第5話 藤、龍宮で働く

「ああ、藤、顔を上げて下さい」

「いや、でも、とんだご無礼を……」

「いいのです。私は藤に頭を下げて欲しいのではなく、食事をして欲しいのです。生贄としてたっていたのなら、ここのところろくに食事をとっていないのでは?」


 その言葉と同時に藤の前に食事の乗った膳をにしきが差し出してくれた。

 膳の上には飯、香の物、吸い物、川魚、果物が乗っている。


「……どうして私が食事をしていないのが分かったんですか?」


 そう、最近の藤は生贄になるという心痛で食事が喉を通らなかった。

 葵龍神は睫毛をふせて悲しそうに言う。


「生贄にされた少女は大抵、ここに来る前に食事が喉を通らなくてお腹を減らしています。そもそも私は生贄など望んだことはないのに、人間は生贄を私や蘭鳳らんほうにささげてきます」


「蘭鳳神……さまにも……」


 藤の村は陽明国の北なので北に住むという葵龍神を祀っていて、生贄は葵龍神にささげられていた。

 しかし、南の地方では、南に住むという蘭鳳神に生贄がささげられるのだ。

 生贄の風習は、もうすたれた昔のことなのだが。


「私も蘭鳳もとても悲しく思っています。何故、可愛らしい少女ばかりを選んであの滝から突き落とすのか」


 その顔がとても憂いを含んでいたので、藤は葵龍神が嘘を言っているのではなく、本気で悲しんでいると分かった。


「今回は私が生贄の儀式に気が付いたから、助けることができました」

 

 ほっとした表情で葵龍神は藤を見る。


 しかし、人間側にも生贄をたてた訳がある。

 藤は葵龍神がなぜ雨を降らせてくれないのか、聞きたくなった。

 雨の神である彼が雨を降らせてくれていたら、藤は生贄になどならなかったのだ。


「ここ最近、三か月間ほど村では雨が降ってないんです。作物は育たずに枯れていき、草原や森も枯れました。葵龍神さまは雨の神。なぜ雨を降らせて下さらないんですか。私たちは何か葵龍神さまに無礼を働いてしまったのでしょうか」


「……ああ、そういう事ですか」


 合点がいった、というように葵龍神は頷いた。


「その訳はあとで説明します。今は食事をしてください」

 

 またにこりと笑まれて、藤は少し拍子抜けした。あとで、と、葵龍神が言うのなら待たなければならないだろう。


 藤は膳の上の食事をまた見た。


 おいしそうなものが沢山あって、堰を切ったように箸を勢いよく使ってばりばりと食べだした。




「美味しかったです~。ご馳走様でした!」

「それは良かった。いい食べっぷりでした」


 葵龍は藤が食べ終わるのを見て、部屋の隅に控えていたにしきさいを呼んだ。


「錦、彩」

「はい」


 二人の声がそろう。

 

「藤を里に案内してください。どこか彼女が腰を落ち着けて暮らせる家があれば、そこで生活ができるように、取り計らってください」

「はい」


 (あー。私、この御殿ごてんじゃないところに移されるのか。それもそうだな。当然か)


 葵龍の言葉を聞いていた藤は納得したが、少し寂しい気分になった。

 里、とはどんなところなのだろう。

 せっかく会うことが叶った初恋の人、アオイとまた離れてしまう……。

 それが、とても寂しい。

 けれど、それが葵龍神の考えならば、藤は従わなくてはいけないと――


「ま、待ってください。葵龍神さま」

「はい?」


 葵龍は不思議そうに藤を見た。


「私は神職でもあります。ずっと葵龍神さまを敬ってきました。ですので、私をここで使ってくれませんか? 雑用も飯炊きも弓で獲物を取ることもできます。ええ、是非使ってやってください!」


 藤は葵龍に詰め寄りながら、膝でそろっていた彼の手を握った。


「私、なんでもやります! 掃除だって出来るし、力もそれなりにあるし、身体も丈夫です!」


 本当は、掃除は苦手な藤だったが、そこは大目に見て欲しい。


「あ、あの……」


 少したじろいだ葵龍に藤はたたみかけた。


「私のつくるご飯は陽明国一、美味しいです!」


 家族はいつも美味しいと言って食べてくれる。

 葵龍は藤の真剣な瞳に気おされて、藤の瞳を見て、大きくため息をついた。


「……分かりました。ほかならぬ藤の頼みです。ここで働くのもいいでしょう」

「やったあ! 有難うございます、葵龍神さま! それと、ここは何ていう場所なんですか?」

「今いるところは私の住む龍宮りゅうぐうです。龍の隠れ里の中の」

「龍の隠れ里、ですか」

「あの、手を……離して頂けますか? ちょっと恥ずかしいのです」


 葵龍の手を握ったままだった藤は、そう言われて自分のしていることがとても恥ずかしくなった。


「す、すみません!」


 藤は赤くなったが、葵龍の顔も赤くなっていることに藤は気が付かなかった。


「それと、葵龍神、と呼ぶのはやめて下さい。葵龍でいいですよ」

「葵龍さま、ですか?」

「はい。なんならアオイでもいいです」


 にこりと笑まれてそう言われたけれど、葵龍の後ろに控える彩に藤はものすごい目で睨まれた。その迫力に少したじろぐ。


「それはちょっと不敬になるかと……。あいだを取って葵龍さまと呼びますね」


 葵龍は少し残念そうに眉尻をさげた。


「そうですか。残念です。では、食事が終わったようなので、錦と彩と一緒に里の様子だけでも見てきてください。あなたがこれから住む世界ですから」


 これから住む世界―― 

 そう言われて、藤はもう雫村しずくむらには帰れないのかな、と思った。

 だが、それは一瞬で答えが出た


 生贄ふじが家に帰って来ては、家族が村八分にされてしまう。

 生贄は葵龍神のもとにいなければいけないのだ。

 でないと葵龍神は雨を降らせてくれないと、村のものたち――人間は思っているのだから。


「本当の意味での『神』……などいるのでしょうか……」

「? え……? なんですか?」

「いいえ、なんでもありません」


 ぽつりと聞き取れないほどの小さな葵龍の声は、藤にはよく聞こえなかった。

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