第16話 実況と腰洗い槽
「いやぁ、着いた着いた」
そう言って、たどり着いたのは街の中心位置から20分程度歩いた所にある宿である。
見た目は日本の民宿に近く、瓦屋根の和風建築である。入口には石畳を囲むよう真っ赤な灯籠が幾つも並んでおり、柔らかな明かりを灯し、その優しい光はその上品な石畳と赤松の木、そして景観ぶっ壊しのスポーン地点をやさしく照らしていた。入口にはのれんが掛かっており、
入口にさしかかると、のれんを両手でかき分け、カラカラと小気味よい音がする引き戸を開けた。
そこにはしなるような黒髪……、薄い桃色と鮮やかな赤の帯、藤紫の和服を装った夜会巻きの、切れ長の美人女将が正座で出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ――」
女将はゆっくりと顔を上げた。
「あブッ!」
女将を見るなりブチョウは四散した。
変な妄想スイッチが入ったのかブチョウにはドストライクであったらしい。
振り返ると入口のスポーン地点が発光した。
そして灯籠の柔らかい光と共にゆっくりと、ゆっくりと、ブチョウの一糸纏わぬ体が造形されていく、その様子はまるで
その幻想的ともいえる風景を皆が唖然と立ち尽くしながら暗い表情で見守っている。
――なお、この間5分である。
「み、みないでえぇぇぇぇ!」
光が止みスポーンが終了すると胸と股間を隠しながらブチョウがしゃがみ込み叫んだ。
「一応人物わからなくなるくらい全身モザイク処理されているから大丈夫ですよ」
すかさず突っ込んだ。
「このスポーン地点おかしいでしょ! なんでこんな辱めを受けながらスポーンしないといけないのよ!」
言葉のおかしいブチョウが顔を真っ赤にし、うっすら涙を浮かべながら怒っている。
「なにやってんすか……ブチョウ……。自我を保って下さいよ……」
呆れたような投げやりな感じでブチョウをあしらった。
「ここだけ、『このスポーン地点だけ』おかしいんだよ! お前もやってみればわかるわ!」
そう言って手を上下にブンブン振って説明するブチョウ。
「え。俺は嫌ですよ。スポーンも初期位置固定ですし……」
困った様子でさらりと提案をかわす。
「じゃあ、お前らもやってみろよ!」
ブチョウは振り向くとユーとミーナの方を向いて言った。
(お前らもやってみろよ……。お前らもやって……。お前らも――)
ユウの頭に声が響く。
「ブチョウのドスケベ!」
ユウは顔と耳を真っ赤にすると、手に持っている殺傷力の高そうな杖を天から振り下ろした。
「すケブッ!」
そうしてブチョウを除く一行は、ゆっくりと現れるブチョウを後に、女将とともに旅館の中へと消えていった。
「えっ。ちょ! おいていかないでくれーッ!」
後ろからブチョウの悲痛な叫び声が聞こえた。
:
:
5分後、ブチョウはドタドタと走りながら、部屋に入ってきた。
――バァン!
「うおぉぉ、なんて屈辱! 明日ギルド行ったら絶対に修正報告するからな! 覚えてろよ!」
何故か俺の方をピッと指差し、言った。
「いや、おれ関係ないんですけど……」
呆れるように言い返した。
「はいはい……、ブチョウもそれくらいにして、お風呂でも入ってきたら?」
ミーナは座り込んで、自身の足裏をマッサージしながら言ってきた。
「お、風呂なんてあるのか?」
俺に襲いかかるブチョウの動きが止まった。
「そりゃあ宿だもの風呂……というか温泉ね。中心地には設定出来なかったけど、ここまで離れた宿なら土地もあるしね。まぁ、この辺は私の設計なんだけど」
ふふんと言わんばかりにミーナが自慢してきた。
「よし行こう今すぐ行こう!」
突然興奮するブチョウ。
「ほら、シンも早く準備しろ。とっとと行くぞ!」
何故かスクワットしながら俺の方をみて急かしている。腰痛どこ行ったんだよ。
「あっ。ちょっ、ちょっと待って下さい、タオル持って行かないと……。って、あっ! ブチョウ!」
既にブチョウは居なかった。タオルを手に取ると慌てて追いかけた。
「はぁはぁ……。ぶ、ブチョウ……いくら何でもはしゃぎすぎでしょ……」
息を切らしながらブチョウを呼び止めた。
「は? こちとら粘液まみれになりながら全力で肉体労働してたんだぞ。それにここ最近ずっと謎の病気が蔓延してて、旅行なんて行ってなかったしな!」
――ふんっふんっ!
素っ裸で腰にタオルを巻いて上体を捻りながらストレッチしているブチョウ。
「そりゃあ現実は酷いありさまでしたからね……はしゃぎたくなるのは無理もないですけど。少しは落ち着いてよく考えて行動しないと、また履歴書みたいなことになりますよ……。って。くそっ。この腕輪外れん……」
そんなやりとりをしながら衣服を籠に脱ぎ捨て忠告した。
「そういやそんなこともあったな……。ちゃんと間違えてなければ《会長》とかになれたのかな……」
ブチョウは入口の引き戸を《ガラガラ》と音を立てながら開く。
「おっ。うおお……! なんて開放的なんだ」
扉を開けたブチョウが思わず声をあげた。
扉を開けると脱衣所にも湯煙がなだれ込み顔に纏わり付いてくる。
そのさき先には30~40cmほどの不均一な切り出された石たちが絶妙な形で隙間無く敷き詰められており、面の取られたひときわ大きい岩で浴槽が囲まれている。
そういった浴槽は、他にもいくつかあるようで、ご丁寧に薬湯まであった。
壁側には幾つも打たせ湯があり、その下には木製の椅子があり、体が流せるようになっている。
天井は無く開放されており、空を見上げると瞬いてる星々と、天空まで続く壁があった。もちろんこんな世界なので、混浴は絶対厳禁である。
「これが男湯と女湯の隔たりか……。そこまでやらなくてもいんじゃないかな……」
どこまでも天高く続く巨大な壁を見上げながら呟いた。
そうして壁側にある打たせ湯みたいな所へと座り、湯にあたり体を洗っていると、ブチョウの元気の良い声が聞こえた。
「ひゃっほーい! 誰も居ないぞ貸し切りだアァァ!」
ブチョウはおもむろに浴槽へと飛び込んだ。
――ッパァアァァァン! ゴッ……!
