狼煙の戦歌

第五章

「ウォズ、ちょっと。」食堂の入口で、ヘグリーが声をかけた。

楽しそうに話していた兵士たちはすぐに静かになった。ウォズは手に持っていた粥のボウルを下ろし、立ち上がって外に出た。

「頑固なおやじが今回は特に手強いから、僕はセント城に行かなきゃならないようだ！」ヘグリーの口調はまるで戦いに出るかのようだった。

ウォズは真剣な表情で頷いた。

「国境の警備を緩めてはいけない。城内の事務はアンナに任せておく。」

ウォズはくすくす笑った。「ああ、彼女はきっと喜んでここに残るだろうな〜」

「君たちの仲は思っていたよりも良いんだな。」ヘグリーは振り返って歩き出した。「それなら安心だ。」

「いやいや、勘違いですよ。去年の舞踏会でアンナに何かあったんです...」ウォズが急いで説明しようとした。

ヘグリーは足早に歩き、「勘違いなんかじゃない。わざと君に彼女と近づいてもらったんだ。いつものように饒舌を発揮して、彼女と仲良くしろよ。」

駐屯地の入口まで追いかけて、ウォズは叫んだ。「残念だ、あなたの舞踏会での美しい姿がもう一度見たかったのに！」

ヘグリーはウォズがそんなことを言うとは思わず、急ブレーキをかけて振り返り、「誰がそんなものに参加するんだ！二度とあんな姿を見せることはない！」

「あれは僕が見た中で最も美しい姿だった。今でもここに鮮明に刻まれてる...」ウォズは自分の頭を指でトントンと叩いた。

ヘグリーは一瞬固まり、すぐに背を向けた。「そんなこと...アンナに言ってくれ。ただ、突然プロポーズするような馬鹿なことはするなよ。」そう言って、彼女は急いで歩き出した。

「確かに...それは馬鹿だったな。」ドアの枠にもたれながら小声で言い、ウォズ自身も笑った。

駐屯地を出て池のそばを通ると、ヘグリーはレイナクがそこにしゃがんでいるのを見つけた。彼の前にはいくつかの大きな木製の洗面器があり、背後には山積みになった汚れた洗濯物があった。

衣服を洗面器で擦る作業を終えたレイナクは腰を伸ばし、深呼吸をして、腕で顎の下に溜まった汗を拭った。顔を上げると、ヘグリーと目が合った。

「えっ...」彼は最初驚いたが、すぐに笑顔を作り、再び洗濯に励み始めた。

「一生そんなことをして暮らすつもり？」

「え？」レイナクは一瞬反応が遅れたが、ヘグリーの責めるような視線に気づき、再び頭を下げて洗濯のスピードを上げた。

「君に少しでも期待してはいけなかったみたいだ。」

「期...待？」レイナクは手を止めた。

「いつまでも他人に虐げられて生きるつもり？」

「僕は...弱すぎて、そうしないと生きていけないんです。もう慣れてしまった...」彼はもじもじと答えた。

「それで生き延びてきたの？」

レイナクは呆然とした。「孤児院にいた頃から...そんな風に生きてきたんです。兄はいつも町に仕事を探しに行って...彼がいないときは、僕は自分を守るしかなかったんです...そして最後には兄も僕のことなんて気にしなくなって...他にどうしようもなかったんです...」

「聞いているのは、そうやって怯えて逃げるだけで、ハイラル森で生き延びたのかということだ！」

ヘグリーの声は重く、レイナクは頭を上げられなかった。彼は小さな声で言った。「そんなことはもうできない...あれは突然の運命に惑わされただけ。僕にはそんな勇気がない、もうあんな状況には立ち向かえない...このまま生きていくだけで...十分です...」

「誰かが君を助けるために困難に陥ったとしても、もうできないのか？」

「はは、誰が僕を助けるなんて...」レイナクの声は急に途切れ、意識的に消し去られた二つの姿が彼の心に再び現れた。

ヘグリーは近づいて彼の衣襟を掴み、「エイシャの名前を叫んで泥の中を転がりながら必死に駆け寄った君を見た時、今のような無能ではなかった！」と彼を引き上げ、目と目を合わせて言った。「答えてくれ！あの時に戻ったら、また彼女のために飛び出すのか、それとも頭を抱えて穴に隠れるのか？！」

レイナクの目は大きく開かれ、眼球が震えていたが、ヘグリーの鋭い視線からは目を逸らさず、彼女の言葉が自分を徹底的に解剖するのを受け入れた。しかし、何も言葉を返せなかった。

ヘグリーは手を離した。レイナクは地面に跪き、手をついて激しく息を吸い込んだ。頭上から、まるで石のように重い言葉が降り注ぐ。「よく考えて、答えてくれ。」

月光が銀色の大地を照らし出し、星々が空中できらめいていたが、それ以外に光は見えず、エドリー城はすでに眠っていた。ウォズは兵舎から出てきて、入口で水たまりの方を見た。レイナクはまだ木盆の前にしゃがんでいて、何かのシーツか布団カバーを手に揉んでいた。しばらくして、突然手を止め、顔に強く水をかけたり、突然地面に跪いて顔を水盆に突っ込んだりした。ウォズはしばらく見てから戻った。

太陽が少し上がった頃、ウォズは整った格好で兵舎から出てきた。水たまりを通り過ぎると、ぼんやりと立っているレイナクを見て足を止めた。レイナクは彼に深く一礼した。

「何度考えても...何度想像しても、あの場から逃げられないんです！」レイナクの声は無力に震えていた。「死にたくない！でも、一生背負う罪悪感に耐えられない！！」

「本当に臆病者だな...」ウォズの表情は冷たい鋼のようだった。「それで、どうしたいんだ？」

「もう何もできずに傍観するだけの自分でいたくない！」レイナクの涙が地面に落ち続けた。「僕を兵士のように訓練してください！僕に...」彼は激しく頭を上げ、涙に濡れたが決意に満ちた目で言った。「命を捨てる勇気と、願いを叶えるために命をかける力をください！」

日が高く昇った。ウォズは馬を引き、ヘグリーと一緒に城門へと続く大道を歩いた。

「昨日言い忘れたことがある。」ヘグリーが突然振り返った。「先日、ハイラル森の西境近くで、カリを見たんだ。」

ウォズは驚いて言った。「カリがハイラル森に？それは珍しいことだ。」

「様子はおかしかった、森の奥深く向かっていて、途中で何匹かの魔獣を攻撃し、追い払っていた。」

「カリが魔獣を追い払うだって？！」

道すがらの科曼人たちは彼らに熱烈に挨拶し、貴族の普利尔人も一礼をして通り過ぎた。二人は頭を下げて応え続けた。

「彼らを追っていたら、グリルに遭遇したんだ。」

「グリルに？！」ウォズは足を止めた。「まさか...」

ヘグリーは頷いた。「カリが、グリルを攻撃したんだ。」

ウォズは口を開けて信じられないという表情を浮かべた。

「帰り道で、魔獣同士の激しい争いを見た。そのうちの一匹は、あのカリと同じような状態だった。」

「この事態は、もしかするとさらに深刻かもしれない...」ウォズは眉をひそめて考え込んだ。

二人はしばらく黙って歩いたが、突然ヘグリーが言った。「あの生意気なガキも、君に任せる。」

「おお、あのわがままな要求を聞いたのか〜」

「朝早くからあんな大声で叫んでいたら、聞かない方が難しい。」

「何か気をつけることは？」

「生かしておいてやれ。」

「それは...私にとってはきつい試練だな。」

話しながら、二人は城門を出た。カール、イヴリー、アンナがすでに待っていた。ウォズは手綱をヘグリーに渡し、「舞踏会でまた一番魅力的な存在になることを願ってるよ」と言った。その直後、腹に一発食らってしゃがみ込んだ。

