第28話 夕日

 山道から家に入る道は木々で荒れていて、この先に家があるなんて気づかない状態だった。ここに住んでたのは、ついこの前なのに、人がいないとこんなに荒れちゃうのね。でも、ここって懐かしい。


 すでに夜はあけ、太陽がさんさんと周りを照らしてたけど、家の周りも雑草で囲われていて、入るまでに、雑草をかき分けて進むような状態だったわ。


 そう、ここにおじいさんの家があったわね。今は焼いたから家はないし、家の基礎のコンクリートは壊して、畑にしたから、なんの痕跡もない。でも、思い出はいっぱい残ってる。


 ここで、私たちを受け入れてくれた時のおじいさんの心配そうな顔。お風呂を薪で沸かして、ぜいぜいしながらも、先に入りなさいって言ってくれた優しいおじいさんの顔。3人で囲炉裏を囲んで大笑いした時の裕司の顔。どれも懐かしい。


 私は、おじいさんと裕司と過ごした時間を、懐かしく思い出していたの。あの時は大変だったけど、3人で大笑いしてる時間もいっぱいあった。なんでかな。人生を振り返って思い出すのは、今となると、あの3人で一緒にいた時だけ。


 会社の先輩に憧れた時もあったけど、その時よりも、3人で一緒にいた時の方が充実していた。


 寒い中、暖かい囲炉裏を囲んで、けんちん汁とかよく食べていた。あのけんちん汁、美味しかったな。東京で食べたステーキよりも何倍も美味しかった。多分、心から楽しんで食べていたからだと思う。


 贅沢って、お金を使えばいいってもんじゃない。あのけんちん汁のように、具は貧しくても、心が豊かで幸せなら、それが贅沢ということよね。


 東京にいるときは、3食とかは惰性で食べていた。時間になると、食べたいなんて考えることなく、食べていた。でも、この山では、食べ物が少なくなって、買い出しに行くまで、白菜を生で食べて、少し我慢してなんてこともあった。


 だから、ご飯があるってことに感謝して、今食べてるご飯の味を一つ一つ大切に味わいながら過ごしていた。そんなことに気づいたってことは、とってもありがたいことだと、今更ながらに気づいたの。


 裕司はあの優しいお爺さんを殺害した。そして、私は、その裕司を毒殺した。それなのに、3人で大笑いしている時間ばかりを思い出す。


 多分、生きるっていう1つの同じ目的に向かって、みんなが一致協力して進んでたから、合宿のような、連帯感があったのかもしれないわね。今どき、普通に暮らしていれば、生きるなんて考えることなんてないもの。


 もう一つは、おじいさんに打算がなかったこともあると思う。とっても、私に優しくしてくれたもの。その点で、おじいさんを殺害した裕司はひどい。


 そんな思い出に浸っていたけど、今日から、ここで生活するために現実に戻ったの。風雨にさらされてか、家はだいぶ傷んでたけど、ログハウス自体は、十分に使える様子だった。


 そこで、部屋を換気し、掃除をしたの。ここを出た時は、慌てて出て行ったから、服とか、いろいろなものが残っていたのは助かったわ。そして、それなりに暮らせる元の姿にまで戻せた。


 車は、名古屋に行くときに駅まで乗っていったから、ここにない。そもそも、新しい名前での運転免許証もない。だから、しばらく、街に買い出しに行くのは大変かも。


 でも、忘れていたけど、お米とか、お酒とかも残ってた。畑で育てる野菜の種とかもあった。そう、名古屋に行くのに、そんなものは持っていけないって思ったものね。


 それだけで、当面は生きていけそう。街に降りると警察がいるかもしれないし、当面は、ここで静かに暮らさないと。


 そういえば、この敷地の入口に、昔から変だと思ってたんだけど、カエルの置物があったことに気づいた。何かなと思ったら、上の蓋が開けられて、その中から、ラッキーなことに、さらに4,000万円が見つかった。


 これは気づかなかったわ。おじいさんも、お金は盗まれる可能性も考えていたということね。まだ、どこかにあるかもと思い、一通り調べたけど、それだけだった。


 5年以上使っていなかったから、畑とかも荒れ放題で、元に戻すには大変そうだけど、私1人でも半年ぐらいあれば、なんとか戻すことができると思う。4,000万円があれば、1ヶ月に1回ぐらい、お米とか街に買い出しに行けば、長期間、生きていける。


