第33話 今は、別に混乱してないから



「先輩、次あれ! あれ食べたい!」


「わ、わかったから引っ張るなって」


 鼻緒が切れ、ベンチで休むことになった右希うきとは別行動を取り、俺は左希さきに手を引かれていた。

 右希を置いて祭りを楽しむ、というのもなんだか複雑な気分だが……左希を楽しませてあげたいって言うのが、右希の望みでもある。


 だから、俺もせめて左希が楽しくなれるように、好きにさせてやろう。


「はい、先輩。あーん」


「え?」


 ふと、目の前にたこ焼きが差し出される。

 左希がつまようじにたこ焼きを刺して、それを俺に差し出しているのだ。


 これは、その……あーん、というやつでは。


「ほらほら、早くしないと落ちちゃうよ」


「あ、あぁ」


 急かされ、考える間もなく俺はたこ焼きを、口にする。

 口の中で生地が割れると、じゅわっとした熱さが口の中に広がった。


「あふっ、あふっ……」


「ありゃあ、そんな一口で行っちゃうから」


 口を大きく開け、何度か空気を吸っては吐いてを繰り返す。

 しばらくすると、ようやく口の中の熱が引いていく。


 ただし、まだひりひりした感じだ。


「んくっ……はぁ、あっつぅ」


「まったくぅ。はい、水いる?」


「お、おう」


 たこ焼きなんて食べるの久しぶりだから、ついあんな食べ方をしてしまった。中身を開いて、少し冷ましてからのほうがよかったのに。

 そもそも、左希があーんなんてしてこなければ……


 俺は、左希に手渡されたペットボトルの水を、口につけて飲む。

 ひんやりとした水が、口の中の熱を急速に冷やしていくようだ。


「間接キス、だね」


「っ!? んぐっ、ふ……」


「あー、ごめんって」


 予期していなかった言葉に、思わずむせそうになってしまう。

 腹に力を入れて水を吹いてしまうのをなんとか耐え、左希が背中を擦ってくれたのでなんとか落ち着いた。


 俺は抗議するように、左希を見た。


「いや、ごめんって。でも、もっとすごいことしてるのに、間接キスでそんなに動揺するとか、先輩かわいー」


「お前な……」


「……ごめんね」


 くすくすといたずらを成功させた子供のように笑っている左希だったが、ふとその表情が暗くなる。

 自分の唇を撫で、申し訳なさそうに眉を下げていた。


「キスだけはしない、って言ってたのに」


「……」


 それは、左希が持ち掛けてきたこの関係で……キスは、右希にとっておこうという左希からの提案だった。

 だから、俺たちは体は重ねてきても、キスはしてこなかった。


 だが、あの日……プールでナンパに絡まれたあの日に、左希は俺にキスをした。

 あの強気な左希が震えてしまうほど、ナンパ男が怖かったのか。せがむような左希からのキスを、俺は拒めなかった。


 その後、なんとなくその話題を持ち出すのは気まずく、お互い触れずにいたのだが……


「それは、まあ……そのことで、左希を責めるつもりはないよ。あんときは、気持ちが混乱してたんだろ?」


「……」


「だからまあ、あのときのことは……お互い、気にしないことにして……」


「……そうだね。あのときは、アタシも混乱してたから」


「ほら、行こうぜ」


 左希の手首を掴み、その場から移動しようとする。

 しかし、動かない……左希が、その場から動こうとしないのだ。


 どうしたのだろうか。もしかして、右希と同じように鼻緒が切れて、動けなくなったとか?

 それを確認するために、振り向いた俺の口に……柔らかなものが、触れた。


「……っ?」


 ふわりと、いいにおいがした。

 目の前には、左希の顔……離れた口からは、ソースの味がした。


 左希は、自分の唇をぺろりと舐める。


「さ、左希?」


「今は、別に混乱してないから」


「え……お、おい!?」


 今のキスは、いったいなんなのか。右希との練習の、そういう意味なのか。それとも……

 それとは逆に、今度は左希に手を引かれる。


「ほら、そろそろ戻らないと。花火、始まっちゃうよ」


「お、おう……」


 結局、左希の真意を聞くことはできず……右希の待つベンチへと、戻った。

 そして、三人でその場を移動する。花火を見るのに、絶好のポジションがあるのだ。


 また右希をおんぶして移動しようかと提案したが、それは右希本人に却下された。恥ずかしいのだという。

 それに、左希の応急処置のおかげで歩くことはできるようだ。


 少し祭りの喧騒から離れ……階段を、上っていく。

 右希の歩幅に合わせて、ゆっくりと。


「あ、ごめんアタシちょっとお手洗い! 二人とも、先に行ってて!」


「あ、ちょっと左希!」


 階段を上り少し歩いたところで、左希がまるで今思い出したというように声を上げる。

 そして、それを止める間もなく、そそくさとこの場を去ってしまう。


「もう、左希!」


「まあ、トイレは近くだから大丈夫だとは思うけど……追いかけようか?」


「うーん……一応、さっき防犯ブザー渡しておいたから、心配はないと思うよ」


 どうやら、俺が気づかないうちに左希は、右希から防犯ブザーを受け取っていたらしい。

 しかも、それは左希から言い出したことで。……左希のやつ、初めから俺たちを二人にするつもりだったな。


 勝手に一人になったら、また俺が捜しにいくかもしれない。だからせめて防犯ブザーを持つことで、捜しにくる必要はありませんよってアピールしたわけか。


「しゃーない、先に場所取りしておくか」


「そうだね」


 ただ、場所取りとはいっても目的地はすぐだ。

 周囲に人の気配はない。そこにぽつんとあるベンチに、右希を座らせ……俺も、その隣に座る。


 先ほどまでの騒がしさが、嘘のようだ。静寂とまではいかないが、落ち着いた空間だ。

 こんな場所に右希と二人きりというのは、なんだか緊張するな。


「ねえ、たっくん」


 そんなとき、右希が俺の名前を呼んだ。


「ん、どうした?」


「あの、ね……えっと……」


 なにやら、言葉に詰まっているような右希。言いにくいことでも、あるのだろうか。

 なにも、急かすわけではない。右希の好きなタイミングまで、俺は待つ。


 その横顔を見つめ……右希の顔もまた、俺を見る。


「あのね……たっくんは……」



 パァ……ン……!



 右希が口を開いた、その瞬間……花火が、激しい音を立てて空に打ち上がった。

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