第41話 信じられる者




 私はマチルダの病室の扉の前で、朝まで意識を保ったままだった。

 すすり泣く声が消え、マチルダが眠ってから数時間後、来客があった。


 扉からではなく、窓から人影が見えたときはかなり肝を冷やした。私は閉まっていたカーテンをゆっくりと開けると、その人影と目が合う。


「!」


 なんと、逃げていた女性が刃物を持ってやってきたのだ。

 女性は侵入しようとしたところ私に気づき、姿を見たらすぐに逃げて行った。

 私がいなかったらマチルダは今頃殺されていたかもしれない。


 危なかった。私は乱暴な事は全く対応できない。もし戦いになったら私も殺されていたかもしれない。

 そう考えると、見張りをしていても私はろくに役に立たないのだと少し落ち込んだ。


 侵入しようとした女性を見た私は眠気など吹き飛び、一夜ずっと警戒し続けられた。

 同じ女性か、あるいは別の女性か……また来るかもしれない。

 戻ってきたときの為に、私は武器になりそうな長い柄の掃除用具を両手に持っていた。

 持っていた刃物はせいぜい20センチ程度だった。武器ではないが、柄が長いこちらにアドバンテージがあると考えた。


 ――落ち着け、人間の急所は……喉、鳩尾みぞおち、目……いや、目はいくらなんでも可哀想だ


 などと考えていたが、殺す気できた相手を可哀想などと言っている場合ではないと後で考え直した。

 私が甘い考えでは、マチルダは勿論のこと、私自身の命も危ない。


 マチルダの病室から病院関係者がいる場所までは結構な距離がある。大声で誰かを呼んでも誰か来てくれる可能性を期待できない。

 それに、もし誰かが来てくれても、巻き込まれて怪我をさせてしまう可能性があるので、私がなんとかしなければ。


 時折、扉から離れて窓から外の様子を見たり、扉を開けて廊下を確認したりしていた。

 常に落ち着かない気持ちでずっと緊張している状態だったが、結局、あの後は何事もなかった。

 朝日が昇って幾分か明るくなってきたとき、どれだけ安心したことか。


「おはようございまーす! あら? 駄目じゃないですかー! こんなところに座ってたら!」


 元気な天使の医師が出勤してきて、その顔を見た時は本当に安心した。


「すみません」

「あら? この前のお連れの人じゃないですか! どうしたんですか?」


 病院の方に正直に「襲ってくる者がいないか見張りをしていました」等とは言えない。

 それに先ほどの天使の大きな声の挨拶でマチルダが起きた音がした。

 本当に刃物を持った女性が来たと言ったら不安をあおってしまう。


「言われたとおりにメンタルケアをしておりました」

「なるほど! 納得です! それは助かりました!」


 天使はマチルダのベッドの周りのカーテンを開けて身体の診察を始めた。

 私はマチルダの身体を見ないよう、壁の方を向いて座り直した。

 見ないようにしたのは身体だけではない。

 泣き腫らしたその目元も見ないように、ただ壁の方を向く。


「身体はもう十分回復したみたいですね! もう退院できますよ!」


 退院と聞いたマチルダは喜ばしい声は出さなかった。

 まだ私はアーサーと話をしてはいない。アーサーが何と言うか、まだ分からない。


「退院後の手続きが済んだ後、どうするのですか? 行く宛てはありますか? この町の人ではないようですが?」


 何の事情も知らない天使は明るい声でマチルダに話かける。


「私は……旅に出ます。ここへは休憩で立ち寄っただけなのです」

「そうですかー! 抜糸も済んでますし、大分綺麗になってますよ! 商人さんのお陰ですね!」


 トムの協力なくしてはここまで回復しなかっただろう。

 また私がお金を稼いだら、トムから何か仕入れて還元しなければ申し訳ない。


「マチルダ、私はアーサーのところへ行ってきますね。もう少し休んでいてください」

「……分かりました」

「退院手続きは少し待っていてもらえませんか。万全の状態で出発したいので、よく診てあげてください」


 まだマチルダの身体は万全ではない。

 もう少しここで休息と療養をとっておいてもらいたい。


「はい! 分かりました!」

「それから、心的な負担が強かったので、1人にしないであげてもらいたいのです」

「分かりました! では、カウンセラーを手配します!」


 その返事を聞いて、私は宿に向かうことにした。

 1人にしなければマチルダを襲ってくる者も手を出せないはずだ。私の影を見て逃げ出した程度の者。昼間の病院のような人目の多い場所では襲ってこないはずだ。


 一睡もしていないまま私は宿へと向かう。

 不思議と眠くない。むしろ冴えているくらいだ。


 ――アーサーには何も知らないフリをして泳がせ、確たる証拠を掴まなければいけない


 今、私が何か進言したところで、国王や貴族は信じないだろう。


 ――今は駄目だ。まだその時ではない


 それに、アーサーの凶行をもみ消す警備兵たちがいる。

 複数の目撃者がいたと聞いたが、それも全てもみ消されているはず。


 ――警備兵が信用できないのなら、誰を信じられる?


 貴族や王国の息のかかっていない者……


 魔族。


 これから魔王を襲撃しようというのに、魔族を信じるというのはなんということか。

 しかし、私は魔王が悪だとは思っていない。

 魔族は人間の領土で働いている。

 バズズも、フレイジャも、それにこの町の天使も、どれも悪意など全く感じなかった。

 私が鈍いだけの可能性も十分あるが、少なくとも私は自分で見た事実を信じよう。


 まずは宿に戻り、アーサーに事情を聞かなければ。



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