第37話 正体
私は再び所長室の前まで戻ってきた。
頭の中で何度も言う言葉を考えていた。私はこう言うのだ。
「こんな怪しいお金は受け取れない」
「私はこんなものをもらわなくとも、口を滑らせたりしない」
「そもそも民の血税をこんなことに使ってはいけない」
――よし、これでいこう
私は自分に恥じる生き方はしたくない。
だから私は、こんな得体の知れないお金を受け取る訳にはいかないのだ。
と、私は所長室の前まで来たので扉を叩こうとした。
「……――は、本当ですか?」
中から所長の声が聞こえた。
誰かと話をしているのだろう。今入っては話を遮る形になってしまう為、私は所長室の前で話が終わるのを待った。
「それを正直に言ったら、俺はどうなるんだよ?」
――……ん? 誰の声だ?
所長ではない低い声が聞こえる。
聞き覚えがあるような声だが、それが誰なのかは分からなかった。
「まぁ……今回は不問にしますよ」
「だろうな。あー……こんなことになるなんて思わなかった」
「気を付けていただかないと。マチルダ様は下手をしたら死んでいましたよ」
「あんな馬鹿な女だとは思わなかったんだよ」
――誰だ?
しかし、話の内容からして、今回の事件に関わっている人物であることは分かる。
だが「不問にする」とはどういうことだろうか。
何故不問にするのか。
馬鹿な女とはマチルダの事を指しているのだろうか。
「そうは言われましてもね」
「飽きてきたところだったしな」
「飽きるのは結構ですが、もう少しやり方を考えていただかないと」
「もう帰りたいなぁ……」
「そんな調子でこの先大丈夫なのですか?」
誰だ。この話している相手の男は。
警備兵に罪を問われなくとも、この男が事件に関わっているのなら、私がマチルダの落とし前をつけなくてはいけない。
あんな非道な行為をした者を不問にしていいはずがない。
「正直、
「…………とにかく、今回の事は不問にしますので、早めにカースの町からお出になってください」
「えー……疲れてるんだよ。もうちょっと休ませてくれ」
「はぁ、こちらは後始末で大変だと言うのに。せめて、身を隠してくださいね」
「分かったよ」
中の男は立ち上がったような音が聞こえた。恐らく出てくるのだろう。
私は外開きの扉が開いたときに死角に入るように移動した。
――顔を確認しなければ
マチルダにあんな酷いことをした事件に関与している男を審問し、真偽を明らかにしなければならない。
ガチャリ。
私は扉の裏側にいたので、出てきた人物には気づかれずに済んだ。扉を閉める為に振り返りもしなかった野蛮な男だ。
バタンと大きな音を立てて扉はしまった。
私に背中を向けるその男を見る。
――え……
私は声をかけようとしたが、声が出せなかった。
その出てきた男は、出てきたと同時にフードを被る。
フードを被る前のその髪の色、背格好、間違いない。
その男はアーサーだった。
***
私は混乱してそのまま暫く動けなかった。
中で話していた男はアーサーだった。
それに、聞いたことがあるような声なのも当然だ。アーサーの声とは少し違うように聞こえたが、あれはアーサーの声だった。
――しかし、アーサーはもっと上品な話し方をしているはずだ
一人称も「俺」と言っていた。
私の知っているアーサーとは随分違う。言葉遣いも乱暴だった。
――同じ背格好の金髪の他人という可能性も……
いや、あんなに綺麗な金髪は早々いるものではない。
私は現実を受け入れられないが、中で話をしていた内容を考えれば病院に来た警備兵の言っていた通り、マチルダをあんな酷い目に遭わせたのはアーサーだ。
――理由は……?
アーサーは「あんな馬鹿な女だと思わなかった」「飽きてきた」と言っていた。マチルダが何をしたというのだ。飽きてきたとはどういう意味なのだろう。
私一人で考えていても混乱していて考えがまとまらない。
――しかし、こんなことを誰に言えようか
トム? バリズ? マチルダ本人?
――駄目だ。誰にも話せない。マチルダが殺されかけた。もし誰かに話したらその人も危険かもしれない
所長を問い詰めてみるか。
所長はアーサーの様子を知っている様子だった。
しかし、所長はカースの町でのかなりの権力者。下手に私が詰めよれば、お金を積んでまで私の口封じをしようとした所長が、今度は暴力に訴えてくるかも知れない。
警備兵の数を考えれば、私など取り押さえるのは簡単。
まして、所長は他の目撃者も複数人いたのにその事実をもみ消す権力がある。
――ここは、話を聞いていなかったことにして、このお金を返してマチルダの元へ戻ろう
一先ずはお金を返さないと話が始まらない。
私は大きく息を吸って、ゆっくり吐き出して平常心を取り戻す。
アーサーが出て行ってから10分は経った。今入っていっても怪しまれないだろう。
コンコンコン。
「所長さん、ユフェルです。よろしいですか?」
「ユフェル様? どうぞ」
中に入る前にもう一度呼吸を整えて、私は所長室に入った。
アーサーがいた場所に、アーサーがいないことを確認する。
ここは先ほどまで寝ていたアーサーがいないことについて触れるべきだろうか。それとも、すれ違ったことにして何も触れないでおくのがいいか。
――10分経ったのだから、すれ違ったにするには少し不自然か……
「アーサーはもう起きたのですか?」
「ええ……宿の方に向かったと思いますよ」
「そうですか。私が戻ってきたのはアーサーのことではないんです」
「?」
私は所長の机の前に「ドン」ともらったお金を置いた。
「所長さん、私はこのお金を返しに来たのです。私はこんなお金をいただかなくても誰かに他言したりしません。このような怪しげなお金は受け取れませんし、民の血税をこのように使ってはいけません!」
普段、私はあまり声を荒げたりしないが、このときばかりは感情が高ぶって声を荒げてしまった。
この血税が少しでもスラムに使われていたらと思うと、こんなふうに
「所長さん、いいですか! 確かに返しましたからね! 1ゴールドも使っていませんよ!」
「……………」
私は所長にお金を突き返すと、すぐに所長室を後にした。
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