アスファルトに水風船を全力で叩き付けたみたいに妙に高い破裂音と、16ポンドのボーリングの球を取ろうとして手が滑ってコンクリートに床に落とした時みたいな鈍いが鳴り、辺り一面にお湯が飛び散った。もちろん俺の方にも。
「んもう! ブチョウ! ちゃんと体流してから入って下さいよ!」
そう言って振り返るとブチョウはうつむいたまま倒れている。
「だ、大丈夫ですかブチョウ……?」
思わず駆け出し、ブチョウに近づき肩を叩いて意識を確認した。
「う、ううぅ……。なんだってここはこんなに浅いんだよ……」
ブチョウはごろり頭を抑え、鼻から血を流しながら訊いてきた。
「ぶ、ブチョウ……? 驚かないで聞いて下さいよ……」
真顔でブチョウの顔をまじまじと見た。
:
「腰洗い槽って書いてありますここ……」
すぐ脇に小さな立て看板があった。
「いたたたた……。プールじゃないんだから、そんなもん『ど真ん中』に作るなよミーナめ……」
頭を抑えながら、ゆっくりと起き上がった。
「俺、腰のためにも薬湯に行ってくるわ……」
そういうと、天空に伸びる壁の端にある薬湯へと行った。
一方俺はというと、足の伸ばして4人くらいが入れる小さな浴槽に浸かった。
「ふぅ、ふううぅぅぅ……。爺くさいかも知れんが、たまらんねこりゃ……」
少し熱めの湯が心地よい……。そう言って湯船にゆっくりと浸かっていく。
両肘を後ろにやり、背中の岩にもたれかかるようにして星空を見上げる。
「はぁ……。これ……元の世界帰れるんかな……。そういや車好きのカツヨシとか車乗れなくて発狂しそうだよな……。もちろん俺もなんだけどな……」
そんな事を湯船で考えながら、薬湯の方を見ていた。
ブチョウが気持ちよさそうに、空を見ながら目を閉じている。
「まぁ、しばらくは全てを忘れてゆっくりしていくかぁ……」
再び、湯船で言葉を漏らす。
あれ? そういや今何時だろ……そして、ふと左腕を見た。
「ん……? んん? って、腕輪したままだわ! 時計じゃねーぞコレ!」
焦りながら腕を振り回し、水滴を飛ばして蓋を開けると【IPX8】の刻印があった。
「ふ、ふぅ焦った……IPX8かよ……。って、いやちょっとまて、……いや、いいのか……」
良く分からない状況が続き過ぎているので正直錯乱していた。
「とりあえず、こっそり、ブチョウをアナライズしてみるか……」
そういって、ブチョウに左手を向けた。
「一応、動作するから大丈夫っぽいな……。って、《味覚障害B》と《脱毛A》それと……、《躁うつA》のバッドステータス着いてたのかよブチョウ……。そりゃあ食事も薄味になるし暴走もするわな。残り時間はの表記が《あと数刻》って書いてあるから明日には戻っていそうだ。とりあえず、後で教えてやるとするか……。って。そういや俺ってどうなんだろう……」
コンソールを出し、確認するもバッドステータスは今のところ、付いていないようであった。やれやれと胸をなで下ろしていると、薬湯に入っているブチョウが動いた。
(おーいシン! こっち来てみろよ)
大きく手を振って呼んでいる。
「なんですかー、ブチョウ! ログアウトでも見つかりましたか?」
そう言って、叫びながらブチョウの方へと移動する。
ブチョウは片膝を立て、壁の端に来ている。
(お、おい。デカい声出すなよ。ちょっと、この位置に来てみ? 壁は厚くても声は回り込んで伝わるみたいだぞ)
(ちょ、ちょっとブチョウ! またゆっくり生き返りたいんですか?)
ブチョウに近づき、こそこそと意味がわからないことを訊いた。
(はぁ? 大丈夫だよそんなの大した問題じゃ無いよ)
ブチョウは呆れたような顔で言っている。
――そして向こうから声が聞こえる。
「ユウって普段の見た目より出るとこ出てるんだねぇ……。着痩せするタイプだったとは知らなかったなァ……」
「そ、そんなことないよぉ、ミーナだって、出るとこ出てるじゃない」
「くっ。ぶ、ブチョウ……。誠に……、誠に残念ではございますが……。わたくし、今死ぬと初期スポーン地点から20分かけてこの寒空の
そう言い残し、拳をぎゅっと握りしめるとうつむき、強く下唇を噛みしめながら浴場から出ようとした。
「あれ? そういや女性同士だとモザイク適用なしっぽいね……」
――ズバァーン!
二人は爆散した。
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