「ちっ！」アンナは顔をそむけた。

「あはは...」イヴリーは気まずそうに笑い、そっと三人の間を抜け出し、馬に乗った。

「あんな馬鹿げたことを忘れてくれ...イヴリーを老人に任せるのが心配で同行することにしたんだ！」ヘグリーはイヴリーの馬のお尻を叩いた。

イヴリーが悲鳴を上げると、戦馬が蹄を鳴らして走り出し、その後をヘグリーも馬に乗って追いかけた。

カールは何か言おうとしたようだったが、結局馬に乗り、二人の娘を追いかけていった。三匹の馬が遠くへと駆けていくのを見て、ウォズとアンナは同時にため息をついた。

「じゃあ、わがままな主人が戻る前に、僕たち使用人が家をきれいに片付けておこう。」アンナは街の方へと向かって歩き始めた。

ウォズは肩をすくめて言った。「主人にそんな態度を取る使用人は見たことがないな〜」

アンナは振り返らずに言った。「主人が放任すると、使用人はつい調子に乗る。それがいいことだとは思えない。だって、身分はそう簡単に変わらないから。」

ウォズはくすくす笑った。「去年の舞踏会で、あの純情な少年の熱烈な求愛に応じていれば、今頃は立派な領主夫人になっていたかもしれないな〜。人生の岐路で、身分を変えるのもたった一つのうなずきだけかもしれない。」

アンナは突然立ち止まった。ウォズは反射的に二歩下がった。しかし、彼女はゆっくりと振り返って言った。「ああ、それは...少し後悔してるかもしれない。」

アンナの寂しげな背中を見つめながら、ウォズは首を振り、彼女の後を追った。

一つの丘を登り、ウォズは身をかがめて前方を見渡した。灰緑色の土地が視界いっぱいに広がり、起伏に富んだ荒野が地平線まで続いていた。時折吹く風によって草木が揺れ、地面の色が微妙に変わる。白い雲が太陽に照らされ、その影が原野を横切っていた。空虚ながらも、開放的な景色だった。しかし、ウォズは景色を楽しむ余裕はなく、敵が潜んでいそうな場所を次々と目で追っていた。

次々と兵士たちが丘の下に集まってきた。

「副将、どうしてあの男を連れてきたんですか？」

「ええ、物資を運ぶには馬を一頭連れてくる方がずっと役に立つのに。」

兵士たちは後ろを振り返り、遠くでレイナクが木立ちから出てくるのが見えた。彼は兵士の鎧を着て、大きな荷物を背負い、腰をかがめて大腿に手をつき、肩を上下させながら息を切らしていた。

「悪くないじゃないか？」と、ある兵士が腕を伸ばしながら言った。「彼を見張り所に置いておけば、夜は少し楽になる。」

「いや、彼も森へ一緒に来る。」上からウォズの声が聞こえた。

「えっ...」兵士は腕を組んで呆然とした。「あいつ、本当に西地のスパイなの？副将。」

「そうじゃないだろう。」ウォズは答えた。「どこのスパイも、あんなに情けないはずがない。」

「じゃあ、殺す必要もないよな...あいつ、結構賢いし。」

「うん、いつもいじめてるけど、急に殺すって言われても、なんかかわいそうだよな。」

「あんなに無害な弱虫で、ずっとお世辞ばかり言ってるのに。」

兵士たちはわいわいと話し合っていた。

「いつ、彼を殺すって言ったんだ？」ウォズは丘から飛び降りた。

「そうだよな、僕たちはただ彼を魔獣の中に連れて行って、「うっかり」置き去りにするだけだった。」

「そう考えると、心も楽になるな...」

ウォズは彼らを斜めに睨んだ。「お前たち、想像力が豊かすぎるんじゃないか...」

「前回、川に流されなかったけど、今回は運が良くても逃げられないだろうな...」

「そういえば、前にアンナ様が言ってたよな。「彼を川に落として流してしまえ」と。」

「そうだ、はっきり聞いたよ。それで副将が忠実に実行したんだ。」

「ということは、彼ら二人は本当に...」

「あり得ないよ、アンナ様があんなだらしない奴に目をつけるわけない。」

兵士たちは隅で話し合い、時々ウォズをチラ見した。

「誰かが「アンナ様の部屋の植木鉢」になりたがってるみたいだな！」

陰鬱な殺気が漂い、兵士たちの顔色が変わった。

「あはは...冗談だよ、副将...」

「本気にしないでください...怒らないで...」

「ところで、一体なぜあいつを連れてきたんだ？」

ウォズはため息をつき、またいつものだらけた様子になり、頭を掻きながら言った。「あの奴が自分から士兵のように訓練してほしいって言って、『命をかけて願いを叶える力』を手に入れたいって。」

「プッ！」

「ハハハハ！あのやつか？」

「そのセリフ、あの臆病者が言ったの？」

「それを信じるんですか？副将〜それは彼が見栄を張って、あなたに取り入ろうとしただけですよ〜。このやつ、実はとても賢いんです〜」

「彼がそんなことを言ったんだから、チャンスをやろう。任務に支障が出たら、彼を置いて行け。」レイナクがよろよろと道を急いでいるのを遠くから見て、ウォズは深く息を吸って大声で叫んだ。「おい！役立たず！そんな大口を叩いて、それだけの根性か！」

「やっぱり彼を置いて行くんだ。」

「言ったでしょう。」

「きっとアンナ様の命令だ。」

「尊厳のない小男。」

「冷酷なアンナ様には全然相応しくない。」

兵士たちはまた群れをなして話し始めた。

「はい！！すぐに…」ウォズの叫び声を聞いて、レイナクは大声で応答した。もともと息が切れていたのに、叫んだ後はさらに息が苦しくなった。背中の荷物の重さは、一人で背負うべきではなかった。頭を上げて見ると、まだかなり遅れている。前方で何が起きているかはわからないが、ウォズは既に刀を抜いており、数人の兵士が手を振って懇願している。その後、彼らは丘を越えて視界から消えた。

レイナクは荷物をしっかり握りしめ、再び力強く歩き始めた。

数えきれないほどの丘や谷を越え、ウォズたちが休憩している間に、彼はようやく追いついた。荷物を地面に下ろし、仰向けに倒れ、大きく息を吸い始めた。

ウォズが立ち上がり、「よし、休憩終わり。出発しよう。」

「うわ、厳しい…」

ウォズの鋭い視線を感じて、兵士たちは口を閉ざした。

「えっ..えっ？！」レイナクは驚いて頭を上げた。「でも..私はちょうど...」

「みんながあなたを待つと思ってるのか？休みたければ隊のスピードについていくんだ。」

彼はよろよろと立ち上がり、ウォズの背中に向かって笑顔を作った。「この大きな荷物..もし皆が一部を持ってくれたら…」

「ほう？もう本性を現すのか〜」ウォズは振り返り、軽蔑の眼差しを向けた。「人は一時的な衝動に駆られることがある。現実を目の当たりにして初めて目が覚める。先ほどの言葉は聞かなかったことにしよう。」

レイナクは黙って頭を下げた。

一人の兵士が近づいてくると、レイナクはすぐにその前に立ちはだかり、荷物を両手で抱えた。「それは…一時的な衝動の言葉じゃない！もう決心を固めている...」彼は歯を食いしばりながら荷物を背負い、「私..まだ大丈夫...」頭を上げ、苦しみをこらえた目には決意が見えた。

ウォズは彼を何度か見回し、振り返って歩き出した。「進め！」

レイナクがウォズたちと合流するのは、昼過ぎになっていた。哨所といっても、簡易な柵と数軒の石造りの小屋だった。大半の物資を置いて、彼らは残りの荷物を持って東へ向かい、夜になってようやく東の哨所に到着した。石屋の外で野宿し、翌日魔獣が活動する早朝を避けて、軽装備でハイラル森の東側から入った。

