とにかく、篠森によるナポリタン講習会の開催が決まった。日程は明後日の金曜日。美浜の生徒会役員も、海浜校まで足を運んでくれるそうだ。

 どちらの生徒会も「明日でもいいよ」と言ってくれたのだけど、仕込みがあるという篠森の希望で金曜日になった。

 ナポリタンで仕込みってなんだろう。


 あっという間に金曜日がやってくる。集合場所は、もちろん家庭科室だ。

 私が部屋に入ると、フード担当に名乗りをあげた書記と会計の同級生が到着していた。

 二人は初対面であろう篠森へ積極的に話しかけていたけれど、篠森がまとう野良猫じみた警戒オーラに阻まれて苦戦していたらしく、私を見つけると露骨にホッとした顔をした。


「篠森。ごめん、遅くなっちゃった」


 篠森がぱっと顔を上げる。光が射したみたいに表情が明るくなった。

 全く、普段からそういう顔をしていればいいのにと思う。

 改めて書記の武藤さんと会計の左近寺くんを紹介して、スマホで時刻をチェックする。16時25分。そろそろ約束の時間だ。

 家庭科室の引き戸が開く。


「お待たせしました。本日はどうぞ、よろしくお願いします」


 現れたのは、ひとり。

 淡い水色のセーラーワンピースを着た、青葉先輩だった。



「青葉先輩、おひとりですか?」


「みんな、仕事を抱えてるからね。今回はこれで撮影させて貰おうと思って。問題ないからしら」


 青葉先輩が、手にしたAndroidをかざした。動画を撮って、美浜生徒会で共有するということだろう。合理的なやり方だ。

 私が篠森に視線を向けると、彼女は小さく頷いた。


「じゃあ、始めます」


 手首につけたシュシュで髪をまとめて、篠森がキッチンに立った。

 まずは寸胴鍋に水を注ぎ、火にかけていく。どうやらあらかじめ火にかけていたらしく、大量のお湯はすぐにポコポコと沸き出した。

 徳用の乾燥パスタをひとつかみして、お湯の中にさっと広げる。茹で時間は七分。篠森はキッチンタイマーをセットして、調理台の脇に置いた。

 ──残り、8分54秒。


「あれ? 篠森、茹で時間間違ってるよ。これ、7分でいいやつだよ」


「いえ、間違ってないです。ナポリタンなので」


「ナポリタンなので?」


「『ナポリタンはアルデンテであってはならない』と言ったのは、作家の浅田次郎だそうですが。元々ナポリタンは、麺を柔らかめに茹でて作るんです」


「へえ……」


 言われてみれば、思い出の中のナポリタンも麺がモチモチして柔らかかったような気がする。

 茹で上がったパスタをザルに開けた篠森は、さらに水道の水で麺を洗い始めた。動画を撮影していた武藤さんが目を丸くする。

 篠森は更にパスタ麺にサラダ油を垂らし、トングで混ぜ始めた。ほどよく馴染んだあたりで、ボウルにラップをかける。


「で、この麺を冷蔵庫で一晩寝かせます」


「一晩!?」


 ナポリタンってそんな手間がかかる料理なのか……。


「そんなに大変なら、別の料理に変えたほうがいいのかも……」


「いいえ、そんなことないと思うわ」


 スマホを構えたまま、青葉先輩が私の傍へやってきた。


「つまりこれが、ナポリタンが喫茶店に定着した理由なんでしょうね」


「どういうことですか?」


「注文を受けてから茹でる形式だと、手間も時間もかかるもの。狭い厨房に大きな寸胴鍋は邪魔になるし。あらかじめ茹でておいた麺を炒めて出すだけなら、サっと作れるから」


「……なるほど」


 言われてみればそのとおりだ。

 そして、そのメリットは文化祭の出店にも同じことが言える。

 生徒たちはいくつも出店を回るから、注文から品出しまでの回転の良さは必須だし、当日に厨房で大量の麺を茹でるのもリスクがある。万が一、寸胴鍋をひっくり返しでもしたら洒落にならない。

 篠森が「いいところに目をつけた」と言っていたのは、こういうことだったのだろう。


「ちょっと心配なのは、注文量が読めないところね。途中で作り足しが難しそうだし」


「それなら、去年の喫茶店系の店の売り上げデータを見てみます。パスタを出してたところもありますし、平均値を取ればある程度は……美浜と合同なので、読めない部分もありますけど」


 私の提案に、青葉先輩が目を丸くした。


「先輩、どうかしましたか?」


「なんでもない。ただ、ちょっと嬉しかっただけ」


 嬉しかったって、なにが?

