第45話 新しい約束

「エレナ」


かすむ視界の中にテオの心配そうな顔が映った。手を伸ばすと肩甲骨のあたりに鋭い痛みが走った。


「まだ動かすな。……傷が残るかもしれない」


(そっか、あのときテオに刺されたんだっけ)


ぼんやりとした頭で思い出す。記憶が蘇るとともに疑問が押し寄せてくる。

身体を起こそうとするとテオが背中に手を当てて支えてくれた。室内を見渡すと簡素だが清潔な小屋のようだった。


「え……?」


自分の体重で背中の傷が開かないよう横向きに寝かされていたのは分かる。だけど目が覚めた時テオの顔が目の前にあったということが問題だった。


「え、テオ?もしかして一緒に寝てた?」

「眠ってはいないが、心配だったし体勢を固定するために抱きしめてはいた。駄目だったか?」


(………駄目じゃないけど!)


一晩中寝顔を見られていたのかと思うと、急激に頬が熱くなる。


「……まずは説明して。あれからどうなったの?全部教えて」


顔に手を当てて冷ましながらもエレナはテオに詰め寄った。


エレナは一晩ぐらいの感覚だったが、毒の作用と怪我による失血によりあれから五日経っていた。

処刑人であるエレナを殺したことにより、テオは無罪放免とはなったが追手が掛かることは明らかだった。


テオも後から知った事だが、錯乱した王妃が国王を殺害したことで王都内は一時的に混乱に陥った。テオは協力者の助けを借りながらもチャーコル国を脱出、三日かけて辿り着いたのがアンバー国の外れにあるこの小屋だ。


「協力者って?」


話の途中だったが思わずエレナは口を挟んだ。そんな人物に心当たりがまるでなかったから、とても気になる。


「ソルと名乗っていた暗殺者だ。ドールが捕らえられたのはそいつのせいでもあるんだが」


牢に囚われていたテオの前に現れたソルはチャーコル国の兵士の恰好をしていた。見張りと交代したソルはドールのことを伝え、提案を持ちかけたのだった。


『あいつの兄に借りがあったから妹に返そうとしたのに、結果的にまた借りを作るはめになった。だからあいつの主を助けることで精算する、オッケー?』


「ドールはお前を助けようとしたらしい」


カールへの牽制のための情報を探っていただけだったが、失敗して無実の罪を着せられたのだ。エレナのための行動だという推測は間違っていなかったが、ドールがそれほど心を砕いてくれていたなんて思ってもみなかった。


ただ義務で世話をしてくれると思っていたから、テオの前では絶対に見せないようにしていた憂鬱な顔やため息を隠そうとしなかった。ドールは気にしないだろうと勝手に思い込んでいたが、それが原因だった気がしてならない。


「私は主人失格だね…」


ドールを殺した夜にもこぼれなかった涙が溢れてきて止まらない。


「エレナがドールに他人を想う心を取り戻させた。きっとあいつ自身も気づいていなかっただろうけど、ドールは救われたと俺は思っている」


テオの温もりに身体を預けながら、エレナは黙って話の続きに耳を傾けた。

ソルはカールの用意した褒美である講和条約のことも知っていた。テオはエレナを殺したくないが、エレナがテオを殺してしまえばきっと心が耐えられない。


『だからあんたが姫君を殺してくれない?』


差し出された短刀は毒が仕込まれているという。ドールが調合した毒で一時的に仮死状態に陥ることができるので、その場で疑われることはないだろう。


『ドールが調合したとはいえ、完璧な毒なんて存在しない。結果的に姫の命を奪う可能性もゼロじゃないけど、これが最適だと思う』


完全に信用できないものの、テオはソルの提案を受け入れた。


「国境でソルとは別れた。もう二度と会うことはないと言っていた」

「今チャーコル国で采配を振るっているのは誰?」

「宰相のレバノン侯爵だ」


であるならばソルの主は宰相と見て間違いないだろう。エレナを助けたのは、お茶会での出来事をエカテリーナ妃から聞いて借りを返したといったところか。


「近日中にアイリス国とアンバー国の講和条約も締結される。チャーコル国の軍事力はあの男の影響があってこそだったから、二国が手を組まないよう間に入って恩を売っておいたほうがいいと判断したようだ」

「テオ、師匠は喜んでくれるかな」

「師匠だったらこう言うだろう。『エレナよく頑張ったな』って」


大きな手がエレナの頭を優しく何度も撫でる。もう二度と触れられることのないと思っていた温かさに冷え切った心が溶けていくようだった。


「テオ、約束して欲しいことがあるの」


少し困ったようなテオの表情は、きっといつもの約束だと思っているのだろう。


「いつかテオが私のこと好きになってくれたら、お嫁さんにしてくれる?」


驚きに眼を大きく見開いたテオの表情が優しくほころんでいくのを、エレナは満たされた気持ちで見つめていた。

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