはない。
海浜高校は、申請したうえであれば生徒のアルバイトを認めている。ギリギリ、生徒会との両立もできるだろう。でも、料理研究同好会に参加するほどの時間の余裕があるかどうか……。
厳しいかもしれない。
いや、まさか週五で働くわけじゃないのだ。多少、篠森と一緒にいる時間が減るくらいで。
それなら。
でも、篠森の友達は私しかいない。私が同好会に来なくなれば、彼女はまたひとりぼっちになってしまう。
それは可哀想だ。
うーん……。
その日、日付が変わるまで悩んでみても、結論は出なかった。
週明けの月曜日。
いよいよ週末に本番とあって、学園祭の準備は佳境を迎えている。
生徒会一同も忙しさのピークに到達していて、我々自身の準備と各種経費精算系の書類仕事、当日のリハーサル等に追われていた。
こうなってくると、なかなか家庭科室へ足へ運ぶ時間が取れない。
もちろん、その旨は篠森にも伝えている。
しかし篠森は割と暇らしく、とりおりチャットルームにお手製のハンバーグとか中華丼とか、シンガポールライスの写真を投稿してくる。とんだ飯テロだ。
ちなみに、今日は肉まんだった。
もう全部投げ出して、家庭科室へ行ってやろうかとも思う。でも。
「副会長ー! 当日のステージで順番変えたいところがあって、調整の相談なんですけど」
「蘇芳さん、吹奏楽部の演奏場所が他の出店と被っちゃってるみたい。場所変更できない?」
「桜ちゃーん、式辞の原稿チェックよろー」
泣きたい。
泣いても仕事は終わらないので、仕事をするしかない。
ようやく舞台のリハが終わったので、体育館から生徒会室へ戻る。ふと気が付くと19時を過ぎていた。学園祭前とはいえ、19時半には教室棟の電灯が落ちるから、急がなくては。
渡り廊下を抜けて、1年の教室の前を通る。いくつかの教室は、まだ電灯がついていた。熱心なことだ。
1Bの教室の前に差し掛かる。篠森のクラスだ。
好奇心に身をゆだねて、入口のドアから中をのぞいた。たしか出し物はお化け屋敷だったっけ。床に「ワタシの心臓を探してください」とおどろおどろしい血文字で書かれた看板が転がっていて、なるほど脱出ゲームを組み合わせる趣向かと頷いた。
残っているのは、男子が三人と、女子が六名。脅かす練習をしているのか、小道具を手に不思議なポーズでゆらゆらしている。この時間まで残っているだけあってみな真剣で、それがかえって妙な面白さに繋がっていた。
ドアの隙間が僅かに開いていて、声が聞こえる。そこから、
「楓ちゃんは、このタイミングで──」
と、明るい声が聞こえた。
楓ちゃん?
思わず窓から篠森の姿を探してしまう。
──いた。端に寄せた机の陰で顔が見えなかったけれど、あれは篠森だ。
床にお尻をつけて、リーダー格の女の子の話を真剣に聞いている。
そして彼らの真ん中には、大きな肉まんの載った大皿が置かれていた。
間違いない。写真で送られてきた肉まんだ。
リーダーの子が皿に手を伸ばして、白くてふんわりとした饅頭を掴む。彼女はそれを齧ると、温かな笑みを浮かべた。
なんだ。
ちゃんと、友達がいるんじゃないか。
ひとりぼっちだと思っていたのに、そんなこと、なかったんだ。
硬くて大きな氷を飲み込んだみたいに、胃の上がキンと冷たい。
ゴムの足裏がきゅっと音を立てた。何対かの視線がこちらを向く。
篠森が私に気づいた、ような気がした。
それを確かめるよりも早く、私は廊下を歩いていく。
まるで逃げ出すみたいに、早足で。
夜のコンビニで、真っ先にレジカウンターの肉まんコーナーを確認した。
けれどケージの中身はスカスカで、わずかに残った肉まんも「温め中」だった。
仕方がないから、おにぎりを二つ買った。
お腹が空き過ぎて家まで耐えきれそうになかったから、通学路の公園のベンチへ向かった。
乱暴に包みを解きながら、私は自問自答する。
篠森に、友達がいた。
それも、手料理をシェアできるくらい仲の良い友達が。
彼女には、きちんと教室で居場所があったのだ。
