第5話 えっち



 いつものように、授業を受け、時間は過ぎ……昼休みの時間が、やって来る。

 俺は鞄から弁当箱を取り出しつつ、その時が来るのを待っていた。


「あー、いいよな辰は」


「な、なんだよ……」


 その間に、近くに寄ってきていた戸田が話しかけてくる。

 戸田はいつも食堂か購買で、昼飯を買う。最初のうちは、それに俺も誘ってくれていた。んで、着いていったわけだ。


 だが、最近はそれもなくなった。

 避けられているから誘われなくなった、といったわけではない。誘われなくなったなら、そもそも戸田がちょくちょく俺の側には来ない。


 そこには、戸田の気遣いがあるからだ。


「とぼけんなよ。だっていつも、この時間になったら……」


「た、たっくーんっ」


 軽くため息を漏らし、続きを口にしようとした戸田だが、それは別の声にかき消された。

 それは、小さな声。だが、廊下側の席にいる俺には、その小さな声でも充分聞こえる。


 なにより、"彼女"の声を聞き逃す俺では、ない。


「右希!」


 そこにいた彼女は、声を出したはいいが恥ずかし気に、落ち着きなく立っている。

 おとなしい性格の彼女にとって、上級生のクラス内に声をかけるのは、難易度が高いのだろう。


 それでも毎回やってくれるのが、嬉しいしかわいいんだが。


「ちょっと先輩、アタシもいるんだけど?」


「お、おぉ、左希」


 彼女の後ろからひょこっと顔を出すのは、少し不機嫌そうな顔をした、彼女の妹だ。

 晴嵐 右希せいらん うき、そして晴嵐 左希せいらん さきの姉妹が、教室の入り口に立っていた。


 その姿を認め、俺は席を立つ。

 右希と左希の手には、しっかりと弁当箱が、握られている。


「はぁー、いいねぇ。美人幼馴染兼彼女の、手作り弁当とは。いい御身分ですな」


「う、うっせ。お前も彼女作って、弁当作ってもらえよ」


「あ、お前そんなこと言うのか! 言ってはいけないことを!」


 ぎゃいぎゃいとうるさい戸田を、戸田の友達が羽交い絞めにして押さえていた。

 その間に、俺に視線を送る。早く行け、と言ってくれているのだ。


「悪いな、いつも」


「いいって」


「その代わり、今度なにかおごれよなー」


「あはは」


 軽く雑談を交わして、俺は教室の入り口で待っている右希、左希のところへと向かう。

 二人は、俺を待ってくれていた。上級生の教室の前なんて、居心地が悪いだろうに。ただでさえ、二人は視線を集めるのだ。


「ごめん、待たせた」


「まったくだよ、先輩おそーい」


「ごめんって。でも、毎回悪くないか、迎えに来てもらうなんて。

 俺が、迎えに行った方がいいんじゃない?」


 教室を出て、いつもの場所に向かうべく足を進める。

 その間も、俺たちの間に沈黙はありえない。


 おとなしい右希が迎えに来てくれるのは嬉しいが、いくら毎日とはいえ慣れるものでもないだろう。

 なら、俺が迎えに行った方がいいのではないか。下級生うき上級生おれの教室を訪れるより、上級生おれ下級生うきの教室を訪れた方がいいのではないか。


 その方が、右希に気を遣わせなくてすむ、と思ったのだが。


「そ、それは……」


「いいんだってー、お姉ちゃんってば自分が先輩を迎えに行くーって聞かないんだから」


「ちょ、ちょっと左希!?」


 右希がなにか答えるより、左希が横から口を挟んだ。

 にひひ、と笑みを浮かべる左希は、まるでいたずらっ子のそれだ。


 対して右希は、顔を真っ赤にしている。


「? 俺が迎えに行くのじゃ、だめなのか?」


「だめじゃないけど……まあ、彼氏が教室に来たら、えらいことになるだろうし?」


「?」


「ま、いいじゃないの。恥ずかしがり屋のお姉ちゃんのために、アタシも着いてきてるんだからさ」


 右希がどうして、そう思っているのかはわからない。迎えに行くのも、来られるのも同じではないのか。

 そう思ったのだが、意味深な左希の表情にそれ以上の答えは得られなさそうだ。


 右希も、顔を真っ赤にしたままだし。


「というか、俺とばかり昼飯を食べてていいのか? 友達とか……」


「ま、その辺は理解ある友達だから」


 ちなみに右希と左希のクラスは、同じである。


「先輩こそ、いいの? お友達と食べなくてもさ」


「あいつらも、気を利かせてくれているから」


 口ではなんだかんだ言いながらも、俺が彼女とお昼一緒にいれる時間を作ってくれる。

 いい奴らだよ、まったく。


「よ、っと」


 歩みを進め、目的地は曲がり角の向こうだ。そこには、上階に上がるための階段がある。

 角を曲がり、階段を目にして左希は軽快な足取りで、階段を上っていく。


 ぴょん、と飛び跳ねるように。後ろは、まったくの無警戒で。

 すると、その……短いスカートが、ひらひらと揺れるわけで。


「あっ、さ、左希っ。後ろ後ろ!」


「ん?

 ……あ、ごめん。ありがとーお姉ちゃん」


 俺が思ったことと、同じことに気付いたらしい右希が焦ったように、左希に声をかける。

 その声に、ゆっくりと振り返った左希は……身振り手振りをしている右希の姿に、ようやく事態に気付いたらしい。


 左希がスカートを押さえるのと、右希が俺の方を向いたのは、ほとんど同時だった。


「……見た?」


「い、いや。なんのことだが」


 俺はというと、右希が俺の方を見る直前に、顔をそらしていた。

 なにを見た、とは言わない。が、それがなにを示しているか、俺にはわかる。


 見てない、と訴えると、右希はほっと溜息を漏らした。

 ……本当に見たかは、ノーコメントとしておく。


「そっか、よかった。

 でも左希、気を付けないとだめだよっ。後ろにいたのが私と、見てないたっくんだけだからよかったけどさ」


 視線を、戻す。右希は腰に手を当て、ぷりぷりと怒っている。

 右希が言うように、もし他に人がいたら、左希のスカートの中を見られていたかもしれない。


 いくらなんでも、無防備過ぎだ。


「うん、そだね。ごめんごめん。

 ……でも、他に人がいないのは、知ってたよ」


「? ごめん、最後なにか言った?」


「なぁんにも。さ、行こ」


 右希の説教が効いたのかわからないが。左希はそのまま階段を上り始める。先ほどのように、跳ねながらではなく。

 それに続いて、右希も階段を上り……俺もまた、二人に続く。


 さっき、もしかして左希は、意図的にあんな階段の上り方をしたんじゃないだろうか。

 確証はない。でも、左希は俺が視線を戻したとき……笑っていた。


 どこか、妖艶な笑みを浮かべて……俺のことを見ながら、口パクでこう言った気がしたのだ。「えっち」と。

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