魔獣の支配する世界に入ると、隊全体が旅の軽やかさを脱ぎ捨てた。ウォズは視界が開けた高所に留まり、鋼の矢の動きで隊の行動を指示した。兵士たちは鋼の矢と木の枝を使って空中を跳び移動し、レイナクは勇気を振り絞って地上で追いかけた。魔獣を発見すると、兵士たちは慎重に近づいて観察し、レイナクは一時的に木の茂みに隠れた。その間、ウォズはわざと隊を動かし、レイナクを魔獣の視界にさらすことで、魔獣が彼を見ても無視する様子を自ら確認させた。そうして彼らは西へと調査しながら進んでいった。

夕日が沈むまでに、一行は森を離れ、最初に到着した哨所に戻ってきた。

交代の哨兵は巡回に出ており、交代で戻ってきた者たちは石屋で休息していた。連続する晴れた夜空の下、みんなは再び野宿することに決めた。

「なかなかやるじゃないか！」一人の兵士がレイナクの首を引っ掛けて言った。「お前、今日生き残るとは思わなかったぞ〜」

「考えてみなよ。彼は一人でハイラル森を渡ってきたんだ。逃げる能力ぐらいは持っているだろうよ〜」

「それにしても、どうして彼は魔獣の目の下で逃げることができたのか？」

周りの人々がじっと見つめる中、ウォズは説明を始めた。「魔獣は斗気を吸収することで満腹感を得るらしい。対象に斗気がなければ、極度の飢餓状態でない限り、防御や遊びなどの目的がない限り、攻撃はしない。普通の人間の体内には常にある程度の斗気があり、技術を使って抑えても、魔獣の感知から完全に逃れることはできない。でもこの奴は身に斗気がほとんどない。だから、彼は森の中で実際にはもっと安全で、私たちと行動することで逆に私たちの斗気を帯びて魔獣に狙われるリスクがある。」

「つまり、この奴は役立たずで、魔獣でさえ彼を食べたがらないってことか？」

「ハハハハ〜それじゃ、ハイラル森を自由に行き来できるじゃないか？予想外に強力な能力だな〜」

「お前は本当に「縮こまる」ことを極めたな〜」兵士がレイナクの背中を強く叩いた。

「僕は..そんなつもりじゃない、戦いたいんだ...」レイナクは低い声で呟いた。

兵士たちは互いに顔を見合わせ、沈黙した。

突然、誰かが口を開いた。「レイナク、来て肩を押してくれないか。」

レイナクは少し驚いたが、その兵士の方へ歩いて行き、肩に手を置いた。力を込めたところで、兵士の声が前から聞こえてきた。「人には得意なことと苦手なことがある。戦うことに適している人もいれば、戦場に立つことができる人もいる。」

「わかってる...」レイナクは小さな声で答えた。

「未熟な覚悟を持って、または別の目的で戦場に踏み込むと」兵士が振り返り、冷たい眼差しを向けた。「人が死ぬ。」

レイナクの顔にはへつらいも恐怖もない。彼はとても冷静で、まるで死刑判決を受け入れた囚人のようだった。兵士は少し驚いて、話し方も柔らかくなった。「自分が得意なことをして、まっとうに生きていくのもいいじゃないか。」

レイナクの手はまだその兵士の肩に置かれていたが、動きは止まった。「立ち向かって死ぬか、逃げたり屈したりしてもっと長生きするか。わかってる、ずっとわかってた...」彼の声は小さかったが、はっきりとしていた。「私が危険に立ち向かってくれる人に出会うまで...明らかに私を置いて逃げることもできたのに！彼女は私を救うために自分の命さえもかけた...私に与えられた善意は、私が逃げることを許さない、息苦しさを感じさせる。もし彼女がその日死んで、私だけが生き残ったら、...その罪悪感は一生私の上に重くのしかかり、息をする暇もないだろう...私は彼女と一緒に死ぬことを選ぶ...いや、私だけが死ぬことを望む！だから、私は...もう逃げない。戦うことを決心した！」

再び沈黙が訪れ、誰もが「言いようのない」表情をしていた。

「何か感想は？」ウォズが尋ねた。

「よく聞き取れなかったけど、意外と納得できる感じだ...」

「どう言ったらいいか、彼がやりそうなことだ...」

「ああ、表面上は大胆に見えるけど、実際には...」

ウォズは嘲笑して言った。「こんな弱虫を連れ出したのは、現実をしっかり見せるためだ。これがあなたの選択か、選ぶ余地がないのか、このチャンスをどう使うか見せてくれ。それと、お前がスパイだと見つかったら、生きることが地獄になるぞ。」

レイナクは勇気を振り絞り、ウォズの目をじっと見つめながら、緊張して頷いた。

十分な休息を取った翌日の正午、ウォズと兵士たちは再び森に入り、レイナクは物資を西側の哨所に運ぶ役割を担った。ほとんど重さを失った荷物を背負い、レイナクは西を見据えて立ち上がった。起伏する丘陵が連なり、どれほどの時間がかかるかわからなかった。平坦な道は森の境界線に沿っており、天を突く大木が一列に並び、別の世界の壁のように視界の果てまで続いていた。突然彼は不安を感じた。また一人になってしまった。森に入る必要はないが、危険はすぐそばにある。もしまたあの巨大な蛇に遭遇したら...。逃げ出してきた魔獣と遭遇しても、攻撃されない保証はないのではないか...。森からできるだけ離れ、あの丘陵の南側を回るべきか、少し遅れても...。何を考えているんだ！彼はすぐにその考えを振り払った。一度きりのチャンスだ！走り回ることさえまともにできなければ、死ぬ覚悟など何の意味もない！彼は深呼吸をして、森へ向かって力強く走り出した。

レイナクが息切れしながら哨所に駆け込み、地面にひざまずいて必死に息を吸った時、夕日はすでに西に傾いており、ウォズたちは既にそこで休憩していた。

「終わり...終わった！」彼は目を閉じて地面に拳を打ち付けた。「くそっ！」。しかし、そこで半日も待っていたが、叱責の声は一切聞こえなかった。顔を上げて見ると、皆が今日の調査情報を交換して忙しかった。ウォズは一瞥するだけで、すぐに議論に戻った。

「ギリギリ...」彼は安堵の息をついたが、すぐにまた緊張し始めた。「これじゃダメだ...絶対にダメだ！次は、命をかけた覚悟を見せないと！」

翌朝、一行は再び森の境界に到着した。

「昨日見たような残骸になりたくない人はいないだろう。皆、慎重に行こう。」出発前にウォズが言った。

兵士たちは慎重に頷き、レイナクは緊張で何度も唾を飲み込んだ。

森に入ると、以前と同じように、孤立した魔獣が頭上の兵士に敵意を向けるが、軽率に攻撃を仕掛けることはなかった。しかし、より深く進むにつれ、異変が次第に明らかになってきた。

「おいおい、叫び声が頻繁すぎるぞ！」 「魔獣たちが戦っているのか？」 「この凄まじい嘶鳴...この地域の魔獣はこんなに暴れるものなのか？」 「目的のものが見つかったようだ！」ウォズは叫び声の源を確認し、数名の兵士が彼のペースに合わせて空中を移動し、他の人々は地上から急いで追いかけた。 近づくにつれ、ますます不気味に感じた。魔獣を見たことがない人でも、その叫び声の狂暴さを聞き取ることができる。それは自己保護と制限を完全に失った狂気だ。言葉では説明できない、本能だけで理解できる状況だ。 レイナクは全力で走っていたが、遠く後方に置いていかれた。突然、前方の兵士たちが次々と空中に飛び上がり、いくつかの鋼の矢も彼の前に飛んできた。最初はその長さが足の甲ほどある鉄片に踏み込むことをためらったが、前方から聞こえる嘶鳴は恐ろしかった。どうして一人で地上に残ることができるのか...彼も仕方なく鋼の矢に足を踏み入れた。何回か試みた後、彼はようやく不安定ながらも立つことができ、周囲の「階段」を辿りながら高く登っていった。間もなく、彼は空中を歩くように進むことができた。しかし、目を上げると、再び驚愕した。空中から見下ろすと、長さや太さの異なる枝が交錯し、鋼の矢がそれに沿って移動し、層になった軌道を描いていた。エドリーの兵士たちは複雑な枝の間を軽やかに飛び回り、幻影のように繊細で、捉えがたい光のようだった。どうすればこんな部隊に足を引っ張られずについていけるのか...彼は焦り始め、左右に揺れながら前へと急いだ。戦闘でどんな役割を果たせるかは別として、もしペースについていけなければ、どうやって認められることができるのか！ 心の中が混乱している中、彼は突然、前方の兵士たちが止まり、一つの小さな空き地を囲むように広がっているのに気づいた。慌ててブレーキをかけ、最も近い枝に向かって飛び跳ねたが、足を踏み外して落ちてしまった。瞬間、いくつかの鋼の矢が彼の服を掴み、半空中に固定し、ゆっくりと低い枝に運ばれた。ウォズと一人の兵士が地面を凝視して蹲っていた。

