第46話 エピローグ

「ギル、お客さんだ」


兄に声を掛けられて仕事の手を止める。特に来客の心当たりはなかったが、作業部屋を出て店のカウンターに向かえば、見覚えのない若い娘が立っていた。


「初めまして。お伝えしたいこととお訊ねしたいことがあって、不躾ながらお邪魔しました」


初対面というのに物怖じしない態度と美しい所作に、貴族令嬢だと見当をつける。


「お嬢ちゃん、お名前は?」


にっこりと笑みを浮かべた娘はさらりと信じられない言葉を口にした。


「あら、失礼いたしました。エレナと申します。キャサリン・グレイス嬢についてお話したいのですが、お時間いただけますか?」


近くのカフェに場所を移してギルバートはエレナに向き合った。


「ケイトとどういう関係なんだ」


席に着くなり問い詰めるような口調になったのは、少なからず動揺していたからかもしれない。


「関係と呼べるほどではなく、一度会話を交わしただけです。貴方にはお礼を伝えたくて。――ドールが世話になりました」


その一言で目の前にいる娘がドールの主人だと悟った。アンバー国の王族に近しい者だと予測していたが、確かエレナという名は死んだはずの末の王女と同じ名前だ。


「ありふれた名前ですよね」


薄い笑みを浮かべたエレナは暗にギルバートの推測が正しいことを伝えてくる。死者は静かに眠らせておいたほうがいいのだろう。


「キャサリン様とは一度だけとある屋敷のパーティーでお見掛けしたのです。女性でありながら優れた剣の使い手で、それなのに優雅な所作と貴族の嫌味など一向に介さず凛とした佇まいが美しくて。嫌がらせや陰口を叩かれた時には彼女のように振舞うことで矜持を保つことができました」


ケイトの毅然とした表情やまっすぐな瞳を思い出す。彼女は男女問わず惹きつける魅力の持ち主だった。


「どうして俺に接触したんだ」


身分を隠しているのなら丁重な言葉遣いは逆に避けるべきだと敢えてそのままの口調でつづけた。


「あの方の大切な人のために何かできればと思ったんですよ。だからキャサリン様の言葉をドールに託したのです。――覚えていますか?」


「救える命を救うために為すべきことをしろ、だったか?」

「強くなっても大切な者を守れない時はどうすればいいのか、キャサリン様にお尋ねしたらその言葉が返ってきました」


(本当に俺はケイトに敵わない)


身体の力が抜けて背もたれに身体を投げ出すと、笑いが込み上げてきた。


「ありがとな。あの時の伝言が部下たちの命を救ったのかもしれない」

「お礼を言われるようなことではありません。ですが一つだけ教えていただけるのなら彼の、ラウルのことをお伺いしても?」




「今日はいい天気だね」


ラウルは白いガーベラの花を数本、小さな石碑の前に供えた。エルザがいつも祈りを捧げていた石を彼女を偲ぶ拠り所として森から持ち帰ったのだ。見晴らしのよい丘は緑に囲まれた日当たりの良い場所にあり、何となく彼女が好きそうだと感じた。


「君の望んだ戦争のない世界は、とても静かで心地が良い」


まるで戦いが終わったあとに時折訪れる静謐さが、ずっと続いている。最初は違和感を覚えることもあったが、徐々に環境に慣れて穏やかな日常を過ごしている。


「だけどやっぱり、君がいないのは寂しいな……」


これも彼女がくれた心の一つだと思うと愛しさを感じるが、彼女の声を聞きたいと叶うことのない望みを抱いてしまう。あの時、彼女と一緒にいられることを信じていた意識が遠のく瞬間の幸福感は二度と得られないだろう。


「お兄様?」


物思いにふけっていたせいか、声を掛けられるまでシャーロットに気が付かなかった。


「お邪魔してごめんなさい。まもなくリッツさんがいらっしゃる頃だと…」

「わざわざ呼びに来てくれたんだね。ありがとう、シャル」


シャーロットは安心したような表情を浮かべる。


『人を殺すためだけに生きているなんて、そんなのおかしいわ!』


戦争に行けば死ぬかもしれないのに唯々諾々と両親の命令に従う兄にシャーロットはもどかしさを覚えていた。酷い言葉を投げつけた自分に嫌悪感と兄への罪悪感を覚えたシャーロットは、ラウルへの償いを決意したそうだ。


父が戯れに手を付けた平民の娘がラウルの実の母親だ。ラ

ウルを引き取ったのは元々戦争に送りだすためだと使用人たちの噂話で知っていた。半分しか血の繋がらない妹はそれでもラウルを兄と呼び、居場所を作ってくれたことをラウルは感謝している。


「あのお兄様、……黙っていなくならないと約束して欲しいのです」


躊躇いがちな口調だが、真剣な表情でシャーロットは告げた。


「さすがにそんな不義理な真似はしないよ」

「本当ですか? お兄様はどこかに消えてしまいそうなそんな雰囲気があるのです」


シャーロットは人の感情の機微に聡い。ラウルが欠落感や虚無感を覚えている時の気配をそう捉えているのだろう。


「大丈夫だよ。そういえば今日は随分と大人びた服だね」


ラウルが指摘するとシャーロットは動揺したように視線を彷徨わせ、頬を赤らめた。その表情は見覚えがあり、ラウルは推測を口にした。


「シャル、もしかしてリッツのことが――」

「お兄様!そんなこと口にするのは無粋なことですわ」


普段は淑やかなシャーロットが大声を上げて遮る様子を見て、ラウルは少し反省する。


「そうか、勉強になったよ。ではそろそろ戻ろうか」


リッツは終戦後もラウルのことを気に掛けて時折顔を出していた。


(シャルとリッツが幸せになってくれるなら、僕も嬉しい)


そう伝えればシャーロットはまた怒るだろうか。

エルザが傍にいない寂しさはあるけれど、彼女がくれたものがずっと自分の中に残っている。


初めて会った時から心を惹かれたこと、彼女の気持ちが分からなくていつも怒らせていたこと、徐々に温もりを失っていった身体も全て覚えている。

彼女の代わりはいないけど、大切だと思える存在がラウルの傍にいてくれる。


(彼らがいつも笑顔でいられるように守るよ。だからもう少し待ってて欲しいんだ)


心の中で呟くと白いガーベラの花びらがまるで頷くように風に揺れていた。

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君の願う世界のために 浅海 景 @k_asami

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