第35話 マチルダの願い




 私の聞き間違いだと思った。あるいは警備兵の言い間違えかと。

 アーサーが他の女性たちにマチルダへの暴力を振るわせたなど、何かの冗談に決まっている。

 そんな理由が私には全く思いつかない。


「…………」


 真偽を確認するべくマチルダの方を見たが、泣いていてやはり返事ができる状態ではなかった。

 私は何がどうなっているのか分からず、ただ動揺するばかりだ。


「首を縦か横に振ってくれるだけでいいんですけどね。どうですか? マチルダ様。アーサー様が女性らに貴女を襲うように指示・先導したのですか?」


 尚もマチルダに聞く警備兵を止めるべきかと思ったが、その言葉の真偽が気になって私は黙ってマチルダの返事を待った。

 マチルダは泣いていたが、それでも何とか首を動かして質問に対して返事をした。


 マチルダは首を横に振った。

 それは「違う」という意味だ。

 それを見て私は心の底から安堵した。


 ――やっぱり、何かの間違いだったんだ


 そうだ。アーサーがマチルダにそんな酷いことをするはずがない。

 一緒に旅をしている仲間だし、マチルダにそんなことをする理由は何もないんだから。


「そうですか。まぁ、目撃者はいましたけど被害者の方がそうおっしゃるなら、何かの間違いだったのでしょう。では、我々はこれで失礼します。アーサー様を追ってきた女性たちは拘束して王都に送還しますので、ご安心ください」


 それだけ言って警備兵の2人は病室から出て行った。

 まったく、とんでもないことを言い始めたときは心臓が止まるかと思った。間違いであってくれて本当に良かった。


「私は医師にマチルダが目を覚ましたことを伝えて来ますね。ここは病院です。医師も天使もマチルダを診てくれているので、すぐ良くなりますから」


 私が席を立とうとすると、マチルダにそでを掴まれて止められた。


「……どうしましたか?」

「…………もうちょっと……側にいて……」


 泣きながらそう訴えられたら、それを無下にはできなかった。

 立ち上がりかけた腰をまた椅子におろし、できるだけマチルダが安心できるように声をかける。


「分かりました。ここにいますから、何でも言ってくださいね。私は誰にも何も言いませんから。安心してください。必要なものがあれば持ってきますから」


 私がマチルダに対して声をかけ続ける中、マチルダはずっと泣いていた。




 ***




 マチルダが泣き止むまで1時間以上はかかったと思う。

 泣き止む前にバリズが戻ってきて「アーサーを見つけた」と言った。


「今、アーサーは警備の奴と話してる」


 アーサーの名前を聞いたマチルダは、震えだして更に泣き出してしまった。

 場所を変えた方が良いと判断し、バリズに合図する。


「そうですか。マチルダ、私は少しバリズと話してきますので、待っていてください。部屋のすぐ前にいますから、何かあったらすぐに呼んでくださいね。すぐに駆け付けますから」

「……ありがと」


 バリズをマチルダの病室から連れ出して、通路の邪魔にならない端に寄って私は尋ねた。


「アーサーは無事に生きてましたか?」

「あぁ、生きてたぜ」

「しかし……何がどうなっているのか……」

「俺の予想通り、嫉妬に狂った女共がやったらしい。警備のやつに聞いたけど。な? 俺の言った通りだろ?」


 少し得意げにバリズは胸を張っていた。


 ――……さっき……アーサーが指示したって聞いたばかりだけど……


 落ち着いてきたので少し考えてみたが、警備兵は「複数の目撃者もいた」と言っていた。

 だとしたらマチルダの思い違いで片付けられることではなく、第三者が見て明確にそう思われる言動があったはず。


 ――マチルダがアーサーを庇って嘘をついたってこと……?


 それをバリズに話した方が良いのかどうか迷った。

 しかし、マチルダは否定していたし、ここで私が余計なことを言ってもバリズが混乱してしまうだけかもしれない。

 ここは黙っていよう。


「女共は警備が今捕まえてるところらしいから、大丈夫だろ。それより、マチルダは旅を続けられそうなのか?」

「まだ起きてからまともに話を聞けていないのです。だから何があったのかとか、そんな話はしてません。それに……泣いていて、聞ける状態ではないですし」


 それを聞いてバリズはガリガリと自分の頭を掻く。


「そんな状態じゃ連れて行けねぇだろ。足手まといじゃ話にならねぇぜ」

「身体の傷もさることながら、心の傷もあるでしょうし……」


 あの状態を見るに、マチルダは本当に連れて行けないかもしれない。


 ――1日か2日くらいは様子を見ても良いが……


 しかし、アーサーが何と言うかが問題だ。

 以前、かすかにしか聞こえなかったが「4人が伝統……」と言っていた。だからトムの加入を頑なに断っているのだ。

 何の伝統なのか分からないが、アーサーが3人になってもいいと言うだろうか。


「アーサーの意見を聞きましょう。この騒ぎの中心人物ですし」

「ったく、迷惑な話だぜ」

「警備建屋にいるのでしょうか?」

「そうじゃね? それか、もう宿に行ってるかどっちか」

「では、私が警備の建屋に行くので、バリズは宿に行ってもらえますか? アーサーがいなかったらそのまま部屋で休んでください。アーサーが宿に戻るかもしれません」


 バリズは先に宿の方に向かった。

 私はマチルダと話をしてから行こうと思い、一度病室へと戻る。

 私が席を外している間にマチルダは泣き止んで少し落ち着いていた。

 改めて彼女を見ると、顔の傷も腕の傷も本当に痛々しいと感じる。暫く鏡は見せない方がいいだろう。


「マチルダ、私は状況を調べるために一時的に離れます。大丈夫ですか?」

「…………」


 アーサーという単語は使わなかったが、それでもマチルダは私が何をしに行くか分かったはずだ。

 震えながらもマチルダは「分かった」と頭を縦に弱々しく振った。


「では――――」

「ユフェル……お願いがあるの……」

「……? なんですか?」


 できるだけ優しく返事をすると、マチルダは躊躇ためらった様子で、少しの沈黙の後に言葉を続けた。


「……アーサーに会っても、私の事は聞かないでほしいの……」


 おびえるマチルダのその姿を見て、私は理由を聞かずに「分かりました」と笑顔で返事をした。

 マチルダを引き合いに出さなければ聞けないことが沢山あったが、それでも自分のことは言わないで欲しいと言っているのだから、私は言わないことを誓った。


「それでは、行ってきますから。すぐに戻りますね」

「分かったわ……待ってる」


 そう言って私はマチルダの病室を後にした。



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