「ありがとう..うっ...」

レイナクが言葉を発し始めたところで、口を塞がれた。足元で突如として裂けるような音が響き、彼の視線を引き付けた。そこで嚎叫しているのは、猿のような魔獣だった。目は突き出て血のように赤く、鋭い歯から涎が流れ、前胸の毛に染み込んでいた。その向かいには、屋根付き馬車ほどの大きさの牛のような魔獣がいて、三つの鋭い角を敵に向け、低い唸り声を上げていた。尖った尾を振り回し、近くの木をほとんど砕く勢いだった。

突然「猿」が飛びかかり、「牛」の頭上を越えた。大腿部が上がった角に切り裂かれ血が噴出したが、一切退かずに「牛」の背に乗って狂ったように噛み付いた。「牛」は激しく体を捻って「猿」を振り落とし、尾を振って吹き飛ばした。血まみれの「猿」がグルグル転がりながら遠くまで転がり、驚くべきことにまた起き上がり、「牛」に向かって狂ったように咆哮した。

「単独行動のモンキーが、命知らずにビルーを攻撃している。これ以上奇妙なことはない。」と言いながらウォズはレイナクの口を離した。

「全部斬るか？」隣の兵士が尋ねた。

「異常な状態のモンキーは生け捕りだ。ビルーは斬らざるを得ない。」

「このモンキーを生け捕りにするのは難しいな。体は小さいが、命を落とす可能性もある。」

「あの速度と命知らずの狂気さは...」

ウォズと兵士が困っているのを感じ取ったレイナクが声を出した。「僕..役に立てますか？」

「え？」二人は同時に驚いた表情で彼を見た。

「ああ、実は役に立てるな。」兵士が言った。「今すぐ飛び降りてモンキーを抱きつけ。腹を蹴り破られても手を離すな。」

ウォズも頷き、「うん、いいアイデアだ。やる気はあるか？」

レイナクは呆然として何も言わず、頭を下げた。

ウォズと兵士は再び話し合いを始めた。

「南部でめったに現れないモンキーがここにいるなんて思わなかった。迷ってここに来たのか、何かに追われたのか...小型魔獣用の捕獲網を持ってこなかったのは失敗だった。」

「前足だけを切断するのはどうだ？」

「今の傷状を見ると、生き残るのは難しいだろうな...」

レイナクは拳を握りしめ、足元で血を吹きながら狂ったように叫んでいる魔獣を見つめ、目を閉じて何度かつぶやき、深呼吸をした。そして、飛び降りた。

「おい！」

「あのバカ！」

ウォズと兵士が気づいた時、彼は既に地面に落ちて仰向けになっていた。

モンキーは突然背後に落ちてきたレイナクに驚き、振り返って「シシ」と叫んだ後、襲いかかった。

レイナクは本能的に腕を顔の前に上げ、腕の隙間から飛びかかってくる赤い目を見た。その怪物は子供くらいの大きさだが、致命的な狂気で恐ろしい！目を見開いても動けず、その瞬間、自分の死を確信した！

突然、魔獣が四つに分裂した。腕に暖かい液体がかかり、血の滴る隙間から身をかがめて立つ背中が見えた。血を滴らせている刀が後ろに放られていた。ウォズの隣にいた兵士だった。彼はようやく息を吐き出し、息を切らした。

しかし、雷鳴のような唸り声が響き、もう一匹の魔獣が自らの存在を示した。戦いはまだ終わっていない。ビルーが鼻から吐き出す息は一陣の塵を巻き起こした。モンキーを斬った兵士はすぐに構えを変え、突進の姿勢に。あれほど巨大な体を正面から迎え撃つのか？レイナクはまた息を止めた。

ビルーが蹄を広げて飛び上がる瞬間、空から鋭い笛の音が響いた。一人の兵士が樹上から斗気を爆発させて飛び降りた。こちらの兵士も同時に突撃した。

ビルーは頭を高く上げ、鋭い角を空に突き刺し、同時に体を捻って尾を前に振った。どちらの攻撃もそれで破られたようだった。突然、鋼の矢が滑り降り、首を上げたビルーの首を巻きつけ、一枚一枚の刃がその喉を切り裂いた。地上の兵士が刀を振り下ろし、その後足を叩き切った。ビルーの巨体が片側に傾いた。同時に空中の兵士が刀を深くその目に突き刺した。

兵士がレイナクを担いで、鋼の矢を踏みながら再び木の上に戻った。

「お前、頭おかしいのか！？」ウォズがレイナクに向かって怒鳴った。

レイナクは太い枝に跪き、顔面蒼白で震えていた。「あなたたち..言ったじゃないですか..僕に...」

「それが冗談だって分からなかったのか？そんな無茶な戦術、本当にやるわけがないだろう！！」

「僕は..命をかける決心が..あったんです...」

「頭がないのか！？」ウォズはレイナクを掴んで引き上げた。「自分に何ができて、何ができないか、まったく判断できないのか？エドリー軍はそんなバカは要らない！」

「え？でも僕..一度のチャンス...」

周囲が徐々に騒がしくなり、既に魔獣がビルーの死体を食い散らかしていた。

ウォズはレイナクを放り投げた。「次があったら、出て行け！」

全員が急いで撤退した。レイナクだけがその場に跪いていた。彼は落ち着くために自分自身を振り返りながら、さっきの出来事を思い出していた。命をかけることは言葉では簡単だ...あの絶望の瞬間、今まで真剣に向き合ったことがなかった。想像以上に恐ろしい...でも、やっとやることができた！「バカ」と罵られたが、「一度のチャンス」はまだある。自分の決意を貫いたから認められたのかもしれない！

あの血の赤い目がまた脳裏をよぎり、身体が震えた。「いや..いや！また逃げたり退いたりするわけじゃない！」彼は自分の顔を強く叩いた。ただ...ウォズ将軍の言った通りだ！「できないこと」を無理にやって、他人に危険を及ぼすのは「頭がない」行動だ。命をかける勇気があっても、必要のない場面で無駄に命を落とすのは違う。彼は自分の考えを何度も頷きながら確認し、ゆっくり立ち上がり、木に抱きついて地面に滑り降り、他の人々の後を追った。

暗くなり、細かい雨が舞い落ちていた。一行は森から出た。一人も欠けることなく、ただ一人の兵士が脚に包帯を巻いて、他の人に支えられながら歩いていた。

「こんなことは聞いたことがない、魔獣を狂わせる疫病なのかもしれないな。」

「そんな不吉なことを言わないでくれ...森全体の魔獣があんな風になったら...考えるだけで恐ろしい...」

兵士たちは頭を振りながら、表情を重くしていた。

「今回は一匹捕まえて、学者たちに何が起こっているのか調べてもらうべきだったな。」

「足を切り落とされても退かないやつをどうやって捕まえるんだ？一撃で動けなくするしかないだろう。」

「結局、最初のモンキーだけが捕獲可能だったかもしれない...」

兵士たちの会話を聞きながら、レイナクは自分のせいだと強く自責の念に駆られた。「ごめんなさい、私のせいで...それに後で隠れてただけで何も役に立てなくて...」

「深く考えすぎるな、誰もお前に期待なんてしていない。」

「お前が大人しくしていたことが、既に大きな助けだったよ。」

モンキーを斬った兵士が近づいてレイナクの肩を叩いた。「お前が飛び降りた時は、正直驚いたよ。少なくとも、勇気は評価できる。」

「ふうー」広大な草原を眺めながら、一人の兵士が大きな息を吐いた。「少なくとも今日は、あの危険な森を無事に離れることができた。ウルデ草原では、地面から急に怪物が出てくることはないだろうな〜」

