第20話 過去は決して逃れることはできない。

 速い、そして力が強い。目の前の執事のどこにそんな力が隠れているのかと思うぐらいには後手後手に対応が遅れる。


 時間、時間を稼げ……においで得られる情報に全神経を集中させてナイフを受け、いなし、躱す。


「う……っつ」

「脇腹を庇いながら、よく耐えれますね? 厄介な鼻だ」

「誉め言葉をどうも……っ!」


 執事の顔に若干の焦りが見える。俺を相手に攻め切れないことに苛立っているのだろう、エルフの子は――大丈夫。あと3分粘れば、奴がどれだけ速くても『先輩が先にたどり着く』。


 貧民街の方に爆速で近づいてくる濃くなってくる先輩のにおいに、俺は少しだけ心に余裕を持つことが出来た。

 

 フェイント、ブラフ、本命の攻撃に繋げるための制圧行動……どれをとってもこの執事は常人のレベルを超えている。

 対人戦として技量も経験も向こうの方が上――それでも耐えれているのはひとえに先輩との訓練と鼻の利きだろう。


「ふむ……少々、いえかなり私はあなたを見くびっていたようです」

「そのまま見くびってもらえると助かるな、捕まえて洗いざらい吐いてもらう」

「それは出来かねます。では――」


 せめて手土産としてエルフを持ち帰るとしましょう……そう言って暗い路地に素早く消える執事、逃がすか!

 俺もすぐさま追いかけ――ようとした瞬間、路地の死角からナイフが飛び出てきた!?


「がっ……!」

「ふむ、罠系は有効……あくまでその鼻は人相手にしか通用しなさそうですね」


 左肩に深く刺さったナイフに思わず膝から崩れ落ちる俺に、悠々と路地から出てくる執事。はめられた……っ!


「惜しい、実に惜しい才能です。対人を鍛えれば良い番犬になろうものを……我が主と敵対してしまったのが、不運としか言いようがない」

「ぁ……ぐっ……!」

「そのお命、頂戴いたします」


 執事がナイフ片手に近づいてくる。逃げなきゃ……殺される……っ!

 幸い足は無事だから走れる、俺は肩の痛みも無視して路地から抜けだそうと一心不乱に逃げ――


 ――ザグッ……


「おや、逃げられると困ります」

「あっ……っ、あああああああぁッ!」


 ――ようとした瞬間、太ももの裏に猛烈な痛みと熱さが俺を襲った。

 持っていたナイフを投げたのか……っ!急に足の感覚が抜け、顔面から床に転んだ俺は、深く足に刺さったナイフを見てそう直感的に理解する。


「命の危険が迫った時に焦るのは思考の停止に他なりません……まぁ、平和のなかで生きている貴方たちにそれを求めるのは酷というものですかね」

「あぁ、ぐうぅ……っ!」

「エルフは……あぁ、残念ですが『また今度にいたしましょう』。ぬるま湯に浸っている衛兵が、虫一匹通さない密室に彼女を閉じ込めるなんてことはしませんでしょうし」

 

 コツコツと路地裏に執事が近付いてくる革靴の音が響く。今度……そうか、先輩は『間に合ったのか』……だからこそ、分かることがある。


 ――俺に助けは来ない。


 まったく、いやらしい作戦だ。エルフの女の子と俺の失踪だと、優先度的にエルフの誘拐が大事件だから発覚までが速い。

 だが、その事件を囮に本命である俺を抹殺すれば……少なくとも今日は誰にも気付かれることは無い。


「ぐっ……ぁあ……っ!」

「片足を潰されればいくら優れた衛兵でも逃げ切れないでしょう……終わりです」

「…………」


 背後からの濃厚な殺気――必ず仕留めるというが路地裏に充満する……こんな時に、俺が感じたのは『懐かしい』という感覚。


「奪わなければ、奪われる……生きるために、他人を殺せ――」

「……それは」

「クソ国家の……クソ時代の、クソスローガンだ……っ! 嫌なものを、思い出させやがって……!」

「……っ、死ね」


 執事が近付いてくるのをにおいで感じ取った俺は、無事な右足だけで地面を踏みつけ身体を捻り上げながら勢いよく立ち上がる。

 俺の首があった場所にナイフを突き立てた執事は、忌々しそうな目で俺を見た。


の……道理で、鼻が利くわけだ」

「たしかに平和で、久しく忘れてたぜ……そのゴミみてぇな殺意のにおい! もう二度と嗅ぎたくなかったってのによぉ!」

「地獄を生き抜いた者か、対人戦は得意でないところを見ると――元死体漁りスカベンジャーか」


 嫌な名称が執事の口から漏れ出る。死体漁りスカベンジャー……死んだ者から金品を漁る生き方。

 それをしないと生き残れない。金品を持てばすぐさま周りから殺そう、奪おうとするにおいが周囲の人間から充満する。


 ――そんな地獄に、俺はいた。


「あそこは紛れもない地獄だった……他人を信用してはいけない、生きるためには他人から奪わないといけない」

「醜聞は耳にしたことはありましたが、生き残りから経験談を聞ける日が来ようとは……」

「殺す、殺して生き残る――」

「……っ、良い殺意です」


 俺は太ももに刺さったナイフを引き抜いて武器にする。あの国じゃ尖った木の枝すらも武器にしなければいけなかった、それに比べれば……なんて殺しやすい武器だ!

 血が噴き出るのも構わずに執事に向かって肉薄する!


 肩、脇腹、腋の下――経験上、一番刺しやすくて防御のしにくい場所を選んでナイフを突き出す……が、相手も冷静に躱しては返す刀でナイフで切り合ってくる。


「いきなり……っ、戦闘スタイルが変わったか」

「殺す……!」

「それがあなたか! 随分と目が濁っていて実に素晴らしい!」

「黙れ――」


 ニヤつく執事の顔が腹立つので、顔面に拳を叩きこもうと空いている方の手でぶん殴ろうとする。

 しかし執事も顔を横に傾けてそれを躱し、ついでとばかりに肝臓を狙って突きだした俺のナイフも、手首を掴まれ阻止された。


「ッチ……」

「……ふむ。時間切れか」

「ぐっ……待て……!」


 俺の腹に膝蹴りを強く打ち込んだ執事は、そう言うと肩に刺さっていた俺のナイフを思い切り引き抜いた。


「ああああああぁ……っ!」

「|ナイフは返してもらいます。目撃者は少ないに越したことはない」

「なん……だ……?」

「ヴェルナー!!!」


 執事が路地裏に消えた瞬間、後ろの方から先輩の声が近付いてくるのをが聞こえた。

 俺が蹴られた腹を押さえながらそちらを振り向くと、ボロボロの俺の姿にハッとした表情をした先輩が猛スピードで駆け寄ってくる。


 ――助かった……先輩の姿を見た俺は、自然とそう思い安堵の気持ちを抱く。

 その瞬間、緊張の糸が切れたのか俺は意識を失ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一衛兵が英雄譚~俺が守ってるこの街に、世界規模の荒事持ち込んでこないでくれますか!?~ 夏歌 沙流 @saru0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