第27話 健斗との再会

 私も35歳になった頃、東京のお客様の要望で1ヶ月間、東京の現地で対応して欲しいと言われていて、上司から、お客様の強い要望だから行ってくれと言われたの。


 もちろん、今時、対面じゃないと進まない仕事なんてないし、メタバースでお会いすればいいじゃないですかと言ったのよ。でも、上司から、大きなお得意様だからと強引に説得され、1ヶ月だけだしと思って、渋々といくことにしたわ。


 久しぶりの品川。5年ぐらい来たことなかったけど、あまり、変わっていないのね。駅から南に向かう道は、昔より少しおしゃれなお店が増えたみたい。


 そういえば、その道路は銀杏並木になってる。銀杏並木が黄色の世界に変わるのはもう少し先だから、多くの葉っぱはまだ緑色だけど、少し黄色に変わっているところもある。これが、一面黄色の世界になったら、素敵でしょうね。


 銀杏って、生きた化石と言われてるんだってね。絶滅しそうだった銀杏は、人間に好かれて広がっていった。一面黄色の世界というのも、好かれた理由の1つかもね。


 そうそう、仕事で来たんだった。お客様を訪問し、今後の事業戦略や、進むべき方向についてレクチャーを受け、基幹システムのあり方についてすり合わせを行った。そして、終わって、ホテルに帰ろうとすると、お客様から声がかかったの。


「坂下さん、今日は、わざわざ東京にまで来てくれてありがとう。疲れたでしょう。でも、これから1ヶ月間のプロジェクトをやるうえで良好なコミュニケーションも必要だと思う。だから、今夜は歓迎会を用意したので、ぜひ、ご一緒させてください。もう予約したから、行きますよ。」


 私は、上司の顔を思い浮かべ、断ったら、ひどく怒られそうな気がしたので、短時間なら参加しますと答えた。そして、2時間の宴会を終えて、お客様とお店を出るときだった。ある浮浪者に絡まれたの。


「痛いな。ぶつかってお詫びもなしかよ。骨が折れたかも。病院代を出せよ。俺は、女だからといって許さないぞ。」

「何、あなた。どきなさいよ。」

「あれ、紗世じゃないのか? あの殺人で捕まった。確か、地震で死んだとか言われてたけど、ここにいるじゃないか。俺を殺さないでくれ。謝るから。殺さないで。」

「あの、坂下さん、お知り合いですか?」

「いえ、知らない人です。言いがかりですよ。行きましょう。」

「大変だ。お巡りさん、ここに殺人者がいますよ。お巡りさん。」


 私は、否定しようと思ったけど、警察に補導され指紋のチェックとかされると、ごまかしきれないと思い、走って逃げたの。どこまで、私は、運が悪いのよ。


 あいつは、不倫して奥様からも見放された健斗じゃない。新宿にいたんじゃないの。品川なんかにいるんじゃないわよ。


 あんなに、ネズミのように汚れて、皺ばかりで、年をとった健斗を見たのは驚いたけど、あれは間違いなく健斗。殺しておけばよかったわ。食べる物もないのか、以前と比べて、考えられないほど痩せ細っていた。


 そんなこと、どうでもいい。もう、私には関係のない人なんだから。そう逃げないと。私は、タクシーに飛び乗った。お店の前にいるお客さまは唖然として立ち尽くしていたの。


「大月までお願いします。早く出して。」

「わかりました。高速はどこから乗りますか?」

「任せます。」


 ここがメタバースだったら逃げやすかったのに。どうして、現実世界の仕事なんて要望してきたんだろう。本当に迷惑。バレちゃったじゃないの。せっかく、別人の名前をもらって、静かに暮らしていたのに。


 しばらくして、相模湖に近づいてきた頃、タクシーの無線が入り、若い女性が逃亡したと話していた。運転手が私のことに気付いて、そのまま警察に連れていかれたら逃げられない。見つかる前に、降りないと。


「こんな夜に若い女性が逃亡するなんて話しがあるのね。でも、犯罪者だったら捕まえないと安心して暮らせないしね。」

「お客さん、本当にそうですよね。そういえば、どうしてこんな時間に、お客さんみたいな若い女性が大月になんて行くんです?」

「親の家が大月にあって。」

「どこなんですか? その家まで行きますよ。」

「いや、お金、高くなるから大月でいいの。」

「そうですか。でも、大月から遠いと、こんな時間、女性の一人歩きなんて危ないですから。北側ですかね。あそこ、すぐに降り坂になって、そのあと、上り坂になっていますよね。神社とかありましたけど、なんていう名前でしたっけ?」

「なんだったかな。まあ、大丈夫だから大月駅前でいい。」

「わかりました。でも、お住まいが大月だと、こんな遅くまで品川で飲み会なんて大変ですね。」

「本当にそう。お客さんから誘われて断れなかったんだけど、本当は、夕方ぐらいに帰る予定だったのよ。ああ、疲れたわ。」

「でも、毎日、大月から通勤だと大変ですよね。」

「親は大月に住んでるけど、私は、別の場所に住んでて、基本はリモートなのよ。でも、お客さんの都合でしばらくの間、品川に来いって。少しの期間だし、親の家から通うことにしたの。親とも久しぶりだし。」