「黙れ！そんな不吉なことを言うな！」

「そんなことは言っちゃいけないんだ！お前、このバカ小僧！」

「何だって？「バカ小僧」って誰のこと？お前らこの年寄りども！」

「ここで死にたくなければ黙ってろ！」

厳しい雰囲気は一瞬にして賑やかな騒ぎに変わった。

若い兵士が年配の兵士たちに持ち上げられ、蔓のように振り回されるのを見て、レイナクは思わず考えた。「これらの人々は、さっきの戦いでの人々と同じなのか？巨大な獣にも臆することなく、迷いなく仲間に命を託して完璧な連携を見せた。今はちょっとしたことでこんなに騒いでる...でも、なんだか...すごいな！いつか自分も彼らの一員になれるだろうか？無理かもしれない...」

「おい、レイナク！」

「あ、はい！」考えにふけっていたレイナクは、ウォズの呼びかけに慌てて駆け寄った。

「お前はこの辺りからエドリーに入ったんだろう？」

レイナクは周囲を見渡した。「もう少し東だった。その時は西側の森が見えなかった。」

「それで、ハイラル森でカリに会ったことはあるか？」

「巨大な爪を持つやつですか！？」「カリ」という名前にレイナクは少し動揺した。「いいえ、会ったことはありません。私は...ここ、この草原に入ってから彼らに遭遇したのです...」

「うむ...最近のことか...」ウォズはレイナクの表情の変化には気づかず、「まあ、大将が帰ってきたらまた...」

「ああ！！」

レイナクが突然大声で叫んだ。全員が警戒した。

「あっち！！」

彼は西側を指し、カリの人間が森の端に現れた。レイナクの叫び声を聞いたのか、彼らを見たのか、カリの人間はすぐに森に戻っていった。

「何をしてるんだ、大げさな！」レイナクの頭に一発が飛んだ。「ただのカリだよ。」

「おい、弱い者を少しは思いやれよ。レイナクがカリを怖がるのは仕方ないだろう〜」

「それもそうだ。彼一人だったら、カリに会ったら間違いなく死んでるな〜」

兵士はレイナクの頭をゴリゴリと揉みながら、みんなで笑い出した。

「あいつらを倒さないのか？」レイナクは急いで尋ねた。

「必要ない。」ウォズが答えた。「カリは通常、エドリーの領域には入ってこない。それに、あの森はもうファンペルの領土だ。」

「でも！倒さないと、エイシャ...ウサ人たちが危険になる！！」

レイナクの突然の大声にみんなが驚いた。

「ほう、面白いな、お前のこの突然の態度の変化。」ウォズがレイナクの顔をじっと見つめ、微笑んで言った。「お前、ヴィルドに来てすぐにウサと一緒にいた。兵士になりたいっていうのも、ウサと関係があるんじゃないか？」

レイナクは突然慌て始めた。「僕は本当にスパイじゃありません！ウサ人とも何の関係もないんです！ただ...偶然彼らに助けられただけです。」

「プッ」とウォズが突然笑った。「お前、ウサ人の言い訳をしてるのか？面白いな〜。どうしてウサ人がスパイ行為をすると疑うんだ？」

レイナクはほっと息をついた。

「だってウサは温和な動物だからな。」

「え？」レイナクは自分の耳を疑いながら、ウォズに向かって呆けたように微笑んだ。

「ああ、本当に話が通じない奴だ。お前の知能は猿か？ねえ！」

「いえ..いえ！あ、はい！」レイナクは頭を下げて身を縮めた。

ウォズは顔を近づけて、一言一句をはっきりと言った。「聞いてくれ、ウサは臆病で温和な動物で、人間に操られてエドリー城を脅かすなんてことはありえないんだ。私が「面白い」と言ったのは、弱い動物どうしが互いに引き合い、安っぽい同情を交わすことについてだったんだよ。」

「え、えっと...副将...」後ろの兵士は緊張した表情で、しかし大声を出さずに言った。

「動物？！」レイナクは顔を上げてウォズを睨んだ。

「ああ。何か文句あるか？」

ウォズの圧力が頭上から押し付けられ、レイナクは再び頭を下げざるを得なかった。しかし、彼は心の中で歯を食いしばった。「彼らが軍隊や城壁の保護を受けていない立場の低さは理解できる。貴族が家畜のように軽蔑するのも...でも、彼らを動物だと言うのか？」

「「理解できる」とは、西地でも同じように低い立場だったからか？」ウォズは冷静に答えた。「お前の何が正しいかなんて知らないが、ここはヴィルドだ。ここの常識はそうだ。ウサは家畜で、カリは野獣だ。他にも色々な種類の動物がいる。ここでは「人間」とは普利尔人とコーマン人だけだ。それに、ヴィルドの常識では、西地人も動物だ。猿と大差ないんだな。」

レイナクは目を見開き、言葉を失った。アンナが彼を見るときの、心からの軽蔑の視線の理由がようやく分かった。反論したいが、何を言っていいか分からなかった。頭の中は混乱していた。どうやって反論すればいいのか？今、二人は会話をしているのではないか？相手の意味が理解できるのではないか？同じ感情を抱く、同じ感覚を共有する...突然、彼はその考えに疑問を抱いた。本当にそうだろうか...？本当に...？私たち弱者と、彼ら強者と...西地でも、豪邸に住む「尊敬される貴族」と、田舎で働く「愚かな下層民」とが、同じ感情、同じ感覚を共有できるだろうか？実際、彼らは私たちを家畜と同じように扱うだけでなく、本当に家畜と同じように見ているのではないか？！もし「人間」としてさえ認められないのなら...

「でも、私はヘグリー将軍とエイシャが...」彼は納得いかず、再び顔を上げた。

「本当に扱いにくい奴だな。」ウォズは舌打ちした。「まあいい、ウサはエドリーで特別な地位を持っている。なぜなら領主がウサ人を認める法令を発布しているからだ。しかし、ヴィルドの歴史や伝統は、一つの都市国家の文書で変えられるものではない。だから、エドリーの領民はウサを認めない。「彼ら」は野蛮人に過ぎないのだ。」

「副将！彼にそんなこと言う必要ないでしょう...」後ろの兵士が思わず声を上げた。

「でも、私は彼女たちを見たんです...」レイナクの声はすでに詰まっていた。これが彼の最後の抵抗だったかもしれない。

兵士の止める声を無視して、ウォズは続けた。「お前がどう思おうと、私たちがウサを助けるのは、法令に従い、職務を果たすためだ。私たちはウサを傷つけないが、彼らを特別に守る義務もない。分かったか？」

レイナクは震えながら頷いた。

巨大な黄金の王座が、高い階段の上にある広大で、ドームの天井が高く掲げられた大広間に置かれている。四隅に置かれた巨大な火鉢が、昼のような明るさを提供している。揺らめく光の下で、梁や柱に施された獣の浮き彫りが生き生きとし、古い壁画が武人と魔物の戦いを記録し、歴史の重みを感じさせている。

王座に座っているのは中年の男性で、金色の長いローブを着て、黄金の王冠を被っている。この最高の座に落ち着いているが、現在彼の顔は暗く、腕を椅子の手すりにかける、握った拳で顎を支え、眉を寄せて階段下に跪いている3人を見つめている。