 でも私は、青葉先輩に聞き返すことができなかった。

 料理番組よろしく「こちらが一晩冷やした麺です」と冷蔵庫からボウルを持ってきた篠森が、調理を再開したからだ。

 前に言っていた「仕込み」って、あの麺のことか……。本当、料理に関しては手が込んだことをする。

 篠森がぴしっと包丁を構えた。

 ウインナーを削ぎ切りにきて、ピーマン、玉ねぎを細く切る。フライパンにオリーブオイルを敷いて、玉ねぎから炒めていく。

 焼き色がついてきたあたりでウインナー、ピーマンを入れて、ざっくり炒めたら塩コショウ、トマトケチャップを投入。

 さらにウスターソースをひと回し。

 最後にボウルから麺を移して、しっかりソースに絡めていく。


「ここでバターを入れても美味しいんですが、まあ、今回は学園祭なので」

 

 確かに、原価に跳ねてしまうのは痛い。保存が難しいのも問題だ──そうだ、保存。

 玉ねぎとピーマンは常温でも問題ないだろうけど、ウインナーはちょっと工夫がいるかも。

 悩む私をよそに、篠森が綺麗に盛り付けた皿を調理台へ置いた。


「純喫茶風ナポリタン、完成です」


 全員で皿を回しながら、ひと口ずつ味見していく。

 私もフォークを伸ばし、くるりと巻いて口に放り込んだ。


「うわおいしっ!」


 モチモチの食感と、口に広がるケチャップ味。安っぽいといえばそうなんだけど、何故かもうひと口食べたくなってしまう。

 ピーマンと玉ねぎも、存在感があっていい。それぞれもっちりした麺とは違った食感で、食べ飽きなさに一役買っている。

 美味しくて、しかも懐かしい味だった。

 青葉先輩と食べた、あの純喫茶の味だ。


「──美味しい」


 私の隣で、口元を隠した青葉先輩が呟くように言った。

 それからフォークを置いて、ごく自然な仕草で篠森の手を取り、目を合わせて微笑む。握手会のアイドルみたいだった。いや知らないけど。


「すごく美味しい。篠森さんって、本当に料理が上手なのね」


「……ど、どうも」


 突然のスキンシップを受けて、篠森は若干動揺しているように見えた。

 無理もない。青葉先輩の距離の詰めかたは、ほとんど超能力だ。どんな相手でもあっという間に懐へ入り込み、籠絡してしまう。

 自身の才覚で先陣を切る神楽坂会長とはまた違う、ある種のカリスマ。

 昔からそういう人だったけど、今も変わっていないらしい。名門の美浜大附属で生徒会長を務めているだけはある。


「篠森さんがいれば、この企画はきっと成功するわ。だから、どうかよろしくね」


 それから先輩は私のほうに振り返って、


「素敵なシェフを紹介してくれてありがとう、桜さん」


 と、微笑んだ。

 ちょっと芝居がかった台詞がバシッと決まる。そういうところが、いかにも青葉先輩だと思った。


 †


 青葉先輩が撮影した動画は、すみやかに両生徒会に共有された。こちらはこちらで、篠森にレシピを書き下ろしてもらって共有した。

 あとは各自、自習。

 なんだかんだ生徒会の面子は皆真面目なので、これでナポリタンはなんとかなるだろう。

 肝心のコーヒーは、発案者の青葉先輩が請け負ってくれた。自宅のコーヒーメーカーを提供してくれるそうだ。

 もう一人メーカーを持っている三年生がいて、本番はその二台で回すことになる。正直インスタントでも充分だと思うけど、機材があるならそれに越したことはない。

 純喫茶のメニューも決まった。

 まずはコーヒーのホットとアイス。それからアイスのカフェオレと、篠森直伝のナポリタン。

 最後に、お茶請けとしてクッキーだ。これは皆で協力して、前日に焼きまくる。

 うん、いいんじゃないだろうか。

 ちなみに当日は両校で生徒が行き来できるようになるけど、合同生徒会による喫茶店は海浜高校の校舎屋上で行う。来年は美浜に来てね、とは青葉先輩の弁だ。

 九月の半ばを過ぎても進捗は上々で、当初に作成したスケジュールはいくらか前倒しされていた。

 純喫茶というコンセプト上、派手な看板なんかを作らなくていい点も大きい。食器類やテーブルクロスなんかは持ち寄りで、衣装は腰巻きの黒エプロンだけを購入した。600円くらいの安物だけど、青葉先輩が持ってきた花の形の間接照明の元では高級感があるように見える。

 生徒会役員の特権で、自クラスの出し物──ロシアンルーレットたこ焼き──への協力は免除されていたけれど、ちょっと協力してもいいかな、というくらいには余裕があった。

 そんな九月の末のことだ。

 青葉先輩から、メッセージが届いたのは。


  †


 土曜日。

 私は海浜美浜の駅前にいた。


「ちゃんと来てくれたのね、桜さん」


「いえ、そんな。青葉先輩に呼ばれたなら、どこへでも行きますよ」


「本当に?」


「もちろんです!」


「じゃあ、誘う私の責任は重大ね」


 ふふ、と青葉先輩が笑みを溢した。

 今日の先輩は、シルエットの緩いシャツにワンピースを合わせていて、女子大のお嬢様って感じだ。

 自分の薄紫のパーカーを見下ろして、子供っぽくはないかと不安になる。


「ちゃんとお腹は空かせてきた?」


「ばっちりですよ」


「よろしい。じゃあ、行きましょうか」

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