冷たいおにぎりを頬張る。これが肉まんならよかった。本当は、温かい食べ物が食べたかったから。
やけに味の薄い五目おにぎりを飲み込んで、声に出す。
「……よかったじゃん」
可愛い後輩が、ちゃんと自分の居場所を作れていたのだから。なにも問題はない。
そう、なにも。
いや。
嘘だ。欺瞞だ。私は今、自分自身を偽っている。
本当は、嫌だった。
篠森が、私と関係ないところで料理を振る舞うことが。
そうしたいと思う相手が、私の他に存在することが。
つまり私は、本当は、篠森に孤独でいてほしかったのだ。
ひとりぼっちの、寄る辺のない、寂しい少女であってほしかった。
「なんだそれ……」
かっと頬が燃えた。あさましすぎる。
自分自身の身勝手な感情を自覚して、本気で死にたくなった。
あんまり情けなくて、涙が出てきた。
手の甲で拭って、掴みっぱなしの五目おにぎりを詰め込むみたいに食べる。どうしてか全然味がしない。粘土でも食べてるみたいだ。
結局、ペットボトルのお茶で流し込んだ。むせてしまって、また涙が滲む。
「けほっ、ふ、ぐっ」
そのとき、公園の入り口から、今、一番聞きたくない声がした。
「──先輩?」
顔を上げる。
そこには、さっき教室で見かけた女の子と、二人で歩く篠森がいた。
隣にいるのは、さっき篠森を「楓ちゃん」と呼んでいたリーダー格の少女だ。ショートボブで、清涼飲料水のCMに出られそうなくらい爽やかな雰囲気がある。
その子に何か断りを入れて、篠森が私のところへ駆け寄ってきた。
黒目がちの瞳が、目ざとくコンビニのレジ袋を見つける。
「先輩、こんなところでご飯食べてたんですか? 危ないですよ」
「いいでしょ、別に」
「……先輩?」
私の物言いに戸惑ったように、篠森の目が左右に揺らぐ。
思い出したように、彼女は抱えていた紙袋の口を開けた。
「そうだ。先輩、お腹空いてますよね。肉まん作ったんですけど、食べますか? 本当は、家に帰って食べる分ですけど。特別に分けてあげます」
「いいよ。篠森が食べて」
「えっ。でも、美味しいですよ。ちょっと冷めちゃいましたけど、まだ温かいし」
「──いらないってば!」
叩かれたみたいに、篠森がすくんだ。
はっとして口を抑える。大きな声を出したのなんて、いつぶりだろう。
入り口のほうで、ショートボブの子が伺うようにこちらを見ていた。
「ごめん。でも、今は、お腹いっぱいだから」
「……そ、うですか」
明らかに納得していない様子だったけど、篠森はそれ以上追求はしてこなかった。
「それなら、いいんですけど」
「楓ちゃん」
狼狽える篠森を庇うように、さきほどの一年生が近づいてきた。さりげなく、私と篠森の間に身を滑らせる。まるで、私から篠森を庇うみたいに。
彼女はきっと私を睨んで、言う。
「蘇芳副会長、ですよね。あの、楓ちゃんが何か」
「なんでもないよ」
私の言葉に反応して、篠森が身を乗り出す。
「先輩」
「篠森」
私はベンチから立ち上がり、スクールバッグを肩に掛け直した。吹き付ける冴えた夜風が頬を打つ。
「私、青葉先輩から料理教室に誘われたんだ。一緒に、自炊できるようになろうって」
「……なんですか、それ」
「ちょっと悩んだけど、やってみようかなって思う。いつまでも篠森に面倒見てもらうわけにはいかないし」
「面倒って、わたし、そんなつもりじゃ」
「それで、もしかしたらバイトとか始めるかもしれないから」
切れかけの夜間照明の光を受けて煌めく、黒目がちな瞳から視線を逸らす。
「だから、ごめん。海浜祭が終わったら、料理研究同好会、辞めると思う」
チカチカと白色灯が瞬き、消えた。篠森の双眸から光が失せる。
彼女の脇を通り抜けるとき、消え入るような声で聞こえた。先輩の嘘つき、と。
本当にそのとおりだ。
でも、これでいい。今の彼女に必要なのは、こんな身勝手な先輩じゃないはずだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます