第26話 山暮らし

 私たちは、あの火事から特に変わることなく、普通に生活をしていた。でも、ある時、家に警察が来たの。


「電車の中で、木村 拓人さんが、あなたに声をかけている様子が監視カメラに取られているんですけど、お知り合いですか?」

「木村さん、誰ですか?」

「この人です。この写真、大学生の頃のものなので、少し若いですが。」

「そういえば、この人と会ったことがあるかもしれません。電車の中で、誰か別の女性と勘違いしたようで、声をかけてきて、さらに、私に触ってきたんです。私は、怖くて、その場を走り出しました。その人に似てる気がします。」

「そうですか? 確かに、痴漢だと叫んで女性が逃げていったと記録が残っていますが、それがあなただったんですね。わかりました。また、お伺いするかもしれませんが、今日はこれで帰ります。ご協力、ありがとうございました。」


 その晩、私は、裕司に警察が来たこと、話したことを伝え、今後、どうするか相談した。


「俺たちは、警察に行くわけにいかない。指紋を調べれば、別人だとわかるからな。今から逃げよう。前から、ずっと狙っていた所がある。」

「どこに逃げるの?」

「山の中だ。そこは、ほぼ完全に街とは隔絶されていて、見つかることはないと思う。ただ、その分、生活はほぼ自給自足になり、苦労するが、今の状況を見るとやむを得ない。我慢してくれ。」

「わかった。」


 私は、マンションの契約を解約し、東京都には、旦那の母親の介護で福島に戻るので退職すると伝えた。そして、裕司と一緒に、雪が舞う中、山に向かったの。


 目的地に着いた時は、本当にここで暮らせるんだろうかと思ったけど、地震の時の避難所での生活を考えると、そんなに難しいとも思わなかった。


 でも、裕司が、あんなにお世話になって、仲良くしていたおじいさんを躊躇なく殺したことには恐怖を覚えたわ。私も人を殺害しているけど、私を攻撃してくる人を排除しただけなの。でも、おじいさんは私たちに何もしていない、というか、優しくしてくれたじゃない。


 もう利用価値がないから殺すなんて。さらに、おじいさんが貯めていたお金、8,000万円を自分のものにしている。まあ、使い切らずに亡くなるはずだったんだろうけど、殺して、自分のものにしてしまうなんて。多分、裕司には罪悪感がないんだと思う。


 そういえば、裕司は最初はしょっちゅう私にエッチを求めてきたけど、ここ半年以上はエッチしていない。さらに、この前、私が畑作業とかで老けたなと言ってたわね。


 あまり大切な存在、一緒にリスクを負う存在だと思われなくなっている気がする。そうだとすると、若い子はこんな厳しい生活に耐えられないだろうから、ここに呼ぶことはないと思うけど、私を殺して、8,000万円を独り占めする可能性は十分にある。


 そもそも、私が逮捕されるからってここに来たけど、裕司はまだ疑われていない。犯人の夫というぐらい。なのに、どうしてこんな苦しい生活をしてくれてるんだろう。前から不思議だった。


 また、私がいなければ、知らぬ顔をして、どこかの都市に戻って、妻が介護疲れで失踪したと言ってれば、普通に生活を続けられるんだと思う。


 もしかしたら、私のことが邪魔になって、こんな誰も来ないところで殺せばいいなんて考えているから、ここに来たのかもしれない。


 日々、裕司の顔を見るたびに、その疑惑は大きくなってきた。私は、殺される。


 電気がないから、夕方にはお風呂に入り、暗くなると、囲炉裏に火をつけ、時にはロウソクに火を灯し、軽い食事をしてから眠る。寝るのは冬だと7時半ぐらいかな。


 おじいさんがいなくなってから、真っ暗になると亡霊が出てこないか怖かったけど、今は、横で寝てる裕司が、寝てる間に私の首を絞める夢で毎晩、うなされるの。


 そもそも、裕司は私の過去を知った上で結婚したんだから、私の気持ちは、裕司に操作されていたに違いない。私の好みを知り、寂しい時に私を誘い、私が困ったときに助ける、こういうことを続けて、私をマインドコントロールしたのね。


 だから、裕司が私のことをどう思っているのかは分からない。私が、思っていた裕司がここにいるのだろうか。最初から、気持ちを隠した男性がいただけなのかもしれない。


 他人になりすましているんだから、素性や経歴も違うかもしれないわね。懲役刑の罪状も違うかもしれない。確かなのは、ITスキルがあるってことだけ。ITベンチャーのCTOだって、本当かどうかはわからない。