3人が礼を尽くした後、2人の女性が一歩退き、中年の大柄な男性だけが大広間の中央に立っていた。

「まったく反省の意志はないのか、カール！」皇帝の声は非常に不機嫌だった。

階段の下にいるのはエドリーの領主、カール・フレムだ。よく見ると、彼は皇帝と体型、顔立ち、髪色が非常に似ているが、皇帝は髭を生やしていない。

「反省すべきことをした人間がここにいるとすれば、それは私ではない！」カールは頭を上げて答えた。

「バシッ！」皇帝が王座の肘掛けを叩いた。「毎回私の限界を試すんじゃない！」肘掛けは彼の握りしめる音で「キーキー」と鳴った。

「あなたも私から寛容と忍耐を学んだ方がいい、ライマン。」カールの目はさらに鋭くなった。

「無礼だ！カール！たとえあなたたちが兄弟でも、お前の兄はヴィルドの皇帝だ。ここで彼の名を直呼びするなどとんでもない！」

声高に叱責したのは、王座の下の手元に立っている老人で、見た目は60歳近いが、体はがっしりとしており、姿勢もしっかりして、まだ迫力があった。

カールは答えた。「臣下としての礼儀は既に行った。今この部屋にいるのは、私と私の娘、兄、そしてあなた、ゲールおじさんだけだ。ここにいるのは、互いに敬愛すべきフレム一族だけだ！」

皇帝ライマンは怒りを抑えながら、ゲールという老人に言った。「何か言いたいことがあるなら、早く彼に言ってくれ。私はもう彼の傲慢さに耐えられそうにない！」

ゲールはライマンに礼をし、カールに向かって言った。「西地はすぐに内乱に陥るだろう。カール、軍を率いて出征する準備をしろ！」

カールは眉を寄せた。「私は既にその件は断ったと明確に言ったはずだ。」

「それはお前がいずれ避けられない責任だ！」ゲールは声を荒げた。「私も歳をとり、ヨセフも役に立たない。フレム家で軍を率いる者は他にいるのか？この老いぼれが異国の土に埋まることを望むのか？！」

「あなたは今でも昔のことを私に恨んでいるのですね...」カールは首を振ってため息をついた。「申し訳ないが、今日も西地を攻める理由は見つからない。」

ゲールは驚いた様子で言った。「どんな理由が必要なのだ？敵は既に扉まで来ているではないか！しかも、ヴィルドの気候は年々悪化している。去年のアイソレイ河の洪水も大変だったろう？数年後には山脚のダムが持ちこたえられるかどうか...」

カールは依然として断固としていた。「いつでも敵が侵攻してきたら、私は国境で彼らを阻止する。だがそれが彼らを逆に侵略する理由にはならない。気候の問題に関しては、まだ故郷を捨てるほどではないだろう？」

ゲールは階段を駆け降り、カールと対面して睨み合った。「より良い土地を占領し、より多くの資源を奪うために、どんな正当な理由が必要だ？猿どもが良い土地を占めていて、我々が苦労を強いられるのを見過ごせと？」

「そんな理由での出兵は受け入れられない！」

「カール！お前が出兵しなかったから、クルーンが西地で死んだんだ！」

「彼ならそんなことは思わないだろう！」

「もういい！」ライマンが二人の言い争いを制止した。「もう我慢の限界だ！カール、お前は国境の険しい地で守りを固め、頭を冷やせ！」

イヴリーとヘグリーーがカールの側に歩いてきて、三人はライマンに一礼し、大広間を後にした。

「あのカールめ！力で私を脅そうと思うのか！」ライマンの怒りはまだ収まらず、金色の斗気が彼から溢れ出していた。

“本当に頑固だ！”ゲールも同様に罵った。「去年の計画でエドリーの力を削ぐことができると思っていたが、小さな辺境の都市がこんなにも戦力を持っているとは思わなかった！」

この言葉を聞いて、ライマンは明らかにさらにイライラしていた。「その話はもうやめてくれ！どんな理由があろうと、あの猿たちを再びヴィルダの土地に踏み入れさせてはならない！「毒をもって毒を制す」という計略も、今後一切禁じる！」

ゲールは急いで身をかがめて答えた。「そんなことは二度とありません！私が保証します。実際、その事件には西地内部の分裂を支援するという別の意図がありました。目的は既に達成され、すぐに成果が見えるはずです！」

ゲールは興奮していたが、ライマンは反応を示さず、西地の状況には興味がないようだった。

躊躇いながら、ゲールは再び口を開いた。「陛下、カールがそんなに頑固なら、時が来たら遅れるわけにはいかない。その時が来たら、私に出陣することを許してください...」

ライマンは立ち上がって手を振った。「カールが軍を率いることに同意した条件は変えられない。そうでなければ、エドリーは後方でいつ爆発するかわからない潜在的な脅威だろう？」

「えっ...」ゲールは言葉を失った。

ライマンは後殿に向かって歩き出した。突然、ゲールが再び呼びかけた。「陛下！」

「他に何かあるのか？」

「法令に従って、後継者を定めて政務の見学を始めるべきです。でも、陛下はまだ後継者をお持ちでない...」

「カールが真心から反省し、ヨセフがもう少し成長すればな...しかし、今は...」ライマンは心の中でため息をついた。「即位した時から始まったこれらの混乱と論争は、引退する前にすべて解決するつもりだ！」

ゲールは大庁を出て、廊下の壁に拳を振り下ろし、最終的には拳を半空に停めた。角を曲がり、窓の前に立ち、手を窓枠にかけて外を見つめた。足元にはチェス盤のように配置された家々と囲む城壁があり、城壁の外の大地は南に向かって果てしなく広がっているようだった。深呼吸を一つして、彼の目はゆっくりと閉じられ、突然再び大きく開いた。「なぜ帰ってきたのか？ブラック。そちらに何か問題があったのか？」彼の声は大庁でのように力強く、胸を張った後の視線は地平線を突き抜け、もっと遠くの地へと届いているかのようだった。

ゲールの背後の壁角で、影が徐々に伸びてきて、地面に片膝をついている男性の姿に集まった。その人物は地面に届きそうな長い黒髪を持ち、漆黒のコートで体を包んでいた。

「全て順調です。」ブラックと呼ばれる男性はそのまま跪いて答えた。「ただ、相手がいくつかの要求を出したので、一度戻って相談する必要があると思いました。」

「あの猿たちが早く戦いを始めることができれば、何をすべきかはあなたが決めていい！」

ブラックは一瞬驚いて、尋ねた。「あなたは気分が悪いですか。こちらに何か問題がありましたか？」

ゲールは少し考えて答えた。「またヨセフ、その無能な奴だ。彼は私の名前を借りてファンペルとの条約を変更した！未熟な時期にそんな愚かなことをするなんて、今回は彼をしっかりと叱らなければならない！」

「ヨセフ殿下も私たちの力を急いで強化したいと思っているのでしょう、周囲の小さな都市を早く飲み込みたいんです。」

「力を急に強化する？何のために？」ゲールは警戒を強めた。「私は...ヨセフ殿下が意味することは...」ブラックは唾を飲み込んだ。「私たちの同盟国の中には、遠見のある勇敢な人物がいないわけではありません。もしかしたら...」

「何を言いたい？ブラック！」ゲールは急に振り返り、ブラックがすでに地面に跪いているのを見た。「私は多くの領主と交渉して、ただ彼らに西地征服を支持させるためだけだ。フレム家の現在の執行者として、先祖に恥じるようなことをするわけにはいかない！」

