激励ロシアンたこ焼き

 海浜祭前日の金曜日。

 この日は授業は午前中で終わり、お昼休憩の後は、午後いっぱいかけて設営作業をする。

 設営は体力仕事だ。そのためにも、お昼ご飯はしっかり食べておかなくてはいけない。

 いけない、のだけど。


「ちょっと桜」


「なに?」


「いやなにっていうか……朝からずっと、目が死んでて怖いんだけど」


「そうかな」


 頬を撫でてみる。たしかに寝不足かもしれないが。


「学園祭の準備で燃え尽きた……って感じでもないわね」


「うん……」


 サンドイッチを齧り、パックの牛乳で流し込む。やっぱり味がしない。砂を噛んでいるようだ。

 頬杖をついた椿が、すっと目を細めた。


「わかった。家庭科室の、あの子絡みでしょ」


「ぶっ」


「汚い」


 ごめん、と謝って口元にハンカチを当てる。

 なんでわかるんだ、椿。読心術……?


「なに、喧嘩でもしたの?」


「そういうのじゃないよ。ただ……」


「ただ?」


「……料理研究同好会、辞めようと思って」


「やっぱり喧嘩じゃないの」


「違うってば。ちょっとバイトして料理教室通おうかなって」


「ごめん意味わかんない。料理勉強するなら、篠森さんに習えばいいでしょ。ていうかそれが普通でしょうが。同好会なんだから」


「でも、昔の先輩に誘われたから」


「はー? その先輩と篠森さんと、どっちが大事なわけ?」


「そういう話じゃないでしょ」


「そういう話でしかないでしょ」


 そうなのだろうか。

 ふわりと、小麦粉が焼ける匂いが鼻先を掠めた。

 見れば、早くも明日の準備を始めた調理班が、練習と称して、ホットプレートでたこ焼きを焼き始めている。

 立ち上がった椿が、調理班からたこ焼きを一舟受け取って戻ってきた。


「ん」


 顎で教室の入り口を示す彼女に従って、私も廊下に出る。

 椿が足を止めたのは、屋上へ続く階段だった。

 長ようじを一本受け取って、交互にたこ焼きを突く。

 柔らかな生地にはソースがべっとりと塗られていて、上から青のりと鰹節が振り掛けられている。スタンダードなたこ焼きだ。

 口に入れると、じゅわっとトロトロの生地が溢れてくる。その奥に隠れた、プリッとした歯応えのタコが嬉しい。


「で、何があったのよ」


「別に大したことじゃないんだけど」


「い、い、か、ら」


「……はい」


 そうして私は、ことのあらましを椿に伝えた。青葉先輩との再会と、私が篠森に対して抱いている感情について。


「篠森さんに友達がいて寂しい、ね」


「寂しいっていうか……いや、寂しいのかな。自分でもよくわかんないんだけど」


「じゃなきゃなんなのよ」


 それがわからないから悩んでいる。


「好きなの?」


「げほっ、ごほっ」


 めっちゃむせた。

 

「きったな」


「椿、何いってんの……」


「そうだったら話が早いと思って。ヤキモチでしょ」


「そういうのじゃない」


「じゃないの?」


「……多分」


 多分、違う。

 篠森は可愛いと思うし、好きか嫌いかで言えば、まあ好きだ。慕ってくれる後輩は可愛い。

 だからって、可愛がっている後輩に自分以外の友達がいるから不快だ、なんて、あまりにも自分がちっちゃすぎる。そういうのは幼稚園児のうちに卒業したはずだ。


「まあ立ち話もなんだし、座ったら」


 ハンカチを階段に敷いて、椿がその上に腰かけた。

 ふわりと浮いた埃が、踊り場から射し込む光に照らされてチラチラ光る。


「この話、まだ続けるの?」


「そりゃそうでしょ。友達のコイバナほど面白い話ってそうそうないし」


「誤解だってば」


 私も椿にならって、階段に腰かけた。微かに埃の匂いがする。

 その瞬間、いつかの過去がフラッシュバックした。


 ──お昼、私と一緒に食べない?

 青葉先輩。

 そうだ。中学二年のとき、孤独から私が逃げ込んだのも、こんなふうに屋上へ続く階段の踊り場だった。

 あのとき、青葉先輩に出会って、生徒会室という居場所を作ってもらって、私は救われた。

 だから先輩に憧れて、あの人みたいになりたくて、生徒会に入って──

 もしかして。

 そういうことなのか?

 私は、青葉先輩の真似をしたかったのか? あの人のように、孤独な後輩の居場所になってみたかった?

そうすれば、憧れの人に近づけると思ったから。


「っ~~~……」


 かぁっと顔面が熱くなる。なんだそれ。なんだそれなんだそれ。

そんなの、完璧に、どうしようもないくらい、私の自己満足じゃないか。

 篠森のことなんて、なにも考えていない。ただ私が、青葉先輩と同じことをする自分に浸って、気持ちよくなって、満足するためだけに、彼女と一緒にいただけだ。

 可哀そうな後輩の女の子を可愛がって、一緒にご飯を食べてあげて、旅行に誘ってあげて、それで、その子が本当はそこまで「可哀そう」じゃないとわかったら腹を立てて。

 始めからずっと、お人形遊びでもしてるつもりだったのか、私は。


「……椿」


「なによ」


「ちょっと、こう……一発、ビンタとかしてほしい。そうじゃないと、羞恥心で死にそう」


「ごめんあたし話ついていけてないんだけど」


「いいから。腰が入ったやつをお願い」


 椿は微妙に嫌そうな顔で左右に視線を惑わせたあと、ため息を零してから言った。


「わかった。そこに立って、目、瞑って」


「うん」


 私は立ち上がり、直立不動の姿勢を取った。


「よしこい」


「じゃ、口空けて」


「え、うん」


 普通、こういうときは「歯ぁ食いしばれ!」では? 逆では?

 そう思ったけれど、私は反射的に口をぱかっと開けていた。


「ほれ」


 そこに何か、温かいものが放り込まれる。むにゅりとした食感。

 たこ焼きだ。なんで? 

 たこ焼きを咀嚼しているときにビンタすることで、精神的なダメージを上げるため……?

 馬鹿な考えが脳裏をよぎった次の瞬間、答えがわかった。

 痛みに似た強烈な感覚が、鼻の後ろをカチ上げる。ぶわっと鼻孔を吹き抜けていく刺激に、瞼の後ろがチカチカした。

 たまらず目を開けると、悪戯っぽいを目をした椿が、長楊枝を手にニヤニヤしている。


「ふんぐふっ」


 口から咀嚼物が吹き出そうになって、思わず口を押える。ようやく刺激の正体が分かった。

 カラシだ、これ。たこ焼きの中に、わりと洒落にならない量の和カラシが入っている。

 思い出した。クラスの出し物は、普通のたこ焼きじゃない。ロシアンルーレットたこ焼きだ。これが「アタリ」というわけだ。

 それにしたってやり過ぎの量だと思うけど。ダメな人が食べたらマジでダメなやつだぞ。

 涙で歪む視界の中、しれっとした顔で椿がうそぶく。


「ビンタの代わり。目は覚めたでしょ」

 

「──うん」


 それは確かだ。刺激を堪えて、ごくりと飲み込む。手の甲でにじんだ涙を拭って、大きく息を吐き出した。後悔はこれで終わりだ。

 きちんと篠森と向き合おう。私がどうしたいかは、それから決めたらいい。

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