「じゃあ、いつもはどこに住んでるんですか?」

「ごめんなさい。女性1人暮らしだから、どこにというのは言えないかな。」

「そうですよね。なんか、いろいろ聞いちゃって、失礼しました。」


 このドライバー、私のこと疑ってるわね。このままだと危ないかも。このドライバー、話す声は変わらず穏やかだけど、目はさっきより厳しくなってる。沈黙の時間が続いた。


「あ、検索したら上野原に、ちょうどいい電車が来るみたい。もうすぐ上野原だし、上野原の駅で下ろして。」

「わかりました。では、もうすぐ高速を降りますね。」


 そして、私は、上野原から甲府方面の電車に乗った。ここはSuicaで入れるんだけど、入口に駅員がいて、なんか怪訝そうに私を見ていたの。タクシーのドライバーが通報したのかしら。もちろん、あり得る話しだから、それも踏まえて、これからの行動を考えないと。


 この電車もずっと乗ってるのは危ないかも。そこに、甲府ゆきの電車が到着した。この路線は乗客が数ないから、電車のドアはボタンを押して乗る。そんな感じだから、電車の中には乗客はほとんどいないの。


 そして、大月に到着すると、駅の周りには多くのパトカーが待ち構えていた。やっぱり、あのドライバー、大月に行くって警察に言ったんだと思う。でも、よかった。目的地は大月じゃないから。


 私は、発車した電車に座ったまま、初狩の駅を通り過ぎた。その時、私しかいない車両に車掌が歩いてきた。そして、車掌は、私に声をかけてきた。


「どこまで行かれますか?」

「Suicaで運賃は払いますが、何か問題があるんですか?」

「いえ、これが終電なので、大丈夫かなって思って。」

「大丈夫です。終電ということも知ってます。ご心配、ありがとうございます。」


 車掌は、私が刃物でも取り出して襲うんじゃないかって恐れているようにも見えたけど、それ以上、話すこともできずに、次の車両に歩いていったの。私、車掌に文句言われるような悪いこと何もしてないし。


 でも、ドアを通り過ぎると、何やら電話をしてるように見えた。とっても小さな声で、怯えた様子で。そして、私の方を何回も見て話してる。


 そう、一般的にいえば、3人、いえわかってるのは2人を殺害して、凶悪犯だものね。私を攻撃する人を殺害しただけで私には非はないけど、知らない人から見ると、狂気の女性で、自分にも襲いかかってくるかもって思うかもしれないわ。


 まずい。これは電車とかにも警察から連絡がいって、私を探してるに違いない。私は、甲斐大和駅で降りる予定だったけど、今、到着した笹子の駅で降りることにした。そして暗闇の道を歩いて、まず甲斐大和駅に行き、そこから山を登って、あのおじいさんの家に向かうことにした。


 気温はそれほど寒くはなかったけど、それほど高くないもののハイヒールだったので、歩くのは大変だったわ。だから、ハイヒールは脱いで歩くことにしたけど、アスファルトの上とはいえ痛い。周りの家々の庭とか見ながら歩いていると、ゴミ置き場に、ラッキーなことに、汚れたスニーカーが捨てられていた。


 そんなこともあるものなのね。男性用で、少し大きいけど、痛いままでは歩けないしと思って、そのスニーカーを履いて、笹子峠に向かって歩いた。


 メタバースが普及してから、こんな道を夜に歩いたり、車で通ったりするのは珍しい。こんな道路を走るとすれば、物を運ぶトラックぐらい。でも、そんな車から、不審な女性が1人で夜道を歩いていたなんて言われないように、車が通るときは、影に隠れたわ。


 そんなことしていたから、思ったより時間がかかったの。そして、朝3時ぐらいだったと思う、甲斐大和駅に着くと、パトカーがいっぱい光を放っていて、検問のようなことが行われていた。


 本当だったら、この駅から、しばらくはアスファルトの道で進めるんだけど、そこに行くには検問を通らなければいけなそうだし、これからも警察の要員は増えるかも。大勢の警察官がいれば、女性の私は1人では逃げられない。


 そう思い、私は、アスファルトの道を迂回して、登山口に行くことにした。この登山道は、一回、通ったことがあるけど荒れていて、山の地図にも点線でしか書かれていない。


 確か、一部は通行禁止だったと思う。そんな道を、こんなビジネススーツで行くなんて無謀だってことはわかってる。でも、そうしないと捕まっちゃう。


 まだ朝の4時。こんな時間に、山、しかも険しい山を歩くなんて自殺行為かもしれない。ライトも持ってないし。足を踏み外して、崖から落ちてしまうかも。でも、それしか選択肢はないわ。


 幸いなことに、今日は満月で、木々でここは暗いけど、道はなんとか見える。無理でも進まないと。途中には大きな岩をよじのぼる所もあったけど、泣いてる時間はなかったの。


 そして、命からがら、あの山中のおじいさんの家に戻ってきた。その時には、服は、木の枝とかに引っかかったりしてボロボロで、綺麗に手入れをした爪も傷だらけだった。

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