「殿下...本来この王位は...」

「フレム家のことはお前が指摘することではない！もう一言でも多く言ったら...」ゲールの右手は赤く光り、拳を「がりがり」と鳴らした。

「はい、殿下...」ブラックは額を地面につけ、その後彼の姿は壁角の影に溶け込んでいった。

そうやって怒鳴っても声を抑えなければならず、逆にもっと抑圧感を感じるようになった、ゲールは手の上の気を空中に振り払った。

宴会ホールの豪華さは王座の大庁に劣らず、と言うよりその厳粛さを取り除いたこの場所は、純粋な楽しみと歓談が「贅沢」をより透明に示している。各所に懸けられた蝋燭が柔らかい光を放ち、人々を目眩くようにさせる。外周に敷かれた絹の長いテーブルには美味しい食事と美酒が並べられている。ゆったりとした音楽が奏者の動きと共に空中を舞い上がる。会場の中央では、若い男女が互いに熱い眼差しを交わし、腕を組んで楽しく踊り始める。年配の紳士たちはまだ挨拶を終えておらず、酒杯を手に各テーブルの周りに集まっている。一方、女性たちは群れをなして、手にした豪華な扇で口元を隠しながら、重要でないかもしれないが、また命に関わるかもしれない閑話をしている。

舞踏会には普利尔人しかいない。侍従や楽師までが雪のように白い肌をしている。豪華な衣装を身にまとい、優雅な振る舞いの男女が、楽しみや会話に耽り、ほとんど全員が満足げな顔をしている。一部の人々が暗い、あるいは厳しい表情をしているかもしれないが、主旋律から外れる不協和音としては、ほとんど無視できるほどだ。

しかし、中年の男性が若い女性を連れて会場に現れる前のこの光景は、ただの一場面に過ぎなかった。

カールとイブリーが入口を踏み入れた瞬間、騒がしい声が急速に静まった。突然「大きくなった」琴の音に驚いた奏者さえいた。二人が進むにつれて、周囲の人々はこそこそと囁き合い、こっそりと視線を送りながら、気づかないふりや無関心を装っていた。雑踏が再び急速に高まり、まるで蛙がいっぱいの池のように、人々をイライラさせるような騒がしい声が広がった。

カールは一群の人々の前に直接進み出て、熱心に挨拶を始めた。「久しぶりですね、皆さんの近況はいかがですか？」

「殿下におかれましては...」その人々はもはや得意ではなく、緊張した顔をしていた。

「野蛮な辺境で長く過ごしていると、皆さんのこんな遠慮がちな挨拶に慣れなくなってしまいますね。幼い頃から知り合いでなければ、まるで私が疎外されたかのようです。はははは〜」彼は声を大にして笑い始めた。

「ハハハ...ハハハ...」周囲の人々も苦笑しながらその場に合わせた。

しかし、その出来事がきっかけとなり、ホール全体が再び賑やかになった。

一人になったイヴリーは、目的の人物を探すために辺りを見回していた。その時、彼女が会場の中心になっていた。ほとんどの若い男性たちが、ダンスパートナーを抱いている人も、他の女性と話している人も、様々な動作やタイミングを利用して彼女に目を向けていた。さらに、年配の男性たちも自分の目を制御できずにいた。このような大規模な共感的な行動は、もちろん目立っていた。その結果、多くの女性たちがイヴリーに嫉妬の眼差しを投げかけていた。

様々な視線に注目され、イヴリーは居心地が悪く、早く雰囲気に溶け込みたいと思っていた。辺りを見渡して、ようやく知っている人物を発見した。こっそりと目をやると、カールは現在彼女の方を背にしていた。彼女は、食卓で大盛り上がりしている男性の前に歩いていった。「あなた、ここに隠れてたのね、レイ。」

「あ？あ！」牛肉を口に運んでいたレイは、イヴリーを見上げて、手が震えてフォークがテーブルに落ちた。彼は慌ててナプキンをつかみ、口を拭いて立ち上がった。「あなた..あなた..あなたの服は何？首の開きが低すぎる！」彼はイヴリーの服装を上下に眺めた。「目も、口も！」

「え？」イヴリーは眉をひそめた。「他の女性たちと大差ないわよ？目をつぶって入ってきたの？それとも、目に映るのは食べ物だけ？」

「でも..あなたはいつもそんな服装をしないじゃないか...」レイの顔が少し赤くなった。

「ちょっと..まず自分を見てよ。一体何のために来たの？」イヴリーは額に手を当てた。「ここに来て食事するためだったの？国境の都市の人々が飢えているみたいに見えるわよ。この機会にもっと女の子たちと知り合った方がいいでしょう。」

「うるさい！だから女性たちにうんざりして、ずっと食べてるんだ！ところで、カール殿下はどうしたの？あなたがこんな格好を許されるなんて！」

「「許可」というよりは、彼が私をこんな風に着飾らせたのよ。もしかして、私が結婚できないと心配し始めたのかしら...」

「私の娘はヴィルドで一番美しい！彼女たちの母親と同じく、絶世の美女だ。ハハハハ！」

「ハハハ...ハハハ...」

カールの大声がホール内に響き渡り、周囲は相変わらず乾いた笑い声で応じていた。

「えっと...」イヴリーは少し身を寄せて、その方向からの視線を避けようとした。「実を言うと、私も自分にはこのような服装が似合わないと思うわ。淑女としては、あまり適していないかもしれないわね。」彼女は気まずそうに笑った。

「いや！とても...美しい...」

「え？」レイが曖昧に言ったので、イヴリーははっきり聞き取れなかった。

レイの目は床の一角に移った。「最も美しい...この会場で...ヴィルド全体でも間違いない...多分...とにかく...これではいけない！」彼は隣の女性の扇子を奪ってイヴリーに渡した。「これで胸元を隠しなさい！」

「いらないわ、そんなもの嫌い！」

「じゃあ、これで！」

「何をしてるのよ！早くそれをどけて！」

レイが油っぽい皿を持ってイヴリーの前で振り回しているとき、誰かが彼の襟を掴んで後ろに力いっぱい引き、彼をテーブルの後ろに転がした。幸い、彼がほとんど食べ尽くしてしまっていたため、ウェイターが残りの皿を片付けていったばかりで、大きな混乱は起こらなかった。

「何者だ？！」レイは飛び起きた。向かい側に立っているのは男性で、背後から見ると黒髪が流れるようで、レイよりも半頭ほど高く、地面に届く白いマントを引きずっており、その上には黒い炎の模様が刺繍されていた。

「私の女性として、本当に美しいわ〜」その男性は背後のレイなど気にも留めず、ただイヴリーを喜びながらじっくりと見つめていた。

「ヨセフいとこ、もうそんなばかげたこと言わないで...」イヴリーの表情は非常に困惑していた。

「何度も言ったけど、いとこなんて呼ばないで！」ヨセフと呼ばれた男性は瞬時にイライラした。

レイがテーブルを飛び越えて戻ってきた。「何のつもりだ？ヨセフ・フレム！」

「俺の名前がフレムだと知っていて、何のつもりかと聞くのか？」ヨセフは横目で一瞥しただけだった。「レイ・アンフィット、誰がお前に俺の女を口説く許可を出した？」

「口説いて..口説いて..誰が彼女を口説いてるんだ！」レイは大声で叫んだ。「さっきはただ話していたんだ。何で俺を引き離すんだ！」

「俺がフレムだからだ！」ヨセフの目には高慢さが溢れていた。「彼女もフレムだ。ヴィルドの王もフレムだ。俺たちが話している間に、お前が邪魔する筋合いはない。」

レイは反論せず、ただ不服そうに睨みつけた。

ヨセフはレイの肩に手を置き、「お前には花火のような小細工があるかもしれないが、それは無意味だ。お前はアンフィットで、永遠にフレムにはなれない」と言った。そして耳元で小声で言った、「それに忘れるな、お前の都市が生き残るのは誰のおかげか。」彼はレイを強く押しのけ、「わかったら遠くへ行け。」

レイは眉をひそめたが、何も返答しなかった。

ヨセフはイヴリーのもとに戻り、「さっきは何を話していたっけ？まあいい、いつ俺と結婚するつもりなの？」

イヴリーはため息をついた。「それは無理よ、ヨセフいとこ。まず、家族の規則に反するし...」

「いとこなんて呼ぶな！」ヨセフは歯軋りをして言った。「どんな家族の規則だ！みんなそんな意味のないことばかり言う！俺たちの結合が最高だというのは、間違いないことだ！」