 私はここでしか過ごせないのね。ここは長年、見つからなかったし、捕まらずに自由に過ごせるだけで十分だもの。


 ふと周りを見渡すと、裕司とおじいさんの遺骨を埋めた斜面が目に入った。でも、おじいさんも裕司も、私の家族だから、怖いなんて感じない。私を見守っていて。お願いだから。


 いずれ、大きな石とかでお墓を作って、毎日、冥福を祈ろう。亡くなっていても、家族が一緒に暮らすのは当然のこと。


 でも、見守ってくれてても、もう、ここには、私しかいない。風に揺られる木々、葉っぱの音しかしない。もちろん、2人の笑い声もしない。私、本当に1人になっちゃった。


 私はどんな暮らしをしたかったのかしら。今から振り返ってみると、そんなことすら考えたことがなかった。恵まれていたのね。


 優しい夫に、笑顔いっぱいの息子。そんなのって理想だけど、私に似合うと思わないし、実現もできそうにない。私自身、そんなに立派な人でもないし。


 どう考えても、1人で暮らしてる姿しか思い浮かばない。だから、ここで3人で、忖度なく心から笑いあえた、あの日々を思い出したんだと思う。


 周りを見てみると、ちょうど紅葉の時期で、夕日を浴びながら、一面が黄金の世界のように見えた。私に、神様がお疲れさまでしたと言ってくれているみたい。


 会社に入るまで特に何もなかったけど、先輩と付き合ってからは、多くのことがあったわ。ハッキングして先輩の彼女を排除したり、殺害したり、私のことを脅迫した男性を殺害したり、旦那を毒物で殺したり。


 みんな、私の邪魔するから当然の報いなのよ。私は、全く悪くない。優しくしてくれたおじいさんを殺す裕司とは違うもの。


 そういえば、東京大地震で美鈴と幸一はどうなったんだろう。多くは、しばらくの間、メタバースは使っていなかったから、生き残っていたとしても、現実世界で女性2人で過ごしていたんじゃないかしら。


 でも、2人は仲良くやっていけると思う。心から、お互いに尊敬し、愛しあっていたもの。体なんて関係はない。


 私は、男性とはうまく接することができない性格なのかもしれない。いえ、私の周りに集まってくる男性が、癖がある人が多いからなのよ。お互いに尊敬し合うなんて、これまでなかったもの。だから、結局、1人が楽となってしまう。


 本当に、美鈴と幸一は羨ましい。周りがどう思っても、二人の気持ちは揺るがないから。


 そんなことを考えている時、品川では、紗世が凶悪犯人ということで全国手配となり、名前を変えて、裕司という人と結婚していたことが警察の調べで判明した。


 そして、品川で会った会社の人から、今は、さらに名前を変えて、名古屋に住んでることもわかった。早急にDNA検査をしたところ、木本 紗世と、酒井 みうと、坂下 くるみは、同一人物との判定も出た。


 さらに、全国手配をしている中で、裕司が買い出しに行った時に裕司の顔を見たという証言も出てきて、甲斐大和駅近辺で暮らしているということまで絞り込まれた。


 そして、明日の朝から、警察犬を連れた警察50人が、紗世の住む場所から3Km先で捜査を始めることで、今日の捜査会議は解散になった。


 そんな中、私は、夕日がもうすぐ山から消え、真っ暗になろうとする美しい風景の中にいる。そんな貴重な時間に、私は、今、沸かしたお風呂に浸かりながら、夕日の美しさに見惚れていた。


「今日は、よく動いて汗もかいたわ。ゆっくりと汗を流しましょう。あぁ、気持ちいい。紅葉も綺麗だし、高級旅館の露天風呂みたいで贅沢よね。これからは、山での地味な暮らしになるけど、やっと、私の自由な時間が来たんだから。ゆっくりとしましょう。」


 食卓には、炊いたばかりのお米、たくあんと、めずらしく日本酒が用意されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛する女性の行方 一宮 沙耶 @saya_love

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