激励ロシアンたこ焼き
①
海浜祭前日の金曜日。
この日は授業は午前中で終わり、お昼休憩の後は、午後いっぱいかけて設営作業をする。
設営は体力仕事だ。そのためにも、お昼ご飯はしっかり食べておかなくてはいけない。
いけない、のだけど。
「ちょっと桜」
「なに?」
「いやなにっていうか……朝からずっと、目が死んでて怖いんだけど」
「そうかな」
頬を撫でてみる。たしかに寝不足かもしれないが。
「学園祭の準備で燃え尽きた……って感じでもないわね」
「うん……」
サンドイッチを齧り、パックの牛乳で流し込む。やっぱり味がしない。砂を噛んでいるようだ。
頬杖をついた椿が、すっと目を細めた。
「わかった。家庭科室の、あの子絡みでしょ」
「ぶっ」
「汚い」
ごめん、と謝って口元にハンカチを当てる。
なんでわかるんだ、椿。読心術……?
「なに、喧嘩でもしたの?」
「そういうのじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「……料理研究同好会、辞めようと思って」
「やっぱり喧嘩じゃないの」
「違うってば。ちょっとバイトして料理教室通おうかなって」
「ごめん意味わかんない。料理勉強するなら、篠森さんに習えばいいでしょ。ていうかそれが普通でしょうが。同好会なんだから」
「でも、昔の先輩に誘われたから」
「はー? その先輩と篠森さんと、どっちが大事なわけ?」
「そういう話じゃないでしょ」
「そういう話でしかないでしょ」
そうなのだろうか。
ふわりと、小麦粉が焼ける匂いが鼻先を掠めた。
見れば、早くも明日の準備を始めた調理班が、練習と称して、ホットプレートでたこ焼きを焼き始めている。
立ち上がった椿が、調理班からたこ焼きを一舟受け取って戻ってきた。
「ん」
顎で教室の入り口を示す彼女に従って、私も廊下に出る。
椿が足を止めたのは、屋上へ続く階段だった。
長ようじを一本受け取って、交互にたこ焼きを突く。
柔らかな生地にはソースがべっとりと塗られていて、上から青のりと鰹節が振り掛けられている。スタンダードなたこ焼きだ。
口に入れると、じゅわっとトロトロの生地が溢れてくる。その奥に隠れた、プリッとした歯応えのタコが嬉しい。
「で、何があったのよ」
「別に大したことじゃないんだけど」
「い、い、か、ら」
「……はい」
そうして私は、ことのあらましを椿に伝えた。青葉先輩との再会と、私が篠森に対して抱いている感情について。
「篠森さんに友達がいて寂しい、ね」
「寂しいっていうか……いや、寂しいのかな。自分でもよくわかんないんだけど」
「じゃなきゃなんなのよ」
それがわからないから悩んでいる。
「好きなの?」
「げほっ、ごほっ」
めっちゃむせた。
「きったな」
「椿、何いってんの……」
「そうだったら話が早いと思って。ヤキモチでしょ」
「そういうのじゃない」
「じゃないの?」
「……多分」
多分、違う。
篠森は可愛いと思うし、好きか嫌いかで言えば、まあ好きだ。慕ってくれる後輩は可愛い。
だからって、可愛がっている後輩に自分以外の友達がいるから不快だ、なんて、あまりにも自分がちっちゃすぎる。そういうのは幼稚園児のうちに卒業したはずだ。
「まあ立ち話もなんだし、座ったら」
ハンカチを階段に敷いて、椿がその上に腰かけた。
ふわりと浮いた埃が、踊り場から射し込む光に照らされてチラチラ光る。
「この話、まだ続けるの?」
「そりゃそうでしょ。友達のコイバナほど面白い話ってそうそうないし」
「誤解だってば」
私も椿にならって、階段に腰かけた。微かに埃の匂いがする。
その瞬間、いつかの過去がフラッシュバックした。
──お昼、私と一緒に食べない?
青葉先輩。
そうだ。中学二年のとき、孤独から私が逃げ込んだのも、こんなふうに屋上へ続く階段の踊り場だった。
あのとき、青葉先輩に出会って、生徒会室という居場所を作ってもらって、私は救われた。
だから先輩に憧れて、あの人みたいになりたくて、生徒会に入って──
もしかして。
そういうことなのか?
私は、青葉先輩の真似をしたかったのか? あの人のように、孤独な後輩の居場所になってみたかった?
そうすれば、憧れの人に近づけると思ったから。
「っ~~~……」
かぁっと顔面が熱くなる。なんだそれ。なんだそれなんだそれ。
そんなの、完璧に、どうしようもないくらい、私の自己満足じゃないか。
篠森のことなんて、なにも考えていない。ただ私が、青葉先輩と同じことをする自分に浸って、気持ちよくなって、満足するためだけに、彼女と一緒にいただけだ。
可哀そうな後輩の女の子を可愛がって、一緒にご飯を食べてあげて、旅行に誘ってあげて、それで、その子が本当はそこまで「可哀そう」じゃないとわかったら腹を立てて。
始めからずっと、お人形遊びでもしてるつもりだったのか、私は。
「……椿」
「なによ」
「ちょっと、こう……一発、ビンタとかしてほしい。そうじゃないと、羞恥心で死にそう」
「ごめんあたし話ついていけてないんだけど」
「いいから。腰が入ったやつをお願い」
椿は微妙に嫌そうな顔で左右に視線を惑わせたあと、ため息を零してから言った。
「わかった。そこに立って、目、瞑って」
「うん」
私は立ち上がり、直立不動の姿勢を取った。
「よしこい」
「じゃ、口空けて」
「え、うん」
普通、こういうときは「歯ぁ食いしばれ!」では? 逆では?
そう思ったけれど、私は反射的に口をぱかっと開けていた。
「ほれ」
そこに何か、温かいものが放り込まれる。むにゅりとした食感。
たこ焼きだ。なんで?
たこ焼きを咀嚼しているときにビンタすることで、精神的なダメージを上げるため……?
馬鹿な考えが脳裏をよぎった次の瞬間、答えがわかった。
痛みに似た強烈な感覚が、鼻の後ろをカチ上げる。ぶわっと鼻孔を吹き抜けていく刺激に、瞼の後ろがチカチカした。
たまらず目を開けると、悪戯っぽいを目をした椿が、長楊枝を手にニヤニヤしている。
「ふんぐふっ」
口から咀嚼物が吹き出そうになって、思わず口を押える。ようやく刺激の正体が分かった。
カラシだ、これ。たこ焼きの中に、わりと洒落にならない量の和カラシが入っている。
思い出した。クラスの出し物は、普通のたこ焼きじゃない。ロシアンルーレットたこ焼きだ。これが「アタリ」というわけだ。
それにしたってやり過ぎの量だと思うけど。ダメな人が食べたらマジでダメなやつだぞ。
涙で歪む視界の中、しれっとした顔で椿がうそぶく。
「ビンタの代わり。目は覚めたでしょ」
「──うん」
それは確かだ。刺激を堪えて、ごくりと飲み込む。手の甲でにじんだ涙を拭って、大きく息を吐き出した。後悔はこれで終わりだ。
きちんと篠森と向き合おう。私がどうしたいかは、それから決めたらいい。
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