「もう話したくないわ...」イヴリーは顔をそむけた。

「俺と話したくないのか？さっきはあの花火師と楽しそうに話していたじゃないか！」ヨセフは怒りに震えながら再びレイを一瞥した。「アンフィット家の者と！かつてエドリー城に攻撃を仕掛けた奴ら！彼にちょっと言い寄られたら、すぐに忘れるのか...」

「ヨセフいとこ！」イヴリーは厳しい声で叫んだ。「エドリーは過去を忘れないわ。」

「チッ...」レイは顔を横に向けた。

「そうであることを望むよ！」ヨセフは冷ややかに笑った。「では、俺たちの話をしよう。」

「もうその話はしたくない！」

「今日ははっきりさせるぞ！」

イヴリーが振り返って去ろうとすると、ヨセフが彼女の手首を掴んだ。

「離して！」イヴリーは眉をひそめ、肩に火の粉が舞い上がった。

レイは拳を握りしめていたが、何もせずに見ていた。

「ああ、その美しい火の炎...」ヨセフの言葉は途中で突然途切れた。彼は感じた、正確には会場の全員が後ろからの圧迫感を感じた。まるで巨人の手のひらに押さえつけられたようだった。

ヨセフがゆっくりと後ろを振り向くと、カールがすでに彼の背後に立っていた。カールの周りは淡い赤い光に包まれ、その目は剣のように鋭かった。

「伯父さん、私..私は強引に...ただ彼女を説得しようと...」ヨセフは全身が震え、カールの視線を避けて頭を下げた。「祖父に相談することがあるんです！」彼はそう言って逃げ出した。

カールは同じ鋭い目でレイを睨み、レイも頭を下げて退いた。その後、カールはイヴリーの手を取り、一緒にホールの反対側に歩いて行った。

星空は深く、この季節には珍しく星々がちりばめられている。甲冑を身につけた少女が城壁に立ち、涼しい風に吹かれながら、遠くの山々の輪郭を見つめていた。背後には巨塔のように星空に突き刺さるセントの城の宮殿があり、無数の窓から放たれる光がまるで神々の杖のようだった。風が「杖」を絡み取り、大小さまざまな笛の音を立てていたが、まるで嘲笑のように聞こえた。

松明を持った衛兵たちが少女の後ろから列をなして歩き、彼女には目もくれなかった。少女も呆然と城外を眺め続け、背後から聞こえる衛兵や「杖」の笑い声には無関心だった。

突然、遠くから投げられた衛兵の影がゆがんだ。少女は左手を出して空中から手首を掴み、鋭い短剣が彼女の心臓に向けられた。

「久しぶりね〜今は「銀の巨像」と呼ぶのかしら？」ヘグリーーの前に、痩せた高い輪郭が現れた。「杖」の光に背を向けているため、その顔は不鮮明で、幽霊のような影の塊のようだった。声は変わっていたが、ブレイクであることは分かった。

「閣下はエドリーに出入りしているが、挨拶もせず。今ここに現れたのは、王宮の足元で私が人を殺さないと思ったからか？」ヘグリーーの声には緊張感がなく、相手の手を掴んでも特に力を込めていなかった。

「得意げになるな！私はただ、あなたを処刑する命令が再び届かなかっただけだ。」影は手首を引っ込めた。

「何度も無駄な試みだった。そろそろ諦めたらどうだ？」ヘグリーーは笑ったが、目には殺意があり、「エドリーの将軍として、あなたが好き勝手するのをいつも見過ごすわけにはいかない。次に会えば、あなたを捕らえる。あなたの行動はエドリーへの宣戦とみなされる！」

「将軍？フン..フン..フンフンフン〜」影は低い笑いを発し、揺れながら頭を傾けて華やかな宮殿を見た。「下水道のネズミや虫が眩い光に引き寄せられ、光を浴びた後、自分の醜さを忘れるんだろうな〜」

ヘグリーーは冷笑して応じた。「下水道のネズミの生き方をよく知っているようだな。なぜ自分の醜さを隠して、他人が陽の光の下にいるのをうらやむのか？」

「最終的には誰が本当の姿を晒されるか見てみよう。いつか戦場で会ったら、あなたの少しの光を奪って、あなたを下水道に戻して腐らせてやるよ。」影は溶け始め、徐々に壁の隅に流れ込んでいった。

「あなたには戦場は似合わない。得意の裏切りで手を下せば、少しはチャンスがあるかもしれない。」そう言って、ヘグリーーは光の方を背に回った。

「その口を破ってやる。」影は完全に消え、ブレイクの声が遠ざかった。「今後しばらくは別の任務がある。あなたを怖がっているわけじゃない。それに、私がいつも「無駄な努力」だと本当に信じているのか？」

少女は引き続き、光が届かない深淵を見つめていたが、背後の光は刺すように鋭くなり、耐えがたいほどの痛みに彼女は眉を寄せざるを得なかった。

レイと別れた後、イヴリーは引き続き人混みの中で目的の人物を探していた。「ああ、見つけた〜」彼女は嬉しそうに歩み寄り、小柄な男性の前に立った。「エルウィン様。」

「え？」エルウィンと呼ばれた男性はずっと大きな扉を見つめていたが、声をかけられると慌てて振り返った。「ああ、イヴリー殿下。」彼は立ち上がり、イヴリーと互いに礼を交わした。

「クララを探していたのですが、見つからないんです。」イヴリーはエルウィンの後ろをもう一度見渡した。

「クララは...今年は来ていません...」エルウィンはぼんやりと答えた。

「え？私たちが会えるのはこの時だけなのに...。最近の手紙では彼女がとても心配しているように感じました。レイネディの街に何か問題が？」

「それも..何もないんですが...ただ、クララもあなたと同じように代理領主になりまして。だから...」

「そのことは手紙で聞きました。でも、彼女が他に心配事を抱えているような気がして...」

「彼女はあなたのように賢くなく、仕事のこなし方がまだ慣れないし、負けん気も強い。きっとそういうことでしょう。」

「本当にそうですか？」イヴリーは疑わしげな目をして腰に手を当てた。「私は父が勝手に城を出て、一日中戻らないので、仕方なく代理領主になったのですが。もしかして、あなたも城の仕事をクララに任せて遊びに出ているのでは？」

「そんなことはありません！」エルウィンは慌てて手を振った。「重要なことがあり、ゲール殿下に直接会わなければならないんです。」

「私はあなたがそんなことをするとは思っていませんでした。」イヴリーは悪戯っぽく舌を出した。「あなたが緊張しているようだったので、ちょっとからかってみただけです。」そして真剣な声で言った。「もしレイネディに何か問題があれば、何でも言ってください。エドリーは力を尽くします。」

「ええ...はい。以前ヘグリーー将軍が魔獣の襲撃から私たちを守ってくださったとき、レイネディは感謝しています！」エルウィンは再びイヴリーに礼を述べた。

「そんなことはありません。」イヴリーは前に出てエルウィンを支えた。「私とクララは姉妹のようで、小さい頃からあなたを家族のように思っていました。エドリーが困難に直面し孤立した時、レイネディだけが援助の手を差し伸べてくれました。その時の恩を返すためでも、エドリーは全力を尽くします。」

エルウィンは目を拭い、「昔、クララと一緒に私の周りを駆け回っていた小さな女の子が、今では立派な領主になったな〜。困ったときは、エドリーに遠慮なく助けを求めるよ。でも、今は本当に何も問題はないんだ。」

「何かあったら、絶対に隠さないでくださいね...」

「改めて感謝します。」

その時、エルウィンはゲールが大きな扉に現れたのを見て、「すみません、イヴリー殿下。失礼します。」と言って急いで彼の方に向かった。

「何も問題ないのかな、クララ...」イヴリーは心配そうにエルウィンの背中を見つめた。