第32話 鼻緒が切れると縁起が悪い、って言うから



 祭りの喧騒から少し離れ、俺たちは見つけたベンチに腰を落ち着ける。

 右希うきを座らせ、俺は切れてしまった鼻緒を観察してみた。


「こりゃ見事に切れてるな」


「そうみたい……」


 元々下駄とか、じっくり観察する機会なんかなかった。

 鼻緒が切れているからといって、それをどう元に戻るのかよくわからない。


 とりあえず、結べばいいのだろうか。


「……」


「ん、どうした」


 なんだか、さっきから右希の反応が鈍い。

 どうかしたのかと顔を上げると、右希は顔を赤くしたり青くしたり、表情が忙しいことになっていた。


「ほ、本当にどうした!?」


「や、だって……鼻緒が切れると縁起が悪い、って言うから……」


 右希の表情が暗い理由は、これか。

 俺はよく知らないが、いろいろ言い伝えでもあるのだろう。縁起ものってやつだ。


「そんなのただの迷信だって、お姉ちゃんは気にし過ぎだなぁ」


 そんな右希を見て、左希さきはあはははと笑う。

 左希なりに、励まそうとしているのだろう。


「……そう、かな」


「……お姉ちゃん?」


「ん、なんでもないよ。そうだね、確かにただの迷信だよ。

 それより、これどうしよう」


 右希はなにかをごまかすように、笑った。

 気にはなったが、話題を鼻緒に持って行った。


 このままでは、満足に歩くことはできない。

 俺がずっとおぶって……というのも考えたが、それだと俺が持ちそうにない。俺に背中に押し付けられるものの存在に。


「ふふん、こんなこともあろうかと!」


「左希?」


 得意げに笑う左希が、なにかを取り出した。

 それは、ハンカチと……


「五円玉?」


「まっ、アタシにどんと任せてよ!」


 左希は右希の足下に屈み、持っていたハンカチと五円玉を見つめる。

 ハンカチを紐状になるように捻り、五円玉に通す。さらに、細くなっている両端を台の下から穴に通し……鼻緒に掛けて結んだ。


 すると……


「ほい、応急処置完了!」


「「おー」」


 見事に、切れた鼻緒の代用として扱えた。

 鼻緒が切れた際の、応急処置だという。まさか左希が、こんなことを知っていたなんて。


「すごいじゃないか、左希」


「えへへへ。ま、一応ね。でもこういうことは、お姉ちゃんのほうが知ってそうだったけど」


「面目ない……」


「それに先輩も、彼女の鼻緒が切れた時のために、こういうの調べておかなきゃ」


「面目ない……」


 左希のおかげで、事なきを得た。左希がいなかったら、このまま右希をおぶって帰っていたかもしれない。

 それか、せめて花火の時間まではここにいたか。


「ふふん、感謝してよ」


「どうだ右希、歩けそうか?」


「うーん……まだちょっと、足が痛いかな。でも、すぐよくなると思うから、二人は楽しんでよ」


「でも……」


 鼻緒が切れたことで、少し足を痛めたらしい。

 そんな右希を放って二人で遊ぶのは、気が引ける。左希も、そう感じているようだ。


 しかし、右希は笑顔を浮かべたまま。


「せっかく応急処置したのに……」


「正直言うと、人の波にちょっと疲れちゃって。いいタイミングだからちょっと休むわ」


「ならアタシも……」


「左希は、まだ満足してないって顔してる」


「う……」


 ついでに休んでいくと言う右希は、自分のせいで左希や俺がここから動けなくなってしまうのを良しとしていない。

 だから、休んでいる間俺たちに遊んでくるように、言っているのだ。


 だが、俺たちがここを離れたら、右希一人を残すことになる。

 それは、さすがに……


「大丈夫だよ」


 そんな俺の心配を読み取ったかのように、右希は巾着袋の中からなにかを取り出した。


「それは……」


「てれれー、防犯ブザー」


 取り出したそれは、見覚えのあるもの。

 小学生の頃、よく目にしたものだ。今では、場所によってはコンビニにだって売っている。


 なるほど、これがあるから一人でも問題ない、というのか。

 左希のこともあったし、危険な目に遭わないように右希は用意していたのか。


「なら、アタシが防犯ブザー持っとくから、先輩はここでお姉ちゃんと……」


「お財布はたっくんが持ってるんだよ? 左希に渡したら、すぐに空になっちゃいそう……だから、たっくんも着いていって」


「うぐ……」


 さすがに財布を空にすることはないだろうが、自分を抑える自信がないのか左希は渋い顔になる。

 そういうことなら、着いていくしかないか。


「わかった。なにかあったら、すぐに連絡してな。遅くても、花火が上がるまでには戻るから」


「お姉ちゃん、ごめん。先輩借りるね」


「はーい」


 多少後ろ髪を引かれながらも、俺たちは右希を置いてその場を、後にした。

 右希は最後まで、笑顔で手を振っていた。


「まったく……お姉ちゃんったら、なに考えてるんだろ。一応、自分の彼氏なのに」


「お前がそれを言うのか」


 歩いている最中も、左希はしきりに後ろを気にしていた。

 右希がなにを考えてるか、か……右希には、言う必要はないと言われたけど……


「右希は、お前に楽しんでほしいんだよ」


「……アタシに?」


「プールで、嫌な思いをしたろ。だから、この祭りくらいは楽しんでほしいって。

 自分に付き添って満足に楽しめないのは、嫌だったんだろ」


「……ふーん、そっか」


 この祭りの一番の目的は、左希に元気になってもらうことだ。

 そのために、右希はあんなことを言ったわけだ。妹想いというかなんというか。


 だから、せめて左希には精一杯楽しんでほしい。


「右希のことは気にせず、精一杯楽しめってことだ。こんな言い方はアレかもだけどな」


「……お姉ちゃんのことは気にせず、か」


 がやがやとうるさい周囲……そんな中で、俺に振り向く左希は、なぜだか怪しく、笑みを浮かべていた。


「そうだね……そうしよっか」

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