 そう思うと、不気味な男性が、真っ暗な中で私の横にいる恐怖感が日に日に高まっていったの。そして、私は決めた。このままでは殺される。その前に殺さないと。


 もう、私一人でも暮らせるスキルは身に付けたし、8,000万円はほぼ残ってるので、それで、お米とか買っていけば、何十年も生きれると思う。


 山にあるトリカブトを採取し、毎晩、裕司が飲んでるお酒に入れることにした。裕司は焼酎を、水も氷も入れずに飲むので、味はそれほど気づかれないと思っていたし、色も夜で暗いから大丈夫なんじゃないかと。


 鍋を食べながら、裕司は、お酒をいつものようにいいペースで飲み始めた。私は、そんなに強い方でもないし、好きじゃないものでお金を使うのももったいない。だから、私は、お酒は、山に来てからずっと飲んでないし、裕司もそんな姿を見て勧めてくることもない。


 飲み始めて20分ぐらいした頃だろうか、裕司は足が痺れると言い始めて、少しすると倒れてしまった。


「お前、何か入れたのか?」

「そんなこと、するはずないじゃないの。でも、今からお医者さんを呼んでも、いつになったらここに来るかしら。」

「裏切ったな。俺は、お前を愛していたのに・・・。」


 そして、痙攣し、呼吸ができなくなって、裕司は息途絶えた。私は、早朝に、おじいさんの遺体が埋まっているところの横に穴を掘り、裕司の遺体を埋めた。そして、裕司の遺体に、残りのお酒を流した。


「ここには誰も来ないし、遺体が発見されることもないわね。あなたの大好きなお酒と一緒にお眠りなさい。これまで、ありがとう。私は、30歳も過ぎて顔も少し老けたから、元の紗世と気づかれる可能性も減ったし、この山での生活も疲れたから、都会の生活に戻ることにするわね。バイバイ。」


 私は、家中から、丁寧に自分の指紋を拭き取り、痕跡となるようなものは全て焼いた。幸いなことに、私がここにいる時には、訪問する人はいなかったし、街への買い出しも、裕司がしていたから、街の人に私のことを伝えているはずがない。


 だから、私がここにいたという事実はなくなったんだと思う。そこで、帽子を深々とかぶり、マスクをして街に戻り、電車で、名古屋に向かった。


 警察の目があるから、それなりに人が多くいる街が、隠れるには都合がいい。でも、大阪とかだと、東京との人事交流とかで東京の警察が来ているかもしれない。また、観光地だと、東京の警察がプライベートで旅行に来るかもしれない。


 そのバランスを考えて、名古屋に住むことにした。まず、郊外でいいし、広くなくていいので、老人が孤独死をし、しばらく放置されていた廃屋を購入した。


 数年、死んだのが気づかれなかったと言うから、親しい家族や親戚はいないんだと思う。この点も良いわね。変なところで足がつくのは困るから。


 不動産屋は、お亡くなりになった人がいる不動産だと通知して、若い女性が大丈夫ですかと聞いてきたけど、私は、東京の地震で死んだ人は多く見たから大丈夫と答えた。


 訳あり物件ということで現金2,000万円というから、ポンと出したら、うるさいこと言わずに登記とか権利証とかを出してきた。多分、もっと安く売るつもりだったんだと思う。家も欲しいでしょというので、いくらなのと聞いたわ。


 1階建てのプレハブでいいのでというと、1,000万円で元の家の解体と小さな家の建築をしてくれたの。私1人だから、それで十分。これまでの生活を考えれば、電気もあるし、天国よね。


 戸籍と住民票は、東京で被災したからないと言って、その不動産屋に相談したら、200万円でなんとかしてくれた。新しい名前もセットで、結婚の履歴も消えたわ。お金持ちの訳あり人物だと思ったのね。お金があれば、なんでもできるんだと今更ながらに気づいたわ。


 ただ、残り4,000万円ぐらい手元にあると言っても、一生、これで生きていけないから、名古屋にあるIT会社の面談を受けて、またIT会社で働くことにしたの。


 ということで、名古屋で、新しい名前での生活を開始できたわ。本当にラッキーよね。今まで何もない自給自足の山での生活に比べれば、東京大地震で日本の世界における競争力は大幅に下がったけど、それなりに名古屋で豊かな生活を送れる。


 もう、結婚もしたし、静かに、目立たず生きることにしたから、男性なんていらない。

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