水牛と共に歩む道

「帰ってくれ! 水牛族はもういない!」


 病室の扉を開けたとたん、悲鳴のような拒絶の声が七宝族の二人の足を止めた。

 ベッドの上では全身が包帯でぐるぐる巻きになった少年が、わずかに覗いた目をギラギラ光らせ彼らを睨みつけている。


「何を言うんだ、君は最後の生き残りだろう」


「俺一人生き延びても、羊も飼えないし隊商にも行けない。水牛族は滅びたんだ」


「それでいいのか? 君自身はともかく、亡くなったご両親や兄弟たち、ご先祖まで存在を否定されるんだぞ」


「貴様っ!! 言うに事欠いて!!」


「俺は絶対に嫌だ。あの薄汚い僭王せんおうの思い通りになるのは。だから俺たちは生き延びる。生きて、いつか故郷を取り返す。俺たちだけでは無理でも、他の部族の生き残りと力を合わせればきっと何とかなる」


「ああ、何年かかってもいい。それに、他にも生き延びた仲間がいるかもしれない。皆を探し出して、いつか必ずあの草原に帰ってみせる」


 ハガネの力強い言葉にホマレも同意する。

 松葉杖に支えられてかろうじて立っているホマレはまだ包帯だらけだ。

 その痛々しい姿に似合わぬ強い決意に、水牛族の少年は気圧されたように黙り込んだ。


「そんなことが本当にできるだろうか……」


 今度は消え入りそうな声。


「できる、じゃない。するんだ、絶対に」


「俺たちが生きている限り、七宝族は滅びない」


「お前たちはいい、まだ家族がいる。俺は……独りぼっちだ」


 肩を落とす少年は孤独が心を蝕んでいるのだろう。握りしめた包帯だらけの手が痛々しい。


「いや、俺たちがいる。決して独りなんかじゃない」


「そうだよ。俺たちが新しい家族だ」


「お前たちが……?」


 ハガネが少年に寄り添い、小さく震える拳をそっと握った。

 ホマレも杖を頼りにベッドに寄り、二人の掌に手を重ねる。


「ああ。共に生き延びて、部族の生き残りを探そう」


「たとえ見つからなくても、精一杯生きて家族を増やそう」


「俺たちの代では無理でも、子々孫々に語り継ぐ。いつか子孫が故郷に帰れるように」


「……そうか。俺たちが、部族を継いでいくんだな。新しい部族を」


 ほぅ、と深く息をついた少年は、しばし瞑目して何か考え込んでいた。病室に穏やかな沈黙が満ちる。

 やがて開いた少年の瞳には、先ほどまでとは打って変わって強い意思の光が宿っていた。


「よし。俺は、お前たちと共に行くぞ。水牛族のハルカだ、よろしく頼む」


 力強い言葉に、ハガネホマレは顔を見合わせる。

 一拍置いて笑顔をはじけさせた二人は握ったままの少年の手を大きく振った。


「痛てて……乱暴にするな、まだ治ってないんだぞ」


 抗議するハルカの声にも笑いが混じっている。


「良かった……本当に良かった」


 扉の陰から病室を見守る老医師が、そっと目元を拭ったことには、三人とも気が付かなかった。


 それから二か月。街は夏の真っ盛りだ。

 空は青々と晴れ渡り、真夏の強い日差しがギラギラと照り付けて、黒々とした影を大地に落としている。


「二人とも、すっかり元気になったね」


「はい、本当にお世話になりました」


 ホマレハルカも完全に回復して、杖なしでも足取りはしっかりしている。


「ありがとうございます。ちゃんと治療費も払えてないのに……」


「いいんだ。ちゃんとハガネくんからもらっているから」


「そうよ。薬代だってもらってるんだから、遠慮なく受け取ってね」


「でも……」


 そんな事を言っても、遊牧民一人が持ち歩ける財産なんてたかが知れている。

 薬品や炎で肺まで焼かれ、生死の境を彷徨っていた二人の治療費には、とても足りるわけがない。


「ありがとうございます。このお礼はいずれ必ず」


 戸惑う二人をよそに、ハガネは笑顔で頭を下げた。

 病院にたどり着いた時の思い詰めた空気は消えうせ、瞳には真夏の太陽にも似た強い輝きが宿っている。


「これからどうするんだ?」


「北部に。山に入れば僭王せんおうの支配も及ばないと聞きました」


 そこには数々の虐殺事件の生き残りも逃げ延びていて、国王に一矢報いる機会を窺っているという。


「なるほど。そこで仲間を探すんだな」


「はい。その後のことは、それから考えます」


「くれぐれも気を付けて。もし困ったことがあれば麓の街の病院に行きなさい。私の友人がいる」


「ありがとうございます」


 三人は医師たちと固く握手を交わし、北部に向けて旅立った。

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