吹き荒れる嵐の中の灯火

 意識が戻ったホマレに、大人たちは腫物を扱うような慎重さで接した。

 事件の詳細には誰も触れない。触れないことが全てを物語っている。


アキラは……弟は、死んだんですね?」


 ホマレは思い切って老医師に尋ねた。

 察しはついていても、きちんと教えて欲しい。いつまでも曖昧なまま、ごまかさないで欲しい。


「俺、見たんです。弟の腹に大きな破片が刺さってるのを。あれは、絶対に助からない……先生、事実を教えて下さい」


 押し黙った老医師に重ねて強く尋ねる。

 最早ごまかしはきかぬと悟ったのだろう。彼は軽く瞑目して深く頷いた。


「やっぱり……」


 わかっていても、悲しみと無力感がこみ上げてくる。俯いたホマレの背を、看護師が労るように優しく撫でた。


「ごめんなさい、黙っていて。せめて、あなたが起きられるようになってからと……」


「ありがとうございます。気遣って下さったのはわかります」


 ホマレが淡々とした声で言う。

 

「それでも、葬儀くらいは出たかった……」


 必死に堪えていたが、ついには絞り出すような涙声。声も立てずに涙を流す少年を前に、大人たちはただ立ち尽くすのみ。


「父は、一度も来ませんでしたね」


 どのくらいの時間が経っただろう?

 ようやく涙を止めた少年が、ぽつりと漏らした言葉にみな絶句した。


「やはり、勘当でしょうか。俺は弟も、羊たちも、守ってやれなかった……」


 絞り出すような声で自らを責める少年に、誰も言葉をかけられない。

 だって、彼の一族はもう……


ホマレ、どんな戦士でもあの爆撃はどうしようもない。お前だけでも生き延びてくれて本当に良かった」


 不意に響いた若者の声に、ホマレは弾かれたように振り返った。

 ベッドに歩み寄りながら白い歯を見せる青年は、どこかホマレと似た面差しで……


ハガネ兄さん!?」


「遅くなってすまなかった。さぞ不安だったろう」


 ハガネホマレのすぐ上の兄だ。

 彼は先月末に先遣隊として夏の野営地を見回りに行った。今ごろ遊牧に出発した一族の男たちと合流しているはずなのに、なぜここに?


「兄さん! 俺、アキラを守れなかった。本当にごめん……」


「それを言ったら俺は誰一人守れなかった。父さんも、母さんも、弟妹たちも」


「兄さん?」


 笑みを消して俯いてしまった兄の姿に、ホマレの不安が際限なく膨らんでいく。


「落ち着いて聞いてくれ。俺たちを除いて一族は全滅した」


「……っ⁉」


 息をのんだホマレが目を向けると、大人たちは慌てて顔を背けた。


「すまない、本当に。君がもう少し回復するまでは。そう言い訳しながら、話すのを先送りしていた」


 老医師の声に混じる血を吐くような響きに、ホマレはそれ以上問い詰めることができない。


「俺が戻るのがあと三日早ければ、みな助かったかもしれない。本当にすまなかった」


 ハガネの声に滲む苦い後悔。どれほどの無念を一人で抱えていたのだろう。指が白くなるほどに握られた拳が痛々しい。


「兄さんのせいじゃない。もし遊牧に出発していても、村に残った女子供はやられていた」


「それに、王家は君たち一族を殲滅するつもりだった。出発するそぶりがあれば、爆撃が早まっただけだ」


 ホマレに続いて老医師が言う。


「君たちだけではない。南の水牛族も、東の白岩族も、みんなやられた。王はこの国の古い氏族を根絶やしにするつもりだろう」


 老医師の言葉にハガネが唇を噛む。


「あの僭王せんおうが……っ!」


 ぎりりと歯を食いしばると唇がぷつりと切れて、紅い血の雫がつぅっと垂れた。

 己の未熟が……無力が、どこまでも口惜しい。

 自分たちだけ生き残ったところで、王の野望の前では吹き荒れる嵐の前の小さな灯火のようなものだ。どんなに必死に燃えあがったとしても、ほんのひと吹きであっけなく消えてしまうだろう。

 そう、まるで最初から何もなかったかのように。


 しばし流れる気まずい沈黙。

 誰もが俯き、悔し涙を堪えている。

 押しつぶされそうな空気に、最初に抗ったのは老医師だった。


「この病院に水牛族の生存者が入院している。彼の部族は毒の霧を撒かれて全滅した」


 意を決したような声で、同じような虐殺の生存者の存在を告げる。

 思わず息をのむハガネホマレ


ホマレくんが歩けるようになったら会ってみるか? 虐殺の生き残り同士だ。分かり合えることもあるだろう」


 思いがけぬ提案に、ハガネが弾かれたように顔を上げる。ホマレと顔を見合わせると、二人で深々と頷いた。


「ぜひ会いたいです。お願いできますか?」


 真っすぐに医師を見返す彼の瞳には、さっきまでの打ちひしがれた色はない。


「ああ、もちろんだ。彼もあまり良い状態ではないんだ。同じ痛みを分かち合える者がいれば、少しは励みになるかもしれない」


「はい。俺たちも、その方が心強いです」


 ようやく若者らしい活力が戻ったハガネの声に、老医師はほっとしたように頷いた。

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